36話 英雄に献杯
"紫丁鍛治"は王家専属の鍛治師が構える店。シバ国から賜う剣や盾、鎧は全てこの店が手掛けている。
なんでも千年も続いている鍛治屋らしい。代々と引き継がれてきた腕は一級品で、持つだけで絶類抜群の力が得られると触れ込みだ。
「頼んでおいてなんだが…信頼してもいいのか?」
「だから言ってるじゃろ!大丈夫じゃ!」
「部屋が黒いのって失敗したからだろ。大丈夫か」
「試作品を作ったからじゃ!修理は完璧じゃよ!」
うーん、と俺は訝しげな目でユニを見つめる。
「まあまあ、ユニの言うことは確かですよ。私が保証しましょう」
「ディーヴが言うなら……」
「何なのじゃ、その信用の差は⁉︎」
とりあえず、俺の腰に差していた3本のナイフを研磨してもらう。確かに鋭さも増していき、輝きも取り戻して行っている。
腕は確かなようだ。
「ほいっ!ナイフ三丁終わりじゃ」
俺はナイフを受け取り、空中で弄び腰へ携える。
「ほー大したもんじゃの」
「暗殺者の適正とはこういうことだったのですね。会得がいきました」
「いや…これは曲芸レベルだろう…」
殆どナイフを使用した場面はない。目潰しや小さな物を狙う時に使っている。
「あ〜〜〜……! よく寝た」
「もう、何てはしたない姿じゃ」
「先日から会議会議会議で寝不足だったんだ。勘弁してくれ」
大女がおっさんのような奇声で頭を掻きながら、ユニの作業場へ現れた。
「…応、アベル? なぜここにいる?」
「誰だ?」
「……ハッハッハッハッ!誰とは随分じゃないか!」
「その仰々しい大声…レイア……か?」
「応よ。鎧姿ではない俺様とご対面は初だったか」
レイアって名前から女性っぽいなあ、とは思ってはいたが真に女だったとは…
あの鎧姿は男だと見違えてしまう。その大きな胸や凹凸の激しい起伏も、鎧で隠されていたから分からなかった。
「応、俺様に惚れたか?」
「いや、タイプじゃないからそれはない」
きっぱりと断りを入れる。
こう見えて俺は健全な男子としてのエロはあるが、タイプとは別の話だ。
「……応…そうか」
あらかさまにショック受けんじゃねえよ。応が「おぅ…」に聞こえるじゃないか。
図体に似合わず精神は繊細なようだ。
「何を落ち込んどるんじゃ。でかいのは図体だけか」
「躰はでかくても女だ! …いや、それよりも俺の剣は仕上がったか?」
「できてるよ、ちょっと待っておくれ」
奥から大剣を両手で抱え持ち、レイアに渡した。
「それは…盗られた剣じゃないか」
「あっ!しーーーっ!」
「なるほど…そういうことですか」
ユニの背後に黒い炎を纏ったディーヴが手を組んでいた。
「あ…その…実はの……大剣を持って王宮に持って行こうと思ったのじゃが……」
「じゃが?」
「う……美味しそうなプーリンを見つけて食べておったら……」
「油断して盗られたと。今日はプーリン抜きます」
「嫌じゃああああ!」
「時には反省してください。これで何回目だと思ってるんですか」
「うぅ……」
しゅんと落ち込むところに、アリッサがカムイの膝から飛び出して、とことこやってきた。
「ママ、大丈夫?」
「わしの癒しはやっぱり愛しのアリッサちゃんじゃぁ…」
「でも、はんせーはしようね」
「うっ…」
娘の方が大人なようだ。身長はまだユニの方が高いようだが…
アリッサの方が姉さんに見えるじゃないか。
「それで、レイアさんがわざわざ赴くのも珍しいですね。何かありましたか?」
「応、その話をする前にここから音が聞こえないようにしてくれ」
「……分かりました。響きよ、消え失せ『無音』」
指をパチンと鳴らし、鍛冶屋と外部の音が断絶された。
