番外 花壇の守人
学業が優秀だから、と都の学園を薦められて受験したら受かってしまった。
今まで知らない人の中で生活する経験なんてなかったから、本当は領地から離れるのが嫌で嫌で仕方がなかったけれど、家族からすごく喜ばれてしまったから、それを裏切るのも嫌で、結局入学してしまった。
入学後、人とちゃんと話せるか怖くて、話しかけることができなかった。
だからずっと一人だった。
そんなある日のこと、寮のどこに何があるかわからなくて迷っていると、偶然、建物の裏にある日当たりの悪い花壇を見つけた。
その花壇には日当たりが悪いにもかかわらず、可憐で今まで見たことのない花が咲いていた。
草花を育てるのはもともと好きで、実家の庭で良く世話をしていた。でもこんな悪条件では育てたことがなかったから、とても驚いた。
こんな場所で、小さいけれどしっかりと咲いている花に、不思議と私は惹かれた。
迷子になったのも少しの間忘れて、しゃがんで花を見ていると突然横から、
「花、好きなの?」
と声をかけられた。
自分しかいないと思っていたから驚いて横を向くと、そこには自分よりもずっとしっかりしていてお姉さんに見える人が立っていた。
その人は、つばの大きい帽子をかぶっていて、日よけのためか布もついていたから、顔は良く見えなかった。きっと正面に立てば見えるだろうけど、横からだったのでしっかりとは分からなかったのだ。
「え、あ、ごめんなさい!」
久しぶりに話しかけられて思わず謝ってしまった。
年上に見えるから先輩だ。どうしよう。
私がおろおろしていると、
「別に謝ることなんてないでしょ?」
くすくすとその先輩は花壇の方を見たまま笑って、
「花、好きなの?」
ともう一度聞いてきた。
「は、はい」
「そっか、私もよ」
先輩は優しい声色で返してくれた。
「ここの花壇ね、日当たりが悪いでしょ?だから皆、こっちじゃなくて寮の表の花壇を使うの」
確かに表にも奇麗な花壇があった。けれど私はここの花壇の小さな花に魅力を感じていた。
「じゃあこの花は?」
「ふふふ、それは私が植えたんだ。素敵でしょ?」
私が聞くと、先輩はいたずらっぽく笑って言ってくれる。
だんだん緊張が解けてきて、この花のことを聞いてみたいと思った。
「はい。こんな日当たりの悪いところなのに……」
「それね、日陰でもすくすく育つ品種なの」
「そうなんですか?」
今でこそ色々と植物のことを勉強して、いろんな国に色々な植物があることを知っているけれど、当時はまだ全然だった。
先輩の言葉に驚いて、花を眺めていると、
「あなたもここで、花育ててみる?」
「えっ……、でも」
「私今、日陰に強い品種の球根を持ってるの。折角だからあげるわ」
彼女はどこからか小さな袋を取り出した。
「私、この品種、育てたことないですから、うまくできないかも……」
「いいじゃない、うまくできなくても。とりあえずやってみましょうよ」
「でも……」
「じゃあ私が最初にやるから。ね?そこに小さいスコップあるでしょ。ちょっと取ってくれる?」
私の近くに小さいスコップが置いてあった。手に取り、渡そうとすると、
「今持ったわね?そこの一画はまだ何も植えてないから。そこに植えなさい」
そう言って、スコップを受け取ってくれない。
しまいにはうじうじしている私に向かって、
「そういえば、あなた見た限り第1学年でしょ?私は第5学年だから、先輩命令よ」
と言ってきた。思ったよりも先輩だった。
「日向の方が育ちはいいかもしれないけれど、植物だってね、日陰でも意外と育つわ」
「じゃあなんでわざわざ日陰に」
私の疑問に先輩は再びいたずらっぽく笑う。
「こういうのも、案外悪くないと思わない?」
* * *
この出会いから、私と先輩は寮の裏の花壇で色々な花の世話をした。時には枯らしてしまうこともあった。ちなみに枯れたのは先輩が大体が世話をしている物だった。
先輩とは裏の花壇で数回しか会わなかったし、いつも帽子を被っていたから、結局顔をしっかり見たことはなかった。基本的に花壇の作業のため、手元に意識を集中させていたから、正面から顔を確認することもなかった。
