裏の顔
暗い帳の中、俺は漆黒のローブを纏い進む。
暗殺者の仮面を被っているため、妙に体が軽かった。
「本当にこの辺りに出るんだろうな」
『ボクの情報に嘘はないかしら!』
俺の肩に座ったまま、自信満々に胸を張るユピィ。
彼女が嘘を吐いているとは思わないが、情報自体が間違っている可能性もある。
深夜のメントー住宅街、西側の区画にエルフ狩りが出没しているという噂を聞きつけ、俺達は現場に急行することにした。
深夜の街中は静まり返っている。不穏な空気を感じ取り、全身にじわっと汗が滲んだ。
ホラー耐性はある方だから気にならないが、怖がりな性格だったらこの雰囲気は許容できないかもしれない。
「道すがら再確認しておきたい」
閑静な通りで話せば誰かに聞かれるかもしれない。俺は慎重に小声でユピィに言った。
『はいはい。まずエルフ狩りの出没場所は住宅街を含む周辺。犯人の容姿は不明。被害者の死因は刃物で複数個所を斬りつけたことによる失血死らしいかしら。傷跡が数種類あることから、犯人は複数の可能性が高いんだって』
「魔法は?」
『使った形跡はなし、かしら。傷跡は汚いことが多いとのことだったから、素人か刃物の扱いに慣れていない相手かもしれないかしら?』
犯人が複数であっても脅威ではなさそうだ。ただ敵の正体は判然としない。油断は禁物だろう。
冒険者の時とは違った緊張感があった。奇妙な高揚と、明確な意思が俺の中で胎動している。
住宅街に到着。物音は一切なく、異常な様子はなかった。
『ボクは辺りを見回ってくるかしら』
「ああ、頼む。何かあったら」
『わかってるかしら、ゲンジに念を飛ばすかしら』
言うや否やユピィは暗い空へと飛びあがっていった。彼女の身体は光を放っているため、遠くでも視認できた。
妖精と契約したおかげで得た能力が一つある。それはユピィと念話ができるという力だ。遠くでも彼女の声が聞こえる。まだ俺の声は届かないけど。念じるって結構難しいんだ。雑念が入るし。
俺はユピィを見送ると、適当な路地に入った。
人はいない。メントーの夜は非常に暗い。そのためホームレスやゴロツキ連中も、出歩くことは少なく、また路地などの暗がりにいることも稀だ。大抵は灯りのある歓楽街辺りをうろついている。
そのため夜の住宅街の治安は悪化している。そんな場所を夜に歩くのは危険だと誰もがわかっているだろうが、夜の仕事の連中も少なくないため、そうも言っていられないだろう。
ちなみに宿を取っている人は住宅街にはあまり縁がない。宿は歓楽街や商業区画、中央通りなどの人が多い場所に点在する傾向にあるからだ。
月明かりは薄い。雲が多いせいだろう。視認性は低く、視界を確保できない。目を凝らし、何とか路地を進む。
誰かがいる気配はない。
そもそもエルフ狩りが毎日活動しているわけでも、都合よくエルフが歩き回っているわけでもない。今日、事件が起こるとは限らないわけだ。
無駄骨に終わるかもしれないな、と思った時、
『ゲンジ!』
声が聞こえると同時に空が不自然に光った。小さな光は遠くの空で明滅している。
ユピィだ。
俺は跳ねるようにその場から駆けだした。
息を弾ませ石畳を蹴り続ける。速度は上昇し、左右の視界が後方へと流れる。
一分にも満たない時間で件の場所へと到着した。
『あそこ!』
慌てて俺のところまで飛翔したユピィは、正面を指差した。
そこには女性のエルフがいた。
そして奥には三人の黒ずくめ。俺と同じように黒いローブを着て、顔は目元以外を黒い布で覆っている。手にはぎらついた短剣や長剣が握られている。
「た、たす、け」
エルフの女性は腰が抜けているのか地面に座り込み、後ずさりしている。女性に向けて、今にも凶刃は振り下ろされそうだった。
疾走する。
奴らは俺に気づかず、獲物を振り下ろした。
間に合わない!
