52話 名も無き英雄
国内外から魔物が侵略した前代未聞の騒動は日中にして終わった。国民の目からは突如魔物が現れ、あっけなく消えたように見えたこの騒動は後に”朧事件”と呼ばれるようになる。国民の印象だけではなく、被害状況も関係していた。そして、ディーヴの事情を知る者にだけ被害の全てを伝えられた。
討伐 2657体(※ランク不分別)
軽傷 1180名
重傷 143名
重体 42名
行方不明 4名
死亡 1名
ヒヤムル大聖堂を構えていた騎士や魔導士、メズヴを含めて重体と重傷者が多く発生したものの、全体の被害数の少なさもさる事ながら兵ではない一般民への被害はほぼ皆無だった。魔物の数と規模が被害と比例していない奇跡的な結果となった。
───そして、死亡者は隠蔽された。たった一人の死者の名は ディーヴ・ライラック。シバという最大国に籍を置く大魔導士であり、ギルドの最上責任者たる彼の死は本人の意思の上で秘匿することとなった。
すでに責任者の引き継ぎは済ませているため、責任者辞退による影響はない。しかし、問題となったのはシバの戦力的重鎮たる立場の不在の方だった。それだけではなく、ディーヴが”凶堕ち”した真実を隠すためにも死亡を隠蔽する必要があった。
戦力の面では後釜はすでに見つけているらしく、筋書きとしては大魔導士の称号を返上して一から学び直すために魔術師が多く集う学園都市、ノアへ留学したことにし、約半年後、古代魔術に失敗して死亡するといった流れだ。
「──地下聖堂に出現した精霊も秘匿することになった。故にこれを討った褒賞はなかったものとなる。少々無理があるが、そなたらには今回の作戦参加者として報酬を与えよう。ただし、これは協力してくれたことよる謝礼であり、ディーヴを悼む為のものではないということを理解して欲しい」
「……………」
俺、エリー、エンジェ、そして、ユニ。
オスカーから現状と今後について教えてもらっていた。あまり気が進まないが、素直に報酬は受け取ることにする。国王とてディーヴを討った報酬にはしたくないから最後に付け加えて言ってくれたのだろう。
「オスカー、一つ教えてほしい」
「……何かな?」
「ディーヴは……彼は本当に救えたのか?」
彼のものだった【地獄】から溢れ出てくる気持ち。
心に孔が空いたような感覚。
空虚。孤独。虚無。慷慨。悲哀。苦悩。
そんな感情が体を支配し、彼は最後の最後まで寂しい気持ちのまま、勝手に満足した気になって消えたのではないかと思ってしまうほどだ。
シバの国王たる彼から見てディーヴは救われたのか。それとも何も果たせずに逝ったのか……どう見えたのか、どう感じたのか、知りたかった。
「……少し、彼の話をしようか」
オスカーは少し懐かしい顔を浮かべて笑った。
「ディー君は水のようだった。多くの色を……知識を、魔術を、言葉を、教わったことを着実に吸収して自分のものとし、いつでもどんな状況でも臨機応変に変化できる聡明な子だった」
確かに堅物そうな見た目の割りには感情が表に出ていた。初対面の時もそうだった。
「いつからだったか……感情も知識も、自分を彩る色全てが掻き混ぜられた状態になった。悪意には良心、正義には絶対悪。それぞれ相対するどちらの思想の正当性を持ち、真と偽りが分からなくなっておった」
「矛盾……」
「そう、黒い部分を必死に隠し、常に良い顔をしていたせいか………偽りの人生だといつも零していたよ」
「………っ」
そこで間を置き、オスカーは問うた。
ディーヴに最も長く側にいた者に。
「ユニ君、彼の最後は偽りだったかな?」
はっ、とユニはやや俯き気味だった顔を上げた。
しばらくの静寂。みるみる表情が強張り、震える声で応えた。
「それだけは……偽りだったとは誰にも言わせん。ディーは最後に笑った。その顔だけは誰にも……彼の優しさは誰にも否定なんかさせん」
「……うん、なればこそ救われた。偽りの人生に彼は答えを得たように朕は感じた。アベル君もそう感じるのならば、彼は救えただろう」
「………そう、か」
優しく、そして確信を持ってそう言った。
彼の最後は暖かく、安心できる言葉を俺にかけてくれた。確かに未練はあっただろうが……あれでよかったのだろう。自ら選択した最後に後悔はなかっただろう。確信はないが、そう信じたい。
