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六話 自分を愛する男と、自分以外を愛した女

 月の光で満開に咲く不思議な花の匂いに誘われて、僕は英雄の墓標へと歩を進めた。

 憎たらしいあの絵本の内容や、ここへ至る道中で散々見聞きしたことで固まりかけていた彼女のイメージ。

 あの皆が大好き、ドヤ顔のうさん臭い英雄アンさまと、目の前の静けさを湛える殺風景な眺望とが、頭の中で上手く繋がらない。


「……騎士団の人たちも言ってたと思うけど、英雄としてのアンさまなら王都の慰霊碑でキラキラにまつられてるよ。

 こっちのお墓は交通の便が悪いし、何より存在自体あんまり広くは知らされてないんだ。

 墓の造りも含め、そのへんはぜえんぶ生前のアンさまの御希望どーり」

「……ふーん」


 また性懲りもなく人の心を読みやがったなこの羽虫。

 いい加減こいつにはプライバシーのあり方というものをみっちり叩きこんでおかなければならないようだ。

 とはいえ珍しいことに、今のこいつからはどことなく哀愁のようなものが感じられる。

 だからというわけでは断じてないが、今は目的についての話を進めることにしよう。


「それで? さんざん会わせる会わせるって息巻いてた、肝心の英雄アンさまとやらはどこなんだ」

「そういえば……。おっかしいな。居ないはずないのに」


 そういって石柱の周りをせわしなく飛び回るニムニム。しかしどうにも彼女は見当たらないらしい。

 こいつが探して見つけられないものを、僕が見つけられる道理もない。ここは大人しく静観しておくことにする。


「姿を消されてるのかなあ。アンさまあ! 夜分遅く失礼しまああっす!」

「……幽霊を相手に夜分遅くも何もないだろ」


 いや、幽霊の知り合いなんて居ないから知らないが。

 手を貸してやりたいところだが、僕の目に留まるのは水平線が広がるだだっぴろい岸壁くらいのもの。

 こんなところにわざわざぽつねんと墓を建てようなんて、本当に変わった奴もいたものだ。

 この世界に来て最初に辿り着いた街のバザーで、横断幕に書かれていた多様な賛美の文字。会う者会う者がまるで母や姉妹や娘のように熱く語った、偉大なる英雄への畏敬の情。

 それらの全てがこのちっぽけな墓の下に眠るたった一人の少女に向けられているものだとは……。僕は、未だ正しく認識できずにいた。


『驚いたな。月命日も過ぎたのに人間の来客なんて』

「――――」

「あ~!」


 いつのまにかそいつは、墓石の横っつらに背を預けて立っていた。

 真っ白な肌。大きな瞳。陽光を閉じ込めたような髪が春の夜風に揺れている。

 腕を組んだまま僕を見据えるその相貌は……確かにあの絵本の主人公、英雄アンの挿絵と瓜二つだ。


「探してたんですよアンさま! 一体どちらに行かれてたんですかあ」

『奴に似た気配が近づくからと身を隠してみれば……ニム。お前は一体何を連れてきたのだ』

「いやあ、それがですねえ――」


 霊感なんか持ち合わせていないはずの僕にも、ひと目でわかった。

 純白の鎧を身に纏い、妖精と親しげに言葉を交わすあの少女は……生者とは明らかに異質な空気を帯びている。

 まるで夏の昼日のアスファルトに立ち昇る陽炎が、そのまま人の形をとったかのようだ。知覚こそ出来ても、存在感というものをまるで感じない。


『――そうか、そんなことが……。貴殿、名は何という』

「……僕のことか?」


 ニムニムとの会話もそこそこに、英雄の霊と思しき少女は僕へ視線を寄越した。

 なぜ今の今まで気付かなかったのだろう。コクンと小さく首肯しただけの彼女から、淡い透明感とは別の漲るような気迫が発せられていた。

 膝が小さく震えるのはきっと夜の潮風が肌寒いせいだろう。僕は怖気がつきそうな自らの気概に心中で活を入れながら、唾を飲み込み大きく息を吸い込んだ。


「僕の名はナル! 好きなものは美しいもの! すなわち自分自身だ! 理由は三つ!

