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ベールを取り払われた途端、お嫁さんが覚醒した件

作者: 大濠泉

 今日、お話しするのは、私のお義姉様、そしてお母様のことです。


 私、サラは生まれも育ちもこのトロン公爵邸で、お父様がお亡くなりになって、当主がお兄様になっても、いまだに住み続けている、十八歳の令嬢です。

 そんな私に、新たに二十歳のお義姉様ができました。


 お義姉様はクリスタ・トロン公爵夫人と名乗られています。

 私のお兄様の許に、新たに嫁いで来られたのです。

 今年になって、ベラン伯爵家から、我がトロン公爵家に嫁いで来られ、お兄様アベル・トロン公爵の奥方になられたのです。


 お屋敷で、初めてクリスタお義姉様をお迎えしたとき、私は驚いてしまいました。

 あまりの美しさに息を呑むほどだったのです。

 鼻筋が通った、綺麗な顔立ちをなさっており、透き通るような白い肌をお持ちです。

 そして、エメラルドのような碧色に輝く瞳に、キラキラと陽光を反射する、美しい銀色の髪をなびかせていました。


 性格も、立ち振る舞いも、素晴らしい。

 挨拶を交わしたときも、お食事を共にしたときも、始終、綺麗で、お淑やか。

 まさに、非の打ち所がない貴族婦人で、私が気恥ずかしくなるほどでした。

 私、サラ・トロン公爵令嬢も、公爵家の娘として生まれ、それなりに教養や作法を叩き込まれました。

 ですが、クリスタお義姉様ほど自然に洗練された振る舞いができるほど、作法やマナーを身につけることはできませんでした。


 でも、そんなクリスタお義姉様にも、欠点がありました。

 いえ、ほんとうなら欠点ではないのですが、我が家で生活するには不利になってしまう点があったのです。

 クリスタお義姉様は、貴族の淑女に相応しく、控えめで、おとなしい性格をなさっておいでだったのです。

 

 ですから、私は心配でなりませんでした。


 私、サラは、あと一ヶ月ほどで結婚し、婚家へと嫁いでいくことになっています。

 一ヶ月後には、このお屋敷から出ていきます。

 私が出ていくと、その結果、日中にこの屋敷に残るのは、お義姉様とお母様だけになります(もちろん侍女や執事など、この屋敷に仕える者たちを除いて)。

 それが、心配の種なのです。


 我がトロン公爵家は、お父様が亡くなった四年前に、お兄様、アベル・トロンが家督を継いでいます。

 ですが、表向きはどうあれ、家屋内の実質的支配者に変更はありませんでした。

 父が存命であった頃からずっと、ドルテアお母様が絶対者として君臨していたのです。

 外ではいざ知らず、家庭内においては、何事もドルテアお母様が決定権を持ち、お父様は空気のように存在感がなく、アベルお兄様は溺愛されつつも、お母様によって一方的に押さえつけられていたのです。

