初デート
俺はメントー中央区画にある公園に来ていた。
カップルや家族連れが多い中、俺は一人で噴水前にいた。
身なりを整えながら待ち続けた。我ながら早過ぎたと思うが気が逸ってしまったのだからしょうがない。昨日はあまり眠れなかったしな……。
今日は快晴だ。人通りもいつもと同じ、多くも少なくもない。
俺がいるノラ国では休日は明確に設定されていない。そのため職業や働く場所によって休日が様々で決まった日に人が多いということはない。
ただ祝日は何日かあるらしい。俺がメントーに来て、まだ祝日を過ごした経験はないけど。
「ふぅ……なんでこんなに緊張してるんだ、俺は」
妙に心臓が高鳴っている。こんな心境になったのは生まれて初めてかもしれない。
楽しみなのに怖いような感じで、浮き足立っている。
俺は噴水を覗きこんだ。そこには冴えない顔の男が立っている。
普段よりも少しだけ気合いを入れた私服姿だ。小奇麗な様相ではあると思う。
『あらあら、何度自分の姿を確認するのかしら? そんなに自分の顔が好きなの?』
「うるさいな。マナーだよマナー」
『ふんっ、おめかししても変わらないかしら! ご主人は貧相なままかしら!』
何が不満なのか、ユピィはむすっとして顔を背けた。
朝からこの調子だ。何を言っても同じ調子なので、ちょっと辟易としている。こういう時、無理に機嫌を取ろうとしても無駄だろう。
『ご主人なんか、勝手にすればいいんだわ!』
ユピィはぺしぺしと俺の頬を叩くと、ぷくっと頬を膨らませてどこかへ行ってしまった。
嫉妬しているんだろうか。しかしユピィは事情を知っているはず。それなのにあんな反応をするとは意外だった。
理屈じゃないのかもしれないけど。わかんないな。
俺は嘆息して、顔を上げると姿勢を正す。
と、視界に誰かが入ってきた。
遠くにいるその相手。ギリギリ視認できるほどの距離なのに、誰なのかすぐにわかった。
呆然と見つめていると、いつの間にか彼女は眼前に立っていた。
「お、お待たせ」
照れながら上目遣いをしてくる相手は、エルダだった。
いつもと違う。態度も服装も。
普段は軽装ながら明らかに冒険者然としていて、無骨な装備をしている。動きやすさを重視した軽鎧と弓、矢筒、鞄。それに髪は後ろで括っていた。
しかし今日は違う。美しい金の髪は下ろしていて、微風になびき、キラキラと光っていた。慎ましいレースが施されたワンピースからは、絹のような美麗な四肢が覗いている。うっすらと化粧もしているらしく、愛らしさと美しさが共存していた。
俺は見惚れて、言葉を失う。
うるさかった鼓動が更にうるさくなり、自分の感情が混濁する。
「……可愛い」
「え? あ、あ、あの……そ、その……」
思わず口にした本音だった。あまりに無意識だったため、俺は言ってから口を手で抑えた。
エルダはほんのり朱色に染めた顔を、更に赤くして俯いてしまう。白く長い耳も同様に紅潮し、彼女の感情をあからさまに誇張した。
お互いに俯き、恥の感情を抑制しようとする。けれどそんなことはできず、ただただ時間だけが過ぎ去っていった。
このままでいるわけにはいかない。俺は意を決して顔を上げたが、丁度エルダも同時に顔を上げたようで、視線が絡み合ってしまう。
たった一秒。それでもその時間は異常に長く、心地よく、恥ずかしく感じて、また二人とも俯いてしまう。俺達、いつもこんなことをしている気がする。
なんでこんなに照れくさいんだ?
