01.落としたい
時刻は、午前七時半過ぎ、いつもの道を歩いていると頬に冷たいものを感じた。
あぁ、傘、持ってきてないや。
一瞬の落胆の後、ほのかに香る甘さに安堵した。案の定、舐めてみるとそれは甘い。
なんだ、恵みの雨か。それなら傘を差す必要はない。
これは、「お星様」が私達にお恵みくださる物の一つだ。恵みの雨は、普通の雨と違い、私達の身体にいい作用をもたらす。具体的に言えと言われると難しいが、何だか調子が良くなるのだ。成分などは、よく分かっていないらしい。
まぁ、お星様自体が謎に包まれているから仕様がない。それに、その謎を暴こうとする方が罰当たりというものだ。
ある日、突然現れた「お星様」という存在は、定期的に空から恵みをもたらす。
今の科学じゃ考えられないような代物も降らしたりするものだから、神様のように崇め奉られていて、お星様に祈り、感謝を捧げることは、私達には、小さい頃から習慣付けられていることだった。
だから、今日もあのよく分からないキラキラと輝くクソでかい物体に目を閉じ、手を合わせ、ありがとうございますと心の中で言う。
「わっ!」
「わぁ!」
「ふはは、びっくりした?」
「いきなり耳元で、でかい声出されたら誰でも驚くに決まってるでしょ」
「それはそう」
このやたら元気でうるさい女は、一応私の親友、和泉りこだ。小柄で、どこぞのアイドルのように整った顔立ちは、良くも悪くも周りの目を引くものだった。
艶のあるブラウンの長髪を耳にかけながら彼女は、忌まわしげに言った。
「また、あれに祈ってたの? 好きだね」
「別に習慣ってだけ。てか、皆そうでしょ。あんたが特殊なだけ」
「えぇー、どう考えてもお前らが変!」
りこは、お星様のことをあまりよく思っていない。
「いつか罰が当たっても知らないからね」
呆れながら私がそう返すと、彼女は、立ち止まり空を見上げ言った。
「いつかさ、あの星、落としてみたくない?」
「……はぁ?」
突拍子もない彼女の提案に呆れる。だが、仕方ない。こいつは、いつもこうなのだ。
「だってさ、あんなに大きく見えるってことは、案外近いのかも! 頑張れば、落とせそうじゃない?」
「ばか。あんな何で浮いてるかも分からないやつをどうやって落とすってのよ」
「バカとか言いつつ、しっかり考えてくれるあたり、星奈ちゃん愛おしすぎ!」
「考えたわけじゃない。あんたのバカさを証明しただけ!」
ダメだ。りこと一緒に居るといっつも彼女のペースに持っていかれる。
だが、鬱陶しく思う反面、この時間を好ましく思っている自分もいるのだ。りこと居るといつの間にか元気を貰っている。
そんな日常が私は、好きだった。
***
りこのあの馬鹿げた提案は、どうやら彼女にとっては、真剣なものだったらしい。
「ねぇ、りこ、本気でやるの?」
「当たり前でしょ! 女に二言は無い!」
「女は、愛嬌だけでいいんですけど〜」
放課後、彼女に連れられてやってきたミリタリーショップは、花の女子高生には、随分と居心地の悪い空間だった。
明らかに浮いているのにも構わずに、りこは、これなんかどうよ!なんて、一丁前にエアガンを構え、吟味している。
「うん、いいんじゃない。それにしたら〜」
隣にいる私は、少しでも早くこの場から離れたいがために、彼女の言葉に適当に相槌を打つ。
「ちょっと! 星奈もちゃんと真剣に選んでよね!」
真剣に考えたとて、私は、銃なんてもったこともないし、興味もない。はっきりいって、その手のことに関しては、門外漢なのだ。
「私もよく分からないし、お店の人におすすめ聞いた方が確実なんじゃない?」
「確かに! 星奈ちゃんってば、あったま良いー!」
お前がバカなだけだよ。という言葉を飲み込み、彼女と店員さんを探す。すると、少し離れた所に棚を整理している従業員らしき人の姿があった。
そして、彼女は、それを見つけるや否や駆け寄り、勢いよく尋ねたのだ。
「あの! お星様でも撃ち落とせるような射程距離の長いエアガンってありますか!」
