優しさの出会い
「――ちょ、ちょっと」
村からしばらく歩いてから、エルダが不満の声を上げた。
俺は何事かとエルダに振り返ると、彼女は自分の手を見下ろしていた。そこには俺の手もある。勢い余ってエルダの手を握ったまま、ここまで来てしまっていたようだ。
「あ、わ、悪い!」
俺が手を放すと、エルダは自分の手を胸元で抱くようにした。同時に胸元にあるペンダントが僅かに揺れた。
気持ち悪い、みたいな反応されたら傷つくんですが。まあ、俺が完全に悪いんだけど。
女の子の手を握った経験なんてないので、今さらながらに心臓の鼓動が早くなった。しかし体温はすでに高かった。村での出来事で少し興奮してしまったようだ。
俺は小さく息を吐き、自分の感情を諌める。簡単にはいかず、心臓が何度も胸を叩いていた。
「どうして?」
「な、何が?」
エルダの問いかけに、俺は何となくの予想はできていた。聞き返したのは、勘違いの可能性を考えてのことだった。こういう自分の卑怯なところは、あまり好きではない。
エルダは逡巡した後、おずおずと口を開いた。
「エルフのこと、田舎者だから知らないのかと思ったけど、村の人達の反応見たら何となくわかるでしょ」
それなのにどうして助けてくれたのか、そう言っている。
エルフは何らかの理由で迫害されているということは、もうわかっている。正直、多数派の意見に反発するのは勇気が必要だった。でもそこから目を逸らすようなことをしたくはなかった。だって――
「君は俺を助けてくれただろ。恩人を見捨てるようなことはしたくないからな」
はっとした顔のエルダだったが、また元も厳めしい顔つきに戻ってしまう。
「あんたはわかってないわ。そんな簡単なことじゃない。それにエルフに対して嫌悪を抱いているのは、あの村だけじゃないんだから」
「わかってないんだからそれでいいじゃないか。今後も同じかどうかは、正直わからないけど、今はそうなんだから。俺は君に感謝して、君の味方をしたいと思った。それだけだ」
俺の言葉を受けても、エルダは険しい表情を崩さない。しかし僅かに鋭い目つきが和らいだ気がした。やっぱり彼女は悪い人ではない。いやきっと善い人なんだと思う。そうでなければ俺を助けたりしないし、村人に対して憤っていたはずだ。
「……あんたどこから来たの? エルフを知らないなんて余程の僻地じゃないとあり得ない。むしろ知らないことに驚いたくらいだし」
仮面から得た知識を探ったが、的確な答えが浮かばない。
完全にエルダは訝しがっている。確かに怪しいかもしれない。いや、怪しさしかない。私服姿も浮いているし、言動もこの地の人間にしては違和感があるだろう。
幸い、村人の中には黒髪黒目の人もいたし、俺のような顔立ちの人間もいるようだった。そのため、容姿という点に関しては、目立つことはなさそうだった。
村人の多くは、俺の知っている西洋人というよりはハーフっぽい感じだった。
ただ俺はイシュヴァ―スの風土や民俗学、人種に関しての知識はない。結果、俺は口から出まかせを言うしかなかった。
「と、遠くだよ」
さすがに適当すぎる返答だった。これには俺も内心で苦笑するしかなかった。
「遠く? 具体的に……」
会話の途中でエルダは口をつぐんだ。
何事かと俺は疑問符を浮かべて、エルダを凝視したが、彼女は厳めしい顔つきのまま地面を睨み、何も言わずに歩を進めた。
「やっぱりいい。言わなくて」
俺に構わずさっさと先へ行ってしまった。
俺は慌ててエルダの隣に並んだ。
エルダはちらっと俺を見たが、何も言わずすたすたと歩み続け、俺もそれにならって無言で移動した。
エルダの反応は気になったが、俺は追及しなかった。本音を言えば、エルフのことやエルダのことをもっと詳しく聞きたかった。情報が欲しかった。でも聞けなかった。
きっとエルダは話したくないはずだ。言わなくてもいいということは、聞かないから聞くなということでもある。プライベートな部分はお互いに触れない、という暗黙の了解がそこに生まれたのだと俺は受け取った。
どこの国も、どこの世界も憎み、いがみ合ってばかりだ。多種多様な考えや生き方があればそれも仕方ないことだとは思うが、面倒臭い。
どうして相手を攻撃し、恨み、憎しむのか。完全な平和なんてありはしないことはわかっているのに、どうしても辟易としてしまう。
エルフが何をしたのか、どういう扱いなのかはわからないが、エルダは正しく村を守った。その事実から目を背け、迫害し、感謝を述べず、差別する。そんなことに何の意味があるんだろうか。
なぜエルフという種族ではなく、エルダという個人で見ることはできないのだろうか。
俺はエルダの横顔を覗き見た。整った顔立ちは酷く悲しそうに映った。しかし同時にその物悲しさが儚さを生み出し、不可思議な美しさを醸し出していた。
不謹慎だと思うけど、見惚れてしまう。
「で? いつまでついて来るつもり?」
「あ、ああ。いや、ごめん。実はこの辺りの地理は詳しくなくて。一人だし……」
「荷物もないものね。お金は?」
「な、ないです」
「はぁ……」
エルダのため息を受け、俺はびくっと震えた。
俺に甲斐性は皆無である。
お金ないです。無職です。何も持ってないです。
そんなことを言う男に対して超絶美人が蔑みの視線を送る。
特殊な性癖の人であれば、それはそれは嬉しい展開だろうが、残念ながら俺はノーマルである。ゆえに心が痛い。ぐさぐさ蔑視が突き刺さってくる。
「数日歩けばそれなりに大きな街、メントーに着くわ。あたしはそこに行くつもりだけど、一緒に来る?」
「い、いいのか? 一緒に行っても」
「別に。あたしの目的地だし、ついて来るなら好きにしたら」
突き放すような言動なのに、どこか優しさを感じた。いつまでついてくるつもりなのか聞いた後に、ついて来てもいいと手のひらを返す。これはどういう反応なのか。
あれか。
ツンデレか?
