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目覚め


 真夜中に何かの気配。人間じゃない。人間のはずがない。

 一気に心臓がうるさく叫び始める。恐怖の感情が一気に俺を支配し、俺の四肢は微かに動かすことさえできなくなる。

 俺は音の方向を凝視した。それ以外の動作をしないように、呼吸さえ浅いままだった。

 そこにいたのは異形。

 四足の何か。

 大人数人分の巨躯。

 全身紅い毛に覆われた、見たことがない猛獣。

 見目は狐か狼か、しかし刃のようにそびえ立つ二双の角がそれを否定する。

 それは地球には存在しない生き物。

 それがそこにいた。

 化け物は俺に気づくと、ギロリと睨み、そして舌なめずりをした。

 赤々とした口腔には不揃いの牙がずらりと並んでいる。あんなもので噛まれたら、一瞬で殺されるだろう。


「な、あ、あ……」


 俺は恐怖のあまり、ガチガチと歯を鳴らした。後ずさりして逃げようとするが、恐れのあまり、身体がまともに動かない。

 そもそも視界が暗すぎて逃げようがなかった。


「ギャアアアアアアアア!」


 甲高い悲鳴のような咆哮が発せられる。

 なんだ、なんなんだあれは。あの化け物は。

 圧倒的な威圧を前に、俺はその場にへたり込んだ。それは最悪な対応だったが、むしろ最善でもあった。

 相手は化け物。しかも夜を跋扈している。つまり夜目が利くということだ。俺が逃げても一瞬で追いつかれることは明白だった。

 ならばせめて動かず、刺激を与えない方がいい。しかしこれはただの現状維持を目的とした下策。どっちに転んでも最終的には殺される。

 俺は死ぬんだ!

 殺されるんだ!

 どうする、どうすればいい。

 一つの感情と一つの思考が同時に脳内を駆け巡る。

 妙に頭が冴えて、自分自身が他人のように思えてくる。

 焚火の火はすでに消えんばかりに弱まっている。頼りなく、火としての効果はもうすぐなくなる。

 怪物は火自体を怖がっているようには見えない。

 徐々に俺との距離を詰めてきた。

 すぐそこに奴はいる。

 一跳びで、奴は俺に届く。

 と。


「ギャアアアアアアアア!」


 咆哮と共に、化け物が地を蹴った。

 瞬きさえ許さない間隔。

 ほんの一瞬で眼前に怪物の顔があった。

 牙。

 すでに口腔は開かれている。

 無理。回避できない。

 死ぬのか?

 こんなところで、意味も分からず。

 俺は魔物に殺されるのか?

 死? なんで?

 俺は何もしてない。

 何も為していない。

 なのに、死ぬのか?

 そんなの……そんなのイヤだ!

 殺されてたまるか!

 こんなところで!


「死んでたまるかぁあぁあぁーーーーーッッッ!」


 悲鳴にも似た叫びと共に、俺は仮面を装着した。

 その意味も分からず、本能に従った。仮面が俺の顔に吸い付く。

 同時に魔物の牙が俺の頭部に迫る。避けられない。

 死ぬ!

 ガギギィッ!

 耳をつんざくような金属音が響くと同時に、俺の身体には強い衝撃が走る。


「ギィィッ!?」


 驚きの声を上げたのは魔物の方だった。

 奴の牙は『俺の兜』に阻まれていた。

 兜の如き仮面は、装着すると後頭部まで硬質の外殻を伸ばし、頭全面を覆う兜となっていた。

 仮面の根元から金属が下へと滑る。まるで生き物のように金属の外殻は俺の身体の表面を覆っていく。

 首、胸、腹、腕、足のすべてを赤黒い金属が防護する。

 これは鎧だ。仮面から生まれた鎧だ。

 いつの間にか腰には一振りの長剣が下げられていた。

 鎧だけでなく、剣でさえも仮面から生まれたのか。

 かなりの重量があるはずなのに、重みをあまり感じなかった。身体中に漲る力の奔流。全身の筋肉が隆起し、ドクンドクンと脈打った。

 俺の身体とは思えない。いや、恐らくは『俺の身体ではない』のだ。

 これは名もなき戦士の力。仮面に込められた剣士の能力。それが俺に注ぎ込まれている。


 そうこれは『剣士の仮面』だ。


 知識の仮面と違い、俺の中に吸収されず、仮面は兜となり、鎧と剣を成す。それが剣士の仮面。知らなかった。でも今は知っている。仮面を装着したと同時に、知識の波が俺の頭に流れ込んできた。