「それほどの話なのか。俺らは退散した方が?」
俺とアート、カムイはシバ国関係であれば場を引くべきだ。
外部に情報を漏らしたくないってことは何か、重大な話だろう。しかも、第一戦力のレイアが武器の受け取りを仮託けてわざわざここに来たのだから。
「応…そうだな。カムイ」
「は、はいっ!」
「これから話すことを口外しないと誓えるか?」
「えと…祖龍に誓って口外しません…」
「確か、純潔竜人にとって祖龍に誓うことが最大の誓いだったか?」
「間違いなく」
ディーヴはそう答える。彼は何でも知っているようだ。
だから、リゼの出身について聞いた時知らなくて落ち込んでいたのか。
「ならば良い。じゃあ、話すぞ」
「え…俺は?」
「応、元々お前から聞いた話だ。問題あるまい」
「俺から…? あ…その話か」
剣聖の死についてだろう。レイアに話したことはそれくらいだから間違いあるまい。
今、ここにいるユニは師匠の親族だ。正直居合わせたくない。
だが、どんなに責められても俺は偲ぶべきだ。俺には責められる資格がある。
レイアはすぅっと息を吸って吐き、ライラック夫婦両人に引き締めた目を向けた。
「我が友にして我らが英雄ーーユージンが逝った」
「ーーー兄様が…」
「王にはすでに話してある。生ける伝説だった剣聖の死は秘匿することにした」
「そっか…ようやく死ねたんじゃな…」
ユニは悲しい顔しつつも、安堵した目だった。
そして、意外なことに誰もが涙を流さなかった。誰もがユージンの死をすでに受け入れているようだった。
「アベル、兄様の最期はどうだったのじゃ?」
「……最後まで俺を守ってくれた。師匠は俺のせ…」
「自分を責めるのは止すのじゃ。兄様の死はすでに決まっていた。邪神を討った時からの」
「………」
「応、ジンは邪神を討つ時に無茶をしてな。当時、奴の体は既に半霊化し、少しずつ存在が消えていっていた。奴は肉体も残さず、消えて逝ったのだろう?」
俺は静かに、ただ頷いた。
本当に跡形もなく、師匠は去った。
全て俺に託して……
「兄様のことだからお主に何かを託したのじゃろ?」
「あ、ああ………」
アイテムボックスから神胤を取り出す。
「………浄化の刀か」
「師匠が去りし時に俺が継いだ。俺には荷が重いが…」
俺は未だに葛藤している。
どんなにこの刀を振るっても魔物を倒しても、師匠が俺に託した価値などあったのだろうかと。
もしも俺がいなければ師匠はもっと生きていられたかもしれない。
ここにいるみんなにも会えていたのかもしれなかったのだ。
「ふふ、兄様も良い弟子に出会えたようじゃの」
「俺…は……」
良い弟子なんかじゃない。師を死なせる弟子など碌でもない。
俺がいなければ…もっと良い死に方もあっただろうに。
「応、そんな顔をするな。後ろを向くよりも前を見ろ」
「そうじゃ。己が死んでも悲哀に沈むよりも笑っていた方が良いとも言っておった。その方が浮かばれるとな」
「師匠が…?」
「お前には奴の”技”を継いでいるのだろう? 奴の死に意味はあった。俺はそれだけでいい」
俺の肩に強くレイアの手が置かれる。
じんわりと肩から師匠への信頼が染み込んできた。
「だから、笑え。笑って奴を見送ろう」
とても、笑えそうにない。
その言葉に安堵を感じても、笑えない。
「………はは…」
枯れた声で笑う。
未だに後ろに向いている俺には笑えるものか。
だが、それ以上に…
「…師匠らしいや……」
ジン師匠はいつも笑っていた。
瞳の奥に何か燻らせながらも笑っていた。
そう思うと、涙が一筋零れた。
「………ははっ」
ジン師匠は逝ったのだ。
◇◆
