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死より残酷な別れ

作者: さかな

 

 

 

 

 冬の桜の木の下、花弁が舞う季節よりも少し前の話。

 美紀は夢現に見た景色を覚えている。その光景は繊細で忘れる事すら出来なかった。だが、はっきりと思いだす事も出来なかったんだ。

 愛おしい人の背中、去り行く儚げな影、伸ばす自分の腕。

 その全てを思いだす事が出来るのに、どうしてだかその人物を思いだす事が美紀には出来なかった。


 特に何か秀でたものを持っていなかった美紀。それは自分に出来る能力だけではなく見た目もそうだった。

 どこにでも居そうな普通の女。可もなく不可もなく、美紀はそんな普通の女の子だった。

 だが時間はあまりにも早く過ぎてしまい、美紀も大人になる。子供だと馬鹿にされていた時代は一瞬で過ぎていき、美紀も恋をした。


 そんな美紀が恋をした相手は美紀同様に普通の男だった。

 特別背が高いわけでもなく格好良い声をしているわけでもない。ただ美紀にはそんな男の純粋な笑顔が美しく見えてしまったんだ。

 二人はすぐに恋に落ちた。家柄も学歴も何も気にしなくて良い普通の恋に。


 純粋すぎる二人は、いつも図書館で会っていた。

 学者を目指している男の難しい本を隣で眺めながら、美紀はいつも楽しげに話している男の話に耳を傾けた。

 美紀にはそれが何よりも幸せを感じる事の出来る瞬間だった。


 美紀の微笑みにすら気がつかないで男は夢中で話し続ける。

 その話を聞き続ける美紀の純粋な愛を感じれるほどに。


 だが時代というものは時に残酷で、いとも簡単に全ての希望を奪い去っていく。

 それは他国との争いだった。

 日に日に激化する戦争。自分達の町以外が壊れていく報道。誰が悪いわけでもないのに、他国の人間を恨むことしか民衆には許されなかった。


 そして運命と時代は、美紀が愛した男を指名した。


 いつもの図書館で会う二人。そして不意に二人の近くから誰も居なくなった。

 その時、男は自分のポケットから薄桃色の紙を出した。

 その紙を机の上に置く男。だが男はその紙を出すだけで何も話そうとはしない。


 薄桃色の紙を見て、何も話さない愛おしい人の悲しげな表情を見て美紀は悟った。

 これが最後なのだと。


 美紀の脳内で可能性が呟く。

 まだ生きる事が出来る。これで終りなんかじゃない。

 だが美紀は分かっていたんだ。学者を目指している軟弱な彼が生きて帰ってこないことを。


 そして美紀は男の手を握った。

 それは言葉を交わさなくても分かる事の出来る優しさ。自分はずっと待っていると男に自身の温もりで伝えたかったんだ。

 涙を我慢し精一杯の笑顔を見せる美紀。

 そんな美紀の笑顔を見て男は美紀を抱きしめた。美紀の温もりを手だけではなく、体中で感じたいと思ったからだった。


 そして全ては終わった。


 帰って来た家族、戻ってきた来た恋人。それらと涙を流しながら抱擁を交わす人々を目にしながら、美紀は最愛の人を探す。

 右を見て左を見て、走って走って走って。自分が履いている草鞋が脱げてしまっても懸命に走り男を捜した。

 そして美紀は男と再会する事が出来た。


 横たわり言の葉を紡ぐ事さえ許されなくなってしまった男と。


 発狂する事すら出来なかった。

 ただ血塗れなだけで、綺麗な身体を保って戻って来てくれた事を感謝していた。

 それでも感情というものは、人間から簡単には乖離できないもので、物言わぬ男の顔に一粒、一粒と大きな雫を美紀は落としていた。




 それから数ヶ月の時間が流れた。


 国は復興の為に動き出し、人々はいつまでも弱気でいては駄目だと決起し、その明るさを取り戻しつつあった。

 そんな人々の中、美紀はとても落ち着いていた。

 争いが終わった世界を眺め、未来を造ろうとしている大人を眺め、無邪気に走り回る子供達を眺めている。

 その顔はとても穏やかで戦争なんて経験していない人だと思ってしまうくらいだった。


 そして美紀は思い出が詰まっている桜の木下に何度も行った。

 男と出会った思い出の場所。抱擁したのも接吻をしたのもこの場所が初めてだった。

 強く抱かれる男の力に圧倒させながらも、美紀は喜びに耽っていた。はにかみながらも合わせる唇の感触はとても甘かった。


 そんな美紀は冬の桜の木下にいる。

 花弁が舞うわけでもなく、暖かい春風が吹くわけでもない。

 そして争いが終わってから何度目なのか分からないくらい、美紀は同じ事をする。

 いつものように桜の木に手を当て美紀は……。


「貴方は、いったい誰なんですか……?」


 そう、呟いた。





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