 その一、『面持ちが』! そのニ、『目鼻立ちが』! その三、『見目形みめかたちが』! 美しいからだあああ――ッ!」


 決まった。自分でも怖いくらいに。素のままでも充分だとは思ったが、ついでに決めポーズもとりつつやってみたのだから輪をかけた決まり具合だ。


「……ナル……キミというやつは……クッ。こんな状況の時まで……どうしてそんなに……」


 その証拠に僕の自己愛の強さを重々心得ているはずのニムニムまでもが、僕の美しさに当てられてしまったようだ。ちょっと泣きが入るほどに。

 場の空気が完全に英雄の放つ雰囲気に乗っ取られてしまう前の、先制攻撃程度にはなったはず。

 とはいえ我ながら、よくやるもんだなと思う。これも強い自己愛のなせる技だ。


『……なるほどな。確かにとても美しい。だがしかしだな――』

「えっ?」 「えっ?」


 決めポーズ(片足立ちでエビ反り姿勢)を維持した僕を見て、アンが神妙な顔つきで頷いた。

 そんな予想外の反応に、僕とニムニムが驚きの声をあげたのだ。


『えっ? って……ど、どうしたんだ。二人とも』

「……ちょっとアンさま~。今のは『ば~っかじゃねぇの?』ってツッコミ入れるところでしょう」


 やれやれわかってないなあとでも言うように、ニムニムが英雄の霊に向かって講義をはじめた……いや、お前はお前で言い過ぎだろコノヤロウ。

 しかし僕自身も珍しいリアクションに面食らって言葉が出てこない。


『な、なぜだ!? 素の体勢でもそこはかとなく美しいというのに、今の決めポーズは相当に芸術点の高いものだったぞ!

 ピンと伸びたつま先や、限界まで反り返った背中! 声の伸びにも、目を見張るものがあっただろう!

 自分で自分のことが好きだなんて臆面もなく言ってのけるだけのことはあるなと、思わず感心してしまっただけだ!』

「……いやいやいや! ただ珍客が笑えるポーズをとっただけじゃないスかあ! どうしちゃったんですかアンさま!? 目を覚まして下さいよ!」

「おいちょっと待てやめろ。よくわからないがまともに馬鹿にされるより心が痛むぞこの状況」


 初対面で自分を褒めちぎってくる奴とそれを全力で否定する一応の顔なじみとが、自分をほっぽって真剣に口論するのはトラウマものの光景だった。

 さっきまでの彼女の威厳はどこに消え去ってしまったのだろう。

 偉大なる英雄の魂は、確かに僕が思っていたような奴ではなかったが……なんというかこう、うさん臭いことには変わりないみたいだ。


『ナル、と言ったな? 貴殿からも言ってやったらどうだ! 自分がいかに美しいのかということを、この精霊に言ってやればいい! さあほら、今!』

「そんなことはここに来るまでにさんざん嫌ってほど聞かされてます! そして全力で同意しかねますから!

 ナル! キミからも言ってやれよ! あれは掴みのギャグみたいなもんで半分わかっててやってるんだって!

