40話 取り戻せぬ滅び
禍々しさが充満するの部屋。
羊皮紙が散らかり、棚には試験管やフラスコやら実験を行なった痕跡。悪趣味な部屋に一人、羽ペンを強く握り、一つの羊皮紙に顔面を切迫させていた。
己が血を混ぜ込んだインクに羽ペンをつけ、羊皮紙に魔術陣を描く。長髪も荒れ、汗を垂らし、一筋一線に力を込めて構築する。
「────『錬成』!」
彼は、ディーヴ・ライラック。
「ふう──…」
集中を切らし、大きく息を吐く。
そこで、コンコンと扉を叩く音が響いた。
「アベルだ。ちょっといいか?」
「どうぞ」
彼は訝しげに部屋を見て回りながら入り、ディーヴを歪んだ目で睨む。
怒りではなく、何から話せば良いのか分からないと言った困惑の瞳だ。
「本日は何用ですか?」
アベルが来たことに嬉しく思ったのか、表情を綻ばせた。
アベルはひと間隔置き、口を開く。
「…ユニとはどういう馴れ初めで?」
ふふ、とディーヴは笑う。
「開口一番にそれですか」
「いや…すまん」
「アベル、その話をしに来たわけではないのでしょう?」
「………ああ」
視線を伏せて、ディーヴへと戻す。
「単刀直入に聞く……どこまで知っているんだ?」
「……その話をする前に」
パチンと指を鳴らし、部屋に響音が浸透する。
『無音』の結界を張った。
「念のためです。決して貴方を陥れるためではありませんので、ご安心を」
結界を張った瞬間、アベルは後ろに飛びのき、半透明の剣を持った。
その言葉に偽りがないか、数秒睨み合い、ひとまず話を聞こうとアベルは剣を下ろす。
「黒道化団も禍も知っています。それだけではなく、貴方がイザベルの息子であることも」
「……なぜそれを…」
言わずして告げられる。
「コリオリに滞在していた黒妖精はただ一人」
包帯で巻かれた顔をアベルへと向ける。
「───私の姉上、イザベルです」
◇◆
ディーヴ曰く、コリオリで起こった事件は後ほどに調査が行われた。レイアが生存者をシバへと送り届けた後、すぐに調査団が派遣されたらしい。
洞窟の教会で発見された凄惨な死体の調査結果、母以外に黒妖精はただ一人もいなかった。
その真実により、”母が黒妖精”、”コリオリ出身”、そして、俺の持つ種族能力により、俺をイザベルの息子と断定したそうだ。
「そうか…最初から分かっていたんだな」
「言わずしてすみません。とは言っても、最初は予想していた程度でした」
「最初といえば、突然のマシンガントークで驚いたな」
「お恥ずかしい。予想程度とはいえ、思わず喜んでしまったのです」
ディーヴは照れ臭そうに笑った。
俺は用意された紅茶を飲み、一息付く。
「ディーヴ」
彼に伝えなければならない。
「俺は母さんを殺した」
「………どういうことですか?」
ディーヴはみしりと眉間をよせた。
やっぱり怒るかな。
「あの時、俺は母さんに黙って幼馴染を助けに行ったせいで死んでしまった。俺が先走らず母さんと一緒にいれば避難できていたかもしれない」
「…………ふむ」
「母を犠牲に、"禍"は俺に取り憑いた」
俺が先走らなければ、お母さんも死ななかったかもしれない。癪だが、黒道化のハートの言う通りだ。
だから、母の弟である彼には責める資格はある。
「やはり、ですか。リディックから魔神と戦い、生き残ったと書き留められていましたが、邪神や原初級ではない限りありえないとは思っていました。なるほど……それなら納得です」
「俺を責めないのか?」
「……何を、ですか?」
「俺を産まなければ、母さんは死ななかったかもしれない。それだけではなく、俺が世界を滅ぼすかも知れない」
「……………」
「大魔導士であるあんたは滅びを許さないはずだ。今は死ねないが、時が来れば殺されもしよう……あんたにはその資格はあるはずだ」
「いいえ、私にその資格はありません」
ディーヴは頭を振り、即座に断言した。
「なぜだ?」と口を開こうとした途端、
「だって、私が提唱したのですから」
瞬時に理解してしまった。
その言葉が意味するは──仇。
「───は?」
「私は世界を恨み、破滅させようと邪神降誕の儀を提唱しました」
儀を提唱し、邪神を降誕させようとした。
あの、吐き気の催す殺戮を思想した者が目の前にいる。
「姉上を殺したのも当然です。こちらこそ、私を殺したいと言うならば受け入れましょう」
「お前…が……」
思わず腰を上げたが、「いや、落ち着け」と俺は暴走気味た憎悪を抑え込む。
彼はまだ「提唱した」としか言っていない。
そして、何よりユニとアリッサを見るあの目は嘘じゃないはずだ。
彼が仇と断定するのは早計だろう。
