➤30話 長い寄り道
気まずい空気のまま、帰り道は何の問題もなく真っ直ぐ街に戻れた。ただ考えることが増えたせいか、沈黙が多かったせいか、長い帰路だった。
最有力の手掛かりが途絶えたのだ。いや、手掛かりごと消滅した、というのが正しいかもしれない。思考に取りつかれ、足が重く、体が鈍い。一筋の光を失って暗闇を彷徨う屍人になっているような気分だった。
だが、仮面をかぶるのは得意だ。だから、あの場では誤魔化したが、内心はどうしても穏やかではいられなかった。
俺の中で散りばめられている勢力。
獣人の一族
狂った神官の抱え持つ集団
魔物を売り捌く違法ギルド《黒龍の爪》
ダンさんが所属していた謎の騎士団
これらを結びつける場がコリオリの街だった。必ず何かあると睨んでいたのだが、途絶えたとなると、ピースを繋ぐためのピースを失ったことと同義なのだ。
《黒龍の爪》についていくつか分かったことはあるが、目的までは分からなかった。魔物を売り捌く違法ギルドがわざわざリスクの高い獣人の娘を攫ったのか、その答えまでは辿り着けなかった。
その他については皆無だ。神官の抱え持つ集団は邪神アズールを復活させたかったようだが……
「はぁ……」
一気に真実は近づけると思っていただけに意気消沈から戻れない。
「アート、少し調べものに出る」
「……またか、ここのところ徹夜続きだろ。無理はするなよ」
ふらりと暗闇に彷徨うように邪神の書物や大陸の歴史書を漁っていた。この町でいくら調べても答えは出ないということは分かっているが、何かせずにはいられなかったのだ。
他に気になるのは獣人の一国だが、獣人の種族は多岐にわたり、国も数多くある。更には部族ごとに分かれているとなると、どこから探せばいいのか分からない。全く関係ないわけではないと思うが、あの時に出会った少女がどこに属しているのかだけでも知りたかった。
「………いい加減前を向かないとな」
悪い癖だ。一度落ち込むとなかなか切り替えができない。これのままでは────復讐が果たせない、と天井を仰いだ。
「何調べてるの?」
「む……」
そこにエンジェの顔が覗く。
「どうしたんだ。任務は終わったはずだろ」
あのあと、負傷した冒険者を預け、淡々とエンジェから依頼さらた任務の達成報告をして、ロクに会話せずに別れた。一度は命を預けたとはいえ、もとより一時的なパーティーだったのだ。
「うん、でもね。私は君のことが気になるんだ」
「俺のことが?」
「言葉にするのは難しいんだけど……知り合いにとても似ているんだ。君の───、その眼に」
何を言っているんだろうか。確かにこの頃荒んでいたが、特に問題なかったはずだ。
「ねえ、アベル君、自分がどうなろうが……と考えているよね?」
「────」
ぎくり、とした。彼女に復讐のことは言ってないはずだが、看破されたような衝撃に陥った。いや、態度に出やすいと言われたばかりだ。薄々と感じ取っていたのかもしれない。
「……だとして、貴女になんの関係がある?」
だが、所詮他人だ。ここは冷たく突き放すべきだろう。正体をろくに知らない彼女を巻き込むほど、俺は信用はしていない。
「むぅ……」
すると、彼女はむくれた。
何か気に入らないことがあったのだろうか。
「その話し方。すっごい距離を感じるよ!」
そもそも他人だからな。依頼者と依頼を受けた者は友達でもなんでもない。そこから先を踏み込むような関係ではなかったはずだ。
「貴女は依頼者。俺は請け負ったいち冒険者にすぎない。それ以上の関係は望んでいない……と言えば分かるか?」
「……むむぅ、ますます似てる」
一体誰にだろう。いや、そんなことには興味ない。
「とにかく放っておいてくれ。俺は自分のことで…」
「よし!君のことは『ベルくん』って呼ぶから!
