第88話 悔やみもなにもかもをバネにして自信に変えて
「おはよう、糸掛」
ぼんやりしたまま開かれた瞼。その中にある目で石見を見る。
石見はもう服を着ていて、ベッドの横に腰かけていた。
泣いた後だからだろう。目がいつもより潤んでいて、宝石のように見えた。
そんな目に触れたくて手が伸びる。けれど目に触れるのはダメだ、痛いだろうから。だから手は頬に触れて、石見の顔が近づいてくる。
優しくキスを一つ。
その感触に脳が覚醒した。
いやエロい気持ちになったのではない。夜のあれこれを思い出して思いっきり恥ずかしくなったのだ。
「ふ、糸掛、耳まで真っ赤」
「~~石見もだからな?」
どうやら石見も思い出したらしく。
このままもう一度、再び石見に触れたくなって、だがそれが叶わない事を知る。
もう朝だ。
日の光がテントを透けて目に届く。
起きなければならない。
他のみんなはもう起きているかな?
まあまずは服だ。素っ裸で外には出られない。オレは乱雑に散っていた服をきちんと着て、石見と共にテントを出た。
周りを見るともう何組かのグランピングリゾート利用客が動き出している。
体操をしている人いればコーヒーを飲んでいる人。朝食の準備をしている人も。
日常がある。
しかし……オレは日常が突然壊れる事もあると知っている。
もう二度と壊されないようにしないとな。絶対に。
「怖い顔している」
「え?」
石見に頬をつつかれた。
「糸掛さ、ひょっとして自分一人でなんとかしようと思ってないかな?」
「え、あ、いや、そんな事は」
ないとは言えない、か?
だって多くを巻き込んでしまったらそれだけ傷を負う人が増えて――
「良いんだよ。傷を負わせても」
「や、良くはないだろ」
「良いんだよ。それが仲間だから」
「……仲間」
「仲間って言うのはね、友情とか愛情とか悩みとかを共有するのはもちろん傷も共有して良いんだよ。
独りで背負わせない。
これが出来て仲間になるんだよ」
独りで……背負わない。
共有。
「……怖いんだ。両親のように誰かがなってしまうのが」
トラウマとして残っている。
両親の絶命。
その時の二人の表情、血の匂い、苦しむ声が。
あんなのもう誰にも味わってほしくない。
「私、あの時悔しかったんだ」
「悔しい?」
「驕っているわけじゃないけど、あの時私、駆けつけるのが間に合わなかったでしょ?
駆けつけたら全部終わってて……。
もっと早くに辿り着いておけば結果が変わったんじゃないかって思ってしまう」
それは……むしろ良かった。あの場に石見がいたらと思うとゾッとする。両親のようになっていたらと思うとだ。
「糸掛が泣いていた。
間に合わなかった私に出来るのは、糸掛を立ち上がらせる事だけだった」
「……だけなんて言わないでくれ」
「え?」
「オレは石見に手を引かれて、石見に支えられたから腐らずに済んだんだ。
オレの人生、あの瞬間にリスタートしたと言っても良い。オレが始まったんだ。
だから石見にはそれを自信に変えてほしい」
石見が悔やむ事なんてなにもないのだ。……ん? 違うか?
悔やんでも良いから前を向いてほしい、かな?
それを伝えてみると石見は。
「前を、か。
悔やんでも良いんだ……私、ダメだと思ってた」
苦笑する石見。
「糸掛をリスタートさせられたなら、ちょっと自慢に――自信になるかも」
「……うん」
それで良いのだ。
悔しさは前を向くバネにしないと。
……オレにも言えるかそれは。
「そうだよ、糸掛にも言える事だ。
似ているね私たち。
夫婦は似てくるって言うけどそれと同じかな?」
「……そうかも」
「お互い前を向こう。悔やみもなにもかもをバネにして自信に変えて」
「ああ」
「んじゃ朝のトレーニングをして朝食の準備だ。
ルゥリィとハィルベは結構食べるからいっぱい作らないと」




