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七話 愛たくないやつ

 思えば、つい先月のことが振り返られる。


「私と、付き合ってください!」

「断る!」


 僕は後輩の女子に告白された。会ったことも話したこともない相手だが、スカーフの色で一学年下の生徒であることは明白だった。

 なるほど、顔は申し分ない。僕という存在を前にすれば霞んでしまうが、それ以外の場所ならば可愛いなどという形容詞が良く似合う女の子だ。

 容姿、立ち振る舞いも端麗でしおらかな印象を持つ。無論、空手によって鍛え上げられた僕の体幹と比べれば天と地ほどの差はあるものの、僕と二人きりなどという状況でもなければ十分に及第点だろう。声もよく通るし利発そうな顔つきだ。


 惜しむらくは、僕より劣っていたということぐらいだろうか。




 アンを見る。

 薄ぼやけた輪郭は、それでも見る者を魅了する存在感を放っている。金色の瞳はまるで夜空に浮かぶ満月のようだ。透き通る肌は、何も幽霊だからという理由だけでもあるまい。

 血色のない白い頬を生意気にも紅く染めて、冷たい手を僕の手と重ねてくる。

 気がつくと彼女の大きな瞳は、僕のすぐ近くまで迫っていた。


「あっ」


 上体をずらして顔を遠ざけてやると、アンは名残惜しそうな声を放って眉を悲しみの色に染めた。

 もしやこいつ、僕とキスするつもりだったのか?


「……おかしい。本の内容通りにいけば、ここで熱い接吻が交わされるはず」

「おかしいのはお前の頭だ」


 愚かにも僕の唇を奪おうとするとは見上げた根性だ。この恋愛小説オタクめ、僕は結婚するまで不純異性交遊などというチャラついた行為をしないと決めている。

 ……しかし、流石は英雄様と言ったところか。この僕が、まさか顔面への接近をここまで許してしまうとは。不覚だが、鼻先が掠めるまで身動きできなかった。


「な、ななな、何やってんですか二人とも……」


 別に何もしていない。そして僕はどちらかというと被害者の立場だ。

 それでもやはり動揺して、声の方向を瞬時に振り返ってしまったのは確かに僕の落ち度と認めてやろう。

 小さなニムニムはその反応をどう受け取ったのか、次の言葉を聞けばわかる。


「……ちゅーしてたでしょ」

「してない! 断じてだ!」


 今にも泣き出しそうなニムニムの表情。僕の心を読むのも忘れて、こいつは目の前の状況を判断しきってしまった。


「嘘だ! ワタシはちゃんと見てましたからね! それよりも何よりも……あんたら、なんでそんな顔真っ赤なんですか! エッチ! スケベ!」

「んな! あ、赤くない!」


 他人に言われてようやく自覚できた。顔が熱い。

 そして先ほどからドクンドクンと胸を打つこの感覚、もしかして、僕としたことが、この女にドキドキしたとでもいうのか。

 アンを見ると目があった。そして、奴は口元を押さえて視線を逸らしやがったのである。誤解を招く行為をするな。


「あああワタシは取り返しのつかないことを……、アン様が汚されたあ」

「落ち着けニムニム、こいつは既に汚れていた。そして汚されたとするならばそれは僕の名誉の方だ」

「な、何を言うのだナル。私は、純潔だぞ……」


 こいつらの話に僕は抗議を続けた。僕に対する誤った見解があるのは頂けない。まず僕が汚いなんてことはあり得ない。肉体面でもさることながら、精神的な清さでだって僕の右に出る者はないのだ。どうしても対抗したいと言うならばイエスかブッダでも連れてこい。


「うわああん! ワタシのばかああああ!」


 いたたまれなくなったニムニムはプゥーンと飛んで森の中へと消えていった。

 しばしば呆然と羽虫が消えた暗闇を眺めていた僕だが、ふと横を見ると、ちょうどアンもこちらを振り向いてきた。眺めていると、大きな目をパチクリ瞬かせる光景がなんだか面白くて、堪え切れない気持が口から飛び出してしまった。