師匠の死を涙したのは初めてだ。
とはいえ、会って一日も経っていない人たちに泣き顔を見られた。
「………すまん」
「ハッハッ!人並みの感情があって何よりだ」
「こんな優しい弟子を持って兄様は幸せ者じゃの」
「…くっ」
恥ずかしくて顔が火照ってしまう。
くそぅ…泣くんじゃなかった。我慢しとけばよかった。
「応、来ていたのなら声をかけて下さいよ」
「ん……?」
背後を見ると、白い髪をまとめた老人と、その後ろに白い騎士が携えていた。
白髪白髭の老人はどこか見覚えがあった。
老人の背後からひょこ、とエンジェが出て来た。
「えへへ…来ちゃった」
俺は羞恥に悶え、目全体を手で覆って俯く。
「アベルでも泣くんだね」
「やめてくれ……」
「ブフッ!」
と横に立つアートが盛大に吹き出した。この野郎、気付いていたな。
しかし、ドレス姿ではなく、村人の娘のような格好だな。
「わざわざ出向いていただき感謝する。王よ」
レイアは老人に頭を下げた。村長のような格好の老人はシバ国王、オスカーだった。
「よい、今宵はメズヴと妻に城を任せて来たのだ。ここでは友として接しておくれ」
「応、それでエンジェには…?」
「その件は話している…といってもアベルからすでに聞いてたようでな。今回の催しに関しては盗み聞きしてついて来たようだ」
「エンジェ……」
そっぽを向いて口笛を鳴らすエンジェだ。
「応、相変わらずで何よりだ。ディーヴ、突然ですまないが…」
「私には少しばかり衝撃はありましたが…そういうことでしたら大判振る舞いしましょう」
みんな決まっているような雰囲気だ。
「何をするんだ?」
「宴を開くのです。ユージンさんを悼む……宴です」
宴…か。食ってこなければよかった。
水を飲むだけにしようか。
「ねえねえ、今夜はプーリン出してくれる…?」
「……仕方ありませんね。特別ですよ」
「やった!」
ここぞっとディーヴにおねだりするユニ。
正直、プーリンがどんなものが気になる。プッチンしてプルプルするやつだろうか。
「応、お前はどうする?」
白い騎士に尋ねる。
華奢な腕をしているが、これでもシバ第三戦力を誇る強者、リゼだ。
「護衛のためですから…帰ります」
聞きたいことがあったのだが…仕事人だな。
「応、メズヴによろしく言ってといてくれ」
「……はい」
ひと頷きすると、さっと去ってしまう。
「さて、ユニ、レイアさん、いつもの酒屋に酒をひと樽…では足りませんか?」
「応、十樽持ってくるぞ!」
「了解したのじゃ。アリッサちゃん一緒に行く?」
「おさけのお店、さけくさいからやだー パパをてつだうー」
「では、料理ができたら食器の準備お願いできますか?」
「うん!」
とことことディーヴについて行った。
「あぁ…アリッサちゃん……」
振られて盛大にショックを受けるユニ。
本当に母親なのか。
「でも、怪我にだけは気をつけるのじゃ。パパの言うことをちゃんと聞くこと!」
「はーい!」
ちゃんと母親はしてるようだ。
「…俺たちはどうしたらいい?」
何も指示がなかった俺を含む五名。
「ああ、すみません。二階に食卓がありますので、軽く掃除して待っていてくれますか?」
「分かった」
掃除組の五名は上へと向かう。
ソファーが一つ置いてあり、カーペットの上に木の長机が一つ置かれている。
しばらく部屋に手をつけていなかったようで、何かメモの書いた紙がいくつか散らかっている上、少し埃がかぶっている。……軽くどころじゃない。よし、プチ大掃除だ。
「アート、カムイ、オスカー…様?」
「ハハハハ、そう畏まらんでも良い。朕は隣の老人だと思ってくれれば良い」