 そんな本気で同意なんかされたって逆にリアクションに困るだけだって、アンさまに言ってやれよおお!」

「すまん。僕が悪かった。よくわからんが勘弁してくれ。この通りだ」


 月が見下ろす幻想的な夜の風景をバックに、精霊と英霊の熱き舌戦はそこから小一時間ほども続いた。

 意図せず議題となってしまった僕は、来た際に懸念していたものと全く違う形で、心が押し潰されそうになっていたのだった。



 -



『なー、ナル』

「なんだよアン子」


 気がつけば僕たちは、星空を見上げて気安く名前を呼び合っていた。

 今さらこいつに対して緊張なんかしたってこっちが馬鹿を見るだけだと、僕も悟ったのだ。

 そんな僕らを尻目に、ニムニムのやつはというと……


「…………」


 なにやらぐったりしている。いろんな意味で疲れたのだろう。

 愚かで卑しい僕という不貞の輩に、敬愛して止まない英雄から愛を説いてもらおうとはるばる異世界くんだりまで連れてきたのに……説教するどころか絶賛をはじめたのだ。

 そりゃあ羽ばたくのもやめて泥のように地に伏すのも無理ないことかもしれない。だからといって同情する気は一切起きないが。こっちの身にもなってほしい。


『……ナルは、〝恋〟……というものを、知っているか?』

「何だって?」

『……恋だよ。コ、イ! なんだ。お前ほどの者が知らないのか?』


 いつのまにか話のネタは地平の彼方にすっ飛んでしまっていた。

 真面目な顔で僕を見つめているアンは心なしか照れたように頬を染めている。

 幽霊って、ほっぺた赤くなったりとかするんだな。


「いや……そりゃあ言葉の意味くらいは知っているが……」

『……そうか。ならば話は早い。実は最近私は、ずーっとコレを読んでいるのだ』


 そういって、アンが墓石の脇から引っ張りだしたのは……一冊の本だった。

 シチュエーションだけ考えたら呪いの書物か何かが飛び出してきそうだったのだが、意外にもそれはやたら少女趣味な装丁をしている。

 表紙には読むのもはばかられるような、なにやらこっぱずかしいタイトルが踊っていた。


「……何だあこりゃ。恋愛小説か?」

『ああ! ここへ参拝に来た女の子が置いていってくれた……置き忘れていっただけかもしれないけどな。ともかく、私はこれに、感銘を受けたっ!」


 大きな瞳を更に大きくきらきらと輝かせながら、アンが僕へと向き直って叫ぶ。

 その表情は絵本の挿絵に描かれていた逞しい主人公のそれよりも、ずっとあどけない少女のものだ。

 まるで宝物でも抱きしめるように、大した厚みもないその本を手に彼女が言う。


『恥ずかしながら私は……恋をしないまま死んでしまって今に至るのだ。

 愛は素晴らしい、愛こそ全てだ、みんなのことを愛してるなんて……口では言っていたのに変だよな。

 実のところは愛というものの半分、いや。根本すらも理解してはいなかったんだ私は』

「……アン」


 あまりにも表情豊かなものだからつい忘れてしまうところだった。

 こいつはとっくに死んでいて、何かに未練を抱いてここにいる。つまるところ、幽霊なのだということを。

 さっきまでの笑顔は途端になりをひそめて、今のアンはまるで迷子のように本を抱きしめて俯いている。

 拠り所のない自らの存在を必死に繋ぎ止めるように。次の瞬間には本当に虚空にかき消えてしまってもおかしくないほど頼りなさげに。


「そうかそうか。やっぱりお前はアホ女だったんだな」

『え? ――うぐ』


 今では遥か遠い昔のことのように思える、あの絵本の挿絵にやった時のように。

 僕はアンの大して広くもない額のどまんなかに、人差し指の腹を押し付けてグリグリとこねくりまわした。

 物言わぬ紙にやって妹の反感を買うよりも、リアクションがあるほうがずっとやりがいがあるじゃないか。

 幽霊って、普通に触れたりとかするんだな。そのことに何故だかちょっとだけ安心する。


『痛い、痛い。何をするんだナル』

「思い返せば僕は、お前に会いに行くことが決まってからというもの、ずーっと直接こうしてやりたいと思っていたんだ。この勘違いのアホ女!」

『なっ……。どうして急に、そんな非道いことを言うんだ、ナル……』

「僕がもっとも好きなものは自分自身。僕がもっとも嫌いなものは、自分自身を大切にしないやつだからだ!」

『――!』

「『英雄アン』が人並みに恋もしないまま死んで……こんな辺鄙な場所で人知れず幽霊なんかになっているのは……

 お前がきっと誰よりも強かったからで、お前がきっと誰よりも弱かったからだ。このアホ!」

『……すまない、ナル……お前が何を言っているのか、私にはわからない……』


 抱え込んでいた想いを一度に言語化するというのは、どうやら想像以上に難儀なことのようだ。

 まるで叱られた子犬のようにアンが僕の瞳を覗き込む。その様に胸が締め付けられるのは、何かを重ね合わせて見ているからなのだろうか。


「……フン。わからないなら別にいい。わかってほしいとも、今はあんまり思わない。

 ただお前はもっと、お前自身のことを愛してあげれば良かったんだ。生きてるあいだお前が世界中の奴らへそうしたみたいに。

 ……本当はあの絵本を読んでからずっと、それだけを言ってやりたかった」


 ニムニムは僕に愛とやらを教えるために、こんな所まで連れてきたんじゃなかったのか?

 だとしたら見当違いもいいところだ。いつのまにか僕は偉大な英霊の御霊に向かって、逆に説教じみたことをのたまっている。

 これじゃあまるであべこべだ。自身を正当に高く評価することに抵抗など一切ない僕だが、自分を棚に上げて物を言うことまでは好まない。

 久方ぶりに自己嫌悪に陥ってしまいそうだ。


『――――』


 僕の思案なんて気にも留めてはいないのか、アンはただ呆けたように僕を見つめたまま固まっている。

 出来ればそのリアクションは、先の自己紹介の時にしてほしかったな。

 僕たちの気まずい沈黙を故意か偶然かかき消すように、いつのまにか復活していたニムニムが声を張り上げた。


「あの、あのナルが、まさか……! こんなにも深く他者への愛を語るなんて! それもこれも、この愛の世界での暮らしのおかげ――」

「勝手に思い出を美化するな!」


 成長要素なんて無かっただろうが!