私は、心臓が飛び出るかと思った。
お前は、バカか! いや、バカだったわ……
お星様は、この国にとって何よりも尊いもので、崇め奉り、敬うべきものなのだ。気心の知れた友達との軽口で言う分には、まだ良い。だけど、初対面の人に言っていい台詞では無い。
案の定、彼は目を丸くして、口をぽかんと開けていた。彼の頭が再稼働する前にと、私は、早口で捲し立てる。
「いや! 物の例えと言いますか、それにしても、たちの悪い冗談ですよね、ほんと。でも、この子バカなだけで、悪気は無いんです。ただ、本当に射程距離がめちゃくちゃ長いのが欲しいってだけで。そういうのってありますかね?」
呆気にとられていた彼だったが、それを聞くと、快く私達をスナイパーライフルのコーナーへと案内してくれた。
ありがとうございます、助かりました。と言って、言外に、これ以上の長居は無用だと彼に示すと、彼はまた、自分の持ち場へと戻っていった。
私は、なんとかなったことにホッと息をつく。一方で、私の肝を冷やした張本人はというと、無邪気にスナイパーライフルに夢中になっていた。
「おい」
「はいはい、分かってるって、しょうがないな〜」
と彼女は、私に銃を持たせる。
「星奈も持ってみたかったんでしょ? いや、わかるよ。かっこいいもんね」
「……お前の頭をぶち抜いてやろうか?」
「わぁー! ごめんって、冗談じゃん! 冗談!」
へらへらと笑う彼女に私は、釘を刺す。
「りこ、言っておくけど、ああいうの本気でやめなよ。もし、相手が過激派の人だったら? そうじゃなくても、そういう人が聞いていたら? もっと、考えて行動して」
「うん。もし、そうだったとして、私が殺されそうになったら? 星奈は、どうする?」
さっきまで、バカみたいな顔で笑ってたくせに、急に真面目な顔をして、りこは言った。
あぁ、嫌だ、本当に。
こいつは、いつもこうやって私の心を揺さぶるのだ。バカなように見せて、実は、全部、何もかもお見通しなんじゃないか。そう思ってしまう。
彼女が答えを促すように私に一歩、近付いた。
「私は……」
私は、どうするのだろう。いや、わかっている。
きっと――
「私のことを助ける。星奈は、私のことを見捨てられないよ」
当然のようにそう言い切った彼女は、私に、バカだねと微笑む。その蠱惑的な笑顔は、しばし私の調子を狂わせる。
「あんたに言われたくない」
「はいはい、そうですねー、どうせ私はバカですよーだ」
さっきまでの空気が嘘のように軽くなる。一瞬でガラッと変わる雰囲気に、彼女は実は、二人いるのではないかと錯覚してしまいそうになる。
「それで、結局どうするの?」
「これにする!」
「ちなみに、理由は?」
「かっこいいから!」
「はぁ……結局性能度外視ね。知ってたけど」
私達は、漸く目当ての物を手に入れて、店を出た。会計のときに、彼女が「どうしよう! 足りない!」なんて言い出したときには、ほんっとうに友達をやめようかと思ったけれど。
しかも、結果的に半分も出すことになったし、後で返すと言われて返された試しもない。まぁ、別にいいんだけど。
「で、勇者様は何処で、そのライフルをぶっぱなすおつもりですか?」
ん! と言って、彼女が指さしたのは、遥か向こうに聳え立つ山だった。
「やっぱ、行くなら一番高いところまで行かなきゃね」
くるりと身を翻し、彼女は張り切って、そちらの方へと歩を進める。
「待て待て! 今から行くつもり?」
「善は急げって言うでしょ?」
「アホか。もういい時間だし、今日は解散。行くとしても頂上まで絶対時間かかるから、休日にしろ!」
「ははっ、なんだかんだ言って、結局着いてきてくれるつもりなの可愛いね」
「あんたに死なれでもしたら、流石に寝覚め悪い」
「うん。ありがとう、星奈」
「は? いきなり何? 気色悪い」
彼女は、ふははと笑うと自転車にまたがり、手を振る。
「じゃあ、またね。夢で会おう!」
「いや、夢の中まで出てくんなボケ」
私は、自転車を漕ぐ彼女の小さな背中が見えなくなるまで見送った。