➤29話 星天に眠る巫女
※今話は長くなります。
瀕死の冒険者二人に回復魔術をかけた。エンジェの下位魔術では少しずつではあるが体力を取り戻しつつあるようだ。小鴉丸は、魔力欠症と急速に亜音速で駆け抜けたことによるダメージで気を失ったままだ。
小鴉丸の策があってこその勝利だ。
「うん、小鴉丸はもう大丈夫だよ。少し回復魔術をかければあとは自己治癒で治ると思う」
「そうか。それはよかった」
初対面で随分失礼なことを考えた。最初から小鴉丸は自分のことを理解していた。気配を完全遮断し、超速の奇襲。それこそが切り札であり、最も得意とする領分だったのだ。
「アベルにも回復魔術をかけるね」
「俺は大丈夫だ。黒妖精の『自己治癒』持ちだからな」
「そのスキルでそんな回復……え、本当に治ってる」
確かに魔力噴出で上半身を焼かれたが、既に回復している。理由はそれだけじゃないが、魔力が殆どないこと以外は特に問題ない。
しかし、エンジェの驚きようが異様だ。
目を見開いて、口を開けたままだ。
「ウソ……もしかして」
「どうした?」
「な、なんでもないよ。……そんなわけないよね」
小さい声で何か聞こえた気がしたが、やはり異常なのだろうか。実を言うと昔に火だるまになったことあるが火傷痕すらなく綺麗に回復した。【修羅】と相乗効果で能力が変質した可能性はある。
「というか、アート、獣人のままなんだな」
「ああ。こっちの方が色々やりやすいだろうしな」
サラッと言うが、呪転がきっかけで人の姿にも獣にも変化できるようになったということだ。突然の人化にも適応できる天賦の才がある。このまま成長を続ければ、俺すらも越えるだろう。
「それよりも奥への道が開かれたがどうする気だ?」
「そうだな。負傷者もいるし、待機がいいかもしれんが、ちゃんとした手当を受けさせるには一度出た方がいい。連れて行くしかないだろう」
瀕死の冒険者二人ともにエンジェの回復魔術である程度は持ち直せたが、完全に回復するにはちゃんとした手当てが必要だ。そのためにも迷宮から脱出しなければならない。
試練を超えたことで扉は開かれた。テンプレ的に扉の先は出口だったり財宝があったりするはずだ。
「……く、ここは……エンジェ様!?」
「大丈夫だよ。私たちは勝って試練を超えたんだよ」
「そうでしたか……よかった」
と、急速な加速の負荷で全身の筋肉が痛み、声を上げそうになるが飲み込むように堪えた。
「〜〜〜ッッ!」
「まだ無理はするな。特に足と翼の筋肉がズタズタでまだ動けないだろう」
「私はまだ、動け……ます」
強情にもまだ動ける、と立ち上がってきた。普通ならここで優しく抱き上げて連れて行く場面だろうが、俺はそこまで優しくない。
笑顔で小鴉丸の肩に少し強めに手を置いてみせた。
「〜〜〜〜〜ッ!!」
「だから言っただろう。ここは大人しく抱えられろ」
「……え?」
「アート頼んだ」
「……えっ!?」
何を期待したのか小鴉丸は面白い反応をした。
アートも少し驚いた顔をしたが、渋々小鴉丸の元にやってくる。アートも小鴉丸のことを下に見ていた部分がある。それを解消するにはいい機会だ。
「や、止めろ!」
「諦めろ。こういう時のアベルは性格が悪い」
くっ、屈辱だと小さく歯ぎしりして抱えられる。
俺は小さく笑いながら視線を外すと、そこには竜人のカムイがいた。
「………アベル、だったかな」
「カムイ、か。此度は見知らぬ者だというのに力を貸してくれて感謝する」
「………報酬だけど、二つある」
そこでアートの耳が少し動く。
「……ひとつは情報。これは迷宮を抜けた後でいい」
情報、とな。俺の持つ情報にロクなものがないが、アートの反応を見る限り確証があってのことだろう。
「分かった。もう一つは?」
「…………ボクと、戦って欲しい。ボクにも最強の種族たる竜人としての誇りがある。受けて、くれないか」
報酬というよりも、彼女自身の誇りを守るための決闘だろう。引っ込み思案そうな雰囲気とは似合わない、かなり好戦的な性格のようだ。
「構わない。その決闘を受けよう」
彼女の力を借りられる代償だとしたら安いものだ。
俺のスタイルは単騎で戦うのには長け、他者をカバーする技能はあまり持ってない。精々一人か二人のカバーが限界なのだ。
彼女は力押しを得意とする戦士に見えて、その実、魔術も剣もできる万能型だ。その気になれば、エンジェのように後方支援に徹することも可能とする。
杞憂かもしれないが『このあと』の戦力を揃えておくに越したことはない。
