64話 契約獣
エリーと久々に語った後、散歩がてらに歩き回ると拠点の異変に気付く。
「……誰もいない?」
残存している兵が全員いなくなっているのだ。
ただ、痕跡はある。焚き火の炭がまだ赤く、さっきまでいたのは間違いないようだ。
すると。
───ボッ!
と、森の奥から衝撃音が僅かに聞こえた。
襲撃があったのかもしれない。と、俺は息を潜めて森の中へと入る。草むらを掻き分けながら進んだ先で目撃したのは……
「………え?」
地に伏す狼人に、それを見下すアート。
他の三人も倒れている。
えっ、どういう状況だ。
◇◆
───半刻前。
アートは眠れず、月を眺めていた。
「村から追い出された時もあんな月だったな」
ふぅ、と見上げる頭を下げる。
拳を開き、出て来たのは「星の欠片」。
モメントから経つ前にアベルに託されたものだ。
「……お前は帰る場所を見つけた。ならば俺は──」
そこで背後から葉が擦れる音が聞こえる。
星の欠片を腰の嚢にしまい、その方へ顔を向けた。
「……誰だ?」
暗闇から表れた男の体毛は白く、狼人だ。
つまりは白狼の獣人。
「俺は狼人族長のエルヴィンだ」
初めて会った時から睨まれている獣人でもある。
今にも殺しかかりそうな鋭い目で睨む。
「こんな所で何をしている」
「……散歩だ」
エルヴィンは低い声で、とぼけるなと吐き捨てた。
「招き入れた冒険者に第四拠点を潰されたのだ。シバ軍の騎士であるエリーゼ殿と、オリヴィエ様と知己である黒い剣士はともかく、お前は信用できん」
「…………」
「ここで何をしていたか、真実を吐け」
アートはエルヴィンの仇のような殺気に顔を歪めつつ「真実も何も」と付け加えて答える。
「散歩していただけだ」
「……そうか、吐く気はない……か」
有無を認めず、エルヴィンは手を掲げた。
木影に潜んでいた戦士たちがアートを取り囲むように出てくる。
「せめて正々堂々、消えてくれ。白狼の恥と共に」
殺す。その確固たる殺気を放つ四狼士。
それぞれに武器を構える。
「魔術師、ドルフィン」
「槍士、バルサ」
「拳士、ダラス」
「剣士、クレイグ」
しかし、アートは不思議なほどに落ち着いていた。
それどころか内から力が湧いてきていた。
アベルに忠誠を捧げると言った時から───
「………」
そして、先頭の剣士の一声で戦いが始まった。
「───いざ参る」
アートは感覚を尖らせる。動き出した四人の動き。
それらの動きが、緩やかに見えた。
「『気功』」
そして、動く。
迫り来る三人を抜け、後方の魔術師が詠唱の一句を紡ぐ───その直後にみぞおちをひと刺し。
「早い⁉︎」
「こいつっ!」
続けて、振り向き様に拳を振るうダラスの顎を裏拳、隣のバルサには鳩尾に掌底。襲い来る二人を流れるように一撃ずつ見舞う。
「この!」
反応が遅れたクレイグは飛び込み、剣を振るう。しかし、剣戟を全て、体捌きのみで空振らされる。
そして、最後の一撃をするりと流すように手で逸らす。そのまま背後へと回って、後頭部を一閃。
「………ふぅっ」
一斉に倒れ込む四狼士。
唖然とするエルヴィン。
「────!」
まさに瞬殺。
彼らは革命軍の少数精鋭。彼らは狼人族の中でもトップの強さを誇る戦士たちだ。
それを、まさか、数秒で戦闘不能にされるとは思わなかったのだ。
「残るはお前だけだな」
「……くっ」
狼人の首領のエルヴィンは歯軋りする。
彼は狼人族の中で最も強いが、年齢は若手。
自分を御すには未熟だった。
「……っ、主なき黒狼如きが。クラウディウス様に忠誠を捧げし我が力を見せてやる───ゆくぞ!」
言葉こそは冷静を装っているものの、行動は激情に駆られていた。エルヴィンは握りしめた拳を構える。
ぐっと体に力を込めた、次の瞬間。
「 ────『破導衝』」
横の空間が爆ぜる。
アートの掌底がエルヴィンの頬を掠める。
そして、崩れ落ちる様に崩れ落ちた。
「……っ」
同時に、己が過ちを省みた。確かに冒険者に第四拠点を攻撃されたのも理由の一つだ。しかし、白狼の獣人である彼には別の理由があった。
破壊衝動に駆られ、本能赴くままに暴れて魔王となった"迅滅狼"。伝承と同じ、黒い体毛を纏う彼が信用ならなかった。
「……伝承は伝承…か」
しかし、我々が殺意を持って攻撃をしたのにも関わらず、彼は戦意消失させることだけに注力した。凶堕ちどころか、その予兆が無いのは明確。
自分が間違っていたのだ、と見上げながら認める。
「アート殿、すまなかった」
そして、彼ほどの力を失うのは革命軍としても痛手。僅かでも戦力を増強したかった今、彼を失うのは大きな損失となる。
「殺意を向けておいて虫が良いと思うだろうが、その力を革命軍に貸して欲しい」
自分の誤ちで援軍を失うわけにはいかない。
その想いでアートに頭を下げた。
「恥が無いのも理解している。俺にできることは何でもする。なんなら後で殺されても良い。だから──」
───見なかったことにしてほしい。
と、口にする前にアートは手を挙げて御した。
「気にしなくてもいい」
「……え?」
