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自由落下

作者: Hora

私を乗せた飛行機が空中分解した。高度10000mから私は身一つで放り出され自由落下を始める。


 特に何も前触れは無かった。飛行機の不具合を知らせるような前兆や機内アナウンスも無かった。ビビビビビッという振動音が2~3秒鳴ったかと思ったらバリバリバリッ!!という轟音と共に暴風が機内に入り、寒っ!と思った瞬間飛行機が割れ、外に放り出された。幸か不幸か欠損や痛みは無い。そう感じていないのは既に死んでいるのか、夢の中にいるのか分からない。現実感が無さ過ぎる。

 放り出され落下しているものと思っていた10秒程。そこで速度が一旦0になり、そこから落下を始める。事故の瞬間に上空の更に上方に数十mも吹き飛ばされてしまっていたようだ。雲の中なのか視界が悪い事に加え、事故後に放り出された方向が私だけ違ったからか機体や他の乗員・乗客の姿は一切見えなくなっていた。内臓が浮く感覚に加え恐怖で吐きそうになる。落下速度がこれでもかと上がり続ける。空気抵抗により最高速に達したようだ。風速が60m/秒で下から吹いてくるように感じる。否、私が落ちているのだ。頭の中で簡易的に計算して後2~3分で私の人生が終わると分かる。

 日本に生を受けて66年。旅行らしい旅行もした事が無かったので、定年退職をしたタイミングで海外に行く事を計画。そのヨーロッパに向かう行きの飛行機での事故だ。乗り物の中で最も安全と言われる飛行機。働いていた時分には毎日のように電車とバス、たまにタクシーで移動していたが事故らしい事故は一切無かった。きっかいなものである。死因としてもここまでの高高度転落死は人類史においても5人といないだろう。


 …5分程は経過しただろうか。依然(いぜん)、それ以上速度に変化の無い最高速で落ち続けている。計算を誤ったのだろうか。それとも死の間際に体感が狂っているのであろうか。それにしても雲の上にいる光景や、遠く地上や山の稜線の景色はしばらく変化が起こっていないように見える。視線を斜め後ろに向けると飛行機の座席が1人分落ちていた。私の先ほど座っていた座席では無いだろうが体を動かし空気抵抗を調整しその座席を掴む。引き寄せて座ってみる。全く意味の無い行動ではあるのだろうが、逆にこの瞬間に意味のある行動なんて存在しないだろう。体を何かに接触させることで少しでも冷静でいられれば十分に価値がある。


 おかしい。既に1時間は経過していると思う。最高速度で落下しながらいつまでも変わらない山の稜線を見続ける。このまま時間が続く方が良いのか、地面なり海面なりに叩きつけられて死んだ方が良いのか到底選ぶことはできないがとにかく不気味なのは間違いない。

 速度というものは最近の天文学の発達により、絶対的なものではなく相対的なものであるとより実感していた。それは幼い頃に憶えた右と左の基準を、東と西が上書きしてしまったかのように。中学理科の天体の授業で、東と西ですらも住む地域や季節によって方向が変わってしまうかのように。速度に関して言えば新幹線に乗り最高速に達した後では、車内はすでに日常である。実際は時速200kmを超えようとだ。

 この現象の可能性を模索する。生き残る可能性ではない。位置エネルギーは下から60m/秒の風を受けることで相殺できているが、すでに運動エネルギーである速度が出すぎている。生き残ることはもう無理だ。とはいえ椅子に座り、この速度に慣れたこともあり冷静に考え続けることができる。今まさに時速200kmの壁と屋根の無い新幹線に乗り、秒速60mの風を受けているような状況。進行方向は真下ではあるが、、、1時間もすればそりゃ慣れる。

 さて…。より上の視点から見れば地球の自転により380m/秒で私達は移動している。これは音速を超える速さだ。さらに地球の公転により約30km/秒。太陽系の公転により230km/秒。宇宙の膨張に引かれ630km/秒で地球は動いている。近傍銀河のアンドロメダ銀河とも300km/秒で引かれあっているので地球上の1つの物体がもうどの方向にどれだけ移動しているのかは計り知れない。私は地球の特異点のようなものに入り、落下しながらも移動しない地点にいるのだろうか。私が自由落下を始めると同時に地球も私のいる反対方向に自由落下(?)を始めたため、私が地球に近づけないという可能性もある。そうなると地球上の人間は地上にいながら自由落下を開始し始める事になるので大パニックである。まぁトンデモ理論なのでそんなことは無いだろうが。模索している速度等とは全く関係が無く、原因はこの上空の地点に住む4次元生物に遊ばれている可能性もある。

 

 結局思考を行なってみたものの自己満足でしかなく、意味も無い。そういえば先ほどこの椅子を掴むために横方向に移動ができていたことを思い出した。空気抵抗で移動が叶うなら、そのまま雲の少ない地点まで移動し、せめて辺りを見渡せる場所まで移動できるのではないかと考える。やってみたものの…。数時間は下からの空気を斜めに受け横に移動したように感じていたが、一切景色は変わっていないように思う。さながらリードに繋がれた犬のようで、支柱から多少は動けるが、そこから離れることができていないようだった。どうも物理の世界から外れてしまっているように感じた。


 こうなると私にできることは無い。死因はより珍しい空中で餓死、が現実味を帯びてきた。数時間前まで66年間も日本にいた。もっとも地面から体が離れていたことなんて、中学校の頃に滝から飛び込む時に1秒ちょっと自由落下をしたぐらいだろう。自身の家が思い出される。家の片付けがまだ終わっていない。妻は去年亡くなった。このヨーロッパの旅行が終わったら家を整理して自首しようと思っていたんだがなぁ。妻に復讐されたのかな。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 高度10000mで放り出されてからの、とても長い滞空時間に考える物理学。どこに着地するのかと思いきや、ラストの告白は想定外でした。
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