 学業において進む道も、付き合うべきお相手も、


「アベル、貴方のためなのよ」


 と言って、すべてドルテアお母様がお決めになりました。

 ドルテアお母様の、アベルお兄様に対する独占欲や執着は、それはそれは恐ろしいものだったのです。

 お父様がお亡くなりになって、アベルお兄様がトロン公爵家をお継ぎになっても、その立ち位置は一向に変わりませんでした。


 ですから、四年前、お父様没後すぐに、アベルお兄様がいきなり結婚し、私たちが見知らぬ女性を籍に入れたときには、大騒ぎとなりました。

 そのときの兄嫁様ーークリスタ様が嫁がれる前にいた、最初の私のお義姉様ーーアリス様は、お兄様が学園時代に知り合われた男爵令嬢でした。


 この一回目の結婚に、どういう経緯があったのかは、私は存じ上げません。

 ただ、お母様に内緒で、アベルお兄様が結婚を断行した、ということだけは確かです。

 お兄様は家督を継いだのをきっかけに、自分の意思で生きる決意をしたのでしょう。

 でも、ドルテアお母様の過度な干渉を排除することはできませんでした。


 お母様はもとより女性には殊更、辛く当たります。

 実の娘である自分にも、無闇に厳しかった。

 食事中に手に取るフォークの順番を間違えただけで、ビシッ!と鞭を入れられました。

 廊下を歩く際、背筋を伸ばしていないと言っては、棒でぶたれます。

 発言する際の挙手が美しくないときは、頬を打たれました。

 挙げ句の果てには、特に理由もないままに、鞭や棒で叩かれるのです。

 (しつけ)と称した虐待を繰り返す毒親でした(実際、ここまで厳しくされたのに、作法もマナーもクリスタお義姉様ほど、私には身についていないところが皮肉です)。


 ですから、お母様の、一人目の兄嫁アリス様に対する態度は、ほんとうに酷かった。


「色仕掛けで息子に取り入ったのね。

 まったく、ふしだらな娘!

 華美な服装は、貴女には似合わないわ」


 ドルテアお母様は、自身はド派手なドレスを着込みながら、お嫁さんには地味な服装を強要します。

 誓って言いますが、アリス様はお母様の意向に合わせよう、と努めておられました。

 些細な作法違いにも応じて、侍女のように炊事や掃除まで行いました。

 アリス様はドルテアお母様に似た、ぽっちゃりした体型でしたが、それが痩せ細るまで忍耐し、烏の濡れ羽色のように黒い髪に白髪が混じるほどの心労までして、お母様に尽くしました。