「生まれた時から何度も蔑まれ、村から追い出された。だから、疎まれていることには慣れている」
「お前は……もしかして北方の?」
「ああ、その事で憎んだこともあった」
エルヴィンら、東方の白狼にとっては黒色の体毛であることは「嫌われる」程度だったが、はるか北方の白狼の一族はその禁忌を強く受け継いでいる。生まれて間もない子供でさえも処されるほどと噂されている。
「白狼を滅ぼしたいとまで考えたこともある」
「…………」
アートは眩く輝く月に手を差し伸べた。
「だが、俺は光を見つけたんだ」
「……光?」
「暗闇で一人死にかけた時に、そいつは差し伸べてくれた。家族として迎え入れてくれた」
月の中に拳を作って穏やかな表情を浮かべる。
「恩義を返したい。俺はそいつのために戦いたい」
「───……」
それは「主人」を持つ者の言葉だった。
主を持たず、孤高に生きた狼の伝承とは違う。
「だから、そいつのために戦う俺を信じてくれ」
穏やかな表情のままエルヴィンに手を差し伸べた。
「……お前… そうか、既に捧げていたんだな」
アートは小さく頷く。
エルヴィンは差し伸べられた手を掴み取った。
それが、返答となった。
◇◆
エルヴィンが土下座をしてからの一部始終を見ていた黒い剣士は出るか否か迷っていた。四狼士もすでに目を覚まして、いい雰囲気にまとまった感じに割って入るのも…と気が引けていた。
すると、背後から接近してきた男に、手を肩に置かれる。その男は何の躊躇もなく草をかき分けて姿を現した。
「く…クラウディウス様⁉︎ な、なぜ……」
革命軍の頭領、クラウディウスである。
そして、その傍で気まずそうに姿を現すアベルだ。
「これまでの状況の全てを見ていた」
「あ……これは…」
「良い、むしろ余がぬしを怪しんだことを詫びたい」
「詫びるだなんて……」
「今回の件は余にも非があるのだ。謝らせてほしい」
「………っ」
「改めて彼ら冒険者を信用し、精鋭に組み入れたい。エルヴィンもそれでいいか?」
「……はい、問題ありません」
「良し、ぬしの疑いが晴れたことについては余から話しておこう」
信用を示すように肩に手を置かれる。
エルヴィンは「…はい」と肩を震わせた。
そして、クラウディウスはアートへと顔を向ける。
「余からも詫びたい。余に免じて彼らを許してくれ」
「……わかった」
アートは頷く。直後にアベルへ視線を向ける。
その顔は呆然としたような表情だった。アートの本音を知り、アベルは少しだけショックを受けていた。
「…………」
「………」
隣にいる相棒。対等だ、とアベルは考えていた。
しかし、彼はそうじゃなかった。
「……そんな風に考えていたんだな」
「……ああ、嘘偽りない俺の本音だ。あの時は軽く受け止められたが、改めて言わせてくれ」
真摯な瞳でアベルと向き合う。
膝をつき、拳を地に添える。
「俺はお前のために力を振るいたい。俺には戦うことしかできないが、力で……受けた恩を報いたい」
「………」
「俺と契約を。俺の忠誠を受け取って欲しい」
白狼とは、契約を至上とした獣。
契約、そして、忠誠が強さへと顕れるのだ。
「………」
アベルは迷った。これまでのアートは相棒だと思っていたが、契約してしまうことで立場が、関係が変わることを恐れた。
しかし、心配を吹き飛ばすように、ばん!とクラウディウスに背中を叩かれる。
「信用しているのであれば、応えてやるといい」
───応える。その言葉が突き刺さった。
アートとは子供の時から一緒にいる。共に戦い、共に旅してきた。その真実は揺らがず、築いてきた信用も変わるはずがない。ただ自分が恐れていただけだった。
「余らが見届け人となろう。今宵は満月、儀の意味が強まる日だ。剣を肩に置いて、言葉を授けるのだ」
アベルは「そうだったな」と零して決心する。
膝をつくアートに視線を戻し、そして、手に取った神胤をアートの肩に添える。
「アートよ」
契約するということは降るという事。
そこに少しだけ自分の想いも込めて、言葉を紡ぐ。
「俺は対等な者として、その忠誠を受け入れよう」
最後の句を下した瞬間、アートの体が僅かに輝く。
正式に契約が成されたのだ。
「これでより一層尽くせる。応えてくれて感謝する」
内包する魔力も変化し、戦う理由が強まった。今までと変わりはないかもしれないが、契約してこそアートには大きな意味をもたらすのである。
「これで晴れて『大魔王』になったわけだな」
クラウディウスにそう言い放たれ、アベルは一瞬硬直した。直後、目を細める。
「……なぜそうなる?」
「ヴァナルガンドは『魔王』と呼ばれたのだ。それを配下にするということは『大魔……」
「やめろ」
こうして、正式に主従関係となった。
◇◆
それぞれ持ち場に戻り、一人残されたクラウディウスは白く輝く月を見上げて、かつて憧れたある男を思い浮かべていた。
彼は偏屈で、寂しがり屋で、とても強かった。
「──ついに見つけたのですね。アースじいちゃん」
孤高に生きたとある黒き狼の最後。
彼は、それを知る者だった。
次話「先手の先手」