「……ぷっ」

「……ふふっ」


 それは彼女も同じだったようで、次第に、段々と込み上げてくる笑いを抑え切れずに二人で盛大に笑っていた。

 そういえば初めてだな、この世界に来てから笑ったのは。


 だが、そんな一時も無に帰す絶叫が突如木霊する。


「あぎゃああああああああああああああああああ!」



 ひどく耳障りな声質。無駄にでかい声量。まるで夏の蝉のように甲高いその金切り声は、自らを絵本の妖精と名乗るニムニムのもので間違いはない。

 僕は座ったままの姿勢から反射的に飛び起きて、すぐさま猫足立ちの構えを取る。絶叫の方角に身体を向けて、ピリピリとした空気を肌が感じていた。何だ、この肌を刺すような威圧は。


 ――いや、これは森の中からじゃない。

 目を向ければ、恋する英雄は顔つきを一変させて闘気を解放しているのだった。顎を引き、三白眼の見据える先は木々が生い茂る暗黒の一点。

 僕の人生で、これほどまでのプレッシャーを放つ人間が果たして存在しただろうか。空手の全国大会でも感じたことのない、気を抜くと腰が砕けてしまうほどの重圧。

 英雄と呼ばれる者の本質。


「そこに居るのは何者だ!」


 怒気を強めたアンの一声に森が揺れた。

 ライブハウスで感じる痺れるような重低音、それを何十倍にも凝縮したような言葉だった。驚いた鳥達が一斉に夜の星空に羽ばたく。俺も十センチくらい浮きあがった。

 そんな鳥達と一緒に暗闇から現れた、ニムファ・ニムフェ。


「あ、あああ、アン様、に、にに逃げ、逃げえぇ……」


 大粒の涙を浮かべてフラフラ飛ぶ妖精。その飛行軌道はまるでハエだ。とうとう本当に羽虫に成り下がったか。

 そんなことを考える余裕があったのは、次に現れた者を見るまでだった。


「ふむ、この羽虫が居るということは、やはりここが英雄の墓所で間違いなさそうであるな。ガハハハハ」


 凶悪。


 奴の見た目を一言で表すならば、この言葉が最も適切だと思った。

 紫色の肌、瞳のない白眼、恐ろしく鋭利な牙、額に生える二本の歪な角。どこをとっても禍々しく邪悪な気配を放つそいつは、夜の闇に紛れる事もなく圧倒的な存在感で僕の目の前に現れた。


「魔王……!」


 思わず声が漏れた。奇しくもその言葉は英雄アンと同時に発音される。

 僕は奴を知っていた。なぜなら奴の見た目がまさしく、アンと同じく絵本と挿絵と瓜二つな姿形をした魔王そのものだったのだから。

 奴と目が合う。白目しかないその視線を、僕は確かに感じ取った。

 しかしすぐに外された。次の標的は、僕のすぐ隣に居る英雄の亡霊。


 ……は? こいつ今、何をした?


