なろうでのざまぁの流行は止まらないが、少なくとも恋愛ジャンルとは相性が悪いと思う
最近ずーっとざまぁ流行ってますね。
個人的にざまぁはあまり好きではないので終わってほしい流行であったのですが、この分だとざまぁの流行が止まることはまずないでしょう。
流行が止まらないと分かったからには受け入れるしかないと思うのですが、それでも1つだけどうしても言いたいことがあります。
それはざまぁと恋愛の相性は最悪であろうということです。
恋愛というのは対象となる男女(または同性同士)の関係性を主軸に描いていく物です。
二人が交際し関係を深めていくことで恋愛に発展していくことを楽しむわけですね。
これに対してざまぁというのは、本人に復讐の意図があるにせよ無いにせよ復讐者と被復讐者という関係性を主軸にして描いていくものです。
他にどのような関係性があるにせよ、結局のところ重要なのは復讐者と被復讐者の関係性でしかないのです。
この2つは非常に相性が悪いです、というより1つの例外を除いて相容れないとまで言っていいでしょう。
何故ならば両方とも主軸となる関係性がはっきりとしている為、どちからを優勢にすれば必ずどちらかがボヤけてしまい1本筋の通った展開にならないからです。
なろうでは大体の場合ざまぁ要素が強すぎて恋愛としての主軸がずれているのですが、その結果恋愛はざまぁをする道具でしかなくなっているのです。
例えばAさんがBさんをナイフで殺した、という文を読んだときに感じるのはAさんとBさんの間の関係でしょう。
この場合恋愛というのはナイフ、つまりBさんを殺害する手段でしかないんですね。
さて、先ほど恋愛とざまぁは一つの例外を除いて相容れないと言いましたが、その一つの例外とはざまぁと恋愛の対象が一致する場合です。
この場合両者の間にある主軸のずれというものは起こらず一本筋の通った展開となります。
ただしこの場合、描写する恋愛は大分屈折した愛となるでしょう
また主軸が完全に一致するとまではいかずとも、ズレを小さくする方法として恋愛の対象をざまぁの対象の家族にするといった物があります。
復讐の為に近づいた復讐対象の娘と恋に落ちる、なんていうのは言ってしまえばざまぁと恋愛のミックスではあるのですがかなり王道ですね。
ただしこの場合結局最後には私と復讐どっちを選ぶの!?といった展開にならざるを得ないので話が進めば進むほどざまぁと恋愛の間の解離は進み、復讐は果たしたが彼女とは破局する、愛を選んで復讐を諦めるといった結果になりがちでしょう。
私は何もざまぁを止めろと言っているわけではありません、ハイファンやローファンとざまぁを合わせようが良いと思っていますし実際多少ですが読んでもいます。
ただし恋愛とだけは本当に合わないと思うのです。
ハイファンやローファンといった他のジャンルが物語の舞台のみを設定している中で、恋愛が異世界にしろ現代にしろ主軸となる関係まで指定しているという事実を考えてみて欲しいのです。
最終的には解離すると言いましたが復讐相手の娘と恋愛とかは結構好きです。まあ解離するといった通り後半なんか微妙だなっていうのが多い気がしますが。