 これは知識の仮面の力。知識はすでに知っていたものだけじゃない。何かを切っ掛けに得る知識もあるということ。それも今知った。

 俺は剣を抜く。戦い方は知っている。この仮面が、この身体が。

 異常な状況を自我が邪魔をする。しかしそれを俺は許さない。


 【今の俺は熟練の剣士なのだと思い込んだ】


 息吹をし、正面に剣を構えると、魔物は戸惑いおののいた。しかし威嚇のために喉を鳴らし続け、一定の距離を保っている。

 俺は油断なく魔物の動向を注視する。

 瞬間、魔物が動いた。

 地を蹴る魔物。

 同時に俺も一歩前へ踏み出す。

 交差する二つの影。

 一閃。

 通り過ぎた魔物は後方に。

 俺は肩越しに振り返り、剣を一振り。血糊が地面に飛び散ると共に、魔物は地面に倒れ込んだ。奴の胸部から腹部にかけて深い裂傷が走っている。

 たった一撃。だが確実な一手は魔物にとっての致命傷となった。


「倒した……のか……?」


 自分の力に驚く。いやこれは俺の力というよりは仮面の力。それを扱っているのが俺なのだから、俺の力でいいのかもしれないけど。

 とにかく戦士の仮面の力によって、俺は剣技を習得した。正しくは『仮面を着けている間は剣技を使える』だけなんだが。

 それでも戦いの手段を手に入れたということは間違いなかった。

 知識は記憶に刻まれ、現実が実感を与えてくれた。

 俺は仮面の力を使って強くなれるのだと。あるいはこれはセトの言っていた通り、俺は仮面の役を演じているのだろうか。剣士としての役を。

 不意に込み上げる言いようのない情動。ふつふつと迸る童心に近い欲望。それは強さへの憧れ。強さを手に入れて何をするかは重要ではない。ただ強くなれる。その事実が、俺の高揚を促した。

 誰だって男なら強さに憧れるはずだ。ヒーローに、英雄になりたいと、そう思ったことは一度くらいあるんじゃないか。そこまでいかなくとも、崇められたい、称賛されたい、ただ褒められたい。それらは根源的な自己顕示欲と強い向上心から生まれる感情。

 俺は目立ちたいとは思わない。でも強い自分に憧憬を抱く。強くなれば自分のできることはきっと広がるはずだ。


「ギャ……グゥ……」

 魔物はまだ生きていたようで、痙攣しながら立ちあがった。そのまま俺から逃げようと、森へと進み始める。

 魔物を生かしておけば、被害が広がるかもしれない。殺すべきだ。

 そう思い剣を振り上げた。しかし、同時に奇妙な感情が浮かんだ。

 大型の生物を殺すことに抵抗が一切ないのはなぜだ?

 そう思うと同時に、全身が総毛だった。まるで自分ではない感覚。身体も意思も俺のものだ。だが、仮面を被っている俺は、確かに【いつも】の俺じゃない。

 こんなに好戦的じゃない。小動物を殺すことさえ抵抗があるのに、目の前の魔物を殺すことに、迷いが一切ないことが異常だった。

 だがその俺は本当の俺なのか。普段の俺は【一般的で善良な高校生ならばこうあるべきという自分を演じていた】のではないか。

 仮面のせいなのか。これは呪いなのか。

 仮面に憑りつかれているんじゃないのか。

 そんな疑念が鎌首をもたげた時、仮面が勝手に動き出す。剣は鎧に吸い込まれ、鎧は足元から徐々に仮面へ戻っていく。短時間で鎧は兜に戻り、そして仮面へと変貌する。

 仮面は俺の顔に吸い込まれていった。知識の仮面と同じ現象だった。


「ぐっ!」


 俺は急な脱力により、地面に膝をついた。

 異常な疲労。異常な虚脱感。異常な筋肉の負荷。それが一気に押し寄せる。

 まさか仮面を使ったことの反動なのか。仮面をつけていた時間は一分にも満たない。それなのにこれほどの影響があるのか。

 恐らくは戦士の力に俺自身が耐え切れなかったのだろう。いくら仮面の力で技術や経験があろうと、実際に動くのは俺の身体だ。鍛えてもいないただの高校生の肉体では耐え切れなかったらしい。

 全身が筋肉痛だ。我慢できずにそのまま地面に倒れる。

 魔物は俺の様子に気づくと、そのまま足を引きずりながら森へと逃げていった。

 手ずから殺すべきだと思った。でも今は、少しほっとしている。どうしようもなかった。とどめを刺す余裕がなかったと自分に言い訳している。しかし、これはきっと俺の本音だった。

 恐らくはすぐにあの魔物は死ぬだろう。それでも、俺は確実に殺すべきだったのかもしれない。俺のような被害者を出さないためにも。


「……無理だろ」


 いきなり異世界に連れてこられ、妙な力に目覚めて、魔物に殺されかけて、色々なことが起きている中で、生物を殺す覚悟なんて決められはしない。

 俺にはそんな度量も器もない。俺はただの一般人なのだから。

 数分寝転がっていると、少しだけ体力が回復し、痛みも僅かに引いた。

 俺は気力を振り絞り、消え入りそうな火に薪を入れた。

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