俺は咄嗟に腰から短剣を抜くと投げた。
黒ずくめの手元に吸い込まれる短剣。
「ぐああっ!」
黒ずくめの悲鳴。
奴の手には俺が投げた短剣が突き刺さっていた。
もう一本の短剣を握りながら、俺はエルフの女性の前に躍り出た。背後に庇うようにしながら、瞬時に無傷の黒ずくめの腕に斬りつける。
「て、てき……ぎゃっ!」
驚愕の声と共に黒ずくめの一人は腕を抑えながら倒れた。苦痛に耐えきれず地面に転がる。
残った一人は俺を前に戸惑いながらも、斬りつけてくる。
しかし動きはまるで素人。避ける間でもなく、俺は短剣を振るい、敵の武器を弾いた。
「え? あ、な!?」
武器を失った手を何度も見て、現実を確認する最後の黒ずくめ。
他の二人は地面に横たわり、あるいは座り込んで痛みと恐怖に襲われている。
「き、貴様はなにも、うがっ!?」
震えている黒ずくめを俺は全力で殴った。体重と慣性と握力のすべてを乗せた一撃は、俺よりも大柄な黒ずくめを壁まで吹き飛ばした。
拳に残る重い感触を、握りしめることで無視する。
壁に吹き飛んだ黒ずくめは呼吸困難に陥ったらしく、ひゅーひゅーと呼吸を必死に続けていた。
俺はエルフの女性に振り返る。
「ひっ……!?」
小さく悲鳴を上げられてしまった。状況や恰好を考えれば、助けられたとしても怖がっても不思議はないか。ちょっとショックだけど。
「行け。邪魔だ」
「あ、ありが、とう」
エルフの女性は身を竦ませながらも、何とか這いずるようにして俺達から距離を取ると、ふらついた足取りで逃げていった。かなり酔っていたようだ。
俺は正面で蹲っている黒ずくめの胸元を掴む。
「何者だ。なぜエルフを襲う」
男の目が恐怖で歪んでいた。しかし、それだけだった。
「…………」
男は答えない。震えながらも、痛痒に耐えながらも返答はなかった。
それなりに理由があってエルフを襲っているのか。それとも単純に根性がある性格なのか。あるいは……組織の教育が行き届いているのか。
俺は短剣を男の喉に添えた。
「もう一度聞く。貴様は、何者だ?」
俺は怒気を孕ませながら尋問する。最初の問いとは違い、冷静さはそこにはなく、殺気を明確に発していた。
「こ、こ……こ、ころ、す、のか……お、俺を……こ、ころ……」
「質問に答えなければ殺す。次の言葉が、答えでなければこの短剣を引く。最後の質問だ。心して答えろ。貴様は、何者だ?」
男は恐怖から小刻みに震える。この状況で耐える必要性は微塵もない。むしろ俺の機嫌を損ねればどうなるか誰でもわかることだった。
男は失禁し、涙で顔を覆う布をぐしゃぐしゃにした。
だが、無言だった。何も言わなかったのだ。
「わかった。死ね」
俺は腕に力を込める。血走った目を男に向けながら最大限の殺気を放ちながら、短剣を引こうとした。小動物でも子供でも赤子でさえも気づくであろう、圧倒的な死の予感。
それを前にして、男は失神した。
俺は腕の力を弱める。
殺さなかった。元々殺すつもりはなかったのだ。
しかし……殺せてもいた。
力を失い、地面に倒れる男を前に、俺は自分の両手を見下ろした。
今、俺はこいつを殺そうとした。
寸前で思いとどまったが、確かに殺すほどの強い意思が俺の中にあったのだ。怒りと憎しみ、強い信念と意思、そして相手をどうでもいいと思うような冷めた倫理観が確かにあった。
暗殺者の仮面のせいか。
そうかもしれない。だがそれだけじゃない。
俺はもうわかっている。世界を変えるということの困難さとその覚悟を。国を変える、考えを人を、そしてエルフ自体を変えるには、綺麗ごとは何も意味を持たない。
殺しが必要ならば、自ら手を汚す覚悟が必要なのだ。
今は必要がなかったし、むしろ殺せば情報が失われる。だから殺さなかった。それだけのことだ。
「ああああああーーーーっっ!」
絶叫と共に剣を振りかざしてきたのは、さっきまで倒れていた黒ずくめだった。
他事に意識を割いてしまっていたせいで、警戒心が緩まっていた。
俺は即座に臨戦態勢に戻る。問題なく間に合う、そう思った。
「がっ、は……?」
しかし間に合わなかった。
黒ずくめの剣は肉体を貫き、赤黒い血液が地面を穢した。
標的は俺ではなかった。
奴は仲間の、失神していた黒ずくめを殺したのだ。
「あ、あ……あ、ああ」
わなわなと震えながら、男は後ずさった。まるで自分のしたことが信じられないと言わんばかりの表情だった。
予想外の行動に俺も動揺した。なぜ仲間を殺した。
まさか、情報を流さないため?