「おお、やはり先ほどの大声はお主だったか。ガハハハ、威勢がいいのは相変わらずよ」

「黙れ! 貴様は私が封印したはずだ! この命と引き換えに……!」


 嬉しそうに発言する魔王に対して、アンは声を張って牽制する。

 話を聞くにこいつが魔王であることは間違いなさそうだ。

 その魔王が近付いてくる。大きな足を大股で、アンに向けて歩を進める。


「うむ! 見事であったぞ。おかげでその封印を破るのに今の今までかかってしまったわ。ガハハハ!」

「破る……だと……! そんなバカな、あの封印は、全世界の人々が願った愛の集大成であるというのに! それを、破られたというのか!」

「ガハハハハ! 流石に骨が折れたわ! 代償として力を殆ど失ってしまった!」


 二人はそのまま談笑をはじめてしまった。

 なるほど、数年ぶりの再会でお互い積もる話もあるだろう。

 だが世間話に花を咲かせているところ悪いんだが、このままでは僕の気が納まらないんだ。

 僕は魔王を押しのけて二人の間に割って入った。

 中断される、魔王の耳障りな笑い声。その白眼は今確かに僕に向けられている。


「ナ、ナル! 何をしている、さっさとここを離れるのだ! こいつはこの世界で破壊の限りを尽くした魔王だぞ! ここは私が食い止める!」


 事態が飲み込めないアンが的外れな言葉を放つ。それを当然のごとく聞き流す。

 見上げるほど大きな体躯を持つ魔王は、舐めた笑みで僕を見降ろしている。今度こそ余所に気を取られることもなく、しっかりと僕を捉えている。


「ふむ、誰だお主?」

「……グギャギャー」


 そっと吐き出した僕の言葉に、魔王はピクリと反応を示した。

 何を言い出しかのかと耳を疑ったことだろう。だが僕にとっては予想通りの反応だったので、ひとまず満足の表情で魔王に向けて歯を覗かせた。


「お主……何を」

「今から奏でるお前の断末魔だ」


 瞬間、僕の腕は風となった。

 踏み込む位置、打ちこむ角度、そして目標への到達速度。全てが完璧過ぎた。

 魔王の敗北を宣言した僕の右拳は、奴の顔面へと見事なまでに正拳突きの痕跡を刻み込んだ。

 鼻っ柱に直撃。インパクトの瞬間も最高の感触。

 威力を殺しきれずに首をはね上げて青天井を向く魔王からは紅い二本の噴水が小さく上がっていた。

 意識は完全に途絶え、糸の切れた操り人形のごとく地に顔面を埋めるだろう。


 魔王風情が、僕を無視した報いという奴だ。


「うむ! よいパンチである」


 上を向いた顔面を瞬時にこちらに向け直し、笑みを浮かべる魔王の――。


「ナル! 避けろ!」


 その声が聞こえたのは、大型トラックが激突してきたのかと疑うほどの衝撃に見舞われるのとほぼ同時だった。


「うぐっ!」


 天地が回る、上下の感覚がわからない。

 しかしそんなパニックも一秒にすら満たない時間の刹那だった。

 二度ほど強い衝撃の後で、僕は木に激突していた。肺の空気が一変に押し出され、呼吸ができない。


 殴られた。それもすさまじい威力で。

 僕はその衝撃によってゴミクズのように吹き飛ばされた。

 焦点の合わない目で自らが描いた軌跡を確認する。

 どうやら二度ほどバウンドしてこの木に着弾したようだ。全身がバラバラに引きちぎられるような激しい痛みに、この僕としたことが、うめき声しかあげられない。


「ふむ、なんだ、この程度か」

「ああ!?」


 確かに聞こえてきたその呟きは、ひょっとして僕に向けられた評価だろうか?

 この程度、この僕を捕まえてこの程度などと口走るか!

 魔王だなんてやられ役の最上級の称号を持つお前なんかに!


 思考が怒りに染まるにつれて身体の痛みが消えていった。これがきっと噂に聞く脳内麻薬、アドレナリンというやつだろう。それじゃあ人体の不可思議を堪能させてくれたお礼をしなければならない。あの魔王に。

 ゆらりと立ち上がった僕は決意する。


「泣かす!」


 一歩踏みしめると同時に最大速度まで加速、二歩目は既に奴の目前、生意気なことに、魔王はそんな俺を目で追ってニヤついた笑みを顔面に張り付けていた。

 調子に乗るなよやられ役め。


 度肝を抜いてやる。

 僕は拳を解き放ち、四本の指をピンと張り詰める。


「地獄突き!」


 一本の槍と化した僕の腕が風切り音を放つ。

 肝臓を突き刺す必殺の抜き手。肉の壁が薄い脇腹からねじり込むように打ち込んだ人体破壊の究極を体現させた左抜き手は、手首まで腹部に減り込ませる殺人ブローとなっていた。

 人間相手ならば間違いなく死んでいる。人間相手でなかろうと悶絶必死。


 勝利を確信して顔を上げれば、さらに口角を歪めた悪の権化と目が合った。


「うむ、良し!」


 まずい、反撃がくる。

 先ほどの威力を想像し咄嗟に飛びのぐ。……が、左手が、やつの腹部から外れない。

 なんということだ、筋肉を締め上げて俺の腕を完全にロックしている。漫画でしか見たことない!

