死線の視線
俺達は目的のレストランに到着した。
そこは肉肉亭とは違った雰囲気の店だった。
メントーにある店は大抵が簡素な木造建築で見栄えをあまり気にしていない。しかしその店はお洒落なインテリアや内装に拘っていて、客層も若い。若者同士のグループもあるが、恋人同士の客が多いようだった。
店員に席へと案内されて、俺達は向かい合って座った。
「な、なんかすごいわね。こんなお店あったんだ」
「最近オープンしたらしい。かなり人気の店なんだけど、客を制限してないんだ」
つまりエルフも入れるということだ。肉肉亭と一緒だな。最近は、こういったエルフを受け入れる店も増えているらしい。いい傾向だが、世間の考えがすぐに変わるわけではないことは理解しておく必要がある。
エルフは一部だけで、大半は人間だった。中にはエルフに対して怪訝そうにしている人間もいる。こういった店のシステムや理念を把握している客というのは案外少ない。残念ながら大半の客は理解力に欠けているものだ。
周囲の視線を奪っているエルダ。エルフだという理由以外でも衆目を集めているわけだが、俺は微妙な心境だった。自分の連れが魅力的だと思っても、他人からの羨望の視線を嬉しいとは思わない。
誰かに自慢したいわけでもないし、優越感に浸りたくもない。そんなちっぽけなプライドを持っても意味はないと思っているからだ。
「うーん……どれにしようかな、これもおいしそうだし、むむぅ」
メニューを真剣に見て、可愛らしく唸るエルダを眺める。思わず笑みを浮かべていたことに気づき、慌てて表情を取り繕った。
いかんいかん、気持ち悪い奴だと思われてしまうぞ。
俺もメニューに目を通しておく。店員を呼んで注文をすると、ちょっとした気まずさが漂った。向き合っていると余計に、良くも悪くも居心地が悪い。
今までこんな感じじゃなかったのにな。二人で食事をするのも初めてじゃない。なのに、いつもと違う。多分、意識しすぎているんだろう。お互いに。
「そ、そう言えば、前にペンダント、取り返してくれた人の話をしたじゃない?」
「あ、ああ。フェイサ―って名乗ってる人だっけ? それがどうかしたのか?」
「さっきゲンジが話してた殺人事件に、その人が関わってるんじゃないかって噂があって……被害者のエルフがそういった人に助けられたって証言してるって。人間かエルフか、それとも別の種族なのかはわからなかったみたいだけど」
まあ、そうだろうな。あれだけのことがあったんだ、誰にも話さずにはいられないだろうし、事件として取り扱われたら、俺のことを話さないはずもない。
ある意味ではいい傾向だ。人間側も捜査を始めた、ということでもあるわけだし。
なんてことは言わずに、俺は初めて聞いたとばかりに感心したように答えた。
「そうなのか。どういう立場の人なんだろうな」
「わからないわ。エルフの味方をしてるって考えている人間やエルフもいるみたいだけど……でも、だからってどうしてあたしのペンダントを取り返してくれたのかしら……あっ、そ、その……」
なぜかちょっと気まずそうにしている。もじもじして俺の顔色を窺っていた。
その行動の意味がわからず、俺は首を傾げた。
「え、と……ごめんなさい」
「ん? どうして謝るんだ?」
「……わ、わからないけど、なんだか悪い気がして。ち、違うから! そ、その、ただお礼を言いたいだけっていうか、別にそれだけで、た、他意はないというか……」
早口で言い連ねて、しどろもどろになっているエルダを見て、俺はさらに疑問を抱く。どうしてそんなに慌てているのだろうか。
「と、とにかく! やっぱり恩人だから、ありがとうって言いたいってだけ! いい!?」
テーブルから身を乗り出して俺を威圧してきた。なぜそんなに必死になるのかよくわからないが、かなり感情的になっているようだった。
「あ、ああ。わかったわかった。そんなに言わなくてもわかってるって」
「そ、そう? だったらいいけど……勘違いされたら、イヤだから……」
「勘違いって?」
「な、なんでもない! 気にしないで!」
わからん。
俺が何を勘違いするのか。
まったくもってわからん。