 それでも、ドルテアお母様は兄嫁アリス様を、鞭や棒で叩くことをやめません。

 耐えかねたアベルお兄様が、


「アリスは我がトロン公爵家の奥方なんだ。

 母上。それが、公爵夫人に対する遇しようと言えるのか!」


 といくら(いさ)めても、お母様は嫁イビリをやめません。


 そんな生活が半年ほど過ぎた頃、ついに陰惨な事件が起きてしまいました。

 アリス様がお母様にお腹を蹴られて、お腹に宿していた子供が流れてしまったのです。

 新たな跡継ぎが生まれるところだったのに、お母様によって殺されてしまいました。


 それでも、ドルテアお母様は、平然と言い放ったのです。


「貴女みたいな平民まがいが。

 そんな女の腹から生まれた子なんて、とても公爵家の跡取りにはできないわ!」


 お母様にしても、さすがにやり過ぎたと内心では思っていたようです。

 ですが、だからこそかえって強硬な態度に出たようでした。


 結局、前の兄嫁アリス様は、このトロン公爵邸から逃げ出しました。

 逃げる手引きをしたのは、私、サラです。

 あまりの虐待に、見ていられなかったので、学園の先生にお願いしました。

 その先生は、「駆け込み修道院」として有名な修道院出身者だったのです。


 お屋敷から出て行く際、アリス様は、赤い瞳を涙でいっぱいにして呪詛を唱えました。


「貴女のお母様は、人間の屑だわ。

 呪ってやる。

 見てなさい。必ず天罰が下るから」


 こうして、一人目の兄嫁様は、修道院に入ることになったのです。


 アリス様に、何の落ち度もありませんでした。

 それなのに……。


 それでも、アリスお義姉様を追い出した、当のお母様は、平然としたものでした。

 アリス様のご実家である男爵家から苦情が届いても無視するのみです。


「男爵家の娘風情が、公爵家の奥方ぶるだなんて、寒気がする。

 いなくなって、せいせいしたわ。

 なぁに、代わりはいくらでもいるわよ。

 我がトロン公爵家に潜り込みたいオンナなんて、掃いて捨てるほど……」



 結果、新しい兄嫁のクリスタ様は、お母様が寄子貴族家から選んできたのでした。

 これで、さすがのお母様であっても、家柄では文句を言えません。

 なにせ、クリスタ様はお母様ご自身で選んだ家ーーベラン伯爵家の出身なのですから。


 それなのに、お母様は、お兄様に結婚式は挙げさせませんでした。

 貴族家としては異例の事態です。


 新しい兄嫁様をお迎えする前、私はアベルお兄様に問いかけました。


「お兄様は良いの? お母様の言いなりで」


 お母様は、「二度目の結婚式など、はしたない」とおっしゃっておられました。

 が、それは表向きの理由で、じつは前回、お兄様が、お母様に無断で結婚したことに対する意趣返しであることは明白でした。

 お母様は、お兄様に結婚式を挙げさせず、しかもそれを寄子貴族家の面々に周知することで恥をかかせ、寄親トロン公爵家の「真の主人」は誰なのかを示すつもりだったのです。


 そうしたお母様の隠れた意向を察しておられるのか、どうなのか。

 アリス様が逃亡して以来、すっかり表情が抜け落ちてしまわれたアベルお兄様は、力なく微笑みながら、ギクッとすることを口にしました。


「サラ。君が僕の愛するアリスを逃したんだね」


 私がうつむいて答えないでいると、勝手にお兄様は話を進めました。


「でも、今度は逃がさない。

 クリスタには、自慢の嫁になってもらうんだ。

 きっと、ね……」


 無表情なまま、口の端だけがニタニタと笑っているお兄様の表情は、とても気持ち悪いものでした。


 そうして、新たな兄嫁様ーークリスタお義姉様が、我が家に嫁いできたのでした。



 それからしばらくの間ーー。


 ドルテアお母様は、新たな兄嫁様を迎え入れたので、張り切っていました。


「私が選んだ家の娘だけあって、結構、見れる容姿ね。

 我がトロン公爵家に相応しいわ」


 お母様自身は、だらしなく太った体型をしています。

 なのに、よく言えたものです。

 でも、そうした言いようはともかく、さすがに、自分で選んだ家出身のお嫁さんだけあって、アリス様よりは好意的に迎え入れていました。

 それでも、前の兄嫁アリス様同様、地味な服装を強いることがやめられませんでした。


「華美な服装は、貴女には似合わない」


 と称して、目立たない、地味な衣装を、クリスタお義姉様にまとわせます。

 いつも、灰色や焦げ茶色の服を着させるのです。


 ああ、まただ、と私は思いました。

 私は思い出します。

 前の兄嫁アリス様のことを。

 彼女も同じような服装をさせられたものでした。


 新たなお義姉様、クリスタ・トロン公爵夫人は、銀髪に碧色の瞳をした、美しいお方。

 綺麗で、お淑やか、非の打ち所がない貴族夫人です。


 でも、そのことが、かえって、お母様にとっては気に入らないようでした。

 寄子貴族家の中から、お母様ご自身が彼女を選び出しました。

 それにもかかわらず、です。


 そして、新しい兄嫁クリスタ様を、我がトロン公爵家に迎え入れてから一週間ーー。

 やはり、懸念していたことが起こってしまいました。

 クリスタお義姉様が控えめで、おとなしい性格であることに、お母様が難癖をつけ始めたのです。


「おとなしすぎるのよ、貴女は!」


 クリスタ様は、晩餐の配膳を、侍女と一緒にやらされていたのですが、そこを意味もなく、お母様が鞭で打ち据えたのです。


 一度始まってしまうと、ドルテアお母様の横暴は止まるところを知りません。

 今度こそは優しい姑になるかもという、私の淡い期待は裏切られました。

 鞭打つだけではなく、気分次第で、お料理が盛られたお皿もひっくり返します。


 ある日には、お母様は、意味もなくクリスタお義姉様を階段から突き落としました。

 自分の力を誇示したいーーそれだけの理由で、お母様は、そんな横暴をするのです。

 私とお兄様が、これから二階にあがろうとするところを、その二階からお義姉様が転げ落ちてきたのでした。


 私は思わず両手で目を覆ってしまいました。

 私とお兄様のすぐ足下で、お義姉様が這いつくばっていたのです。

 クリスタお義姉様は、腰に受けた痛みに耐えておられました。

 そこへ、ドルテアお母様が階上から、ゆっくりと降りてきます。

 お母様は兄嫁クリスタ様を傲然と見下ろしながら、言い捨てました。


「クリスタ! 貴女は私には歯向かえない。

 貴女の実家ベラン伯爵家は、我がトロン公爵家の寄子。

 寄親である我がトロン公爵家だったら、実家の領土を取り上げることができる。

 そうなったら、貴女のお父様ベラン伯爵は、収入を失い、お困りになるでしょ?