「では、オスカーさんの三人は散らかっている紙を回収して、そこの花瓶が置かれている棚の上にまとめてくれ」
「棚に置けば良いのだな。承知した」「は、はい」「わか…」
「アートはゆっくりな」
「チッ」
三人は地に、机に散らかっている紙の回収を開始した。
アートの移動速度はかなり早い。その速度で暴風が発生するかもしれないのだ。
さて、俺とエンジェは埃や所々汚れている煤の拭き取りの準備だ。
「エンジェはディーヴに掃除組全員分の布をもらってきてくれ。俺は水を汲んでくる」
「……すごいね。叔父様に指示するなんて…」
「…無礼だったか?」
「ううん、その方がいいと思う。叔父様はいつも気を張っているから、こういう時くらいは気を抜きたいって溢していたから!」
「そうか」
これでいいらしい。まあ、王っていうのはやはり、息の詰まる仕事なのだろう。
毎日毎日、精神をすり減らしながら勤め、友や親族相手でもそうだとしたらやってられないのかもしれない。
とにかく水だ。汲みに行こう…あれ、どこだ。
「ディーヴ、水…」
大魔導士らしく魔術に任せて作っているものかと思ったが、そうでもなかった。空中を舞う根菜を包丁で切り裂き、力強い鍋捌きで次々と作っている。火炎料理人だ。
「おや、どうしました?」
「あ、ああ……汲み場はどこに?」
「裏にありますよ。妻の作業場から行けます」
「分かった」
驚きを引っ込め、ユニの作業場を通って裏へと向かうと汲み場があった。
もう空は真っ暗に染まっている。この国からも星々は綺麗に見えるようだ。
俺は木桶を落とし、引っ張る。二つのバケツに注ぎ込んで運ぶ。
戻る頃には散らかっていた紙は全て棚の上にまとめられていて、エンジェも布を持って待機していた。
俺たち五人は窓、机、床の三つに分担して掃除だ。人数も多いのもあり、すぐに部屋はピカピカになった。
そこにディーヴが料理を魔術で浮かばせて持ってきた。
「おお、綺麗になりましたね」
長机に料理が並べられていく。どれも知らない料理ばかりだった。曰く、殆どがシバの郷土料理らしく、魚料理が多い。
そして、後から遅れてレイアひと樽抱え、ユニは酒十瓶入っている木箱を持ってきた。ユニも見た目に似合わず怪力なようだ。さすがはドワーフ…か。部屋には1つの樽が運ばれたようだが、まだ外に9樽置かれている。殆どレイアが飲みそうなイメージだが、ユニも飲みそうだ。
ともあれ、準備は終わった。俺とアートは水を頂き、アリッサはウリンゴジュースだ。それ以外全員は酒。
全員がガラスコップを持ち、立役者たるレイアが乾杯の挨拶だ。
「三十四年前…ヘーリオス大陸を支配せんとした邪神を共に討った。その戦いの果てに多くの友を失った。そして今、一人の友を失った。この気持ちはいつまでも慣れることはないだろう」
少し悲しそうな顔で硝子のグラスに注がれた透明な酒を一瞥し、前を向く。
「だが、我らは前を見なければならない。悲しくとも笑おう。それが奴の願いでもあった」
杯を掲げ、献杯だ。
「我らが英雄、ユージンに!」
俺の唯一人の師にして、世界の英雄に酒を捧げた。
広大なるシバの中の一軒、小さな宴だったかもしれないが、これが師匠の望みだったのかもしれない。親しき者、縁者、ライバル、みんな笑いながら騒いだ。その笑い声がジン師匠を悼むように響く。
泣き上戸だったレイアは涙を盛大に溢れさせながら、師匠のありし頃の思い出をオスカーと相互に語った。
なんと、レイアは幼少期からのライバルであったと同時に恋慕も抱いていたそうだ。昔は最弱の剣士とよくいびられてもニコニコと笑う気味の悪いやつだったんだとか。レイアが見かねてよく守ってあげていたらしい。修練もよく相手にしてあげていたが、いつのまにか自分を超えられたという。そのことにショックも受けるも、それ以上に努力する彼の姿に惚れてしまっていたらしい。意外だ。