先輩は作業中色々な話をした。授業でうっかり寝てしまったこと。学園の地下には秘密の通り道があること。弟・妹みたいに可愛がっている実家の領地の近くにする子たちに園芸を教えようとしたが、穴を掘りすぎて二人がその穴に落ちてしまったこと。この前都に行ったら、帰りの便に乗り遅れたせいで歩いて帰る羽目になったこと。目が覚めたら午後の授業が始まっていたこと。振り返ると失敗した話ばかりだった。
そんな先輩と接するようになって、私は自然とクラスメートと話すようになった。
ちょっと失礼かもしれないけれど、先輩の失敗談のおかげで、自分も失敗してもこんなふうに大丈夫なんじゃないかと前向きになれたのかもしれない。
こうして、1年近くが過ぎた。
* * *
「うーん、そろそろ私も卒業ねー」
あと何日かすれば卒業式のある日。久しぶりに裏の花壇で私は先輩と会った。このころになると、私はすっかり裏の花壇での世話に慣れ、色々と好き勝手に草花を育てるようになっていた。
結局先輩の顔も名前も私は知らない。だから、この人はここの学生ではないんじゃないかという疑いすら若干持っていた。
「先輩は、ご卒業されたらどうするんですか?」
先輩は自称第5学年だから、数日後には学園から去ってしまう。
そう考えるとなんだか寂しい。
私のそんな思いがあるとは知らずなのか、先輩はこう答えた。
「ふっふっふ……、私、留学するの!」
すごいでしょーっとサクサク花壇の土を掘り返していく。そこを掘ると近くの根を傷つけてしまうのだが、大丈夫なんだろうか。
「留学って……、どちらに?」
「なんと、あの『クシュタント』よ!」
先輩が言った国はここからとても遠いところにある場所だった。
褒めて褒めてと言っている先輩の横で、私は固まってしまった。
現実を強く感じてしまう。
「そんな……それじゃあもう簡単には会えなくなっちゃうじゃないですか。ここの花壇はどうするんですか」
私の消えるような呟きに、
「そもそも私が卒業する時点で、もうここの世話は私には出来ないわよ?」
「でも、そんな、先輩……。あ、先輩が植えたここの一画、まだ完全には育ってないですよ!どうするんですか?」
「それはどうしようもないわねぇ」
困った事態が起きても明るく笑っていた先輩が、初めて困ったような声になった。
思わず私は先輩の顔をまじまじと見ようとした。でもいつも通り、帽子と布に邪魔されてよく見ることはできない。
私が見ていることに気が付いたのだろうか。先輩は静かに話し始めた。
「……残念だけど、私はもうここに来ることはできないわ。だから、私はこの世話の続きを、他でもない、あなたにやってほしいの」
「そんな!先輩がいなきゃ、私……!」
先輩がいたから、私はこの学園に馴染むことができた。
先輩がいたから、花のことももっともっと好きになれた。
色々な想いがあふれてきて、視界が涙で滲む。声が震える。
「私がいなくてもあなたなら大丈夫よ。だって私なんかより、何倍も育てるのうまいじゃない。私が何度やってもうまく育てられなかった花だって、あなたはうまくやってくれたわ。この花はこんなに綺麗に咲けるんだって、私、初めて知ったもの」
「それは何回も言いましたけど、先輩が水を明らかにあげすぎていたからです……!」
「あ、そうだっけ」
「そうです……!」
こほん、と咳払いをした先輩は、
「実はね、ここの世話、4年前に私も先輩からこっそりと引き継いだの。その先輩も、さらに前の先輩も、裏の花壇をずっとずっーと、何代にも渡ってこっそりと引き継いできたんですって」
「何のために……?」
「それはいずれあなたも気がつくわ」
そして、先輩と私は初めて正面から向かい合った。帽子の下から瞳が見える。
「次は、他でもない、あなたにここを引き継いでほしいの」
彼女は被っていた帽子を取って、私の頭へと乗せた。
「それであなたも私と同じように、後輩にこの花壇のことを、ここで知ったことを、教えてあげて?」
その日を最後に、私は先輩と会うことはなかった。