 せっかく学業優秀との評判高い弟さんの学費も、捻出できないでしょ?」


 そう言って、起きかかっていたお義姉様の胸倉を掴んで、お母様は嘲笑うのです。


 あまりに酷い。

 目の前で、自分の母親が、美しい兄嫁様を虐待しているのです。

 私は、隣に立っていたアベルお兄様の袖を引っ張って、お願いしました。


「可哀想だから、止めてあげて。

 クリスタ様は、お兄様のお嫁さんなんですよ!?」


 私の声が耳に入ったのでしょう。

 ドルテアお母様は顔を真っ赤にさせながら、甲高い声を張り上げました。


「これは、奥向きーー女同士のことです。

 殿方に口を出させるもんじゃありません!」


 私は反射的に口籠ってしまいました。

 お兄様に至っては、私以上に無表情で、無反応でした。


 クリスタお義姉様は、誰からも助けられず、ゆらりと立ち上がります。

 依然として、微笑みを浮かべたまま。


 私はお義姉様の許に駆け寄って、肩を貸しました。

 そして、涙を流しながら、大声を出します。


「お母様も、お兄様も、大っ嫌い!」


 お嫁さんの肩を持ち、自分の家族に対して非難の声をあげる。

 そんな程度のことでしか、私は反抗できなかったのです。



 そのまま二階に上がり、私はクリスタお義姉様とともに、私の部屋へ入りました。

 クリスタ様の白磁のような白い肌には、幾つも赤い傷が入っていました。

 お付きの侍女に頼んで、簡単な治療をしてもらいます。

 生傷の絶えない身体になってしまい、包帯を巻くのも何度目かの出来事でした。


 私は涙が止まりませんでした。


「ごめんなさい。ウチの母がアレで……」


 私が謝ると、クリスタお義姉様は、


「貴女のせいじゃありません。お気になさらないで」


 と言って、ニッコリと微笑みます。


 それからお義姉様は、私の部屋をぐるりと見回します。

 すると、美しい、純白のドレスが目に付いたようでした。

 すでに婚礼衣装が用意されていたのです。

 私の結婚式が一ヶ月後に迫っていました。


「サラさん、おめでとう。

 そういえば、ご結婚がもうすぐでしたわね。

 お祝いをしてあげなくちゃ」


「いえ、それはーー」


 私は反射的に手を大きく振ってしまいます。

 クリスタお義姉様は、私と違って、お母様に邪魔立てされて、結婚式を挙げてません。

 酷いお母様の娘として、私、サラはお義姉様に申し訳なく思っていました。

 それを口にすると、お義姉様は言うのです。


「いいのよ。

 私は私、貴女は貴方よ。

 貴女が私たちのことを気にすることはないわ」


 それでも兄嫁のクリスタ様は、私の結婚を祝ってくださるというのです。


「私、一人娘でしたから、妹が欲しかったの。

 この家に嫁いで、私の夢が叶ったわ。

 貴女がこのお屋敷に滞在なさるのはあとわずかですけど、せっかく出来た妹ですもの。

 貴女には、ぜひ素敵な結婚式をあげてもらいたいわ」


 などと、嬉しいことを言ってくれます。


 貴族家には各家ごとに代々伝わるレース編みがあるのといわれています。

 ですが、我がトロン公爵家には伝承されていないのか、ドルテアお母様は、私のために編んでくれそうにありません。

 それを察してくださったのか、クリスタお義姉様は、私のために婚礼のレースを編んでくださるというのです。


 実際、クリスタお義姉様の編み物の腕前は、素人レベルを超えているようでした。

 翌日から、お義姉様は私の部屋に入り浸り、その腕前を披露してくれました。

 レースは細編みが多くて、目が小さく、針が刺しにくいものです。

 目が疲れるせいもあって、レース編みは特に難しい編み物といえましょう。

 それなのに、クリスタお義姉様は、長編みが緩くならないように工夫されていました。

 糸を挟む際にも、小指と薬指だけでなく、人差し指と中指の二段構えで挟み込んで、編み目が緩んでしまうのを避けるのです。

 