しかし、俺の知っているツンデレと違うぞ。だって「か、勘違いしないでよね! あんたのために言ってるんじゃないんだから!」とか「べ、別に親切にしてるつもりなんかないんだからね!」とかそういう反応をするもんじゃないのか。
それとも俺の感性が時代遅れなのだろうか。アニメを見たの子供の時くらいだしなぁ……。
そもそもここは現実で、ツンデレだからといってテンプレの言動をするわけがないんだが。
しかしエルダの心情がよくわからない。魔物から助けてくれたし、色々と教えてくれるし、見放すこともないし、優しい人だとは思うんだけど。滅茶苦茶高い壁を感じはする。
「じゃあ、頼むよ。正直、一人だとその辺で野垂れ死にそうだし。ありがとうエルダ。本当に助かる!」
本心である。もう二度と一人での野営も、森でのサバイバルも、突然魔物に襲われるのもごめんだ。
「……本当に変な奴」
小さく鼻で笑われた。しかし嘲笑というよりは、ただ可笑しかった、というような感じに見えた。少しは心を許してくれたんだろうか。
「さっさと行くわよ」
俺の希望的観測を無視して、エルダは歩く速度を上げる。
俺は彼女に駆け足で追いついた。異世界で頼れる人は誰もいない。情けないし、申し訳ないとも思うが、エルダについていくしかない。
「あんた、その仮面。そうやってずっと持っているつもり?」
「まあ、一応」
仮面をつければすぐに消えるんだが、そんな暇なかったしな。
エルダは足を止める。そして小さく嘆息すると鞄から紐を取り出し、正面を向いたまま俺に紐を差し出した。
「これで腰から下げられるでしょ」
「お、おお、ありがとう」
「……あんた、すぐに感謝するわね」
「何かして貰ったら感謝するのが普通だろ?」
紐を受け取りながら俺は答える。あまりに普通のことで、なぜそんなことを問うのかわからなかった。
「普通じゃないわよ」
変だとか普通じゃないとか、何とも失礼な女子である。俺は平々凡々、普通の高校生だというのに心外だ。
俺は紐をズボンのベルトと仮面の目部分に通してから結んだ。ちょっとぶらぶらするし、歩く度に足に当たるけど、まあいいだろう。どうせ後で消える。
エルダは仮面を下げる作業をちらちらと見ていたが、完了したと見ると、すぐに正面に向き直った。
もしかして案外世話焼きなのだろうか。
エルダは無言で歩き始めた。
俺も隣に並び、歩を進める。
無言だとかなり気まずい。かといってあまり突っ込んだ会話もできない。それに当たり障りないことを話しても、俺が異世界人だとバレるかもしれない。
いや、異世界人だと話してもいいのか?
