05.和泉りこ
私は、ずっとずっと覚えている、あの夜を。
嫌な記憶ほど、定着してしまうのは何故だろう。
そんなの何度も思い出してるからに決まっている。分かってる。
それでも思い出してしまうのは、少しずつ消えていく、あの顔を、声を、忘れたくないからだ。
「おとうさん……お父さんっ!」
また、いつものように自分の声で目が覚める。悪夢を見る頻度が年々増えていっているような気がする。
携帯を見ると時刻は四時すぎで起きるのには、まだ少し早い時間だ。
私は、もう一度、ベッドに倒れ込み、目を閉じる。
夜は嫌いだ。自分が独りだと言うことをありありと実感させられるから。
だから、この時間が一秒でも早く過ぎて欲しくて、目を固く瞑るのだった。
***
「マジで、りこが居てくれて助かった! やっぱ、りこが居ないと始まんないわ!」
「そうでしょ、そうでしょ! やっぱ、りこちゃんがナンバーワンってわけ!」
「調子乗りすぎ!」
ぎゃははとうるさい声で、彼女達は笑う。この人達が陰で私のことを嘲っていることを私は知っている。誰かいないとその人の悪口を言う。そういう人達なのだ。それなのに、よく、こんな思ってもないこと言えるなぁと全く感心する。
いや、それは、私も同じか。どんな言葉にも当たり障りない態度で適当に流す。誰とも対立せず、平穏に一日を終える。それが私の日常。
みんなに都合のいいように振舞ってきたせいで、本当の私なんてきっと誰も知らない。私でさえ分かんないんだもん。
周りにいくら人がいても、ずっとずっと私は、ひとりなのだ。
「りこ、ちょっといい?」
突然降ってきたその声は、私を高揚させた。そうだ、私には、星奈がいる。いや、星奈しかいない。
「うん、もちろん。みんなちょっとだけ、りこが居ない寂しさに耐えてね!」
「はいはい。すぐ帰ってきてよね!」
「はーい」
そう言って、星奈に連れられてその場を後にする。
「なんか邪魔しちゃってごめん」
「ううん、別に大丈夫だよ。私も星奈と話したかったし!」
「はいはい。それで、次の満月の日なんだけど、また、りこの家に泊まることになるけど、大丈夫?」
「もっちろんだよ! もういっそのこと合鍵作っちゃう? ほぼ同棲してるようなもんだし」
「は? 何言ってんの? りこと同棲なんかしたら、四六時中うるさそうで無理。死ぬ」
「いやいや、毎日りこちゃんの可愛いお顔見放題だし、何なら添い寝だってしてあげちゃうのに!」
「いらんわ。まぁ、でも大学生になったらルームシェアしてもいいかもね。家賃浮くし、りこが一緒ならお兄も滅多なこと言わないだろうし」
「やった〜、でも、星奈と同じ大学に受かる気しないなぁ」
私の言葉に彼女は顔を曇らせる。私達は、近づきすぎてはいけない。私には、星奈しかいないけれど、星奈は違う。星奈には、とびきり幸せになって欲しいのだから。
私は、彼女が口を開く前に「じゃっ、また!」といって、足早にその場を去った。
星奈と一緒にいるのは、好きだ。楽しいし、安心する。けれど――
「如月さんって、ほんと空気読めなさすぎじゃない? めっちゃ盛り上がってたのにさ〜」
「わかる。ノリ悪いし、あと謎に上から目線なのもムカつくよね」
「ね! 一人が好きですって感じだしてるけど、友達いないだけでしょ」
「確かに! 構ってくれるのってりこぐらいだもんね」
教室の中から聞こえる話し声は、うるさすぎて耳が痛かった。
星奈のこと何も知らないくせに。ううん、知らなくていい。口を開けば、誰かの悪口ばっかりのやつらとは、きっと彼女も話が合わないだろうし。
一人じゃ何にもできないくせに、他人をバカにして、それを娯楽としている人達。くだらないなと思うけど、適当に付き合えるから楽ではある。私が星奈に依存しないために連むのには、都合が良い。
星奈は、優しいから、私との約束をずっと守ってくれているのだ。私が星奈を縛ってしまっている。だから、私は、大丈夫だって証明したい。
星奈が居なくても大丈夫なんだよって、だから、星奈は、私のことばっかりじゃなくて、もっと自分のことを考えてって。直接言えばいいのに、言えない。
だって、本当は、私から離れていって欲しくないから。
「ただいま戻りましたー!」
先ほど思い浮かんだ事を振り払うように勢いよくドアを開ける。
「りこ遅いって!」
「ぼっちにばっか構ってないで、うちらにも構えよ〜」
「あれは、ぼっちじゃなくて一匹狼だから」
「りこ優し」
いや、私みたいに心にもないことばっか言っているやつよりかは、ちゃんと態度に出してる星奈の方が寧ろ優しいと思うけどね。
「お前らとは、知能の差がありすぎて、つるめないんじゃない?」
そう言って、平然と私達の横に腰掛けてきたのは、なぜか女子人気の高い男、神代一樹。ぱっちりとした二重に、スっと通った鼻筋。ノリが良く、運動もできて、頭だって結構良い方だ。けれど、まぁ女癖が悪い。彼氏にするには、あれだが友達としては、悪くない。
「ひっどー! あいつのこと庇うわけ?」
「何? もしかして、一樹あいつのこと好きなの?」
「うん、好きー」
「うん、知ってた。一樹って女の子なら全員好きだしね」
「えぇ、俺結構本気で言ってるのになぁ。今度の日曜デート行く約束もしたし」
「はぁ!?」
右から左に流すように聞いていた会話だったが、流石にこれは聞き流せず、つい大声が出てしまった。
「ちょっと、りこ、どしたん?」
「もしかして、りこの好きな人って一樹だったの!?」
「違うって! ただ、意外だったというか……星奈って、そういうタイプに見えなくない?」
「それはそう」
「あいつ本気にしちゃうから、やめたげなよ一樹」
相変わらず他人をバカにする発言に呆れるが、それは今に始まったことじゃないし。
それよりも、星奈がこいつの毒牙にかかるよりは、マシだと同調しようとしたその時、
「りこも一緒行く?」
と一樹は、私の肩を抱き、問いかけてきた。
「へ?」
「いや、デートに他の女もついてきたら如月泣いちゃうって」
「いやいや、そこはご安心を。翔真も連れていくから。ダブルデートってことで」
戸田翔真。一樹とよく一緒にいるけれど、性格は真逆。寡黙で硬派なイメージだ。細く切れ長の目が少しキツい印象を受けるけれど、話してみると案外優しくて良い人だ。正直、何で一樹と仲がいいのかよくわからない。
「一応聞くけど、それって、戸田は了承してるわけ?」
「してる。一樹、次俺ら移動」
「あぁ、そうだった。じゃあ、また、連絡するわ」
噂をすれば何とやら。タイミング良く現れた彼は、一樹を連れて、そのまま行ってしまった。
というか――
「まだ行くとは言ってない!」
「りこもまんまと嵌められたね」
「あいつの常套手段だからね。てか、戸田もおっけーしてるとか意外すぎる。あの寡黙イケメンとデートできるなんて超レアじゃん!」
「いや、そうかもだけど……」
「何が不満なのよ。あ、やっぱ一樹が良かった?」
「違う! それだけは、ないから!」
盛り上がる周りとは裏腹に、どうして、こんなことに……と私は、一人頭を抱えることになったのだった。