ユニも子供の頃、眺めていた兄様の姿やその思いを漏らした。そこで、意外なことにディーヴが嫉妬し、ムスッとし、そんな彼にアリッサは歩み寄り膝の上に鎮座した。カムイやエンジェは生ける伝説の知らぬ面に驚きつつも、人間味の溢れるエピソードに笑う。
騒ぎは夜遅くまで続いた。俺もまた、響く笑い声とたまに泣く声が、なぜか心地良くてずっと眺めていた。
そして、久方ぶりに思い出す。
「復讐せねど囚われるな--か」
この言葉が今、形を作っているような気がした。
「アベル、何を黄昏ているんだ?」
「……ちょっと…な。師匠のことを思い出していた」
復讐が全てではない。
そうと言われている気がした。
「ア〜ベ〜ル〜……ねえ、なんでよ〜〜」
へべれけのエンジェがくっついてくる。
酒臭っ。そういえば小鴉丸はどうしたんだろうか。
「小鴉丸はどうした?」
「置いてきたーーー!」
「おいおい、いいのか」
「いいんですー!忍びで来たんだからいいんですぅ!」
いいものだろうか…
今頃部屋で落ち込んだりしていないだろうか。
「そーれーよーりーもーー何度も何度も好きだって言っているのにー私のどこがダメなのーー!ちゃんと私を見てよーーー!」
かーっ!とプンスコしたら俺の膝に倒れ、すやすやと眠った。
飲んでも飲まなくても忙しないやつだ。
「たまには応えてやったらどうだ」
「……分かってて言っているのか?」
「ああ、分かってるとも。どれだけ長く一緒にいたと思っているんだ。エンジェがもう疾うに大切な存在になっているってことくらいはな」
「大切な存在…か」
アートの言葉はいつも俺の心を深く突き刺す。
膝で眠るエンジェの髪を思わず撫でる。
「……怠惰だな」
◇◆
夜も遅くなった。エンジェは潰れて幸せそうに寝ている。
ユニとアリッサもソファーに寄り添って眠っている。アリッサも母親に抱かれ、安心して眠っている。こうして見るとやはり親子に見える。
神胤の点検はまたの機会でいいか。
「ゆっくりおやすみなさい」
布を掛けるディーヴ。この人、四樽飲んだにも関わらず全く酔っていないのだ。
レイアは三樽、ユニは二樽、残りのひと樽は三名飲んだようだ。オスカーとカムイは程々に飲んだらしく、あまり酔っていないが、ひと樽未満でほろ酔い状態だった。
そんなわけで、一番の酒豪はこの人だった。
「じゃあ、また…明日…」
「ああ」
カムイはエンジェを背負い、王宮へと向かった。
酔いから少し覚めたレイアとオスカーは明日朝早いらしく先に戻って行った。
「お前は戻らなくても良かったのか?」
「私は私でやることがありますので…それに妻と娘と少しでも一緒にいたいですからね」
「…愛しているんだな」
「ええ、私の全てです」
全て…か。
「二方も王宮に戻られるので?」
「ああ」
「夜も物騒ですので気をつけてくださいね」
紫丁鍛治から離れ、王宮の寝床へ向かう。夜中の道は海が近いのもあり、冷風が寒い。
さすがにこの時間帯で開いている店も無いようだ。
昼騒がしかったのが嘘のようで、闇討ちにでも遭ってしまいそうな雰囲気。
カムイとエンジェは大丈夫だろうか。カムイがいるから大丈夫だと思うが…王宮に着いたら念のため、安否確認しよう。ドアもちゃんと叩いて生存確認しよう。ラッキースケベはしてなるものか。
そう思った俺は王宮へ一直線に足を早めるが、教会に通りかかり足を止めた。
「教会…か」
洞窟だったが、母が殺された場も教会だった。
