終わりの冬
冬はすべてを奪っていった。今までの君も。これからの君も。だから怖くてたまらなくて閉じこもったのに、またこの季節がやってきたのだ。
さよならをしないといけないんだね。本当は、この手を放さないで、側から居なくならないで、そう言いたかった。
でも、分かっている。君がわざわざ僕を外に連れ出したのだから。
外はしんしんと雪が降り積もっている。
息を吐くと一瞬で白くなる。凍える指先は赤くなる。
ふと気が付けばミツは静かで薄暗い校舎で一人佇んでいた。
「……中学の制服? ここは?」
ミツは中学の制服に身を包んでいることに気付き、辺りを見渡した。
そこは自分たちが通っていた学び舎。もう、卒業したはずの小学校の校舎。
ミツしかいないのか、人の気配は全くなかった。
ミツは少し怖くなったが、何かに駆り立てられたかのように走り出した。
肺には冷たい空気が流れ込み、呼吸は乱れていく。
ある教室の前に来るとミツはぴたりと足を止めた。
少し息を整えてから教室の扉を開けた。
そこにはトビがいた。
トビも中学の制服を纏っていた。だが、ミツとは違い、女子用の制服だった。
ミツに気付いたトビはゆっくりと口を開いた。
「やっと来たんだね、ミツ」
「トビ……」
微笑むトビは今までの少年のような表情とは全く異なり、まるで別人のようだった。
「ミツ、気付いてるんでしょ? もう一緒にはいられないって」
「嫌だ、嫌だ、嫌だ……!」
ミツは首を振って、トビの言葉を否定する。
そんなミツにトビは悲しそうな顔を向けた。
「ミツ、たくさんの思い出を切り取って歩くのは楽しかったよ。でも、もう一緒にはいられない。だって、ここはミツの夢の中だから。もう、これ以上はアタシもここにはいられない。だから、さよならだよ」
「嫌だよ。夢なら覚めなきゃいいんだ。そしたらずっとここで一緒にいられるじゃん!」
「無理だよ、ミツ。それに、ここにいたらアタシ以外の人には会えないよ?」
「それでもいい! だって、起きたら、目が覚めたらトビは、トビはもうどこにもいないんだよ! そんなの、そんなの、ヤだよ……」
涙を流しながらそう訴えるミツにトビは溜息を吐く。
「馬鹿ミツ! そんな泣き虫でどうすんだ! ずっと一緒なんていれっこないんだよ!」
トビの怒鳴りつけるような声にミツは肩を震わせた。
「ミツ、頼むから、これ以上、アタシを困らせないで」
トビは今度は本当に困ったような声でそう言った。
「……ごめん。ごめん、トビ。ぼく、本当に弱虫で、トビがいないと何にもできなくって、だからトビがいなくなったことが信じられなくって、だから引きこもって」
泣きじゃくりながら告げるミツにトビは優しい眼差しを向け頷いた。
「トビ、ぼく、トビがいなくなることが凄く辛くて、寂しかった。だから、それが現実だって認めたくなかったんだ。トビを困らせたかったわけじゃないんだ」
「分かってるよ、ミツ」
「トビ、最後の最後まで迷惑かけてごめんね」
「ミツは本当に仕方ないや」
涙でぐしゃぐしゃな顔のミツにトビはにっかりと笑いかけた。
そんなトビにミツは不格好な笑顔で返した。
そして、終わりの時間はもう近づいていた。
「もう、行かなきゃ……」
寂しそうな声でそっと呟くトビは髪が肩口まで伸びていて、胸には僅かなふくらみがあり、甘く優しい匂いがした。
その姿はまさに『女』だった。
ミツはそんなトビにふらりと引き寄せられた。
トビに触れそうな距離まで行くと、ミツは足をピタリと止めた。
トビの甘い香りがミツの鼻腔を擽ると同時にミツの喉が鳴った。
ミツは香りに誘われるままにトビの頬に手を伸ばした。
トビは一瞬体を大きく揺らしたが、ミツの手を受け入れるように目を閉じた。
軽く開かれた唇。閉じられた瞼。それらはミツを誘っているようだった。その誘いに乗るようにゆっくりとトビの唇にミツも自分のそれを重ねた。
一瞬のような途轍もなく長い時間のようなその行為が終わると、どちらからでもなくゆっくりと離れ、お互い目を開いた。
トビの朱色に染まった頬はとても愛らしく、少女なのだと思い知らされる。
「何か、嬉しいな」
はにかみながらそう言うトビは凄く可愛らしかった。
「……これで本当にお別れだね。アタシはもう、ここにはいちゃいけない人間だから」
「トビ……」
「アタシ、ミツと会えて幸せだった。凄く凄く、幸せだった。だから、ミツはこれからも、アタシの分も幸せになって?」
ミツはトビがいないと幸せになれないって本当は言いたかった。でも、その言葉を飲み込んで頷いた。
それを見たトビは今までで一番綺麗な笑顔で、よかったと言った。
トビの体はだんだん透けていき、周りにはキラキラした光が舞い始めた。
「ミツ、これで本当にお別れだ。だから、また引き籠って立ってアタシは会いにはいけない。会いたいって言われても二度と会えない」
トビの言葉が胸に突き刺さる。
「だから、アタシのことでくよくよ悩むな。何がっても、辛くっても、ちゃんと…生きて」
いつものしっかりとした強い口調だったが、最後は願いを込めたようなそんな必死さが伝わってきた。
「うん。生きるよ、ちゃんと」
ミツのその言葉にトビは涙を流しながら微笑んだ。そして大きく頷いた。
もうほとんど消えかかっているトビにミツは叫んだ。
「ぼく、トビのことは絶対忘れないから。何があっても、忘れないから!」
トビは大きく目を見開いてから、涙を溜めた目で笑った。
『バカ』
そうかすかに聞こえたと思った後、トビの口が『ありがとう』と動いた。
ミツは泣くのを必死にこらえながら、トビを見送った。
キラキラとした光も消え、冷たい風だけが吹き付けてくる。
「ぼくも、もう行きゃなきゃ」
ここはミツの夢の中。ミツもずっとはいられない。
ミツはゆっくり目を瞑った。
目を開けるとそこはミツの部屋だった。
トビのいない現実の世界。真っ暗な冬が終わり、多くのものが芽吹く季節になっていた。
ミツは今に行くと家族がそこにいて、大きく目を見開いていた。
「ぼく、ちゃんと学校に行くよ。そして、生きていくよ」
そうしてミツはトビのいなくなった世界で一人歩き始めたのだった。