一話 とある自己愛者の一日
こうして少女アンは たくさんの人びとの愛する心を力にかえ ついにやみの魔王をたおしたのです
グギャギャー! 苦しみの声をあげながら 魔王が 光のなかへすいこまれてゆきます
それを見とどけたアンは まんぞくげな顔をして それからしずかに 体を 横たえたのです
そうして眠りについたきり もう二度と彼女は おき上がることはありませんでした ……
魔王がたおされたと聞いて 大よろこびしていた世界中の人びとも
自分たちが愛し また 自分たちのことを愛してくれた少女が
もう二度と目をあけることはないと知ると たちまちお祭りさわぎをやめて ただただ深い深い かなしみにくれたのでした
世界をすくった一人の騎士 ……
誰が言いだすでもなく 皆 口々《くちぐち》に彼女のことを 英雄だとたたえました
~
こうしてアンの冒険は しずかに幕をおろします
ですが アンは 今も 生きつづけていることでしょう
たくさんの 愛といっしょに この世界の人びと全ての 心のなかで ……
おしまい
「…………」
僕は絶句した。
「終わった? ねえねえ。どうだった? どうだった?」
妹が大きな目を輝かせながら、僕がたった今読み終えたばかりの絵本と僕自身とを、交互に見やる。
気力を振り絞って最後まで読み進めてはみたものの、はっきり言って肝心の内容のほうはほとんど頭に入っていない。
「そうだな。まず何と言ったらいいか……」
というのもこの絵本、僕が大嫌いな言葉がふんだんに、それはもう贅沢なくらいたっぷりと用いて書かれているのだ。
『愛』。このワードが嫌いだ。これはもはや絵本としてのクオリティの問題じゃない。
例えるなら、虫が大の苦手だという人間相手に『世界の奇虫大図鑑』を見せて感想を寄こせと言っているようなものだ。
いくら図鑑の記述が正確だろうと、使われている画像が鮮明だろうと、嫌いな人間にとってそれはプラス要素でも何でもない。僕にとってのこの絵本の内容もまさにそれだ。
期待で無い胸を一杯に膨らませている目の前の妹に、応えてやりたい兄心も無くはなかったのだ。そう、読みはじめる前までは。
だが今の僕からは、どうあっても否定的な言葉しか出てくる気がしない。
仕方がないので、ここは心情を出来るだけオブラートに包むために、あえてヂェスチャーという形での意思の疎通を試みてみようと思う。
僕は妹に向けて満面の笑みを浮かべながら、右手の親指を立て、そして――
「ギッ!」
白目を剥いて首を掻っ切る仕草をして見せたのだった。
「ひぃぃ!?」
至近距離でまともにそれを見た妹が驚いて飛び退く。
どうしてそんなに怯えるのかは全く理解できないが、僕は盛大にため息をつきながら最悪な気分の元凶である手元の絵本を指さした。
「何なんだ。このむごい内容の本は」
「ム、ムゴイ……? そりゃあ確かに主人公のアンは、物語のラストで死んじゃうけど……。これ、そんな言うほどのものでもないでしょう?」
僕の手から本を奪い取った妹が開いて見せたページには、ちょうど安らかな表情で瞳を閉じている絵本の主人公、女騎士アンの挿絵が描かれていた。
絵本らしい柔らかなタッチのおかげで、話の内容自体には否定的な僕から見ても幻想的な雰囲気を醸し出すのに一役買っている、ようには見える。
これが敵の大将とタイマン張った結果相打ちになり、死んでしまった直後の場面だということを一切考慮しなければの話だが。
真っ白な肌とかうっすら開いた唇とか力なく投げ出された手足とか、冷静に見るとかなり不気味だ。『ザ・死体』といった風情だ。
「違う。このアホは死んで当たり前だ」
「アホ!?」
絵本を指すと、丁度良いことに横たわった女騎士のデコのどまんなかに人差し指が乗っていた。
腹いせにそのまま指の腹で力いっぱいグリグリと、女騎士のデコをこねくり回す。妹が「やめれええ」とかなんとか言っているがそんなことはお構いなしだ。
「なんでこんな勘違い女たった一人を相手に! 魔王がやられなきゃならんのだー!」
僕は妹の手にある絵本のページを反対向きなのも気にせず乱暴にめくり、序盤あたりのページを開いてみせる。
そのページにはいかにも悪そうな出で立ちの黒く巨大な影が、口をかっぴらいてガハハと笑っている挿絵が描かれていた。
添えられた文章はこうだ。
~~~
やみの魔王は言いました
ガハハハハ この世界の全ては わがはいのものだ !
