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第32話 心臓をくれるのと大人を殺すの、どっちが良い?

 そして三つ目。


「そろそろ言えよ。悪夢再来ってのはなんだ? 前にガキ共となんかあったんだろ?」


 子供たちに襲撃もどきを行われた時の話だ。オレが思わず叫んでしまった言葉についてカノは覚えていたらしい。


「……」


 正直話すか迷った。とてもではないが良い思い出ではないし。

 けど……カノたちが子供たちを追うならば、話す必要あり、か……。


「『世界牢』ってのは知っているか?」


 オレは一度大きく深呼吸して、階上で寝ているだろう妹の姿を想像し、平常心を保ちつつ言葉を紡ぎ出す。


「ああ。誰の目にも届かないとすら思われている地下牢だな」

「そうだ。

 オレが知っているのは世界のいずこかにあると噂される『世界牢』――その十四番目についてだ」


 ◆


 朝。

 世界にグリムが現れる前、最後に体験した正常な冬の日。

 まだ朝日は昇っていないが東の空が白んでいる。じきに朝日は神々しくも暖かに街を照らすだろう。

 そんな街の郊外にある一軒家。

 明るい室内――洋間だ――に流れるテレビからの声が視聴者であるオレに情報を届けていた。


『昨日もまた起こりました。

 今度は舌。舌を抜き取られたとの話で――』


『これで眼球を抜かれた被害者は九十九人。

 子宮を抜かれた被害者は八十五人。

 骨を抜かれた被害者は百人。

 肺を抜かれた被害者は五十七人。

 胃を抜かれた被害者は七十九人。

 神経を抜かれた被害者は三十六人。

 舌を抜かれたのはこれが初ですが経緯を考えると間違いなく増えていくでしょう』


『この日本での被害者は二十一人。

 世界では判明していない事件もあると推測される事から被害者は万を超えているのではとも言われています。

 それだけの被害者が出ていながら誰も、どの国も犯人に辿り着けていません』


『本当にそうなのでしょうか?

 世界は今や防犯カメラに溢れているのです。一つも映っていないなどあるのでしょうか?』


『人々は怯え、閉じこもり、震えるように息を潜めています』


 朝のワイドショーだ。

 ワイドショーは基本明るいモノなのに不穏にも朝から影を落とす程気味の悪いニュースを報じていた。

 報じなければならなかった。

 異様すぎるこの事件、報じなければ――報じてそれを聴き届けるオレたち自身が身の安全を守らなければ確実に犠牲者が増えてしまう。

 しかし身の安全は簡単に守れるモノではなくて……。

 事実、テレビから流れてくる女性と男性のアナウンサーの声を聴きながらオレは一人で壁際に後ずさっている。背中を預けている。

 当時のオレは十六歳。

 これから様々な知識を得、様々な人と出逢い、様々な心と触れ合い、様々な経験を積むのだろう未来に心を弾ませる少年の一人だった。

 そんなオレは今、背中を壁に預けた状態のまま尻を床に着けた。

 眼前には血の海。赤と言うより黒い。鉄臭い。

 眼前には大切な両親の死体。活気に満ちていた肌の色は白く変色し、虚ろになった目からは涙が流れている。

 眼前には黒いカッパを着て白い簡素な面をつけた短身の人間が二十人。それぞれが包丁・ナイフ、なんらかの刃物を手にしている。それらは全て血みどろだ。

 その内の数人は両親の体を刻み続けている。いや、開いていると言った方が正しいか。

 異様。

 異色。

 だって身の小ささを考えるとこの人殺し共は――


「こ……ども?」


 で、あったから。

 ポツリと零されたオレの言葉に何人かの子供が反応した。オレへと視線を向けて小走りに近づいてくる。

 思わず口の中で悲鳴が漏れた。


「この人どうする?」

「開いてみないとキレイか(わか)らないし、開いてみよう」

「大人の心臓は?」

「結構キレイだよ」

「若い人なら、もっと綺麗かも」

「「「見てみよう」」」


 オレに奔る電撃。別にスタンガンの類を押し付けられたのではない。

 子供たちの言葉に体が反応したのだ。


「逃げろ」と。

「殺される」と。


 だからオレは本能のままに走った――つもりでいた。しかし実際は玄関に向かってゆっくりと歩き出しただけで。それも震える足でだ。もっと速く走りたかったけれど体に力が入らずに。