 私はお義姉様の技量を拝見して、ほとほと感心したものでした。



 こうして、二週間ほどが過ぎ、私の婚礼の日まで、あと一週間という頃ーー。


 ようやく、クリスタお義姉様お手製の、私のベールが仕上がったのでした。


 お義姉様は、完成したベールを、試しに私の頭に下ろしてくれました。

 まずは、顔を覆わない、後頭部だけを包むベールをかぶります。

 縁には細々と刺繍された花装飾があしらわれた、優雅な雰囲気があるベールです。

 このベールの長さは相当あって、裾を引きずるほど長いロングベールでした。

 そのベールの上に、さらにふわりとした、立体感のあるバルーンベールをかぶせます。

 二種類のベールの長所を活かした、豪華な仕様になっていました。


(なんて素敵なんでしょう……)


 私は鏡台の前で、うっとりと見惚れてしまいました。


 ベールをかぶせて、顔の前に下ろすことをベールダウンといいます。

 これは、「邪悪なものから花嫁さんをお守りする儀式」とされているそうです。

 そして、ベールダウンは、「婚前の娘に母親がしてあげるもの」だと言われています。


 そうした蘊蓄を踏まえた上で、クリスタお義姉様は照れたように笑います。


「ほんとうは、ベールダウンは、貴女のお母様が行うものなの。

『母親の愛を表すもの』と言われておりますのよ。

 ですけどーーごめんなさいね。

 義姉の私がやってしまって」


 私はブンブンと首を横に振りました。


「いいえ。

 結婚式ではお母様がベールをかぶせるでしょうから、今はお義姉様にお願いしますわ。

 この素敵なベールを編んでくださったのは、お義姉様なんですから」


 鏡の前で、二人して見詰め合って、互いに笑い合いました。

 血は繋がってはいませんが、素敵な姉妹になったと感じた、至福の時間でした。


 その姿を、ドアの陰から、射るように睨みつける視線があることに、私たちは少しも気が付きませんでした。



 翌朝ーー。


 私が寝入っている間に、何者かが私の部屋に侵入してきたようです。

 私が目覚めて、目を開けるやいなやーー。


 きゃあああ!