誰かを愛するなど ばかばかしい! 大切なのは いつだってわがはい! 自分なのだ!
このわがはいが お前たちを支配して そのことを わからせてやるぞ!
~~~
「……や、何でって。これは倒されるでしょ。いまどき清々しいくらい悪者っぽいこと言ってるよこの人。
これで相打ちならむしろ頑張ったほうじゃない? ナイスファイトだよ」
妹が呆れ混じりに魔王の健闘を称えはじめた。だめだこいつ。なんにもわかっちゃいない。
わかっちゃいないことはわかっちゃいるつもりだったが、思った以上にわかっちゃいなかった。
魔王もきっと草葉の陰で悲しんでいるはずだ。明らかに人智を超越した存在である魔王に向かってこの人とか言うなよ、なんて突っ込みを入れていてもおかしくない。
「僕も別に、こいつが悪者だという点については否定しない。作中で割とムチャクチャしてたし、死んでざまあみろと思ったのも事実だ。
だがこの漢はそんなことなど軽く帳消しにできるくらい、とても大切なことを読者に伝えんとしていた」
語尾に熱がこもりはじめた僕を見て、妹がめんどくさそうに相槌を返す。
「……一応聞くけど、その大切なことって何?」
「魔王曰く、 『大切なのはいつだって自分』! そうとも、その通りだ。このけったいな児童書籍の中で、僕が唯一心の底から共感できた部分がそこだ!」
「……あー」
まーたはじまった、なんてことを言いながら妹ががっくり肩を落とした。
何故だ……ここは納得こそすれ落胆するような場面じゃないはずだ。構わず僕は続ける。
「人間的な成長とは、強い自己肯定感によって引き起こされるものだ。既成の価値体系を拒絶し、自身を強く想うことが、反抗期と呼ばれる性徴を促すようにな!」
「……何言ってるかよくわかんないけど、現在進行形で親に対して反抗期な人が言うと感慨深いものがあるねえ」
「それは今は関係ないだろ!」
「……あながち無いとも言い切れないんだけどねー。それに、私は反抗期なかったけどちゃんと成長してるしー」
だが胸の発育が止まってるだろ。きっとそれこそが弊害なのだ。とは、口が裂けても言えなかった。
長い付き合いだ、禁句くらいは心得ている。
「自分に自信が持てる者は少々のことではめげないし、人にどう思われているかなんて些細なことを、いちいち気にかけたりはしない。これは素晴らしいことだ」
「うーん……。ま、それはちょっとは言えるかもね?」
打って変わって、妹が僕の目を見て相槌を返した。
「でもねえお兄ちゃん。別にこの人は、そんなことが言いたかったわけじゃないと思うよ。単にお前のものは俺のものだーって言ってるだけだよこれ。相当美化されてるよお兄ちゃんの中で」
「そんなことはありません。見解の相違です」
あと、魔王をこの人とか言うなよだから。推してるはずのお前が話のスケールちっちゃくしてどうするんだ。
「話が飛んじゃったけど、つまりそんなすごい魔王がやられちゃったのがムゴイってこと?」
「厳密に言うと違う」
僕は再びページをめくり、魔王が主人公アンのはなった『愛の魔法』とやらでグギャギャー!と小物感まるだしの断末魔をあげている場面を開いて見せた。
「この、これ。見てこれ。この勘違い女。こんな女にやられるのがむごいと言ってるんだよ!」
僕は白馬にまたがった女騎士が光に包まれ魔王を倒す、この物語の一応クライマックスと思しきシーンを指さした。
都合良くドヤ顔の女騎士のデコに人差し指の腹が乗っかったので再びグリグリとこねくり回しておく。
「だからやめれって!本が痛むでしょ!? 絵本の登場人物にそこまで敵意剥き出しになれるのもある意味凄いよ!」
フン。僕が凄いことは僕自身が一番理解しているところだが、それは今は横に置いておこう。
「身の危険を顧みず周囲の期待に応えようとする。そんなことはアホのすることだ」
とかくこの世は、特に現代日本においては、自己犠牲の精神をやたらめったら尊ぶ傾向にある。
こんな結末の絵本が我が家にあって、こうして僕が読むことになったのもそんな社会的背景が巡り巡った故のことなのかもしれない、とすら思ってしまう。