「……それだけじゃないだろ?」
はっとディーヴは少しだけ眉を動かし、安堵したように息を吐いた。
「…いえ、ありがとうございます」
絞り出すように礼を言った。
今度は掻い摘まずに事情を語った。
「ベル姉上と私は邪神の呪いで眠っていましたが、二十年ほど前に目を覚ましました」
母さんが王子の口づけで目を覚ましたという話だったな。
「ベル姉上は私をシバに預け、コロナ帝国に向かった直後です。邪神ではない何者かに帝国を滅ぼされ、ヘーリオス大陸がほぼ消滅した、とオスカー様から教えられました。……にわかに信じられませんでしたよ」
俺でも信じられなかった。
エンジェだって、信じられなくて家出をした。
大陸が消滅したなどと現実味もない話をすぐには信じられる訳がない。
「ベル姉上は行方不明となっていましたが、私は死んだと思いました」
だが、ディーヴは違った。
行方不明だと伝えられたその言葉が信じられなかった。
「それからです。姉上のいない世界などどうでも良いと恨みました。孤独と世界に向けた憎悪の渦の中に陥っていた時、声が聞こえました」
「声…」
「深い闇の中に揺らめく暗澹の闇が囁きました。邪神がその願いを叶えてくれる、と。世界を滅ぼしてくれるのならば、ナミ姉上を殺した邪神であろうと構わないとさえ思っていました。滅んだ後の世界など、知ったことではありませんでしたから…」
一言で言えば、勝手、だ。
向けるべき仇がわからず、八つ当たりに世界を滅ぼすなど本末転倒にもほどがある。
「……矛盾していますね。ですが、手段はなんでもよかったのです。私は2年間部屋にこもり、あらゆる本を漁って儀を構築法を模索し完成させました。私は儀を記した「降誕の儀典」を完成させたのです」
ディーヴの表情は暗かった。
己が用心深さに後悔したのだろう。
「同時に、私はずっとわからなったのです」
ディーヴは紅茶を飲み、ゆっくりと机に置く。
「──愛が、理解できませんでした」
俯き、暗い表情で手を見つめるような動作をした。
「”愛”とは抽象的なもので、不確かな拠り所です。私にはなぜ、生き物は”愛”に依存するのか分からなかった。なぜ、姉さんが”愛”のために死ななければならなかったのか、理解できなかった」
怒りをあらわにする様に、見つめる手を強く握りしめた。
「愛を教えてくれたのは、ユニです。私がこの国に居残る理由を作るための婚約だったことを承知した上で、私の隣にいようとしてくれました……ユニは私を愛してくれました。彼女の笑顔に何度も救われました。そして、最愛の娘、アリッサを産んでくれました」
握りしめていた手をほどき、胸へと添えた。
見上げたその顔は申し訳そうで、とても優しい顔だった。
「この……温かい気持ちを裏切りたくなかった。姉上のいない世界を滅ぼすよりも、ユニとアリッサがいる世界を選びました」
気持ちに偽りはない。
今ならわかる、と決意に満ちているようだった。
「そう……」
直後、優しかった表情はみるみる怒りに染まり、拳を振り上げ机を叩いた。
「決意した瞬間に奪われたのです!」
王宮の隅から隅まで探したが発見できなかった。
オスカーもレイアも彼が提唱していたということを知っている。メズヴに至っては森林の一部を消し飛ばすほどの大喧嘩になったそうだ。
「転移魔術も使い、探しましたが時は既に遅し。世界各地に放たれた黒い流星──器に邪神を降ろす儀が発動しました」
何を苦悩してどう考えたかまでは分からないが、彼も彼で必死だったことも痛いほど伝わってきた。
彼がやってきたこと、その気持ちは決して、軽んじて良いものではないはずだ。
俺は正直、事情を知った今でも彼を責めたかったが、出来る訳がない。
「アベル」
いつのまにか、ディーヴは俺の方を向いていた。
「復讐は心的外傷です。自分の中に渦巻く感情に矛盾があろうと、心に空いた穴を埋めるべく、どんなことだってやります。そして、そこに間違いはないと錯覚します」
包帯の巻かれて真っ暗なはずの瞳がしっかりと俺の姿を捉えているような気がした。
「私は一度全てを恨みましたが、今この手に愛するべき存在があります。そのためならば私の復讐など、どうでも良いのです。故に私は貴方に言わせていただきます」
それは何度も聞かされてきた言葉。
「───復讐せねど囚われないでください」
一瞬、ディーヴが師匠と被って見えた。
「君はベル姉さんに似て、本当に優しい。幼馴染みの子を助けに行った、その優しさだけは絶対に失わないでください」
ディーヴはそう締めた。ふう、と息を吐いたディーヴの顔は晴れ晴した表情に変わった気がする。
