66話 忿怒と狂気
着々と移動が始まっていた第二拠点に、星を埋め尽くすほどの黒い弾丸が村民を襲う。
炸裂音が轟き、煙が捲きあがった。アートが諸刃の剣たる『瞬功』を使って、黒い弾丸の全てを粉砕したのだ。とっさに悪意を嗅ぎ取れたから対処できたが、早々に切り札を使った負担……全身が僅かに軋む。
「キャハハハハハハ♪ 元気? 元気にしてたぁ?」
「っ……!」
白十字の仮面の道化、黒ハートは高らかに笑いながら、女村民めがけて弾丸を放つ。
「っぐう!」
その女村民を抱えて回避するアート。しかし、それだけでは終らない。反対側の子供に向けて撃ち、横たわる非戦闘員にも撃ち、また女村民を撃った。
戦えぬ者を執拗に乱射する。
「なぜ戦えぬ者を攻撃する!」
「そうねぇ、弱者をいたぶるのが楽しいのと〜君のプンプンに怒った顔を見るのが面白いからかなぁ」
ギリ、と怒りをより露わにするアート。
そこでちょうど到着した、エルヴィン率いる狼人が一斉に飛びかかる。しかし、片手間に振り払われる。
「エルヴィン!」
「すまない、遅れた! バルサ隊とドルフィン隊は村民を非難優先! ダラス隊は負傷者を引かせろ! クレイグ隊は俺と共に来い!敵は黒い仮面だけじゃないんだ、黒い霧から出てきた大鬼や小鬼もいる!」
前方には五つの黒い孔。シバの内部に魔物を出現させた転移陣と同等のものだ。
「お前たち、一人でも多く────救うぞ!」
「「「「応ッ!」」」」
「アート、お前は……」
「ああ、分かっている。俺があいつを倒す」
アートはなりを潜めるように瞳を細める。
それを見た黒ハートは怪訝な顔を浮かべた。
「まぁた、そんな事をして……」
「……調子に乗るなよ」
低く冷めた殺意に黒ハートは僅かに後すざりした。
その次の瞬間、黒ハートの視界がブレる。
「っ、え…?」
凄絶な速度を乗せた拳から放たれる衝撃。
扱いが難しい『瞬功』を一瞬のみ発動、そして『気衝』を参考にした掌打。それが『破導衝』。
所謂、ソニックブーム。音を超えた速度により放たれる衝撃を、掌にのみ集約させた打撃を受けた黒ハートは、一瞬で拠点外へと叩き出されたのである。
「『魔防壁』が一瞬で……ッ!」
ヴァナルガンドの背負いし罪は『忿怒』。魔王同士で最も熾烈な戦いがあったと云われる時代に生きた狼人である。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
怒号が大地を震撼させた。
黒ハートが咄嗟に張り直した防壁も、凄絶な衝撃によって砕かれる。
前方に目を凝らすも、その姿はない。視界の端に見えた黒い影へ弾丸を放つも外れる。黒ハートの視界に姿を捉えることができない。魔弾を全方位へ薙ぎ払う。
「それはもう見た」
すると、懐でアートが拳を構え、鳩尾に深く突き刺さした。黒ハートは呻き声を上げながら詠唱する。
「うぐうぅっ!地より出でし黒魔よ、天を穿て──」
接近してくる影が端に見えた。
そのタイミングで極大の黒柱を超動させる。
「『終魔獄地』!」
直後の僅かに空いた間、その隙に防壁を張った。
しかし、またしても視界が横にブレる。
「うぁっ!『魔防──」
「遅い」
防壁を張り直すよりも早く拳が突き刺さる。
白十字の仮面が割れ、黒ハートは地を転がった。
「……お前が誰だか知らないが、俺たちに仇を成すというのならば……一切の手加減はしない」
◇◆
黒ハートは真っ黒な空を見上げて絶望した。
色がなく、茫然自失とした顔。
そして、縋り付く震えた声で呟く。
「わたし…のなま…え、おぼ…え……」
膨れ上がる魔力。禍々しい魔素が吹き荒れる。
何かの琴線に触れたように、ぼろぼろと涙を溢す。
「……どう…して……どうしてぇええええええ!」
「ッッ!?」
急に魔力が荒れ狂う。魔力の渦から弾丸が放射状に薙ぎ払われた。
回避できなかったアートは、左腕から流血。
「っ……左腕が……」
抉られた左腕を抑えながら、黒ハートを見据える。
そして、異常な放出魔力に目を見開く。
「……出力が上がった?」
アベルが言っていた。無限の魔力があろうと、その出力……魔力経口の大きさは変わらない。それを無理に抉じ開けようとすると、肉体を失う。
その最たる例が、ディーヴの暴走だ。
妖精のように魔素と同調できる能力が故に、魔力経口が元々大きかったり、アベルのように無限に成長する肉体を持ったりするなど、例外は存在すれど、彼女はそれに該当しない。
つまり、魔力の暴走。
【う、ぅう…うわぁあぁああ……】
魔力の渦中から泣き声が聞こえる。
【わたしの! 大切な!】
魔力の渦から弾丸が地を抉りながら迫りくる。
先ほどよりも何倍の大きさ、速度、そして数。
回避できないと即座に判断する。
「『瞬功』!」
影すらも置き去りにする速度で黒ハートの射程外へと駆け抜ける。そこで即座に踵を返して、黒ハートをめがけて飛び出す。
その時。
地から魔力の弾丸が降った。
不意を打たれたアート。纏う気鎧を砕き、体を貫く。だが、止まることは許されない。
呻き声を上げながらも動き続ける。
「──ウゥッ! 近づけない……!」
黒ハートの阿鼻叫喚にも似た絶叫。
涙さえも黒く染まり、魔素へと浄化していく。
【なんで!?なんで?なんで?なんで!?】
【約束したでしょ!?したでしょ!?ねぇっ!?】
【私の名前!なまえ、名まえ、私の大切な!名前!】
【なんで、覚えてないの───?】
黒泥が涙の様に目から溢れ出る。
訴えかけるような声がいつまでも響く。
『お前の名前は───』
自分ではない遠い記憶。
そして、自然に溢れ出る。
「────……マリー?」
それが、彼女にとって唯一の宝物。
次話「暗がりの中で」