もののふ 菊池
「菊池君、バイバイ!」
「うん、また明日」
可愛らしく手を振る女児に、静かに頭を下げ、去って行く男児。
「あら、なんだか武士みたいな男の子ね。なんともいえない雰囲気があるわ」
「そうなんだ、お母さん。菊池君って物静かで、なんかカッコいいんだよ」
「あら、手毬、もしかして?」
「なあに?」
「……いやだ、わたしったら。さすがに貴女にはまだ、早いわよね」
ひなぎく保育園の玄関は、ちょうど、お迎えの保護者と園児で混み合う時間帯だった。
「お母さん、そろそろ行こう」
「はいはい」
去って行く美女と美幼女。
二人は常に、ひなぎく幼稚園の園児と保護者たちから憧れの視線を集める母子だ。
僕は川崎。
菊池君と手毬ちゃんとは入園以来、一緒の組。
祖父は医者で、大病院の経営者。
父も医者で、僕も将来は同じ職業に就く決意をしている。
そんなことより、僕は今、大ショックを受けていた。
あの、寡黙な菊池君がカッコいい?
僕は今まで、容姿端麗な両親の血を受け、可愛い可愛いと言い尽くされてきた。
可愛いは絶対、可愛いは正義。
そう思っていたのに。
手毬ちゃんのお母さんは、実のお父さんが経営する大ホテルで働いている。
何か国語も話すことが出来て、どんなお客さんにも対応する、素敵なホテルウーマンだ。
うちのお母さんだって、美人で料理が上手くて優しくて、すごいお母さんなんだ。
でも、そのお母さんでさえ憧れてしまうのが、手毬ちゃんのお母さんなんだって。
つまり、そんな、外国のお客さんとも渡り合えるホテルウーマンが認めた男児。
それが菊池君ということだ。
保育園年長組の男児で、物静かさとカッコよさが世界レベル。
「菊池君には勝てそうもない」
僕は密かに決意していた『手毬ちゃんを将来僕のお嫁さんにするぞ計画』を断念した。
時は過ぎ、僕たちは小学校高学年になった。
僕たちの住む市には、名物『もののふ祭り』がある。
『もののふ祭り』は小学生男子による、江戸時代の大名行列を模したパレードが売りだ。
市外県外、そして海外から、たくさんの観光客が来る。
僕は当然、武将役に選ばれた。菊池君もさらっと選ばれていて、足軽役である。
「ねえ、あの子、なんかちょっと素敵じゃない?」
「え? ああ、本当だ。僅かな陰りが武士っぽい。写真撮っちゃお」
オタクっぽいお姉さんたちが、菊池君に目を付けて小さく騒いでいた。
最近の菊池君の愛読書は、歴史小説だ。
お祖父さんの趣味で、家にこれしかないからと全集を読んでいると聞く。
馬上から、お姉さんたちを見たら目が合ったので、ニコッと微笑みかけると、キャッっと反応された。
「うわ、小学生でしょ? なに、あのイケメンぶり」
「こっちも写真撮っちゃお!」
カメラを持ったお姉さんが、撮っていい? 的な仕草をしたので頷いた。
撮り終えて、ありがとうと手を振られたので、僕も小さく振り返す。
「おお、寡黙男子もいいけど、完璧イケメンもまたよし!」
「眼福眼福~!!」
寡黙男子と完璧イケメン。
そうか、菊池君と僕は種類が違うんだ。
つまり、土俵が違う。争う必要なし。
僕は菊池君に負けてるわけじゃない。
菊池君が僕に勝ってるわけでもない。
よし、これからは菊池君ともっと仲よくしよう。
皆違って皆良い。
菊池君を介して、それを実感した僕は、他人と争うことで生じる精神的負担をかなり減らすことが出来た。
そのおかげで、その後、だんだん厳しくなった塾での勉強や、医大に入るための特訓などにも耐えられたと思う。
他者と比べない、己を鍛えるもののふの心。
大事なことは全て、菊池君に教わった。
『彼を知り己を知れば百戦殆からず』
それが僕の座右の銘だ。
そして更に、時は過ぎ去り……
「川崎、ありがとうな。
いろんなところにドアマット、紹介してくれて」
「いや、ドアマット菊池は信用できるから。
つい、紹介しちゃうんだよね」
「俺はいい友人を持った」
久しぶりの同窓会。
渋く笑う菊池の隣りでは、中年になっても花のように可憐な手毬ちゃんが微笑んでいた。