 後方への回避は不可能。

 奴の拳は既に発射されている。


「廻し受っげぇ!」


 右手で受け流そうと円の軌道を描いて奴の腕の側面を捉えるが、奴の剛拳はビクともしない。

 受けを弾かれ顔面へと迫るそれを、僕はなんとか頭を下げて回避に成功せしめた。拳圧が身を揺さぶる。風切り音などというにはおこがましいまでの暴風が、耳に痛い。

 なんとか奴の腹を蹴り上げて、その反動で腕を引っこ抜いた。数歩下がって距離を開ける。


 心臓の音がうるさいほど鮮明に聞こえた。ふつふつと心が煮だっているのが分かる。

 この魔王は完全なる悪だ。倒されて然るべき行いをしたし、こいつの負け様を見てせいせいしたのも事実。


 だがこの魔王を真に倒すべきは、愛などという代物ではだめだった。

 そう、そんな不確かな感情ではなく、僕の様な完璧な人間でなければ倒し得る道理などないのだ。

 だからとっとと倒されればいいものを、こいつは反撃などしてくれおって! それどころか、僕の攻撃を食らってなお表情は崩れず、見定めているかのような発言。

 ――僕は、勝てるのか?


「ぐぐ、奇妙な技を使いよる。指先で殴打するなど、聞いたことすらないわ! ガハハ、ガフッ!」


 いや、奴だってダメージを受けている! 当たり前だ、僕の技を食らって平然としている方がおかしいんだ。ましてやこの世界に来てからは技の切れも威力もずば抜けて向上している。

 勝てる。僕が、今一度この世界に平和をもたらしてやるとしよう。


第一形態(このすがた)では失礼だったな。第二形態で相手をしてやろうぞ」


 魔王は醜く歪む。狂気へと変貌する。

 地の底へと落ちた気分だった。




―――




「ナル! ああ、大変だ、お願い、自己回復の魔法をかけるんだ。頼む!」


 最早、瞼を閉じる力すら残っていない僕の視界に、涙を流すアンの顔が大きく映った。

 膝枕をしているような体勢で、必死に叫び散らしている。

 何も感じない。力が入らない。この身体は、果たして本当に僕のものなのだろうか。綿の詰まったぬいぐるみなんじゃないだろうか。


「無理ですよアン様! 戦いの最中ずっと自己強化と自己回復の魔法を使い続けて、もうナルは枯渇状態なんですよ!」

「く、私も精いっぱい愛の回復魔法をかけ続けているが、やはり霊体では、以前ほどの力が出てこない! くそ、このままではナルが、死んでしまう!」


 僕が、死ぬ?

 何の冗談だとアンの額を人差し指で小突きたいところだが、身体が動かないんじゃどうしようもない。

 声も出せない。というか僕は今、呼吸をちゃんとおこなえているだろうか。

 魔王。

 僕はあんな奴に負けて、死んでしまうというのか。


「そうだ! ワ、ワタシに任せて下さい! ナルを元の世界に戻してやりましょう! 腕のいい医者の外科手術ならばあるいは!」


 何だと! 僕を元の世界に帰すだって!

 その言葉を聞いた僕の体は、反射的にニムニムに掴みかかっていた。


「うぎゅう!」

「ナル!?」


 目の前の小さな生物は苦しそうにうめいた。

 いいか、もしそんなことをしてみろ。まるで僕が、魔王に勝てないからって無様に逃げ帰ったと思われるじゃないか!

 そんなカッコ悪いこと、誰がするか!


「んなんですと!? あんた今の状況分かってるんですか? 自分の命の危機ですよ!」


 心を読み取ったニムニムの反論。それもまた聞き捨てならない。

 この僕が、この完璧であるはずの僕が、こんな世界で死ぬとでも思ってるのか? 心外にも程がある。


「もし、そんなこと、したら、……燃やしてやる」


 絵本を、一冊残らずだ。

 ビクっと震えたニムニムを見て理解したものと確信し、僕の意識は完全に途絶えた。

執筆担当:○○△

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