オスカーはひと頷きの後、ユニの方へと向き合った。
───すると、彼は地に両膝をつけて額を擦り付けた。
「えっ……?」
驚く一同。誰も声が出せなかった。
「ユニ君、ディーヴを利用する意がなかったと言えば偽りとなるが、それでも彼には申し訳ないことをした」
「…………」
「彼に愛を知ってほしいと、そなたと引き合わせた。重荷だった時もあったかもしれないが、幸福を感じられた日々もあったという事も知っている。故に引き裂いた事をシバの国王として深く謝罪したい」
ここまで誠実な国王はどこにもいないだろう。
一人の人間に対し、ここまで真摯に詫びる人間はそう多くない。
「そして、シバを守護した偉大なる彼には生涯敬意を払い続けることを誓う」
国王としてだけではなく、彼をよく知る一人の人間としての感謝。
その深く下げた頭には謝罪だけではなく、全幅の感謝も含まれたものだった。
ユニは深く俯かせて、ひとつの相槌を返した。
「…………はい……」
涙を堪えながら、そう応えた。
◆◇
あのあと、俺はエンジェとエリーともに施療院に向かった。今回の騒動で負傷した兵が多数横になっており、忙しなく衛生兵や治癒師が動き回っている。
小鴉丸がメズヴを運んでくれたらしく、まだここにいるとのことで様子を見に来たわけだが……聞きづらい雰囲気だ。
どうしたものか……
「そうだ、お前たちも治療してくればどうだ?」
「えっ? 大丈夫だよ?」
「何を言っているんだ。 体の所々に火傷があるだろ。 治してきたらどうだ?」
「……どこを見ているの?」
さっと体を隠すエンジェだ。
俺は面倒気味に肩をすかせながら返信する。
「……いいから行ってこい」
「ふふ、じゃあ、行ってくるね! エリーも一緒に行こうよ!」
「あ、私は…」
「何を言っているの。エリーもキアラの炎で火傷したじゃん。女の子はお肌を大切にしなきゃだよ!」
「う……分かったから引っ張らないで」
ぐいぐいとエリーを引っ張って行った。
俺はエンジェが肌とかどうとか言った方に驚きだ。
「そう言えば、アートもここにいるんだっけか」
なんとアートは黒道化のハートを相手していたらしい。無理をしたらしく、ここで治療を受けているとのことだ。
じゃあ、アートも探してみるか。
「む? アベルか?」
「小鴉丸か……って、なんだその格好は?」
「ああ、何でもここの制服らしい」
背後の入り口から小鴉丸が出てきた。
あっちから来てくれるとは思わなかった。ちょっと失敗したかもな。
それにしても……黒いナース服を着ていらっしゃる。くびれが強調されており、黒色の生地のせいか小悪魔なエロスが……おっと、小鴉丸の顔がお怒りだ。
「貴様…! エンジェという存在がありながら……!」
「待て待て、そんなつもりはない」
「ならなぜジロジロ見ていた?」
「いや、似合っているなぁと……」
「え、あ……ありがとう……」
うん、似合っているのは本当だと思う。我ながらこんな言葉を出せるのも驚きだ。
それにしてもナースの格好をしているってことはここに運び込んだ際に色々と手伝っていたのだろうな。
「小鴉丸、メズヴは大丈夫だったか?」
「えっと、そうだな。何らかの精神干渉があったが、精神面では安定してるそうだ。それから炎による火傷が酷く、一週間あれば全治するとのことだ」
「そうか……それは良かった」
命に別状はなさそうだ。メズヴはディーヴと幾度と競い合った好敵手の一人でもあったらしい。
目覚めているのなら彼女にもディーヴのことについて話がしたかったが……また別の日にしよう。
「それからアートもいるぞ」
「大丈夫なのか?」
「ああ。全身の筋がズタズタで、靭帯もいくつか切れていてひどい有様だったが、こちらも問題はない。確か……あそこの曲り角を行って、三つめの部屋にいる」
「そうか、ありがとう。行ってみる」
すると、小鴉丸は不思議そうな顔をされた。
「何だ?」
「……少し変わったか?」
「え、どこがだ?」
「なんとなくそう感じただけだ。まあ、とにかくアートはそこにいる。案内してやろうか?」
「いや、大丈夫だ」
行き交う人を避けながら曲がり角を行き、扉の前へと向かった。
この中にアートがいる。カムイの件もどうなったか聞きたいところだ。
必要があれば俺も何かと話した方が良いか……?
