第38話 っつ――あっ!
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ハァ……ハァ……
吐息が漏れる。
ハァ……ハァ……
二人分の、所謂甘い吐息。
甘い? いや。そう思っているのは俺だけか。
俺は女から体を離し、女のぼんやりと虚ろ気な顔をじっと見つめた。女の顔色は白く染まっていて、それでも熱い息を吐いている。目元には涙の筋。耳の方に一筋、鼻の方に一筋、頬の方に一筋。両目合わせて六つの涙の筋。
ああ……。
女の潤んだ瞳は天井を見上げている。と思う。ひょっとしたら現実を捨てて夢想にでも落ちているのかも。
ああ……ああ……。
恐ろしくなった。今になって自分のした凶行が恐ろしくなった。
「……」
俺は口を少し開いて謝罪の一言を出そうとした。けど出てこなかった。
何故?
悪い事をしたのに俺の頭の中は澄み切っていたんだ。心から喜びに浸って、そんな感覚を失うのが恐ろしくなった。
女はなにも言わない。
だから俺もなにも言わないで服を着た。ボクサーパンツを履いて、パンツを――古い言い方をするとズボン――を履いて、半袖のTシャツを着た。デザインが気に入ったから買ったのだけれどタグを見て嫌いな国の作品だと知り複雑な気分になったTシャツ。まあ服に罪はないから着続けているけれど。
鏡を見て髪が乱れていないか確かめる。短いブロンドの髪がぼさぼさになっていたからさっと整える。鏡の中のトープの瞳が俺自身を見ていた。
俺はパンツのポケットに財布と携帯電話が、腰に付けたホルダーに銃が入っているのを確認すると部屋のドアを開けて廊下に出た。
現在時刻二十二時少し過ぎ。一泊七万円のホテルの廊下は夜用の暖色ライトに照らされていながらどこか寒く感じた。絨毯は赤いが色の効果はない。
さて、どうしようか?
俺はエレベーターに乗り込むとロビーに向かうべく一階のボタンを押した。扉が閉じて、浮遊感が襲ってくる。二十一階下に向けて動き出したのだ。
ポーンと音が鳴って、エレベーターはあっさりと一階に着いた。
扉が開く。一階に出て、ロビーに鍵を預けて外に出る。
暑い。夏の夜は昼に落とされた熱を抱きかかえていて温度の低いサウナにでもいるようだ。
俺は夜道を歩いて――足に激痛が走った。
「っつ――あっ!」
なんだ? なんだ?
右足を見る。ふくらはぎから血が出ていて、足に空いた穴をぎゅっと抑えても止まらない。
なんだよ? これ――!
俺は激痛に汗を流しながら後ろを見る。
どこだ? どこから撃たれた?
その時チカッと視界の上の方でなにかが光った。瞬間、右腕に穴が開いた。
「が……!」
アスファルトに倒れこむ。予想外に冷たくて少し驚いた。
さっきの光はマズルフラッシュだ。俺は顔を持ち上げて光った場所を見上げた。あの部屋は俺が泊まっていた部屋か。それを証明するように見知った顔の女がこちらに顔を見せていた。
女は尚も銃口をこちらに向けていて、すぐにでも三射目を撃ちそうだ。
しかし女は後ろからホテルのスタッフ二人に取り押さえられた。同時に俺の方にもスタッフが走り寄ってくる。
助かった――と思ったのも束の間、三人のスタッフは俺に銃を突きつけ、何事か喚いている。痛みで頭が麻痺しているせいでなにを言っているのか理解出来ない。
暫くして、パトカーのサイレンが聴こえた。誰か携帯電話の着信音にでもしているのかな?
そんなはずは当然なく、そばに着いたパトカーから降りてきた警官二人が俺を取り押さえた。手錠をかけられ警察病院に行くべくパトカーに乗せられ、すぐに発進。
座席に寝転がりながら俺は思った。
あ、俳優業どうしよう?
俺はギフト。『ギフト』――プレゼント・毒。珍妙な名前を付けられたものだ。
歳は二十六。
身長は百七十八センチメートル。
男。
白人。
職業・俳優。
復帰出来ると良いな。
二週間後、俺は警察病院を出て警察署に移される事になった。
カメラのフラッシュに俺は目を細める。その様子も撮られていた。きっとどこかの新聞に載るのだろう。
俺は取材陣に向かって頭を下げて、警察車両に乗り込んだ。
『俳優ギフト容疑者! 女性に暴行!』
『カメラをひと睨み!』
『深々と頭を下げ一分!』
『復帰は絶望的か⁉』
そんな風に翌日のニュースに写真・動画付きで紹介された。
俺は取調室で似た内容を書いた新聞を見せられて項垂れる。ようやく自分のした罪への罪悪感が芽生えてきたのだ。
まずいまずいまずいまずい。ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん。
ずっと頭の中でくり返される言葉。
涙が出てきた。出す資格なんてないけれど。
それから一週間後、俺は法廷にいた。
「――以上により、ギフト・イヴェントは骸牢移植刑及び二年の実刑とす」
下された刑罰は予想以上に軽かった。
これなら復帰出来るかな?
そんな風に考えていたが世間の声は厳しかった。
芸能界からの永久追放。お前をテレビで観る事になる被害者の気持ちを考えろ。くず。
そんな言葉が次から次へと訊こえてきた。
うるさい。俺を望んでいるファンは山程いるんだ。絶対に戻ってやる!