私のことはエンジェちゃんって呼んでよ!」
「────やめろ」
幼い頃に母に呼ばれていた愛称。ありし頃を一瞬思い出し、思わず冷え切った声で言ってしまった。
我に返った俺は彼女を直視した。
しかし、彼女は目を逸らさずに俺の目を見ていた。
「……馴れ馴れしかったのは謝りますわ。ですが、貴方の望むものを私は与えられるかもしれません」
突如と雰囲気が切り替わり、どこか凛とした雰囲気を感じさせる態度になった。パララ、と書物を軽くめくって俺の対面に立った。
「邪神アズール。その情報を探しているのですね?」
「……そうだ」
少しだけバツが悪いと思った俺は素直に答えた。
「であれば、力になれるかもしれません」
「本当か? 是非とも力を借りたいところだが、そちらにメリットがない。何故、そこまで気にかける?」
「………う〜〜ん、説明は難しいんだけど……」
照れくさそうに頬に手を当てて少し考え、頭を振って小さく「うん」と頷いた。
「私が、君のことが気に入ったんですわ」
「………えっ」
それだけ? もっとこう……何かあるだろう。
「目的は聞かなくてもいいのか?」
「聞いて、答えてくれますか?」
「………」
俺は口を噤む。言えるわけがなかった。
軽々しく言葉にすれば炎が弱まると思ったからだ。
「君が何を言わずとも、これでも人を見る目には自信があります。言ったでしょう、私は君を気に入ったのです。理由なんてそれだけですわ!」
「………は?」
単純な理由を堂々と宣言した彼女に、呆然とした。
すると、目の前から彼女の姿が消えた。
下の方を見ると、丸くうずまくっていた。
「雰囲気を出して国に連れて帰ろうとか思ってないよ!なんか悩んでそうだから声をかけようとしていただけだよ!だから、デコピンは勘弁してください!」
どうしたんだ、この人。
「いや、デコピンはしないけど……」
「ほんと?なんか怨敵を見るような目だったから」
また顔に出ていたのか。仮面とかどうのと言っていてもポーカーフェイスが下手だと意味がないな。
それにしても高貴な令嬢の話し方が本性だと思ったが、今のほうが馴染んでいるように見える。
「ていうか、お前……どっちなんだ?」
「どっちも私だよ。強いていうなら、こっちが主軸かな」
誰もが二側面を持つが、彼女の場合それが明確になっているのだ。もう一人の自分を持ち、内精神を区別して同一しているのだ。その理由は様々だが、俺の場合は誤魔化すために作ったものだ。ゆえにもう一人の自分ではなく『演じようとしている』のだ。
だが、彼女はそれぞれ完全に独立している。
それぞれの側面を切り変えているのだ。後から形成されたのは高貴な令嬢の側面だろう。二重人格にも近しいほどの人格を自覚的に形成し、切り替えができるのは並大抵の令嬢にできることではない。
「おまえは……一体、何者なんだ?」
彼女は佇まいを正し、改めるように向き直した。
「おほん、私は───」
◇エンジェ視点◆
母はシバ国のレウィシア王家、そして、北陸最大の多種族連合帝国コロナのヴァイオレット王家の血筋を父に持った。貴族の中で、世界有数の最高権力を持つ王族間に生まれた私に怖いものなど何もなかった。
幼い頃、蝶よ花よと甘やかされて育てられ、よく城外に飛び出して遊んだり、人の都合を無視した無茶なわがままを許されていた。
しかし、ある日を境に全てが変わった。
両親が行方不明になった。シバ国王は幾度か捜索依頼を出したが、見つからなかった。原因は明らかだ。
北陸ヘーリオスそのものが消滅したのだから。
その報告が明確化されたのは一年ほど前だ。内容は推測の域を出ず、数多くの『研究結果』が挙げられた。
魔素の渦によって消滅したという説や、異空間に呑み込まれた説、あるいは神級の大魔術が行使されたという説など。最も荒唐無稽なのは大陸消滅の中央に人の形をとった精霊がいたとも。いずれにせよ、我々の知り得る規模を遥かに越えていた。
だからこそ、本当の意味で北陸の消滅が信じられなかった。ヘーリオス大陸に接する海岸には国王が最も信頼している騎士団が確認している。
冷たいようだが、それは疑うべくもない真実で、変えられない事実と理解だけはしていた。ただ、私が真実を飲み込むため……直接見ないとと納得できない性質だっただけだ。
