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泣くなよ

 食事後、俺達は街を歩き回った。

 アクセサリーを見たり、甘味を食べ歩いたり、装備品を確かめたり、色々な話をした。すべては他愛無い会話だったと思う。深い話は一切していない。

 今日は涼しいとか、街中を歩く犬が可愛いとか、アクセサリーが似合うとか。普通の若い男女が話すような、そんな話だ。

 会話の中身はあまりなかったと思う。でもそんな時間がとても楽しかった。意味なんてなくてもいい。お互いに同じことを考えて、同じことをして、同じように時間を共有すればそれでよかった。

 楽しかった。多分、生まれてきて上位に入るくらい。もしかしたら一位なんじゃないかと思うくらいに。

 そして気づくと夕方になった。

 俺達は店を出て、通りに出たところだった。すでに空は赤色に染まっていた。


「もうこんな時間!?」

「本当だ。いつの間にこんなに時間が経ってたんだ?」

「ね。びっくりしちゃったわ。まだ時間があると思ってたんだけど。楽しいとすぐに時間が過ぎちゃうわね」

「だな。すごく楽しかった」

「あたし、こんなに楽しかったの生まれて初めてかも」

「俺も。人生で一番楽しかったと思う」

「そっか。ふふっ、おんなじね」


 夕日を背景にして綺麗に笑うエルダ。彼女を見て、俺は心臓を掴まれたような感覚に陥った。あまりに美しく絵になっていたから、俺はただ見惚れた。

 出会った時は仏頂面で表情を変えず、明らかに距離があった。でも今は、素直に感情を見せてくれている。心を開いてくれている。それが自分でも驚くほどに嬉しかった。幸せだと言ってもいい。


「ねえ、ま、また……一緒に、その」


 恥じらいを隠しもせず、エルダは言い淀んでいた。

 わかっている。彼女が何を言いたいのかは。だって俺も同じ気持ちだったから。


「ああ。また一緒に食事をしたり、どこかで遊ぼうか。街だけじゃなくてもいい。外に出てもいいしな」

「え、ええ、そうね! お外でピクニックもいいかもしれないわ! そうなったら、あたしがお弁当を作ってもいいわよ?」

「エルダって料理できるのか?」

「できない!」

「できないのかよ!」

「けど、頑張る! ゲンジのためなら……えと、が、頑張れるから」


 はにかむエルダを見て、俺は走り回りたいような、叫びたいような衝動に駆られた。

 正直に言おう。可愛すぎる。

 抱きしめたいという衝動を抑えるのがやっとだった。

 天然なんだろうが、こんな狙ったような反応をされたら理性を失いそうだった。

 もう自覚している。俺はエルダが好きなんだ、と。

 そして恐らくエルダも俺のことを好いてくれていると思う。

 だったらもう想いを打ちあけてもいいんじゃないだろうか。

 何も問題ないじゃないか。

 この愛らしくも美しい、寂しがり屋で頑張り屋で健気な女の子を俺は好きなのだから。

 正直、怖くもあった。

 もしも断られたらどうしよう。

 もしも今の関係が崩れたらどうしよう。

 そんな思いがちらついた。でも、ここで臆しては男が廃る。迷うべきじゃない。本当に好きなら俺の方から告白すべきだ。


「あ、あのさ」


 俺の神妙な顔を見てか、エルダは激しく動揺したようだった。

 そういった空気感みたいなものを感じ取ったのだろうか。


「な、何……?」


 俺の緊張がエルダに伝わったようで、彼女の顔は強張っていた。

 俺は覚悟を決めた。

 告白しようと、口を開いた。


『やめた方がいいかしら』


 声が頭に響いた。

 それはユピィの声だった。

 なんでこんな大事な時に邪魔をするんだ。

 俺は戸惑いと苛立ちを覚えて、空に浮かんでいた妖精を睨んだ。


『ご主人の望みを叶えるなら、今は、その娘は邪魔になるかしら。交際すればどうしても恋人を優先して時間を割くもの。エルフじゃなく、その娘を優先し始めたら、その内にこう思うかしら。エルダだけを俺が守ればいいって。ご主人はきっと世界を変えることを諦めて、家族だけを守ることを優先するかしら。それはとても素晴らしいことだけど、世界は変わらないかしら。ご主人はそれでいいかしら?』