 子供たちが追いついた。追いついて、オレの背中に刃を突き立てる。


「あ!」


 刺された箇所に感じられる冷気。

 四本の刃に刺されて倒れ込んでしまった。


「この……!」


 子供たちの腕力では浅く喰い込ませるだけだったようだ。オレは力を絞り振り向き一人のカッパを剥ぎ取る事に成功した。

 中から現れた人物は――やはり子供。それもまだ五歳前後に見える程に幼い少年。

 オレはその少年からハサミを奪い取り、少年の首にあてた。


「なんだ⁉ なにしてんだお前ら! うちの親がなにかしたってのか⁉」

「え?」

「ううん。全くなにも」

「どうしてそんなの言うの?」

「……⁉」


 言葉を失うとはこの事か。

 悪びれる気などゼロ。

 謝る気などゼロ。

 子供たちから敵意など、悪意など感じられずに。


「あ、待って。『グリムの緑后(ヴァージンメリー)』のお姉さんがなにか言ってるよ。『この人は子供だから、自分で決めさせてあげて』だって」

「そっかぁ。それじゃお兄さん」

「「「心臓をくれるのと大人を殺すの、どっちが良い?」」」


 少女がいると言う。

 子供たちが言うに『世界牢』第十四区に捕えられているその少女は天使であると言う。

 神話級の実在。

 人を守護する存在。

 けれども清い聖なる天使は今、着実に人類を殺しにかかっている。

 ある男は目玉を抜かれ、ある女は子宮を抜かれ、ある老人は舌を抜かれ、ある若者は骨を抜かれた。

 犯人は子供だった。世界中の子供だった。

 悪気などなく、純然たる善意で動く子供たち。

 天使の声を聴き届けるその純粋極まる存在は、天使を救う為に動いていた。

 子供たちは不安定極まる天使に最も美しい人間の体を与えようとしていたと推測される。

 例え世界中の大人を殺してでも。

 それこそが正しい行いであると信じて。信じきって。

 天使を殺せない信心深い大人たち。

 子供たちを捕えきれない優しき大人たち。

 殺し尽くせない大人たち。

 大人の正義、子供の純心。

 どちらでもない十六歳であるオレは……オレは子供たちに取り囲まれて、決断を迫られていた。

 心臓を抜かれるか、大人を殺すか。

 決断してと、天使が言う。

 オレの脳は正常に働いていただろうか?

 オレの心は正常に働いていただろうか?

 涙で視界が滲む。

 恐怖で心が滲む。

 そんなオレに迫られる決断。

 オレは――


 ああ神さま、オレは罪を貴方に告げます。

 世界唯一の悪意を以て、オレは天使を殺すと決めました。


 ◆


「グリム共が出てくる前、なんだな?」

「ああ」


 宿の一階で、オレとカノだけがひっそりと話し込んでいる。石見(がらみ)心樋(ことい)に付き添っているし、フォゼは風呂だ。


「けどその時にはもう心樋はいなかった」

「つまり人間共は動いていたってわけだな」

「そう考えるとグリムが動いていても不思議はない」


 世間的にはチャーミングがこの世界に現れたグリム第一号と思われているが、これとてあくまで世間的にはの話。怪しいもんだ。


「……オレは、この過去があるから準魔法士になった。なって、グリムを追っている」


 復讐もある。だがなにより、真実を知りたいのだ。その上で決着をつけたいのだ。

 そう冷静に思えるのは事件を知り、オレの気持ちを察してくれた石見が「糸掛(いとかけ)に人である事を忘れさせない」と共に歩む決意をしてくれたから。

 思えばその瞬間か。幼馴染への淡い想いがしっかりとした恋心になったのは。


「……了解。ひでえ思い出話させちまって悪かった」

「良いさ。そっちの過去も結構ひどいし」

「はっ。だな」

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