だから仲間を殺したのか?
そんな馬鹿な。もしもそうだとしたら狂っている。仲間が情報を話すかもしれない。だから捕まりそうになったら殺せと【教育されている】ということだ。
狂信的な理念がなければ到達しえない領域。
それはつまり、組織がそこにはあるということ。そしてその組織を運営する存在がいるということでもあった。
甘かった。こいつらを殺そうとしても意味はない。
意識を失わせ、捕縛することこそ肝要だったのだ。
そして俺は、はっとする。
もしも俺の考えが正しければ、次に起こることは何か、明白だった。
「フ、フレイムに、え、栄光、あれっ!」
「フレイムにぃぃっ栄光あれぇぇっ!!」
二人の男達は自分の喉に剣を突き立てた。あまりに迷いない行動に、俺は対処が遅れてしまう。
「やめ――」
制止する前に男達は命を絶った。
喉に剣を突き刺して、呻きながら地に伏した。十数秒間の痙攣を経て、男達は動かなくなった。
俺はその場に立ち尽くした。初めて目の前で人が死ぬ姿を見た。それなのに俺に去来する感情は恐怖でも嫌悪でもなく、ただの落胆だった。
情報が失われた。それだけの考えが俺の頭に浮かんだ。
あまりに人間性のない思考に、俺自身が驚く。
『ゲンジ? 大丈夫かしら?』
いつの間にか顔の横を飛んでいたユピィに気づいた。
彼女は心配そうに俺の顔を覗いている。
「あ、ああ……大丈夫だ。ユピィは大丈夫か? こんな状況を前にしたら……」
『あら、こう見えて色々と経験してるかしら。ヒトが死ぬ状況を見ても驚かないかしら?』
正直、俺の行動に関しても含んでいた質問だったのだが、ユピィにとってはそれさえも問題ではなかったようだ。脅しや相手を殺そうとしたことも、彼女の言っていたダークヒーローの暗躍に入っているのだろうか。
引かれなかったのは正直助かった。互いに気遣ったり、遠慮すれば今後の行動に支障が出るからだ。
俺の心配をよそに、ユピィは男達の死体を確認していた。
『うーん、ただのヒトみたいかしら。死んでなければ夢を見せて、少しは情報を聞き出せたかもしれないけれど。悪夢を見れば、自然と自白したりすることもあるもの』
「君は結構エグイことを簡単に言うな」
『あら、必要なことかしら? 大事の前の小事ってやつかしら』
この妖精。思っていた以上に肚が座っている。俺よりも覚悟ができているんじゃないか。
俺は苦笑すると死体を確認した。
ただの人とユピィは言っていたが、なるほど冒険者や傭兵の類ではないようだ。
顔の布を剥ぐと、出てきたのはどこにでもいそうな人間だった。三人共平凡な顔で、身体のどこかに傷があったり、何かの刺青があることもなかった。
しかし共通点が一つだけあった。
彼等の懐から出てきたのは、複数の螺旋を絡ませたような形のネックレスだった。幾何学模様にも見えるし、何かの文字にも見える。
「……なんだこれ」
『知らない。初めて見たかしら』
ユピィも知らないということは有名な宗教組織の紋章などではないかもしれない。
死の間際に行っていた、フレイムという言葉。その組織の紋章なのだろうか。
フレイム……聞いたことがない名前だった。
今回入手できた情報がその名前だけとは。エルフ狩りを行っている組織は、統率がとれているのかもしれない。
紋章を持って帰るか迷ったが、それ自体に情報価値はないと踏んで、男の懐に戻した。形だけを記憶することに留めることにしたのだ。
「戻ろう。この場にいれば、殺人犯にされそうだ」
『賛成かしら。血なまぐさい場所にいたくもないもの!』
俺達は死体をそのままに、その場を後にした。
明日になれば誰かが発見し、通報するだろう。今回はエルフではなく、怪しい恰好をした黒ずくめの人間が死んだ。被害者はエルフじゃない。ならば国も動かざるを得ないだろう。
今回の事件が、エルフ狩りの特定に役立つことを祈りつつ、俺達は宿に戻った。
心は穏やかで、高揚はなく、ただただ静かに現実を受け入れた。人の死を見て、俺の中で徐々に、明確に未来への道程が見えてきた気がした。
俺の覚悟と信念が形作られている。
俺はもう迷わない。
突き進むのみなのだと、俺は理解した。