わからないが、追求したら藪蛇をつついてしまいそうで、俺は何も言えなかった。
「う、ううっ、何言ってんのよ、あたしぃ……」
微妙な空気が漂うと、なぜかエルダが目をグルグルと回していた。大丈夫だろうか。いつもの彼女と違って、今日は冷静さが皆無だ。俺もだけど。
「お待たせいたしましたぁ!」
元気のいいウエイトレスが、料理をテーブルに並べる。
ふんわりと香しいニオイが鼻腔をくすぐる。そう言えば腹が減っていたことを思い出す。
「食べるか」
「え、ええ、そうね」
お互いに料理に舌鼓を打つ。香草を扱っている料理が多いらしく、独特な香りがしているが、俺にとっては好ましかった。それはエルダも一緒のようで美味しそうに魚料理を咀嚼している。
香草か。そう言えば、普段はあまり使ってなかったな。今度試してみるか。
「おい、見ろよ。あのエルフ……」
遠くで聞こえた声を、俺の耳は聞き逃さなかった。
またエルフに絡んでくる連中だろうか。どこにでもいるな。
俺はちらっと声の方を一瞥する。そこには三人の男連中がエルダを見ていた。
「……上物のエルフだなぁ」
「一緒にいる男は冴えねぇな。おい、男は無視して声かけてみろよ」
「へへっ、そりゃいい、たまにはエルフの女も悪くないよなぁ?」
「ああ、知ってるか? エルフの女ってのは人間の男にちやほやされ慣れてないから、落としやすいんだよ。ちょっと優しくしてやれば、コロッと落ちるもんさ」
なるほどそっち系のクズか。クズはクズでも下半身で生きているクズ。
どいつもこいつもエルフを何だと思っているのか。どうしてそうまで見下して、物のように扱うことができるのか。
エルダは食事に夢中で気づいていないようだった。よかった。あんな連中のせいで嫌な気分になって欲しくはない。
男達は席を立った。俺の斜め前からこちらへと歩いて来ている。
本当に、この場で声をかけてくるらしい。どれほど自分達に自信があるのか。空気が読めなさすぎて、気味の悪さを感じるくらいだった。
あんな連中、エルダに声をかけるどころか、近づくことさえ許せない。
「あ? なんだぁ、あいつ」
一人の男が苛立った口調で俺を睨んでいた。
俺が奴らに視線を向けたからだろう。これみよがしに睥睨したから、気づかないわけもない。
男達は明らかな侮りと怒りを俺に向けていた。
「俺達に喧嘩、売って――」
一人の男が俺に向かって叫ぼうとした。
だが。
男の表情が徐々に変化していく。
顔は青ざめ、頬は小刻みに震えた。
まるで錆びついた機械人形のように、所作はぎこちなく不安定になっていった。男は額から汗を流し、わなわなと震え、俺から後ずさりする。
殺す。
もしも近づけば、今ここで貴様の身体をズタズタに引き裂く。
殺す。
その顔面の形を変えるほどに何度も殴打して、泣いても謝っても失禁しても、死ぬまで殴りつける。
殺す。
近づけば殺す。
関われば殺す。
それ以上、俺の視界に入り続ければ殺す。
エルダに何かしたら苦痛を与えて殺す。
睨むというレベルの話ではなかった。俺のすべての憤怒と憎悪の感情を込め、男に向けて放った。よほど平和ボケした連中でもわかるほどの威嚇だった。
俺の殺気を僅かにでも感じ取った一人の男は、今にもその場に倒れ込みそうなほどに萎縮し始めた。
知能がないクズでも、最低限の危険察知能力はあったようだ。
もちろん俺がわかりやすくしてやったんだが。
「お、おい、どうしたんだよ」
左右の友人らしき二人の男は現状に気づいていない。ただ震える友人の異常な様子を見て、困惑しているだけだった。
「か、帰るぞ……」
「は? いや、声を」
「い、いいから! か、帰るぞ!」
恐怖に駆られて逃げるように店を後にした男を、友人二人は戸惑いながら追っていった。
「はむはむ、ん? なんだかちょっと騒がしいような?」
「いや、何もないみたいだぞ」
「そう? 気のせいかしら。それにしてもこのお料理おいしいわね!」
「ああ。絶品だな」
俺は何事もなかったように笑顔を浮かべた。
食事を挟んだことでお互いの緊張は緩和したようだった。
俺は魚を口に運ぶ。濃厚な油とほのかな香草のニオイが上手く合わさって、美味だった。