残業終わりの祟り神
地獄の正門前は、ただひとつ巨大な門があるだけで、驚くほど静かだった。
かつてあれほど世界を騒がせた「人類」という種族が滅び去ったのだから、それも当然かもしれない。
「——で? お前さんが、あの『京都ハイテク特区』の心臓だった、雷神様かい?」
巨大な棍棒に身を預けて、暇そうに爪を研いでいた地獄の門番が、おもむろに声をかけてきた。
「祟り神、と呼んでほしいね。俺はあいつらを呪っていたんだから」
俺は答えた。手持ち無沙汰な半透明の手の中で、生前最期に食べた焼き餅の幻影を転がしながら。
「はは、手厳しいねえ。だが、お前さんが四六時中、常に落とし続けたあの莫大な雷のおかげで、あの国は石油もウランもいらなくなった。純粋な憎悪から生まれる、クリーンな永久機関。歴史上最も人間に使い倒された、最高のインフラ、それがお前さんだ。そうだろう?」
門番の言う通りだった。
生前、俺は社会の歯車にすらなれなかった。不器用で、貧しくて、頭の巡りも悪くて。誰の役にも立てずに、地元のアスファルトを齧りながら孤独に死んだ。
——死の間際、この理不尽な世界は、俺を「祟り神」に変えてしまった。
「確かに、そうだな。俺は……結局、なんだったんだろうな」
俺は自分が死んだ場所に、絶え間なく雷を落とした。涙を稲光に、怒号を雷鳴に変えて、ありったけの呪詛を叫び続けた。
初めて雷を落とした時、俺は確かに、これでこの街も終わりだと、嘲笑った。
だが、人間はあまりに強欲だった。
『再現性』があると知るや否や、奴らは道路に供えられた花と缶コーヒーを処分して、巨大な蓄電プラントを建てた。俺が怒り狂って雷を落とせば落とすほど、古都の財政は潤い、電気代はタダになり、世界中の大企業が古都を侵略した。
俺が地域に貢献できる唯一の方法が、全力で故郷を呪い続けることだったなんて、質の悪い冗談でしかない。
「へえ。あの雷神様にも、悩みがあるのかい。……おおっと、悪いね。お前さん、祟り神だったか」
俺は門番を少し睨み、そしてため息をついた。焼き餅の幻影が、少し震えた気がした。
怒りをぶつけ続けて、俺の呪いも少しずつ収まってきた頃。人間たちは俺を、「雷神様」と呼ぶようになった。
神として信仰されたわけではなかったが……俺は、「雷神様」と呼ばれることに、多少の心地よさを感じていた。死んで初めて、一国の、大勢の人間たちに崇拝されたのだ。たとえ怒っていても、喜ばない方が、難しいことだった。
いや、俺の怒りなど、その程度だったのだろう。
「……俺は、最初から祟り神だったんだ。雷神様と呼ばれなければ、あるいは。いや、そんなことを考えても、仕方がない、か」
崇められ、俺は徐々に怒りを失っていった。それと同時に、雷を落とすことも難しくなっていった。
しかし、俺が雷を落とさなくなれば、必然的に「雷神様」と呼ばれなくなる。それが、なによりも怖かった。いつしか、せっかく手に入れた居場所を手放さないために、それだけのために、俺は必死になっていた。
「俺が、『雷神様』で居続けようとしなければ、こんなことには、ならなかったかもしれないのに……!」
俺の故郷の国が、世界で最も裕福な国となった年のことだった。世界各国が、一斉に戦争を始めたのは。
無限に手に入る、最高にクリーンなエネルギー。強欲な人間たちがそれを取り合うことなど、分かりきっていた。
必死で雷を落とし続けて、そして天狗になっていた俺が、地上の様子に気付いた時には……すでに、人類は滅びていた。
「へえ、なるほどなあ。お前さんも、大変だったんだなあ」
門番はそう言って、しみじみと頷いた。
「……まあ、それももう、終わった」
俺は、もう誰もいない地上を見下ろした。汚染されてボロボロになった大地には、草ひとつ見受けられなかった。
「……本当に、俺は……どうしようもないやつだった」
俺の言葉に、門番は小さく笑って、巨大な鉄の門をゆっくりと開いた。
「——さあ、入りな。この先には、お前さんを呪う者も、敬う者もいやしない」
門の向こうには、底知れない闇と、それゆえの絶対的な静寂が広がっていた。
俺は焼き餅の幻影をふっと吹き消し、門の奥へ一歩、足を進めた。