 俺が抱いていた負の感情をユピィの言葉が打ち砕いた。

 正直に言えば納得いかない部分もあった。そんなのどうとでもなるとさえ思った。それよりもエルダを恋人にしたい、エルダと一緒の時間をもっと作りたい、そんな欲求が強かった。

 けれど冷静な俺が思考を止めさせない。

 ユピィの言っていることは間違っていないということに気づかされてしまう。


 もしもエルダと付き合えば、俺は何よりもエルダを優先するだろう。良くも悪くも俺は彼女に依存するだろうし、エルダもそうかもしれない。誰かが大事な存在になるということは、人生において大きな転機になる。俺の今の考えも変えてしまうほどに。

 もしもそうなったら、エルフが虐げられている世界は変わらない。俺以外の誰かがこの腐った世界を変えることを祈ることしかできない。

 そうなれば俺とエルダは幸せになれるんだろうか。エルフを取りまく環境は変わらない。仮に子供が出来たら……人間とエルフの子供はどういう扱いを受けるのか。

 考えすぎだ。そこまで未来のことを考える必要はないと、十代の俺が言う。だが覚悟を決めた俺が否定する。そうじゃない。そこまで考えても足りない。俺が成そうとしていることを明確に理解しているならば、もっと深い部分まで考えるべきだ。

 エルダは戸惑った表情で俺を見ていた。俺が何も言わないから不安になったのだろう。


『……ご主人。特別な存在ができるということは、その相手を巻き込むということでもあるかしら。彼女はすべてを理解して、ご主人と共に歩む覚悟があるかしら? ご主人には彼女を犠牲にしても自分の望みを叶える覚悟があるかしら? どちらもないなら、やめておいた方がいいかしら。少なくとも今は』


 ユピィの声はいつも以上に率直で淀みなかった。いつものどこか茶化したような親しみはなく、冷たく現実を突き付けてきた。

 俺にはエルダを巻き込む覚悟がない。

 そしてすべてを話すという勇気もなかった。

 俺の現実は、エルダにとってはあまりに非現実的だ。表面上は納得して理解してくれても、それが真実だと本当の意味で理解してくれるかと言えば、それは別問題だろう。無理解は軋轢を生み、両者の間に溝を作る。

 それに巻き込めばエルダの身に危険が及ぶ。以前、冒険者に襲われた比じゃない。いつも生命の危機にさらされるほどの環境に身を置くことになる。


 俺はエルダが好きだ。


 でも……ずっと一緒にいられない。


 今はまだ。一緒に居続けられはしない。


「……悪い。何でもない」

「え?」


 エルダはわかりやすいほどに落胆し、目を見開いて俺を見つめていた。縋るような感情が俺に突き刺さる。

 どうしてと問いかけてくる視線から逃れるように、俺は顔を背けた。

 エルダはそんな俺を見て、少しだけ引きつった笑みを浮かべた。自嘲気味なその笑顔を、俺は見続けることはできなかった。彼女が今、何を思っているのか俺にはわからない。


「そ、それじゃ今日は帰りましょうか」

「……ああ、じゃあ、宿まで送るよ」

「ううん、大丈夫。一人で帰れるから」

「そうか。じゃあここで」

「ええ。じゃあ、また」


 エルダの別れ際の笑みはどこか寂しげにも見えた。

 手を振ると、俺はエルダの後ろ姿を見送る。

 これで本当によかったんだろうか。


『これでよかったと思うかしら。今は、そう思えなくても』


 いつの間にか俺の肩に座っていたユピィを見下ろす。

 本音を言えば邪魔されたという思いもあった。しかし彼女の言うことは正しいとも思えた。そんな複雑な感情のままユピィに視線を移した。文句の一つでも言ってやろう、そう考えたのかもしれない。

 しかし俺は何も言えなかった。なぜならユピィの顔はわかりやすいほどに罪悪感で染まっていたから。

 今にも泣きそうなほどに顔を歪めているユピィを目にして、俺は何も言えなくなってしまった。


「……泣くなよ」

『……泣いて、ないかしら』


 強がりながら手で顔を隠す相棒は、肩を小さく震わせていた。

 俺はユピィの頭を指で優しく撫でた。あまりに儚いその姿に俺は胸を締め付けられ、そしてエルダのことを思い、更に心を痛めた。

 甘い考えを抱いていた。

 俺は、為すべきことを真剣に考えなければならない。

 そうして、決意を新たにした。


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