朧げだが、セトの格好も教祖の礼服だった気がする。ここの教祖にセトのことやこの世界の宗教について教えてもらうのもありか。
そう思っていると、妙な気配を感じた。
「……なんだ、この気配」
「…うぐっ…鼻がひん曲がりそうだ」
アートは鼻をつまんで顔を歪める。
異様な悪意と殺意を嗅ぎ取っているのだ。ここまで顔を歪めたのは餓竜以来だ。
俺は静かに『気圏』を展開した。
「この上…教会の上からだ」
「ああ、気圏もその辺りに反応した」
俺たちはその気配、臭いの元を確かめるべく教会の屋根へと向かう。
ひと飛びで庇に足を引っ掛け、ふた飛びで屋根の上へと到着した。
「キャハ♪」
白銀に輝く鐘楼の隣に、月光に反射して薄らと見える桃色のツインテール。笑う道化の半仮面が左顔を覆わせている少女が振り向いた。
薄気味悪い、嫌な気配に顔をしかめる。
「誰だ?」
「キャハハ♪ アタイは黒道化団のハートよぉ」
道化。師匠が言っていたわずかな手掛かりの一つだ。
話の通じない頭の狂った集団で、コリオリを襲った際、何者かに殲滅されていたという。旅中に幾度か道化の名は聞いたが、謎だらけの集団で奴隷商人とも宗教集団ともつかずだった。
「てめえらの方から向かってくれるとはな」
「アンタ…いいねぇ♪ セトから聞いてたけど、イケメンになっててびっくりしたわあ。それに、何よりその最奥に潜む悪意が特に良いねぇ。 でもぉ…それだけに残念だねぇ」
セト………だと?
「おい、てめえ…セトとはどういう関係だ?」
「キャハ、怖い顔〜♪ セトねぇ…仕事仲間というか…大先輩かなぁ」
「コリオリを知ってるか?」
「キャハ♪ そういえばそんな場所なんだっけぇ。そういう君こそ、禍の忌子よねぇ?」
「…………」
「やぁっぱり♪ 道理で我が主と同じシンパシーを感じていたんだぁ!」
「それはコリオリの襲撃の首謀者か?」
「んん〜どうだろうねぇ♪ 簡単に教えてくれると思うぅ?」
顔を傾げながら、ギャハハと嘲笑してくる。
今すぐ目の前の道化を叩きのめして聞き出したいという衝動を抑えろ。冷静に、冷静に、冷静に冷静に…
「あ、そっか。アンタ、大好きなママを殺されたんだったね」
「…………」
一瞬で、鎖が壊れる。
胸から心から黒いモノが溢れ出る。
「邪神の依代だと生まれた時から分かっていたのに庇っていたんだってねぇ〜君のママ、本当、面白いことをするなぁ♪」
「…………………黙れ」
「可哀想に可哀想に♪ 生まれたのが君ではなかったら……」
「黙りやがれっ!」
衝動赴くままに地を蹴り、くそったれな道化野郎を鐘楼の柱に叩きつける。
「痛い痛い♪」
「……汚い口で母を語るな。ただ俺の質問に答えろ」
「うふふ…君の眼……とぉってもいいねぇ♪」
「黙れ」
俺は首を握る手を強める。
「ふふ…苦しい苦しい」
「……お前たちのボスは誰だ?」
「ごっめ〜ん♪ それは言えないねぇ」
「なら死ね」
ハートの首を一直線。鐘が横に割れる。
だが、背後から気持ちの悪い笑い声が聞こえた。
「キャハハハ…ひとまず退散させてもらうねぇ…計画の前に無駄な魔力の浪費はしたくないからねぇ♪」
「………何をする気だ?」
「言うわけないでしょぉ♪ でも、そうねぇ……その時に貴方が生きていれば、たぁっぷり相手にしてあげる♪」
「逃がすか」
足を薙ぐアートだが、ハートの体を素通りする。
ハートは嘲笑のままに、黒い靄に消えて行った。
「チッ、逃したか……アベル、大丈夫か」
「…っ、くそったれ………」
月下の暗闇で俺は悪態をつく。
ーー
読んでくださりありがとうございます。
次話予定「フラッシュバック」