蝶の色 龍の夢 ―――side GOLD
不思議な気分です――と、蝶は言った。
「あなたとこうして話せる日が来るなんて」
日本には存在しないはずの、
しかし実に日本的な曖昧な輝きをもった美しい瑠璃色の蝶だ。
当然である。
蝶は夜明けと夕闇の子なのだから、と俺は思う。
完全な夜でも完全な昼でもない不安定な時間帯だからこそ、
落陽の緋色と夜空の藍色がちょうど混じり合って
これほどまでに深く美しい瑠璃色が出せる。
そのせいか瑠璃色の蝶はひどく中性的で
少女なのか少年なのか今ひとつ判らないのだが、
俺は蝶を『彼』と呼びたかった。
瑠璃色は完全な中間色の紫じゃなく、むしろ群青に近い。
『少女』より『少年』のほうが蝶の雰囲気に合っていると思う。
どうせこの蝶に生物学的な性などないのだから
イメージで呼ばせてもらっても構わないだろう。
支離滅裂な思考を巡らす俺を前に、
蝶は気分を害するどころか嬉しそうに目を細める。
そして微笑んでこう言った。
「・・・さあ、話をしましょう。どんな話でもいい。
僕たちはそのためにここにいるのですから」
「ああ、そうだな・・・」
俺達はひたすら話をした。
音楽について、絵について、文学、漫画に映画まで。
そしてもちろんお互いのことも。
蝶は俺のことを何でも知っていた。
ごく親しい友人や家族しか知らないはずのことさえも。
いくら俺でも初対面の相手がこれほど何でも知っていたら怒るだろうし気味悪がる。
が、知っているのがさも当然であるように、気にも留めずに話し続けた。
俺は蝶のことなど何一つ知らないはずだった。
逢ったことはない。話したこともない。見たこともない。聞いたこともない。
つまり、俺の脳に彼の情報が入っているはずがないのだ。
知っているはずがないのに、やっぱり俺も彼のことは何でも知っていた。
蝶が「少年である」こと。好きな花、色、音楽、絵、小説・・・・
自分でもどうしてこんなことを知っているのかと疑問に思いながら
口は勝手に動くし談笑もする。
勝手に動くとはいえ
もちろん『オレ』には『オレ』なりの理由や根拠があって蝶のことを知っているのだが、
どうも『俺』には無茶苦茶な内容にしか思えない。
えっと・・・こういうの、なんて言うんだったかな。
これは現実じゃないんだ。
現実じゃなくて、変な矛盾が多くて、そのくせ妙にリアルで・・・
俺は知ってるはずだ、この状況を指す最も適切な言葉を。
なのにどうしても出てこない。
バーチャルじゃなくて、マボロシじゃなくて、
デジャヴじゃなくて、何だったろう。
不思議な気分だよ――と、俺は言った。
「キミとこうして話してるなんて」
蝶はさも機嫌よさそうにひらひらと椅子の周りを舞い、
俺の肩に留まった。
「・・・俺はキミのことなんか何一つ知らないはずなのに、
どうして次々言葉が出てくるんだろうな」
深呼吸するのに合わせて
羽が閉じたり開いたりする様子は
人間が目を閉じたり開けたりするのに似ている。
「それって、僕はあなただからじゃないですか?」
言ってみて自分で恥ずかしくなったらしく、
はにかんで笑いながら軽く目を伏せる蝶。
「キミが俺?」
「そうです。あなたは僕で、僕はあなたです。
でなきゃ初対面でこんなに知ってません」
「・・・そうか。やっぱり、キミは俺なのか」
肩を離れて、蝶はひらひらとまた椅子に留まった。
「ええ。僕はあなたで、あなたは僕です。
でも日常、僕らは全く別の人間として生きています。
現実で逢うことはたぶんないでしょう・・・
いえ、いいんです。
ここで逢うほうが邪魔が入りませんからね」
足を組み替えて、腕を組んで笑う。
「あ・・・そうだ、あのさ、
今のこの状況ってなんて言うんだっけ?
現実じゃないんだけどマボロシじゃなくて、
デジャヴじゃなくて・・・」
「ん・・・今の状況、ですか?」
明るい鳶色の瞳が丸くなる。
蝶は少し驚いたようだった。
どうしてそんな簡単なことを聞くのか、とでも言いたげだ。
「やだなぁ、
これは ですよ。決まってるでしょ」
「え?」
聞こえない。もう一回言ってくれ。
「だから、 ですってば」
「ごめん、頼む。もう一回」
「・・・どうしたんです?」
「いいから!」
「今のこれは・・・」
あ。
そうだ。
あれは、
『夢』だ。
自分の部屋の見慣れた天井を眺めながら
俺はあきれかえって笑い出してしまった。
ただ、
今こうしている時間が現実で
蝶としゃべっていた時間が夢なのか
今こうしている時間が夢で
蝶としゃべっていた時間が現実なのか
俺は知らない。




