始まりの春
暗くて寒い冬の中にひっそりとしゃがみこんでいた。そんなぼくに君はいつかみたいに真夏の笑顔でぼくを春の世界へと連れだした。
眩しい笑顔、温かな手、元気な声。君はいつも夏のようだった。
こんなぼくの側にずっといてくれた。
ねぇ、君が眩しすぎて涙が出そうだよ。鼻の奥の方がツンとする。
「お願いだから……」
この続きをぼくは言えなかった。君は何? って聞いてくるけど答えられなかった。
お願いだからこの手を放さないで、側から居なくならないで。そんなこと、言えるはずないよ……。
ガラッと玄関を勢いよく開け、靴も脱ぎ散らかし、ドタドタと音を立てながら階段を上る。
バンッと扉を開けると、ベッドを背にして、三角座りをして膝に顔をうずめる少年が一人そこに居た。
「コラッ、ミツ! 何どんよりしてんだよ! 出かけるよ」
その声に弾かれたように少年は顔を上げ、声の主を見た。
「……トビ……?」
ミツはそう呟くと涙を滲ました。
トビはニカッと笑うと、自分の袖口で少し乱暴にミツの顔を拭いた。
「ほら、泣いてないで外行くよ」
ミツの涙をふき終わると、トビはミツの手を引いて勢いよく立たせた。
「そ、外ってどこに行くの?」
戸惑うように尋ねるミツに、トビはミツの方を振り返ってニカッと笑い、「どっか」と言ってから、柔らかな笑みに変えると、
「だって、いつも行く場所なんか決めてないじゃん。そんなん聞いてくるなんて変なミツ」
と、続けた。それにミツは「そうだね」と言って笑みを返した。
トビとミツはバタバタと階段を駆け下り、玄関に向かい、一秒でも惜しいと謂わんばかりに慌てて靴を履いた。
靴を履き終わるとミツは足を止めた。
「どうしたの、ミツ?」
不思議そうに首を傾けたトビが尋ねると、ミツはだって、と言ってから靴を脱ごうとした。
「だって、何?」
トビがミツの腕を掴んで聞いた。
「だって、まだ外、寒いんじゃない……?」
冬だし、と小声で言うミツにトビは一瞬意味が分からないという顔をした後、ピンときたらしく、ふっと笑った。
「大丈夫だよ、ミツ」
そう言いながらトビはミツの腕を引き、玄関を開けた。
ほらっと言われて外に出たミツの目の前には春が広がっていた。
色鮮やかな花、優しい日差し、優しく温かな風。それら全てが春を伝えてくる。
「ミツが引き籠ってるから、もう冬なんか疾うの昔に終わっちゃったよ」
冗談めかして笑うトビがミツには眩し過ぎた。ミツは目を細めてトビを見つめた。
「何て顔してんだよ。ほら、遊びに行こう」
ミツの顔を手のひらで包み、優しく笑うトビ。それに応えるようにミツも微笑んで頷いた。
「やっぱ、春と言えばあの場所だよな」
キラキラと輝く笑顔で振り返るトビにミツは元気良く頷いた。
「到着~!」
そう言って辿りつた所は一本の桜の木がある丘の頂だった。
丘の桜は満開で、花弁がヒラヒラと舞っている。桜の木の下はピンク色の絨毯が広がっていた。
ミツがその景色に目を奪われていると、トビがミツの顔を覗き込んだ。
「ねぇ、ミツ」
「ど、どうしたの?」
ミツはトビがあまりにも近くにいたことの驚き、声が詰まりそうになりながらも、どうにか声を絞り出した。
「今日、じいちゃんにいいもの貰ったんだ」
「いいもの?」
「そう!」
そう言ってトビは自分のズボンのポケットを探った。
なんだろうとミツが首を傾げると、トビはじゃんと言いながらカッターナイフを取り出した。
「カッター?」
「そう、でも普通のカッターじゃないんだ。見てて」
トビはそう言うと、カッターの刃をある程度まで出し、そこにある景色に対して刃を入れた。すると、景色が切り取られるように剥がれていく。
カッターの刃が景色を四角に切り終わると、一枚の写真が出来上がった。正確に言うと写真ではないが、その時の、その瞬間の景色が切り取られていた。
「わぁ!」
ミツはぱあっと顔を明るくさせた。予想通りの反応にトビは満足げに笑った。
「いいだろ? これ」
トビがそう言うとミツは勢い良く頷いた。
「これで一緒に景色集めに行こう?」
「うん!」
トビとミツは手を繋ぐと自分たちのお気に入りの場所を順に回った。
蓮華の咲き誇る土手にはミツバチが集まり、踊っている。タンポポの咲き乱れる野原では、綿毛になったタンポポが風に揺られ、綿毛を飛ばしている。知り合いの家が植えているチューリップは気持ちよさそうに風に揺られている。
雑木林では鶯の鳴き声が響き、他の小鳥の歌声とともに二人も歌った。田んぼではオタマジャクシが元気よく泳いでいる。菜の花畑ではてんとう虫が一休みしている。
二人はそんな景色を数えきれないくらい、色んな角度から切り取った。
「今はまだ春だけど、季節が変わったらまた違う景色を切り取ろうね!」
トビがそう言うとミツは小指をだし「約束しよ?」と言った。トビは「もちろん」と返して小指を絡めた。