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短篇

最後の楽園

作者: 半ノ木ゆか
掲載日:2026/09/30

 太平洋のただ中に、小さな平たい島があった。四方の大陸から遠く離れていて、よその人間は滅多に訪れない。その海崖で、二人の少年が釣りをしている。


「腹が減った。貿易船はまだ来ねえのか」


 暇そうな顔をして、ベントスが呟いた。バケツには小魚一匹泳いでいない。ネクトンがなだめるように言う。


「大陸では戦争が始まったんだ。世界中で食べ物を奪い合ってるんだから、こんな孤島なんて二の次なんだよ」


 いくら待っても、釣竿はぴくりとも動かない。ベントスは次第にイライラしてきた。


「この役立たずが!」


 釣針を挘《も》いで投げ捨てる。崖を転がり落ち、小さなしぶきを上げた。釣針にくっついたままの浮きが、ぷかぷかと波間を漂っている。その様子を、静かに見つめている眼差があった。


「ベントス。今、ごみを海に捨てたな」


 二人の背後に、杖をついた白髪の女性が立っていた。ベントスは舌打をした。


「なんだクソババア。たかがごみ一つくらい」


「ベントス、長老に失礼だよ」


 態度の良くない友人を、ネクトンは叱った。長老は一段と低い声で、こう諭した。


「母なる海をけがす者には、めぐりめぐって罰が当るよ」


 彼女の忠告を、ベントスは笑い飛ばした。


「そんな迷信、誰が信じるんだ。ごみが俺のところへ仕返しに来るって言うのか」


「長老、大変です!」


 一人の女性が駈けてきた。息も絶え絶えに、彼女が報せる。


「浜に、人が倒れていたんです!」


 水びたしの道をばしゃばしゃと走り、フジツボの付いた梯を登って小屋に転がり込む。人混みを搔き分け、ネクトンは目を丸くした。ベッドにぐったりとした男性が横たわっている。


「水を飲まないと死んでしまいますよ」


 コップを差し出されても、首を横に振るばかりで口をつけようとしない。体は痩せていて、目は虚ろだった。全てを諦めたような表情だった。


「お前さんはどこから来たんだい」


 長老が問いかける。男性はしわがれた声で、こう答えた。


「北の島から来ました」


 彼は語った。


「その土地は、七色に輝いています。戦争のない、平和な場所です。食べ物も、飲み物もたくさんあります。海の水かさがどんなに増えても、沈むことはありません」


「そんな場所が、本当にあるのかい」


 驚く長老に、彼は弱々しく頷いた。


「確かにあります。その島の名は――」


 言いかけて、彼は息絶えてしまった。


 夜になり、潮が満ちた。小屋の床下まで海水に浸かっている。梯の周りをネムリブカが泳いでいた。


「沈まない土地なんてあるはずがない!」


 老若男女の寄合で、一人が声を上げた。


「天気が暖かくなって、周りの島々はどんどん海に浸かってるんだぞ。そんな夢みたいな場所、浮島でもない限りありうるもんか。そもそも、この北に島なんてない。あの人は、本当は大陸から逃げて来たんじゃないか」


 地図を広げて見せる。確かに、彼の指す場所には暗礁一つ見当らなかった。


「七色の島はありますよ!」


 前のめりになって、別の一人が反論する。


「あの人の舟を見なかったんですか。あんなにちっぽけな筏《いかだ》では、ここへ来る前に沈んでしまったはずです。近くにきっと、海底火山で新しい島ができたのでしょう。彼はそこに立ち寄ったんですよ」


「長老、あなたはどうお考えですか」


 意見を求められて、彼女は長い唸り声のあとに答えた。


「そんな場所が本当にあるのか、私にも分らないよ。ただ、一つだけ確かなことがある。この島が、いずれ海に沈むということだ」


 ネクトンもベントスも、みんな黙り込んでしまった。長老は続けた。


「住む家を失う前に、引越先を決めておかねばなるまい。そらごとだったとしても、探しにゆく値打はあると思うよ」


「行こう! 最後の楽園へ行こう!」


 話は決まった。信じていてもいなくても、島があるなら移り住みたいと、ここにいる誰もが思っていたのだ。


「でも、誰が探しに行くんですか。潮の流れに乗れば、数日で着くはずですが」


 赤ん坊がぐずり出したのは、その時だ。ネクトンはハッとした。席の端っこで、両親が我が子を一所懸命あやしている。もし引越先が決まらなければ、あの子の将来はどうなるだろう。