友人である赤い鬼のために悪者を買って出る青い鬼の話。恩返しの末に銃殺されてしまう狐の子の話。パンで出来た頭部を惜しみなく分け与えるヒーローの話……いや、アレは結構好きだ。力ある者の孤高さを讃えた主題歌が素晴らしい。
とにかくこの国には、『ビバ自己犠牲』の精神があまりにも深く浸透しすぎている。周囲の期待を一心に背負い、我が身の危険も顧みず目的を成さんとするさまは、確かに傍目に見ているぶんには純粋に貴い行いに映るだろう。
だがそれは、自分に関係のない立場にいる者の考え方だ。本人はいいだろう。他人も感謝こそすれ否定はすまい。しかし、最も喪失感が大きいであろう一番身近にいる人間はどうだ。いい迷惑じゃないか。
「お前はこんなアホ女に憧れなんか抱いちゃダメだぞ。人間、自分が一番可愛いくらいが丁度いいんだ」
こんな本、世が世なら僕がこの手で有害図書指定に認定してやるところだ。
妹になんて本を読ませるんだ。感化されでもしたらどう責任とってくれる。
「…………お兄ちゃんの場合は、いきすぎだ」
「ハッ。否定はしないさ。なぜなら僕は僕が好きだからな!」
少しばかり真剣に考えすぎていたかもしれない。僕を見つめる妹の表情にわずかに陰りがあることに気づいたので、適当に場を濁しておいた。
その場はそれっきり。ちょうど父さんが帰ってきたこともあって、バッドエンドな謎の絵本についての評論回はぐだぐだのままお開きとなった。
しかし……あとになって僕は後悔することになる。もう少し、もっと真剣に考えておいたってバチは当たらなかったと。
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深夜一時。何となく寝付けなかった僕は、うすらぼんやりとした意識のまま一階のトイレへと向かっていた。
二階の自室から階下のトイレへ向かうまでには妹の部屋があるが、そのドアの隙間からは一切灯りは漏れていない。
相変わらず妹は夜更かしなどする気もないらしい。夕方の問答のせいで若干後ろ暗い気持ちもあるにはあったが、熟睡した奴の顔を想像するとそれも霧散した。
明日あいつが好きなお菓子でも買ってご機嫌を伺うことにしよう。なんてことを思いながら用を足した帰路のことだ。
トイレと自室の間には、もう一つ部屋がある。夕方、妹と二人で絵本を広げて騒いでいた客間だ。
障子戸が半開きになっていることに気づいてなんとなしに閉めようとするが、何かが挟まっているのか戸が閉まらない。
「……んん?」
電気もつけないままの暗い廊下にあってよくよく障子戸の敷居に目を凝らしてみると、一冊の本が落ちていることに気がついた。
「これ……夕方の絵本じゃないか」
戸が閉まらない原因は、例の絵本。奴……妹がちゃんと片付けないままだったんだろう。
大雑把なところは母親似なのかもしれないな、なんてことを本を見下ろしながら考えてしまったせいだろう。まただんだんと腹が立ってきた。
いつもなら拾い上げて居間の本棚にでも置いておくんだろうが、その時の僕はあまりらしくない行動に出た。
「フンッ!」 大袈裟に気合を入れてから、足元の絵本をスリッパのつま先で軽く小突いたのだ。
「……なーにが『誰かを愛する心が力になる』だ、馬鹿馬鹿しい」
まるで絵本に出てくる魔王のような台詞が、無意識に口をついて出てしまった。
僕に蹴っ飛ばされた絵本は畳の上をしゅるしゅると滑り、月明かりの差し込む仄暗い部屋の中央で静かに止まった。
明日になれば早起きの妹が見つけて、自分で本棚に収めるはずだ。
もう一度フンと鼻を鳴らすと、障子戸をしめて自室へ向かおうとした。
と、そこで突然――
『もーう我慢ならぁぁぁあああん!』
ドスッ
一瞬まばゆいと感じるほどの光を背中に受けたかと思ったその刹那、頚椎にそこそこの衝撃が襲った。
「痛え!?」
思わず前につんのめった僕が振り返った先に見たものは、信じられない光景だった。
執筆担当:ちくわ