111 貸しひとつ
ポキ……
なんとも情けない音が鳴った。
勇者や蓮から遠く離れたサシャには聞こえないかもしれないほどの小さな音。
最初は何が起きたのか分からなかった。
勇者も、サシャも、初めはなんの音なのか理解出来なかったのである。
「ウ……ウソでしょ……」
最初に理解したのはサシャの方であった。
地面に横たえた体を引きずって、少しでも近づこうとしている。目の前で起きた出来事が信じられないのだ。
最強と謳われる勇者アーサーを持ってしても、恐らくは止められない弓矢。
それをまさか奴隷が……。
しかも、弓矢を折るなんて、ありえない。
サシャは目を白黒させ、口をパクパクさせながらジッと固まっていた。
「ありえないでしょ……。何者なの?……」
一方の勇者はというと、現実を受け入れるのが早かった。
「ふ〜ん。ここまでやるんだ」
一度、直接手合わせをしているアーサーは、蓮の実力をある程度分かっていたようだ。
勇者は蓮の方を振り向いてニコニコしている。
「まさか、本当に止めるなんてな」
「……。これで貸し1つな」
勇者の方を見てニヤリとする蓮。まるで、友達かのように語りかける。
それに応えるかの如く勇者も軽い印象で会話を続けた。
「いいだろう。助けが欲しい時には、いつでも力になってやろう」
勇者のその言葉を聞いて、蓮は頭をかきながら話し始めた。
「じゃあ、この世界の情報について、教えてもらおうかな」
「……この世界?」
蓮はまだ、この世界のことを何も知らない。
ダンフォールが生きていた世界に来てから、まだ時がそれほど経っていない。
この世界の情報源として、勇者が使える事になったと、蓮は少し嬉しそうだった。
「いいだろう。だが、HPを回復してからでもいいかな?」
そういうと、勇者は剣を鞘に収めて戦闘状態を解いた。
「ふぅ。ダンジョンに入る前に、だいぶ魔力を消費してしまった」
勇者は疲れた表情で蓮の方をニコリとした後、その場に座り込んでしまった。
「一度、体勢を立て直さなきゃな」
ボソリとつぶやいた勇者。
そのつぶやきを聞いて蓮は表情を変えた。
「どうした勇者様? 永龍草を早く取りに行かないと」
「無理だ」
「え」
「だから無理だと言っているだろう。俺も、大魔導師カレンも、狩人のサシャも魔力を使いすぎた。もう戦えん」
辺りを見回すと確かにそうだ。
勇者は一見すると元気そうではあるが、息が上がり、表情にも疲れが見え始めている。
カレンとサシャの方に至っては、杖で体を支えるカレンと、地面にうつ伏せに横たわっているサシャ。
勇者パーティーはもう戦えない。
それに、少し離れたところから見ていた薬剤師志望のミサは心ここにあらずといった顔で蓮を見つめていた。
勇者パーティー3人を相手にして無傷で済んでいるのは異常である。
そんな、彼女も連れて危険なダンジョンに入るのは危なすぎる。
蓮はひとしきり辺りを見回した後に、勇者の方を見つめた。
「ここからどうするんだ?」
「王都に帰ろう。教会で傷と魔力を回復させる必要がある」
「王都? 教会? そんなのがあるのか?」
「……何を言ってるんだ?」
勇者と蓮は2人して顔を見合わせた。
話がややこしくなりそうなので、蓮は話を変えた。
「勇者。で、その王都ってどうやって行く?……」
「あぁ。まだ僕の魔力が残ってるから魔法で戻ろうと思う。すまない。奴隷君はサシャを担いでこっちまで来てくれないか? 空間魔法は術者の近くに対象者がいないと転移できないんだ」
「あぁ、分かった」
蓮は勇者の言葉通りに動いた。
サシャの元へ近づいて行ったのである。オールチェンジを発動していたので、強靭な脚力で、ものすごいスピードでちかづいていく。
しかし、サシャは勘違いしたようである。
遠くに離れてた彼女には、勇者と蓮の会話が聞こえなかった。
なので、猛スピードでこちらに向かってくる蓮は、弓矢を放った反撃に出ているように映ったのである。
あの勇者ですら防げない攻撃を、いとも簡単に破った相手。
そんな化け物が迫りくる恐怖は計り知れなかったのだろう。
地面にうつ伏せになっていたサシャは、体を丸くして頭を腕で押さえて、何やらぶつぶつと言っていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
サシャにはもう、立ち上がる力すら残っていなかった。
ただ、恐怖を打ち消す為に言葉を発し続けることしか出来ない。
ザッ……。
そんな彼女の前に早くも蓮が到着した。
ダンゴムシのように丸まっている彼女をみて、蓮はめんどくさそうにしていた。
「これ。俺が運ばなきゃいけないやつか」
蓮はただめんどくさいだけであったが、彼女がビクビクと体を震わせている理由については分からなかった。
「ごめんなさい……」
「何ブツブツ言ってる?」
「!!!……」
蓮の何気ない一言で、サシャの言葉は止まった。
もう諦めたのであろう。
ゆっくりと体を持ち上げられるのを感じて、彼女も抗う気持ちがなくなったのだ。
(こいつは、私をどうするつもりなんだろうか)
サシャの目は死んだ魚のように、生気がなくなっていった。
蓮がサシャを担いで、勇者の元へ向かっている途中、サシャが蓮に話しかけた。
「私を……どうするつもりだ?……」
「え?」
ずっと黙っていた彼女が話し出して少し驚きの表情を見せる蓮。
「教会に行くみたいだ……」
「え? 教会?」
「さっき。勇者さんと話して、一旦、王都ってところに戻る事になったんだ」
蓮のその言葉を聞いて、サシャは目をまんまるとさせて、驚いた様子を見せた。
(勇者様と話して!教会に行く? て事は、こいつは)
――私に復讐しに来たんだじゃない。
「良かった〜!!!」
サシャの中にあった誤解は全て解けて、大声を上げて喜んだ。
「急にどうしたんだよ」
「うるさい! 紛らわしいんだよ!!!」
ベチッ!!!
今度はサシャが蓮をビンタする音が森に鳴り響いた。