だから、魔術校の同輩に頼み込んで、北陸ヘーリオスを展望できるアルマ大陸の星樹に行くことにした。
「長いようで短い旅だったな。でも……」
それでも少し期待していた。帰れない理由があるのだと淡い希望はあった。
父も母も帰ってきて万万歳になるのだと。
「現実はそんなに甘くない。……そんなこと分かってるよ」
投げやりになっちゃったかな。でも本音だ。
真実を口にして、割り切るしかないのだ。
だから、ここで終幕を下ろす言葉を吐くのだ。
「───わたしの旅は、ここで終わったんだ」
そう、終わったのだ。新た歩を踏み出す時だ。
「おしっ」
握り拳を作りながら立ち上がる。
いつも通り……自分のために動く。
「といっても、どう声をかければいいんだろう……」
彼はきっと難儀な性格だ。何をどう言っても突き放そうとしてくるだろう。
強引にかつ彼が力を貸してくれるような交渉にしないと。
「うん、いつも通り、ぶつけ本番でいこう」
もちろん、勝算はある。彼は良くも悪くも利益を秤に乗せて考えるタイプだ。
もっと簡単にいえば、餌を与えれば力を貸してくれる。
「ふふ、物ではなく、人材が欲しいなんて久しぶり」
幼い頃はあれこれ物を欲しがったが、親を失ったことをきっかけに執着しなくなった。それから親のことばかり考えるようになり、真実を受け入れるためだけに旅をすることを決めた。
自分で言うのもなんだけど、他人のことに興味を示さない暴君姫だったと思う。
そんな私が初めて他者に興味を持った。圧倒的な強さを持ちながらもひどく哀しげな雰囲気をまとわせる彼がどんな風に生き、どんな人生を送るのか興味を持った。自らのリスクを省みず、他者を救おうとする意志、それが私を助けてくれた時にあった。
無意識だろうが、稀有な気質であり、数多くの冒険者が目指す理想像……
きっと、彼は『英雄』になれる。
「そうと決まればじっとなんてしてられない。どこにいるんだろう」
「今は冒険者ギルドの書庫に通い詰めているそうです。それも夜遅くに出向くこともあるそうです」
すぐそばに控えている小鴉丸が即座に報告をあげた。
「今日もいるかもしれないんだね。じゃあ、行ってくるけど、余計な手出しは無用だよ」
「ですが、彼から襲ってくる可能性もある以上……」
「それはないよ。だって、彼は優しい人だもん」
小鴉丸に不思議そうな顔をされた。デコピンされたことを忘れられたんですか、とツッコミを入れられたが、それはそれだ。任務の護衛対象だったのもあるが、ずっと私たちに気をかけていた。小鴉丸と再会した時に気乗りしていなかった任務を続行する理由はなくなったのにも関わらずだ。
普通の冒険者なら放棄してしまうのが常なのだ。冒険者の街であるモメントにはより高額、より功績が積める任務が他にも多くある。メリットで推し量るならどう考えても放棄を選択するのだが、彼は嫌な顔ひとつせず力を貸してくれたのだ。
是非とも私のものにしたい。叶わずとも側に置いておきたい。
「分かりました。お側に隠れているようにしますがお気をつけください」
ただ、それだけでここまで固執するのは初めてかもしれない。
少しだけ不可解に思いながらも、自分の意思に従って彼の元へ向かう。
───そして、この気持ちに気付くのは少しだけ先の話だ。
「何調べてるの?」
◆◇
彼女は胸に手を添えて王族としての名を名乗った。
「私は東方にある王国シバの第一王女───
───エンジェリア・シバ・レウィシアです」
彼は大きく目を見開き、驚きを露わにした。
「私の国であれば、恐らく邪神アズールにまつわる書物が豊富に残っています。無事、私を故国に送り届けていただければ、情報の提供と恩赦を約束します」
彼は驚きを飲み込み、少し悩んだ後、王女からの依頼を受けることを決意した。
ここから物語が動き出す。舞台は王国シバへ移り、あらゆる縁を知り、苦悩しながらも英雄に至れなかった。そう、これは彼が英雄になろうとした物語だ。
暗転する前に────語るべき譚がひとつ。
何故ならこの物語を成し得たのもまた、彼の力によるものだからだ。
読んでくださりありがとうございます。
次回、小鴉丸の話を少し追加した後は一章後編、スタンピード編に突入します。