 と、思わず悲鳴をあげてしまいました。


 ウエディングドレスと一緒に飾られていた、クリスタお義姉様お手製のベールが、ズタズタに切り裂かれていたのです。

 細かい装飾部分を狙い澄ましたように、ハサミを入れられていました。

 義姉から妹への贈り物が、ズタボロになってしまったのです。


 私の悲鳴が大きかったからでしょう。

 何事かと、執事や侍女、そしてお母様とお義姉様が、いっせいに駆け込んできました。


 部屋には切り刻まれたベールが、床に散乱しています。

 それを見ても、ドルテアお母様は目を細め、口の端を歪めるだけ。

 その表情には驚きが見られず、してやったりとした笑みが浮かんでいました。


「ほんと、大袈裟なのよ、サラは。

 悲鳴なんかあげちゃって。

 でも、クリスタさんはお可哀想ね。

 わざわざ、こんな細かいのを作ったのにねぇ。

 でも、こんなに長いベールなんですもの。

 一部を切り取ってショートベールにしたら、一週間後の結婚式には十分間に合うわよ」


 一方、クリスタお義姉様は、お母様のすぐ後ろから、切り刻まれたベールを一目見て、倒れ込み、失神してしまいました。



 それから一時間後ーー。


 私がベッドに移してお義姉様を看病していると、お兄様が突然、現れました。

 なぜだか、ビシッとした正装をしています。


「お兄様、そのお姿はいったい……」


 私が目を丸くしていますと、アベルお兄様は、部屋に打ち捨てられていた、クリスタ様が作成したベールの中心部分を手にしました。

 そして、昏睡状態の兄嫁様の頭にかぶせたのです。

 そのまま担ぎ上げました。

 いわゆる、お姫様抱っこの格好です。


 お兄様は背筋を伸ばして階段を降り、執事や侍女が見守る中、一階の広間へと足を踏み入れました。


 ちょうど朝食を一人で終えたお母様が、お茶を飲んでくつろいでいました。

 そこへクリスタ様をお姫様抱っこして、息子アベルが現れたのです。


 お母様はちょっと身を退きます。

 お兄様のお顔があまりに大真面目だったので、気圧されたのでしょう。


 お兄様はクリスタ様をテーブルの上に寝かせます。

 そして、その美しい顔にかかったベールをゆっくりとあげて、唇にキスをしました。


 すると、クリスタ様の両目がパチリと開かれたのです。

 いきなり目覚めたようでした。


 お義姉様は上半身を起こし、テーブルから足を下ろして立ち上がります。

 そして、お兄様に身を寄せ、微笑みを浮かべます。

 ベールの向こうから、お母様を見据えながらーー。


 ドルテアお母様は太った身体を揺らせ、クリスタ様を指さし、甲高い声をあげました。


「なによ、童話のお姫様にでもなったつもり!?

 私にだってベールくらい、編めるわ!

 貸しなさい!」


 お母様は手を伸ばします。

 お義姉様の顔を覆うベールを、剥ぎ取ろうとしたのです。

 ですが、その手はベールまで届きませんでした。

 お母様の太い腕を、白魚のような指がガッシリと掴みます。

 クリスタお義姉様の手が、腕ごと、お母様の身体を身動きできなくしたのでした。


「な、なによ。離しなさい!」


 ドルテアお母様が動揺して、うわずった声をあげます。


 その瞬間ーー。


 クリスタお義姉様は、お母様の片腕を掴んで、そのまま引き寄せます。

 それから、何も言わずに、お母様の顔を殴り始めました。

 何度も、何度も。


 ぎゃ!

 ぐぎゃ!


 悲鳴にもならない、蛙を押し潰したような、くぐもった声が、血飛沫とともに、広間で飛び散っていきます。

 お母様の唇が切れて、口が血だらけになりました。

 白い歯が何本も落ちていきます。


 もはや、ドルテアお母様は声を発していません。

 瞳の色も、恐怖に彩られていました。


 その一方で、お義姉様の表情は、ここ最近のお兄様と同様、無表情なままでした。


「言っとくけど、嫁サービスの期間、終わったから」


 クリスタお義姉様が、一言、そう口にすると、


 バン!


 という音とともに、お母様が吹っ飛んで、壁に身体ごと打ちつけていました。


 ズルズルと、身体がずり落ちていきます。

 壁には血の痕が付いていました。


 壁際にへたり込んだ、ドルテアお母様は、ぐったりしています。

 それでもお義姉様は容赦なく掴みかかり、パンパンパン! とビンタしまくります。

 さらに指を突き立て、お母様の片目の眼窩を(えぐ)ったのです。


 がああああ!


 泣き声にも似た叫びが、広間にこだましました。


(このままでは、お母様が死んでしまうーー)