と、ドアノブに手をかけて覗いてみる。
「……ん? カムイ?」
カムイがアートの手を握りながら、互いに眠っていた。
何があったのか分からないが……
「……ふっ」
俺はなぜか、少しだけ口角を上げてしまっていた。
「うん、そっとしておこうか」
アートを認められたような気がしたからだった。少しだけアートが一歩離れていった気がして寂しい気持ちもあったが、どこか俺は嬉しかった。
俺はその嬉しい気持ちのまま、施療院から出る。空も真っ暗だ。そして、惹かれるように歩を進める。通りをまっすぐ歩き、広い階段を登って辿り着いた。
「………これは絶景だな」
ここはシバを囲む壁の上。ここからは街の光が輝いている。ひとりひとりの人が笑いながら居酒屋が開き、ガチャガチャと金属音を立てながら今日の戦果を自慢して回る騎士たち。何もなかったかのように、今日があっさりと終わる。
「気持ち良いな」
冷たい風が肌を刺激し、俺は覚醒する。
夜空いっぱいに広がる星々が見え、その下には街、人々、そして、当たり前の日常が広がっている。
───これがディーヴの守ったものだ。
「俺に、守ることはできるのか………?」
「出来るよ」
不意に響いた声。振り向くと二人の少女がいた。
「ここはね、ディーがよく来ていた場所だよ」
「………そうなのか」
エンジェは懐かしそうにそう言った。
俺もここに来た覚えはないのに、懐かしく感じる。
「アルは大切なものを守るために強くなったんでしょ? 何を躊躇うことがあるの?」
「………実は今回の黒幕が俺の仇なんだ。仇討ちと、シバを守ること、どちらを大切にすれば良いのかわからないんだ」
すると、エンジェが、うーんと唸って思いついたように目を大きく開く。
「それって国も救って、仇も討てるってことだよね? 一つことをして二つ得じゃん! ……ってあれ? 得……なのかなぁ」
「……まぁ、それもそうだな」
こういうエンジェの能天気さは助かる。いや、案外そんなものなのかもしれない。俺は復讐を誓い、大切なものを奪わせないために力を求めたのだ。
彼女たちの言う通り、何を迷っていたのだろうか。
「うん、俺はシバを守るよ。約束の為にもな」
そう、彼と約束した。
俺は、ディーヴの気持ちを信じた。
偽りない彼に応えたくて約束したのだ。
「私も力になるよ!何たって王女の一人だからね!」
「…………え?」
「えっ? なに?」
「……………あ、そういえば王女だったか」
「あっ! ひどい!」
いつも通り、プンスコと怒るエンジェ。
そして、隣のエリーに睨まれる。
ごくありふれた情景だ。
───何だろう。この気持ちは……
「なあ、ここまでどうやって来たんだ? 行き当たりばったりで見つかる場所ではないだろ」
「えっとね……治療もすぐに終わってね。アベルを見かけたから何をしているのかなーって」
「……ストーカーか?」
「ち、違うよ! ほら、エリーもいるし!」
「声を掛けようって言ったのに駄目って言ったわ」
「待って、違うよ! なんか声かけづらくて……」
「言い訳よ。見苦しい」
「うぁーーー! みんな、冷たい!」
……ああ、そっか。この、俺がここにいる感覚。
これは生前に求め続けて止まなかったもの。
人と人の繋がりの中に、俺は確かに存在している。
「ハハッ!」
ディーヴは俺をも救った。
自覚させてくれた。
俺は───もう一人じゃないんだ。
◇◆
内外部の侵略は止められたが、シバの危機は何も終わったわけではなかった。
この事件から数日後、
ベヒモスより獣人の軍勢が進軍した。