 彼は勇ましく立ち上がった。


「僕が行きます!」


「俺も行く」


 ベントスが手を挙げたので、ネクトンはぎょっとした。二人を見て、島の大人たちが感心する。


「二人とも壮健とは言え、子供だけで行かせるのは危ない。私が随《つ》いて行きましょう」


 厚い胸板を叩き、フンペが名乗り出た。彼は腕利きの漁師で、海のことなら島の誰よりも詳しい。長老は深く頷いた。


「フンペがいれば安心だね。二人のことを頼むよ」


 夕焼色の海を一艘の船が行く。魚の串をもてあそび、ベントスはあくびをした。


「ネクトン。今日も島は見つからねえのか」


 船室の屋根に坐り、水平線に目を凝らしていた彼は言い返した。


「文句を言うくらいなら、どうして名乗り出たんだよ」


 ベントスは鼻で笑った。


「俺が最後の楽園を見つけて、あのババアを見返してやるんだよ」


 また、太陽が昇った。日が肌をじりじりと焼く。舵を取っていたフンペは、暦を見て呟いた。


「やはり、そらごとだったか」


 二人に呼びかける。


「飲水もそろそろ半分を切る。もう引き返すとしよう」


 ベントスがさっさと船室に戻る。ネクトンも屋根から降りようとして、はたと立ち止まった。


 北の水平線に、平らな白っぽい影が見える。


「フンペさん、島です! 島が見えました!」


 ネクトンは大喜びで指差した。


 船が岸に着くなり、ベントスは裸足で飛び降りて宣言した。


「一番乗りは俺だ、俺の手柄だ!」


 島には椰子《やし》の木一本生えていなかった。見渡す限り平らな土地が広がっている。所々に緑の蔦《つた》のようなものが這っていた。


 浜に降り立ち、ネクトンは我が目を疑った。地面がきらきらと光っている。桃色に水色、黄色に紫。色とりどりの粒で埋め尽くされていたのだ。


「すごい、七色の砂浜だ」


「いや、砂じゃない」


 フンペが言い、片膝をつく。蔦のように見えたのは、緑色の漁網《ぎよもう》だった。フンペが手を伸ばすと、網は触れたそばから砕け散った。緑色のプラスチックの屑が、陽の光を照り返して輝いている。


 二人で小高い丘を登る。ネクトンはすぐ、この島がおびただしい数のごみの集まりだと気付いた。足元に目をやれば、お菓子の袋やペットボトルが見つかる。漢字が書いてある物もあった。彼は気を落とした。


「どれもこれも、食べかすと飲みかすばかりじゃないか!」


 ここに戦争があるはずもなかった。そもそも人間がいないのである。


「太平洋ごみベルトだ」


 西の果てを見据えて、フンペが言った。


「昔、聞いたことがある。日本や中国から流れてきたごみが、潮の流れのよどみに溜り、漂っていると。それがいつの間にか寄り集まって、こんなに大きな浮島になっていたんだ」


「痛ってえ!」


 ベントスの悲鳴が上がる。二人は彼の元へ駈けつけた。


「ベントス、どうしたんだよ」


 うずくまる背中に訊ねる。彼は顔をしかめて答えた。


「何か、尖ったものを踏んづけたんだ」


 ベントスは足の裏を怪我していた。傷は深いらしく、血がどくどくと流れ出ている。


「私が手当しよう」


 フンペが救急用品を持ち出す。心配するネクトンをよそに、ベントスは怒りに任せてわめいた。


「誰だ、こんな物を海に捨てたのは!」


 傷口を見て、ベントスは青ざめた。


 彼の足に突き刺さっていたのは、彼の釣針だったのだ。

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