35 いつもと変わらない日常?
ダンジョンでの死闘が終わり、俺と氷華は暗闇の中をひたすらに歩いていたよ。
足が棒になっていても前に出し続けて……俺も疲れていたけど、氷華の方が疲労たまってたんじゃないのかな。
なんせ、鎧を全身に纏ったままだったんだから。
氷華の方をチラリと見る蓮の表情は、少しだけニヤついていた。
全体の表情というと、顔の筋肉に力が入らずに疲労が見えていたのだが、口角だけ上がっているという状況。
流石に横を見たまま歩くのは辛いのだろう。
すぐさま前を向いて、その後は横を向くことはなかった。
でも、本当に疲れたな…
火憐が無事だって事がわかったら、緊張の糸が切れたみたいだ。
歩くだけで精一杯。
頭も動かないし、心の中も空っぽだ。
暗闇の中、自宅に向かう氷華と蓮の2人は、ただ無言で足を動かしている。
疲れているのだ。
彼らは、数時間程度ダンジョン内に居続けていたのだから当然の結果である。
まず蓮が自宅に着くと軽く手を振るだけで氷華と別れを告げ、玄関を開けた。
暗闇の中、玄関の灯りをつけようとスイッチに手を伸ばすと、蓮が触れる前に照明がつく。
その灯りに照らされ、一瞬で暗闇から目の前に現れたモノ……それは、母親だ。
「ただい……」
「蓮!」
その姿は、死闘から生還した息子を迎える姿ではなかった。
いや、母親にはダンジョンに行くと伝えていないから、単なる夜遊びをしてきたと思っているのだろう。
腕を組み、眉間にしわを寄せて怒っている。
「ちょっと蓮!遅いわよ。何してたの?」
「…かあ…さん、ただい…ま」
「質問に答えてないわよ」
「は、はは…ご……めん、でも、少し疲れたんだ」
「何を言ってるの?遊び疲れたって事?」
「………」
【ガタッ】
「ちょっと蓮。どうしたの!」
「………」
蓮は、そのまま玄関で崩れ落ちるように倒れて、そのまま寝てしまった。
ダンジョンから脱出できた、という喜びのおかげで自宅までは帰ってこれたものの、もう体力の限界だったのだ。
暗い闇の中へと意識を沈めていく。
しかし暗闇の中で、母親の声が頭の中に響いてくる。
うるさいな母さん。少し眠らせてくれ。
俺はもう疲れたんだ。
でも、体力が尽きて……死ぬように眠る事がこんなに心地いいなんて。
いつもは、上手く眠れなかったからね。
実際に蓮は、深く眠った…
母親が、蓮を一階のソファに引きずっている時も、制服からパジャマに着替えさせている時も、起きる様子もなく体を任せていたのだ。
――体力をゆっくりと回復させる。
彼にとって、明日からの高校生活を送る為に必要な事だ。
虐められていた日常とは異なる……新たな生活を開始する為に。
「ん〜。眠い…」
彼が目覚めたのは、ソファの上だった。
窓の外を見てみると、陽の光が差し込んでいるので昨日はどうやら寝ていたらしい。
あれ?俺なんでここで寝ているんだろ。
昨日、玄関に着いた事までは覚えてるんだけどな…
顔をしかめると、辺りを見回す。
テレビも付いてないし、キッチンの方も料理をしている様子もない。
そんな状況の中、蓮は上半身を起こし首を傾けていた。
母さん。どこ行ったんだ?
もう学校へ行く時間じゃないか、いつもなら朝ご飯の支度をして俺を怒鳴りつけるのに……
あれ?もしかして、今日は祝日だったかな。
蓮は曜日を確認する為、スマホを取り出そうとポケットに手を入れるが無い。
というより制服のズボンは母親に着替えさせられているので、スマホの場所が分からない。
仕方なくテレビのニュースで確認しようとするが、テレビ画面に現れた人物に蓮は驚かされてしまう。
【ポチッ】
『えぇ〜。本日は、番組の内容を変更してお伝えいたします。――政府を代表して、自衛隊の代表の方に来てもらいました。ささ、こちらにどうぞ……』
「え…なんで、この人がテレビに映っているんだ?…」
アナウンサーに誘導されるように、1人の老人がテレビ画面の中央へと移動してくる。
この人物を、蓮はよく知っている。
〈自衛隊の代表〉と紹介されているのだ。恐らく、あの人物である。
衝撃の出来事に、彼はテレビ画面に釘付けになってしまった。
なぜなら…テレビに映っていたのは、石黒大将なのだから。
『どうも、石黒と言います。本日は政府からの発表……というよりも防衛機関単体での発表という事になります――我ら自衛隊は、先日のダンジョン探索で多くの仲間を失いました――これ以上、本土防衛兵力をダンジョン探索に割く事が出来ないと判断したため』
『――ダンジョン探索隊を募集致します』
「ダンジョンの中で石黒さんが言ってた事は、本当だったのか…でも………」
蓮がテレビ画面から目を背けた、その時に玄関の方から大きな声が聞こえた。
母親の声である。
「蓮!何してるの!氷華ちゃんがもう待ってるわよ」
「は……はい!ちょっと待ってて!!」
またいつもの高校生活が始まる……そう思っていた蓮だが、世界が変わってしまったのだ。
良い意味でも悪い意味でも、自分だけ変わらないわけがない。




