学生ニート、義務教育を考える
私、地方の大学なんで車がないと通学が困難なんですよ。でも大学の駐車場は狭くて抽選制で、免許がないと抽選に参加できないんですよ。次の抽選まで原付通学、もちろん冬の寒い時期でも原付通学、次第に通学が億劫になっていくんです。今でも思います。1年の頭から駐車場の使用許可が下りていたら、私の大学生活はどうなっていたのだろうって。
ここでちょっと視点を変えてみようと思う。『義務教育』が義務である理由についてどのようにお考えだろうか。それはもちろん「小学校六年間と中学校三年間の合計九年間、親やその他の保護者が子女に教育を受けさせる義務を負うこと」の『義務教育』ついてである。これは俺の解釈だがそれを語るうえで必要なのが『生存権』だ。日本国憲法の第25条第1項には「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と明記されている。そしてこの問いに対する俺の結論は、義務教育課程を修了すれば社会に出ても恥ずかしくないから義務なのだ。要するに中卒でも扶養から外れ定職について税金を納める能力があると憲法が証明しているのだ。(※但し持論上はである)極端すぎるかもしれないが、憲法が制定された戦後なら常識だったのかもしれない。インターネットの無い時代、復興のために人手が必要だった時代、そんな時代なら中卒が即戦力でも不思議はないだろう。だが現代でそんな考え通用するはずがない。そう思っているなら言わせてもらうが戦後に定められた義務教育の期間を50年間変えないなんて通用するはずがない。実際に十年一昔と言うようにその頃は当時の出来事でも、現代では教科書に載って学ぶべき出来事になっているのだ。偉人の人数も、新しい定理や公式も半世紀で十分に増えていく。それだけではない情報技術の革新により、社会はPCを用いた情報処理を個人に強いるようになった。そうなると中卒が戦力として見られる事はまずないだろう。それはつまり義務教育がその役割を果たしていないという事になる。(※但し持論上はである)大事な事なので二度言います。
どうすれば義務教育がその役割を果たせるか?9年間で学びきれない、つまり健康で文化的な最低限度の生活を送るための知識を得ることができないのなら、義務教育期間を延長するしかないだろう。一言で言うと高等学校課程までを義務教育化するのだ。ただそれだけだと足りないので指導要領を見直す必要があるだろう。例えば社会科はA科目のみ、理科は礎科目のみの内容にし、数Ⅲを廃止するのだ。その代わりにMOSの資格習得を卒業条件にするのだ。高校を義務教育化する資金はどこから来るのかだが、もし仮に就活生の大半が高校3年生になった場合、元々彼らの大学生活に回されるはずだった予算を高校の方に回すことができる。また教科書代や昼食代を各家庭が負担すれば費用を抑えることができる。これが俺の机上の空論と言う名の学校教育改革案だ。
創作物の中だからでかい顔して改革案なんて言ってるけど、実際はどうなんですかね?
お偉いさんで、日本の教育に危機感を抱いている方がいらしたらぜひ試算してみてください。
ユーザー外からも感想を書けるようにしておきました。