「紅茶淹れなおしますね」
机に置かれているティーポットを持ち、トポポと淹れた。カップから溢れる香りはとても優しかった。
「どうでしょうか?」
「…ああ、とても落ち着く」
「…それは良かったです」
ディーヴも自ら入れた紅茶を飲み、ゆったりとした束の間が過ぎた。
カチャリとティーカップを置く音が静かな空間を変えた。
「もう一つ、お伝えしていないことがあります」
ディーヴの顔は真剣そのもの。
俺も表情を引き締めた。
「皮肉なことに儀が発動したことで、関係者は判明しました」
ぞわりと背筋を凍らせる。
ずっと見えなかった仇敵。それが今、判明しようとしていた。
俺は、静かに目を鋭く細めた。
「ベヒモス王」
東方の彼方にある獣人の大国ベヒモスの王だ。
「現王の名はネロ・クラウディウス・ライバック・ミスルトー。”獣竜王”と名乗り上げ、獅子王クラウディウスを失脚させ、たった二年でシバと双肩する国へと変貌させた王です。間違いなく、コリオリで起きた儀は彼が手引きしています」
かなり最近の出来事のようだ。
それに、獣竜王ネロ……聞かない名だ。
獅子王クラウディウスならば知っている。
別名「解放者」、奴隷国ジズを崩壊させ、解放した王だ。
獣人の間では絶大な信頼を寄せていたはずだ。
そんな王をこき下ろしてたった二年でそこまでの大国にするなど、通常はありえない。
「彼は道化を操り、世界を支配しようとしています。黒道化のハート……彼女はシバを内部崩壊を狙っていますが、阻止する備えもそろそろ終わります。貴方にも一つ、ご協力いただきました」
「…あの任務がそれだったとはな」
いつのまにか使われていた。
少しだけ癪だが、微妙に利害は一致してるにはしてる。
よしとしよう。
「私は二年で作ってしまった滅びの一手を消すために、五年間を費やしました。まだ、その全ては語れませんが……貴方の力が必要不可欠です。虫が良いということは分かっています」
じっと俺の瞳を見て、手を差し伸べられる。
「力を貸していただけますか?」
対する、俺の答えは……
「約束はできかねるな」
正直、守れる気はしない。
できない約束はしない。
「だが、あんたの言う全てに偽りがないと分かった。全てを信じるわけではないが、救いたいと言うあんたの気持ちに応えたい」
約束はできないが協力はしたい。彼の言うこと全てに真摯さがあり、嘘偽りがなかった。
俺は、彼の真摯な気持ちに応えたくなった。
「可能な限り、俺も手を貸そう」
俺の捻くれた答えに、表情を綻ばせた。
「ふふ、約束ですよ」
◇◆
アベルは紅茶を飲み、帰って行った。
部屋に残るディーヴは未だに地に散らかる魔術陣の回収に取り掛かる。黙々と羊皮紙をまとめていると、再び部屋を叩く音が響く。
「今日は来客が多いですね」
返答も待たずに入って来たのは双剣の冒険者。
「おや、ヴェルダーさん。今日は何用ですか?」
「面倒ごとを押し付けといてその反応はないだろう」
「貴方もずっとその姿をしているもので、思わず」
「……君も悪い人ですね」
「ハハ、君ほどではありませんよ───ファントム」
ヴェルダーは自分の顔に手を触れると、顔が霧と化した。黒髪の一房に銀が染まり、露わになった美女と見まごう美丈夫が微笑んだ。
「その呼び方はやめてください。恥ずかしい二つ名ですから」
”幽幻” アカイム。
その名と双剣を操ること以外の素性は全て隠されている謎多き暗殺者である。
「相変わらず散らかってますね。手伝います」
「ありがとうございます」
と、私は地に落としている羊皮紙を拾い上げる。
「……あ」
手から羊皮紙が滑り落ちた。
「…そこまで進んでいるのですね」
「はい…私にはもう時間がありません」
羊皮紙を拾い上げ、向かい合う。
「貴方から見てアベルの印象はどうでしたか?」
「危うさを併せ持つものの、人のことを優先する--自己犠牲が見て取れましたよ」
「そうですか…なら、計画通りに進めそうですね」
「……そう簡単に人の気持ちは解明できませんよ」
「私が失敗しようと、成功しようと、その結末は変わりません。アベルがどう決断しようと、ね」
ふぅ、とため息をつく。
「そちらの仕掛けは終わったようですね」
「教会から溢れ出た魔物の掃滅に手間を取りましたが、滞りなく完了していますよ」
「感謝いたします。後ほどにレイアさんにもお伝えしましょう」
集めた魔術陣の羊皮紙を置く。
「さて、始めますか」
ついに組み立てられた歯車が動き出す。
読んでくださりありがとうございます。
ようやくこの回を書けました…
次話予定「光の騎士」