そう言えば女の子とデートするなんて初めての経験だ。
これがデートなのかどうかはわからないが。というか多分、友達と遊ぶくらいのことなんだろうけどさ。でも異性と二人きりってのはやっぱり別物だ。
とにかくここに居続けるのはもったいない。
俺は瞬時に顔を上げると言った。
「い、行こうか」
「……う、うん」
端的に言うと、どちらともなく移動を始めた。
最初は俺が先頭になっていた。
しかしエルダは早足で俺の隣に並ぶと視線を落としながら歩いた。
隣り合って一緒にどこかへ行く。それが気恥ずかしくて、同時に嬉しかった。
俺は思わず笑みを浮かべ、エルダが俺を見て、照れ笑いを浮かべる。そんな時間に幸福を感じて、俺達は言葉を交わすことなく通りを歩いた。
周りには恋人や家族、冒険者や商人、様々な人達が行き交っている。三々五々の集団の中、俺達はほんの少し目立っていた。
それはエルダがエルフだから、という理由もあっただろう。エルダを見る、街の人の多くの視線は蔑みのそれだった。
しかしそれだけではない。見とれている人もいた。それはエルフだからではなく、エルダという少女の美しさを認めてしまったということでもあった。
それだけエルダは綺麗だった。美人でもあり、愛らしくもあった。俺が知っている美人な芸能人やモデルなんて比じゃない。彼女は別格だった。別次元の美しさがあった。少なくとも俺にとっては。
歩く所作は淀みなかった。一挙手一投足がしなやかで、舞のような芸術性を感じさせる。それは俺が彼女に魅入られているのか、それとも錯覚しているのか。
ダメだダメだ。こんなことを考えていたら身が持たない。せっかく一緒にいる時間ができたんだ。もっと楽しまないともったいないし、楽しんでもらえないと申し訳がない。
「え、えーと」
「ひゃい!?」
エルダは怯えた子猫のようにビクッと肩を震わせた。その様子が庇護欲をそそり、俺の緊張が少しだけ和らぐ。エルダも俺と同じ心境なんだろう。だったら俺がエスコートしなくちゃな。誘ったのは俺だし。
俺は一つ呼吸を挟んで会話を続けた。
「誘う時にも言ったけどさ、今日はさ、おいしいって評判のレストランに行きたいんだ。魚料理がおすすめなんだと。エルダは魚料理好きだったよな?」
「う、うん。ゲンジの作ったお魚料理も美味しかったわ」
「そっか。ありがと。あれから新作料理もできたから、また食べに来てくれよな」
「も、もちろん行くわ。ただ最近はちょっと忙しくて」
「冒険者の仕事か?」
「それも、あるけど……色々、ね」
それ以上は話す気はないらしい。無理に聞くようなことでもない。話したいなら話すだろうし、話さないということは話したくないということでいいだろう。エルダは聞いてほしいってタイプじゃないし。
「最近、エルフを標的にした事件があるらしいから、気を付けてな」
「ええ。あたしも知ってる。犯人は人間だったって話。でもその犯人らしき人間達も殺されてたみたい。一体どういう状況なのかまだ官憲も把握してないとか」
「事件が完全に解決してくれるといいな。エルフがこれ以上、被害に遭うのは……許せない」
エルフ狩りの組織フレイム。
俺が対峙した三人の男以外にも組織の人間はいるだろう。奴らがまた行動を起こさないとも限らない。背景に組織が存在しているということまで官憲が突き止めるかは微妙な線だが、人間が死んでいる手前、なあなあにもできないだろう。
ユピィに情報収集を頼んではいるが、あれ以来、数日間は事件が起きていないようだった。
あれで終わりとは思わない。気を抜かない方がいいだろう。
「あ、ありがと」
おずおずと言うエルダの横顔を見る。
「うん? 何がだ?」
「エルフの、味方をしてくれて」
「……人間だろうがエルフだろうが俺にとっては同じだ。俺は俺、エルダはエルダ。人間とかエルフとか関係ない。俺はドットン店長もサーシャさんもエルダも好きだから。みんなが幸せになって欲しいって思う、それだけのことだよ」
本当はエルフ側に肩入れしている自分がいる。現在のエルフの置かれている状況はあまりに理不尽だ。エルフ達を助けたいと思って当然じゃないだろうか。
俺は包み隠さず本音を伝えただけだった。だけ、だったんだが、どうしたことかエルダはさっきよりも顔を真っ赤にして立ち止まった。そしてそのまま、膝を曲げて顔を隠すように俯いた。
膝を抱えて丸まっている状態だった。尻はついていないが。
「ど、どうした? 具合でも悪いのか?」
「……ず、ずるい。ゲンジは、ずるい……そ、そんなの言われたら、あ、あたし……」
「エルダ?」
顔を覗き込もうとも思ったが、さすがに憚られた。困惑して、後頭部を掻いて、どうしたものかと迷っていると、エルダが立ち上がる。
「……い、行きましょ!」
「あ、ああ。い、行こうか」
俺を置いてスタスタと歩くエルダ。
俺は彼女の背中を慌てて追った。隣に並ぼうとしたが、エルダはそれを許さず、速度を速めたり緩めたりして、俺に顔を見せない。
どうやら並びたくないようだ。
俺は諦めてエルダの後ろからついていくことにした。
ふと彼女の耳を見た。
赤く染まった耳はまるで犬が尻尾を振るように、ピクピクと動いていた。