 いや、確かにこっちに来てからというもの親切な人や面白い人や危険極まりない奴らには、たらふく出くわしたけどな。


『……ナル。もうひとつ、聞いてもいいか』

「なんだよ? 言っとくけど謝らないからな。僕は」


 我ながらなかなかに下衆な台詞だ。小学生か僕は。


「小学生かキミは」


 うるさいぞニム公。勝手に心を読むな。お前小学生ってのが何なのかほんとにわかってるのかよ。


『私はお前が……ナルのことが、どうやら好きになってしまったようだ。ど、どうすればいい!?』

「えっ?」

「――アン、サマ、ナニヲ」


 本気で聞こえなかったわけじゃないが、思わず聞き返してしまっていた。

 ニムニムがまるで幽霊でも見てしまったような目つきで、赤く染まったアンの横顔を覗きこむ。

 そんな妖精のことなどまるで眼中にないかのように、アンは僕から一切目を反らそうともしない。


「どうすればって……いきなりどうしたんだよお前は」

『貴殿の反り返った自己紹介ポーズを思い返すだけで、胸は高鳴り呼吸は乱れる!』

「……ええ?」


 さっきから何を言っているんだこいつは。

 よくわからないが、それは単に思い出し笑いを誘発しているだけじゃないのか?


「それは単に、思い出し笑いを誘発しているだけですよおおっ!」


 僕の心の中をまたもや読んでか、言葉に窮していた様子だったニムニムが代わりとばかりに僕の思考を声に乗せる。

 本来ならふざけるなと怒鳴るべきところだが、今回ばかりは思わずナイスアシストだと感じ入ってしまった。


『この本にも書かれていたのだ……。恋とは知っていくものではない、堕ちていくものだと!

 ついさっき、お前に面と向かって『嫌いだ』と言われたとき、まるで私は地面に穴が開いたような浮遊感に襲われた!

 生まれてはじめてだった……誰かに『嫌いだ』なんて言われたのは……』


 ……こいつやっぱり嫌い。ナチュラルなリア充発言に僕のアイデンティティまで崩壊しそうだ。

 英雄アンが世界中の人々から慕われていた事実は絵本やこの世界での体験から嫌というほど知っているとも。

 だからといって嫌いと言われたことすら一度も無かったってのは、さすがに予想外だったけどな。


「あー。あの時はごめんな。足にくるほどショックを受けるとは思わなかったんだ。

 でもな、アン。お前はこの手の悲壮感に馴染みが薄いだけで、恐らくそれは単なる勘違――」

『これが〝恋に堕ちる〟という感覚なのだろう。ヒトメボレだ!』

「美味しいよな、あれ」


 いかん待て待て……脳が送られてくる情報を正しく処理できてないぞ。


「一体全体、どうしちゃったんですかアンさま!? 博愛の騎士アンさまともあろう御方がこんな、自己愛の塊みたいなナルシス野郎に、告白まがいのこと言うなんて!」

『……『まがい』。そうか、やはりどこか不自然なところがあったのだな……。きちんと愛の告白をしたつもりだったのだが』

「――――」


 アンのその言葉を聞いた途端、ニムニムはまるでサイレントモードにした携帯のように小刻みに震えはじめた。

 こいつ、いよいよもって限界かもしれない。頑張れニムニム。お前の世界の英雄だろう。お前が何とかしなくてどうするんだ。


『なあ、ナル……。私では駄目だろうか』

「……何がだ!」

『こ、恋人だ!』

「……むう」


 口走ってる内容のどストレートさとは裏腹に、妙に艶めいた雰囲気をまといはじめたアンが、少しずつ僕との距離を詰める。

 あまりに予想外な展開に、僕ともあろうものが面食らって対応が遅れていた。 


「……私は……私は単に愛することを知らない哀れな男を、愛の英雄の慈悲の力でもって、生まれ変わらせようとしただけなのに。それなのに……何でこんなことにぃいいい!」


 哀れなニムニムの、己が浅はかさを嘆く声が月夜に高らかにこだました。


執筆担当:ちくわ

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