 私はお義姉様を止めようと、身を乗り出しました。

 すると、後ろからガシッと肩を掴まれたのです。

 アベルお兄様でした。

 微笑みを浮かべたまま、お兄様は私を見詰めます。


「『自慢の嫁になってもらう』と言ったろ」


 お兄様のお顔は一見すると笑顔でしたが、よく見たら目だけは笑っていませんでした。

 私は全身にブルッと悪寒が走り、身動きが取れなくなってしまいました。



 それから、一週間ーー。


 朝食時も、昼食時も、晩餐時も、私が居間に顔を出すたびに、お母様がお義姉様に首根っこを掴まれ、殴られたり、蹴られたりするさまを目撃しました。

 お母様の右眼はすっかり白濁化しており、失明しているのは明らかでした。


 それなのに、執事も侍女も動きません。

 トロン公爵家の当主たるアベルお兄様も、平然とした様子で、ナイフとフォークを手にして黙々と食事を摂るばかり。


 私がお母様の方を眺めて固唾を呑んでいると、お兄様が声をかけてきます。


「何か言いたそうだね」


 私はフォークとナイフを手にしたまま、喉を震わせました。


「いえーーこのようなご様子だと、お母様は私の結婚式に参列できるのかな、と……」


 私がぎこちなく笑うと、お兄様はナプキンで口許を拭い、優しい声を出しました。


「たしかに、こんな状態の母上を、世間の目に晒すわけにもいかないね。

 それこそ家の名誉にかかわる。

 お屋敷の奥にでも引っ込んでいてもらおうか。

 サラの結婚式には、私が亡き父の代わりとして出席しよう。

 もちろん妻のクリスタもだ。それで、いいね?」


「はい……」


 結婚式には、正式なトロン公爵家夫妻ーーお兄様ご夫婦が出席する、というのです。

 婚家には、お母様について、体調が(かんば)しくないとでも言っておけば良いでしょう。

 正直、お相手の許婚者も、そのご両親も、ホッと胸を撫で下ろすだけでしょうから。



 結局、私、サラの結婚式のとき、お義姉様お手製ベールの一部を切り取って作ったショートベールで、式に臨みました。

 ベールダウンをしてくださったのは、もちろんクリスタお義姉様でした。



 それから一ヶ月後ーー。


 私は結婚式を終え、しばらくして実家であるトロン公爵家を訪ねました。

 兄嫁クリスタ様は、相変わらず、優しい微笑みを浮かべて、私を歓待してくれます。

 アベルお兄様も、始終ニコニコ顔でした。


 対照的に、ドルテアお母様は、侍女たちの後ろに隠れるようにして身を縮こまらせて、壁の隅に立つばかり。

 生気がなく、すっかり表情が抜け落ちていました。


 私の正面で微笑む兄嫁クリスタ様から、


「お元気?」


 と声をかけられましたので、私はお母様から目を逸らせて、お辞儀をします。


「おかげさまで。そちらもお変わりなく」


「ええ。私もようやくトロン公爵夫人としての振る舞いが、板についてきたようですの。

 ここは貴女の実家なのですから、お暇でしたら、ぜひお寄りくださいな。

 そうそう。今度は旦那様とご一緒に」


「ええ。そのように伝えておきますわ」


 お義姉様との会話後、私がチラチラと視線を向けても、お母様は反応しません。

 太った身体が、半分以下に縮んでいました。

 それでも帰り際、勇気を振り絞って、私は声をかけました。


「それでは、お母様、お元気で」


 お母様は(うつろ)な表情をしたまま、反応がありませんでした。

 が、クリスタお義姉様が一言、


「あら。お返事は、どうなさったの、お義母様?」


 と言った途端、ドルテアお母様は気を付けの姿勢になって、


「あ、ありがとうございました!」


 と甲高い声を張り上げました。


 その姿を見て、周囲にいた侍女たちは、クスクスと笑います。

 以前は、お母様を恐れて、ビクビクしていた侍女たちが、です。


 私は、正直、ゾッとしました。


 もう、ここは私がいたトロン公爵邸ではありません。

 別の空間にあるお屋敷のようです。

 もちろん、決して、以前が良かったなどとは、私は思っておりません。


 でも、このお屋敷も、ちょっと怖い。

 

 とはいえ、お兄様が言う「自慢の嫁」であるクリスタ様を引き入れ、しかも暴力を振るった挙句に、凶暴なお嫁さんに変貌させてしまったのは、他ならぬドルテアお母様です。

 前の兄嫁アリス様の怨みが、このお屋敷に取り憑いたのかもしれないと思いました。



 それから三ヶ月後ーー。


 今度は、夫とともに、実家、トロン公爵邸に里帰りしました。

 その際には、もうお母様は姿すら現しませんでした。

 私は、お母様の様子を、お兄様夫婦に尋ねましたが、


「元気よ。心配いらないわ」


「そうだよ。

 今頃、部屋でお昼寝してるんじゃないかな。

 最近、めっきり弱ってきてね」


 と、笑顔いっぱいに応えるのです。

 なのでそれ以上、問うこともできません。

 結局、私はおめでたの報告をして、親類同士、楽しい時間を過ごしたのでした。


 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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『三十オーバーの未亡人が、公爵家を遺すためにとった、たったひとつの冴えたやりかた』

