第30話 逃・げ・る・なぁ!
こんな事を東京に着くまでに何度も行っていた。訓練を欠かさない。大事。銃の調子を確かめ整える必要もあるし。ああそうそう、弾は石見の魔法でたんまり亜空間に持っているけれどなくなりかけると補充要員が運んでくれる。こちらが申請する必要はあるが。
それじゃ続いて二つ目。
「すまん石見、ちょいと頼まれてくれるか?」
ある日のお昼ちょっと前。
トイレ帰りのカノが妙に真剣な顔つきで現れた。後ろにはフォゼも控えている。
「うん?」
「一度マインとフォゼをアメリカに転送して欲しいんだが」
アメリカ。カノたち姉弟の故郷である。
里帰りか。ホームシックにでもかかったかな?
「そんな可愛いモンじゃないさ」
ハァ、大きなため息一つ。
「ママンとパパンが退院する話になっててな、兄貴と暮らすから一つビシッと言っときたい。最低限ママンたちに当たり散らさないように」
ああ、お兄さんの引きこもりが治らずに『エンゼルエンゲージ』に手を出してしまったと言うご両親、か。廃人状態と訊いたが回復したのか。退院するのはめでたいがお兄さんと一緒と言うのはやはり不安なのだろう。
一人心樋は話を訊いてもキョトンとしている。我が妹ながら可愛い。じゃなかった。精神病院がどんな病院か解らないみたいだ。心樋は今八歳だからそれは仕方あるまい。
「良いよ。でも私まだ行った経験がない場所に他の人だけを送るのって出来ないから一緒に着いて行く流れになるけれど」
「ああ構わねぇ。糸掛と心樋も来てくれよ。こっち今じゃ立派な殺人犯。正直マインらだけで会うのはきつい」
殺人。『エンゼルエンゲージ』の密売人を殺してしまった罪。愛ゆえの暴走だが本来彼女たちは死刑囚だ。『ロスト・パラベラム』を最後まで生き残った報酬として免除されたものの犯した罪は変わらずに。
「ちょっと前まではカノ、開き直ってたよな?」
「今でもマインらが悪い事したなんて思ってないさ。クソを捻り潰しただけだ。だけどそれはあくまでマインの考え。世間でどう見られるかくらいちゃんと考えてる。特に親がどう思うかはな」
成程。俯瞰しているあたり立派だと思う。世の中には自分の正義が世間全部に通じると思っているタイプもいるから。
「うん解った。
出発いつにする? すぐ? 昼食後?」
「そうだな……メシまずくなってもなんだから食べてからで頼む」
少し時間が経ったから今ちょうど良い時間帯だ。カノの話だとご両親は食事にたっぷり時間をとるらしく一時間は必要と言っていたから午後一時三十分に出発と相成った。
「たっだいまー!」
家の玄関扉を勢い良く引いて開けるカノ。
元気の良さを差し引いても声が不自然に大きい。きっと二階にいると言うお兄さんに訊かせる為にわざとボリュームを上げているのだろう。恨み込みで。
で、だ。
実はここに来る前の昼食時に一つ新情報がフォゼからもたらされた。『エンゼルエンゲージ』をご両親に渡したのは兄貴である、と。
マジか……。
「でもそれって予想なんだろう?」
「ママンは調べつくした。パパンもな。二人が売人と接触した記録はねぇ。
あとはクソ兄貴だけさ」
消去法でお兄さんしかいないと。しかし。
「引きこもりなんだろ? どうやって――あ、ネットか」
「そ。インターネット。今や市場は現実よりも大きいだろ」
そうだな。利用者はずっと右肩上がりに増えている。オレも地方にいても最新の商品が手に入るから重宝している。
「けど私たちが入れるようなサイトならとうに見つかってるよね?」
「ええそうです。見つかっているのですがそれを上回る勢いで増え続けていたりします」
イタチごっこにもならないわけか。警察の人の苦労が伺える。お疲れさまです。
「ま、予想は予想。だから問い詰めるのさ」
「姉さん、乱暴する気?」
「ちっとは懲りてほしいし、良いんじゃないか?」
いやダメだろう。この子この勢いで密売人に手を挙げたんだろうなぁ。
「んじゃ糸掛たち三人はここ――リビング――で待っててくれ。兄貴に問うてくるから」
「程々にな」
程々どころか一発殴るのもNGだと思うが、それしか方法がないならやむをえまい。と思おう。
オレたちはソファに腰を降ろしてトントンと音が鳴る方に顔を向けた。カノとフォゼが階段を昇っていく音だ。
する事もないのでなんとなく無言。二階で怒鳴る声が訊こえて来たから談笑する気も起きずに心樋の耳を塞いだ。ここは一軒家――ワールド・ダウングレードに巻き込まれるまではごく普通の家だったと訊いた。今は地上に降ろされたツリーハウスみたいになっている――で庭も意外に広いから隣の家とも少し離れている。怒鳴り声は届かないと思われるが、派手な声だ。
いや~人んちでケンカする声を訊くって初体験ですよ。ちょー気まずい。
気まずくなったその時二階の一部屋のドアが乱暴に開かれた。
「逃・げ・る・なぁ!」
「ひぃ」
階段を転げ落ちてくる痩せた男と階上から手すりを乗り越えて飛び降りてくるカノ。
オレたちは立ち上がって男が外に逃げられないように玄関扉と窓の前に立った。きっと転げ落ちた男こそカノたちのお兄さんだ。
お兄さんはオレたちが出口を塞いでいるのを認めると立ち止まり、奥へと逃げようとしたがカノとフォゼに塞がれた。
「カノ、どう言う状況だ?」
「こいつ今も『エンゼルエンゲージ』を持ってる」
「「「――!」」」
となると、本当にお兄さんがご両親に渡したと? 散々迷惑と心配をかけたご両親に? 予想通りではあるがなんと言う事をしたのだ。
「違う! プレゼントしたのはただの指輪だ!」
「そいつに薬があったんだよ! 渡せ!」
「もう捨てたって言っただろ⁉」
「どこにだって訊いても応えなかっただろうが!」
「それは――」
顔をそらすお兄さん。言い難い内容を隠しているのは誰が見ても明らかだ。
「その辺の人間にあげてたりして」
「――!」
石見の呟きに大袈裟なまでに反応するお兄さん。あ~これは。
「誰かに罪を被せたのか⁉ 誰だ!」
詰め寄るカノ。今にも殴りかかりそうな勢いだ。
「……だから……」
「だから⁉」
渡すとしたらお兄さんに指輪を貰っても不自然ではない人物だ。つまり。
「恋人じゃないか?」
「いやこいつ十年近く恋人いないぜ? ……まさか昔の――クニーにやったのか?」
「……うん」
「このボケ!」
とうとう限界がきてカノがお兄さんの顔面を殴ってしまった。鼻から血を垂らしてお兄さんは倒れ、気絶する。
「カノ、そのクニーさんの住所は?」
お兄さんのケガの具合を一応確認しながら、石見。
「隣だよ。幼馴染だ。ついでに言うと結婚したばかりだな」
「って、逆恨みでもしたのか?」
好きな人が結婚して裏切られた気分になったのだろう。
お兄さんの過去には同情する面もあるが、元恋人の幸福を理不尽な嫉妬で邪魔して良いとはならない。絶対に。しかも麻薬が仕込まれている事を知りながら渡したなら庇いようがない。
「すっげぇむかつくわ。行くぞ!」




