113 追想
――皇女リリアン。
動きを止めて、目の前を一点に見つめる。
嫌でも思い出す名前。
薄暗い地下道で響いた、あの甲高い声が蘇る。
「リリアン、だと?……」
蓮は冷静さを保つ事が出来なかった。
あの化物から受けた攻撃を思い出す。レベルも能力も桁違いのバケモノだ。
狼を従えて俺たちを襲ってきた。思い出したくもない忌々しい記憶。
蓮は少し放心状態になっていた。
「くそ……」
急に立ち止まったことに戸惑いつづも、サシャは蓮の顔を覗き込んで声をかけた。
「どうしたのよ? もしかして皇女名前知ってるの?」
「……」
「ん?」
サシャは、急に雰囲気が変わったことに驚いている。
驚くのも無理はない。なにせ先程まで軽快に進んでいた蓮の足がピタリと止まっているのだから。
サシャが声をかけても蓮の顔は動かない。むしろ、独り言を言っている状態だ。
周囲に聞こえない肌の小さな声で自身の不安を吐露していた。
「まさか……」
蓮の震える声。
と同時に、彼の額からは大粒の汗が吹き出していた。
そんな様子を見てサシャは心配そうな顔をしている。
「大丈夫?」
「……あぁ、問題ない」
苦笑いをしながら彼女に顔を向けた。
だが、心ここにあらず、と言った様子で適当な返事をして、考え事をしているようだ。
もちろん、サシャにとってはなぜ蓮がここまで衝撃を受けているのか。分かるはずもないだろう。
蓮がリリアンと呼ばれる少女とあったのは、この世界ではないからだ。
蓮は、過去に転移する前の世界で繰り広げられた激闘を思い出していた。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
(リリアンって、まさか、あの地下鉄で戦った女か? いや、単なる名前が同じだけって可能性も)
まさか、まさか、まさか。
蓮は混乱する頭の中で、過去の記憶を蘇らせていた。
確かに以前戦ったリリアンは、ダンフォールさんと戦ったことがあるって言っていた。
リリアンの甲高い声が頭に響く。
――そういえば、ダンフォールっていう奴隷が私に戦いを挑んできたわねーー。
思い出したくもない。
リリアンの人を馬鹿にしたような表情が浮かび上がる。
俺と氷華。そして、ダンフォールさんの3人でなんとか倒した相手だ。
俺1人だけで勝てるのだろうか。出来ることなら戦いを避けたいところ。
だけど、あの時のリリアンの言葉が本当なら、この先、俺はリリアンと戦わざるを得ないってことだ。
何が理由で戦い。そして、どのような結果を残すか。全く想像できないけど。
俺が王国に攻撃をしかけるのか、はたまた、リリアン側から俺に攻撃を仕掛けてくるのか。
「どうなるんだよ」
蓮の心の声は自然と外に出ていた。
サシャとの会話を無視してずっと考えている。
しかし。
「んっ!!?」
いきなり蓮の片目が強制的に開けられた。
何が起きたのか分からない蓮は驚いた様子で、両目を全開に開いた。
すると視界に飛び込んできたのは、サシャの顔だった。蓮の顔に近づいて睨んでいる。
「ちょっと! ねぇ。聞いてるの?」
イライラした様子のサシャ。
どうやら彼女は、蓮が考え事をしている間にも話しかけていたらしい。
ずっとリリアンの事を考えていた蓮は微塵も気付くことが出来なかったのだ。
「え?」
困惑の声を上げる蓮。
それを見たサシャは一度呆れたようなため息をついた後、蓮の頬をつねった。
泣きそうな表情をして、さらに顔を近づける。
「降ろしてよ!」
バタバタと足を動かして、地面に下ろしてくれと言っている。
多少の時間はあったので体力を回復したのだろうか。先程までの疲れた様子は見られない。
誇り高き狩人は自身の足で歩きたいらしい。
もし仮に、王都にこのまま担がれた状態で転送されたら、狩人にとって恥なのだ。
「お〜ろ〜せ〜!」
さらに足をバタつかせて、蓮の肩から降りようとするサシャ。
落ちないようにとがっしりとサシャの体を支えている蓮の片腕を外そうと、彼女は両手でそれをなんとかどかそうとした。だが、それは無駄なことである。
魔力を使い果たし、身体能力強化の魔法を使えない狩人ではスキルを発動した蓮の腕力を上回れない。
「奴隷なのに、何故こんな力が強いんだ……」
しばらく足掻いたら、サシャは諦めたようにグッタリとした状態になった。
それを見た蓮は少し笑っていた。
「はは!」
「なによ?」
蓮の笑い顔に気づいたサシャは、キリッとした顔を向けて睨んできた。
怒っている……。というよりは悔しがっている表情だ。
目が少し潤んでいるように見える。
「ごめんごめん。もう下ろすよ」
その表情を見て、申し訳なくなった蓮はサシャを自身の肩を下ろそうと力を抜いた。
サシャと話して少し気持ちの落ち着いた蓮は、深く深呼吸をする。
「はぁ〜〜〜」
冷静にならないとダメだよな。皇女リリアンについて今あれこれ考えてた仕方ないし。
深呼吸を数度行い、蓮が落ち着きを取り戻し始めていた、ちょうどその時であった。
「すまないな。奴隷くん。仲間を背負ってもらって」
勇者が蓮の方に近づいてきたのだ。
勇者の後ろに薬剤師志望のミサと、真っ黒な布を全身に巻いた魔導師の風貌の人がいた。
(こんな、真っ黒な布で巻いた人いたっけ? 顔まで隠してるし)
蓮は勇者がこちらに来てくれたことよりも、奥にいる魔導師のような人物の方が気になった。
「大丈夫だけど、、、奥にいる黒いのは勇者の仲間か?」
「あぁ。すまない。さっきまで姿を隠していたようだから、奴隷君は気づかなかったか。」
勇者は奥にいる魔導師らしき人物の方に手を向けて、紹介し始めた。
その魔導師らしき人物は、手に自身の身長と同じくらいの魔法の杖のような物を持っていた。
蓮より小さいくらいの身長なので160㎝ほどであろうか。
「彼女は仲間の大魔導師だ」
「大魔導師……」
勇者は自信満々に紹介をしているが、全く大魔導師には見えない。
(本当に大魔導師か?)
蓮が疑いの目を向けると、急に杖の先を蓮の方へ向けてきた。
どうやら怒っている様子だ。
「貴様は我のことを舐めておるな? 我こそは森羅万象を知る神のような存在! 大! 魔! 導士! であるのだ!」
身振り手振りで自身を大きく見せようとするジェスチャー、それを見ていた蓮は、なんとも言えない表情でこう返した。
「はは……。大魔導師様。よろしくお願いします」
「貴様! 我のことを舐めとるだろぉ!?」
大魔導師様は杖をばたつかせていた。