もしかしたら俺のような別世界から来た人間が他にいるかもしれない。情報を手に入れられるのならば、思い切ってエルダに聞いた方がいいのでは。
……やめよう。エルダは俺のことを信用しているわけじゃない。
仮に出会ったばかりの人間が「俺、実は異世界から来たんだ!」と言い出したと考えてみよう。普通は頭おかしいんじゃね? って思うよね。そういうことなんだよ。
少なくとも彼女の信頼を得た後か、俺の安全が確保できてから話した方がいい。現状、エルダに見放されたら俺は本当に野垂れ死ぬと思う。それだけは避けなくては。
かといって無言のまま、無為に時間を費やすのももったいいない。せっかく、エルダという信用できそうな人と行動を共にしているのだから。というかエルフは人と呼んでいいのだろうか。こういうところ結構難しいラインだよな。下手すれば差別になりそうだし。
俺は最大限の知識と人生経験を用いて、会話の糸口を探した。
「ねぇ」
「は、ひゃい!?」
何を話そうか必死で考えていたから、エルダの声に驚いてしまう。何とも情けない声を出してしまうが、俺は誤魔化すように表情を取り繕った。
「なんだい?」
「今、かなり驚いてたわよね?」
「ううん。別に?」
余裕の表情を見せると、エルダは目を細めた。妙な威圧感があるが、負けてはいけない。
「まあいいわ。それより、街についたらどうするつもり? 手ぶらで武器もない。それに何か手に職がある……とは思えないけど」
じろじろと俺を観察するエルダ。
俺は冷や汗をかきつつ、視線を逸らした。
「ありませんねぇ」
「ないのね」
「ないです……ごめんなさい」
なぜか圧力を感じて、謝ってしまった。エルダに対してというより、社会に対して。生まれてきてごめんなさいと言わんばかりに謝罪した。
「別に謝る必要はないけれど。働く気があるのならいくらでも働き口はあるでしょう。メントーは王都に近い都市だから、人口も多いし、活気もあるから」
「へぇ。どういう都市なんだ?」
「そうね。湾岸都市だから貿易、交易が盛んね。他国との中継地にもなっているから、冒険者や商人、観光客が多いわね。もちろん住民も沢山いるけれど」
人が多い都市か。ちょっと楽しみな反面、若干気後れもする。インドア派だしな、俺。でもそんなこと言ってられないよな。メントーについたらバイトでもして、自分で金を稼がなければならないわけで。
はぁ、高校生にしてフリーターか。しかも異世界で。俺をここに連れてきた神。マジで覚えてろよ。許さんからな。お願いだから助けろ。
「エルダはメントーに住んでるのか?」
「いいえ。あたしは根無し草だから、別にどこかに住んでるわけじゃないわ。ただ、メントーか王都にいることが多いわね」
「王都か。メントーから近いんだっけ?」
「ええ。馬車で三日ってところね」
「み、三日……」
移動で三日もかかるなんて、海外旅行でも相当遠くでなければあり得ない。飛行機も車もない世界ではそれが当然なんだろうが、気が遠くなる。
「そ、そう言えば馬とかは使わないのか?」
「馬があれば移動は楽だけど、魔物が多い場所だとすぐに殺されたり、むしろ危険だからあたしは徒歩が多いわ。馬を目的に魔物が寄ってくることもあるしね。それでも馬を利用する旅人も少なくないけれど、魔物が少ない土地限定だったりするわね」
「じゃあ、遠距離の移動は? まさか全部徒歩なんてことはないよな」
「馬車が主ね。後は魔導車かしら。魔導車自体も高いし、燃料も必要だから、王族や一部の貴族や商人くらいしか持ってないけれど」
「魔道車ってなんだ?」
「魔力で動く乗り物よ。馬並の速度を維持できる荷車だって聞いたわ。あたしも見たことはないけれどね」
魔力。なるほど、魔力ね。
ちょっとテンションあがってきたんだけど?
「ま、魔力があるってことは、魔法的な何かがあるってことか?」
「……もちろんあるけれど。まさかそれも知らないの?」
「うん!」
俺は開き直った。もう誤魔化しても意味はないとの判断だった。恐らくエルダは俺のことを【僻地からやってきた無知な田舎者】という風に思っているに違いない。だったらその勘違いを体現すればいいだけだ。
あまりに清々しい頷きに、エルダはこれみよがしにため息を漏らす。
「本当にどんな田舎に住んでいたのよ……よほど、閉鎖的な場所だったのね。まあいいわ。魔法についてね。魔法は魔力を消費して扱う力のこと。あたしの矢もその魔法を込めた魔道具よ」
「魔物を凍らせたあれか」
「ええ。あれは氷結を込めた魔道具。他にも色々とあるけれどね」
「魔法は魔道具以外にも用途があるのか?」
「もちろん。魔法自体を直接使うこともできるし、道具に込めることもできる。魔法には色々あるけれど、使える人間は極一部。大半は、あたしみたいに魔法を込めたものを使う。まあまあ高いけれど」
どうやら魔法を使えるのは選ばれた存在だけらしい。俺はどうなんだろうか。使えたりしないのか。魔法を。手から火を出したりとか、雷を落としたりとか。
「……ち、ちなみに俺が使えたりは?」
「さあ。どうかしら……魔法士だったら魔力を持っているかどうかわかるけれど、あたしは魔力を持っていないから。でも多分、ないんじゃないかしら。魔力は生まれ持ったもので、自覚があるらしいから」
俺はがっくりと肩を落とした。俺に魔力があるかどうか聞いている時点で、俺にはその素質がないみたいだ。
「そ、そうか」
「何事も例外はあるわ。あたしの素人意見よりも本職に聞いた方が確実でしょう。メントーで魔法士に聞いてみるといいわ」
「……もしかして慰めてくれてる?」
「客観的事実を言っただけよ」
言葉には説得力があったが、彼女は俺から目を逸らして明後日の方向を見ていた。表情は変わらないが、ちょっとだけ困惑しているようにも見えた。
俺が落ち込んだ姿を見て、気を遣ってくれたのかもしれない。
俺は思わず口角を上げた。俺の顔を見たエルダは不快そうにして、早足で先に行ってしまう。どうやら気分を害してしまったようだ。
「ま、待ってくれよ」
ちょっと調子に乗りすぎてしまったようだ。しかし、ほんの少しだけエルダとの時間が楽しくなってきた気がした。
異世界でエルダに出会えたのは幸運だったのかもしれない。そんなことを思いつつ、俺はエルダの背中を追った。