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【文芸 ヒューマンドラマ 連載完結】

『私、プロミス公爵令嬢は、国中に供給する水を浄化していたのに、家族に裏切られ、王太子に腕を斬り落とされ、隣国に亡命!結局、水が浄化できないので戻ってきてくれ?ざけんな!軍隊を送って国ごと滅ぼしてやる!』

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【文芸 ホラー 短編】

『元伯爵夫人タリアの激烈なる復讐ーー優しい領主様に請われて結婚したのに、義母の陰謀によって暴漢に襲われ、娼館にまで売られてしまうだなんて、あんまりです! お義母様もろとも、伯爵家など滅び去るが良いわ!』

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【文芸 ホラー 連載完結】

『滅国の悪役令嬢チチェローネーー突然、王太子から婚約破棄を宣言され、断罪イベントを喰らいましたけど、納得できません。こうなったら大悪魔を召喚して、すべてをひっくり返し、国ごと滅ぼしてやります!』

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【文芸 ヒューマンドラマ 連載完結】

『私、エミル公爵令嬢は、〈ニセモノ令嬢〉!?母が亡くなった途端、父の愛人と娘が家に乗り込み、「本当の父親」を名乗る男まで出現!王太子からも婚約破棄!でも、そんなことしたら王国ごと潰されちゃいますよ!?』

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【文芸 ヒューマンドラマ 短編】

『私の婚約者フレッド伯爵子息は、明るくて仲間思いなんですけど、私にセクハラする騎士団長に文句の一つも言えません。だったら、ダサいですけど、私を守ってくれる男性に乗り換えます!私にとっての王子様に!』

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【文芸 ヒューマンドラマ 短編】

『「能ある鷹は爪を隠す」って言いますけど、私もとびっきりの爪を隠し持っていました。すいません、お父様。おかげで義兄と継母、そしてお屋敷はメチャクチャになっちゃいましたけどね。』

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【文芸 ヒューマンドラマ 短編】

『生まれつき口が利けず、下女にされたお姫様、じつは世界を浄化するために龍神様が遣わしたハープの名手でした!ーーなのに、演奏の成果を妹に横取りされ、実母の女王に指を切断されました。許せない!天罰を!』

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【文芸 ヒューマンドラマ 短編】

『リンゴ売りのお婆さん(たぶん絶対に義母)が、私に真っ赤なリンゴを売りつけに来たんですけど、これ、絶対に毒入ってますよね!?』

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【文芸 ホラー 短編】

『伯爵令嬢シルビアは、英雄の兄と毒親に復讐します!ーー戦傷者の兄の介護要員とされた私は、若い騎士から求婚されると、家族によって奴隷にまで堕されました! 許せません。名誉も財産もすべて奪ってやる!』

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【文芸 ヒューマンドラマ 連載完結】

『芸術発表会に選ばれた私、伯爵令嬢パトリシアと、才気溢れる令嬢たちは、王子様の婚約者候補と告げられました。ところが、王妃の弟のクズオヤジの生贄にされただけでした。許せません!企んだ王妃たちに復讐を!』

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【文芸 ホラー 短編】

『美しい姉妹と〈三つ眼の聖女〉ーー妹に王子を取られ、私は簀巻きにされて穴に捨てられました。いくら、病気になったからって酷くありません? 聖なる力を思い知れ!』

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【文芸 ヒューマンドラマ 短編】

『同じ境遇で育ったのに、あの女は貴族に引き取られ、私はまさかの下女堕ち!?しかも、老人介護を押し付けられた挙句、恋人まで奪われ、私を裸に剥いて乱交パーティーに放り込むなんて許せない!地獄に堕ちろ!』

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【文芸 ホラー 短編】

『公爵令嬢フラワーは弟嫁を許さないーー弟嫁の陰謀によって、私は虐待を受け、濡れ衣を着せられて王子様との結婚を乗っ取られ、ついには弟嫁の実家の養女にまで身分堕ち! 酷すぎます。家族諸共、許せません!』

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【文芸 ホラー 短編】

『イケメン王子の許嫁(候補)が、ことごとく悪役令嬢と噂されるようになってしまう件』

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新生トロン公爵家ww 本物の「鬼嫁」降臨
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