「さて、動けない負傷者二人は俺が抱える。カムイが先頭で、後方はエンジェで進もう」
整列して扉の先へ進む。負傷者を抱える今、俺は戦えない。だから、狙われないように気配を消し、揺らして負担を与えないように静かに進む。
「……隠密の心得があったのか?」
後ろで、アートに抱えられた小鴉丸に言われた。
「気操流は体に巡る『気』を操る技だからな。気の巡りを遅らせ、かつ感情を殺して気配を消しただけだ」
「……………………チッ」
おい? 今、はっきりと舌打ちをしたよな。
と、扉の先に入ってそう時間が経たずに、奥から出口らしき光が見えた。その割には風が入ってこない。
「……何か、いる」
カムイが戦闘体勢に入り、全体の警戒が高まる。
前方に意識を向け、光の彼方へと歩を進める。
視界が一瞬だけ白に埋まり、そして拓かれる世界。
「え……? 樹の中に、樹が……?」
張り巡らされた蔦の地面から一本の樹が生え、まるで天蓋のように天井へと伸びていた。それだけではなく『内』には、無数の星が煌く夜空が広がっていた。
「きれい……」
誰もが荘厳なる夜空に心奪われる。
誰の目に映っても美しいと言える神秘だ。
直後、俺は気づいた。
「まさか……魔素、か?」
夜空に見えるほどに濃密な魔素が充満している。
それによく遠くを凝らすと、星は『木の実』だ。
「アベル、中央に誰かがいる」
そう言われて空から視界を戻すと、そこにはどこか見覚えのある少女が眠っていた。星の光で編まれた金色の髪で、人形のような陶器肌の少女が星空を創る樹を背に半坐位していた。
「い、生きてるの?」
世のものとは思えぬ幻想的な存在は、時に生気すらも全く感じさせず、そうあるべきだと錯覚させる。間違いなく『それ』は生きているのだが、森羅そのものを相手にしているように感じる。
「あれが、アケディの言う『御前』か?」
俺の声に反応したのか、すぅっと瞳を開く。
全てを見透かすかのような奥深い翡翠色の瞳だ。
「ん……久しぶりの来客ね」
うとうとぼやけた目を俺たちに向けてくる。久々に体を動かしたとばかり、ゆっくり体を起こした。
すると、羽根のように体を浮かせて、俺たちの前に着地した。
「わたくしは、ドリー・ムスカリー。観測者でもあり、星樹を管理する星の巫女とも呼ばれる精霊です」
人形は恭しく、スカートを掴んで挨拶した。
「うちの人形が失礼しましたね。彼、忠誠心が高いんだけど、好戦的すぎるのが玉に瑕なのよね。
詫びと言っちゃなんだけども、識りたいことがあれば何でもひとつ答えましょう」
「………まさか、キミが回答者?」
「ええ、あくまでも観測者としてだけど、何か識りたいことでもあるのかしら?」
俺の方を見て少しためらった後、真っ直ぐな瞳で回答者に問いを投げた。
「……ボクの里にいた堕ちた竜神の行方を知りたい」
堕ちた竜神。なるほどな。
それなら確かに───
「そうね。確かに彼が答えを持っているわ。
この後に聞いてみるといいでしょう」
確証をもってそう回答した。
このことは、アート以外知らない筈だ。
……一体、どうやって知り得た?
「あ、あの!」
「エンジェ様ですね。貴女は何を識りたいのですか?」
すると、エンジェは胸に拳を握り締めて一度瞼を閉じた。息を呑み、まるで覚悟を決めたかのように目を開いて一つの真実を求めた。
「ヘーリオス大陸。北の果ては、本当に消えたの?」
北の果てが消えた、だって?
「知識としての答えではなく、納得できる答えを識りたいようね。いいでしょう」
ふわりと金色の少女から魔力が膨れ上がった。
「星々の煌めきは道標、深淵の暗がりは魔
全てを内包せし世界樹よ、汝らを導きたまえ
──魔を以って道標を示さん」
瞬間、俺たちの体が無感の浮遊に包まれ、星空へと飛び立った。夜色の天蓋が裂かれ、漏れ出た光の彼方へ突き抜けた。
そして、雲よりも上の青空で止まる。
「翼竜は大丈夫よ。認識阻害で私たちがここにいることは知られていないわ」
確かに真下の星樹を巣に篭っている翼竜たちは俺たちの存在に気づいていない。
「まずは、あれが現状よ」
指の先を見ると大陸の彼方の海がわずかに見える。
『回答』を見たエンジェは納得するように、落ち着きを取り戻すように深く息を呑み込んだ。
「………本当に、消滅したんだね」
彼方に広がるは、広大な海だけだった。
あるべき大地が跡形もなく消え去っていた。
いや、そんなまさか、あり得ない。
だって、あそこは────
「私の口から言うよりも、見てもらったほうが良いでしょう」
その疑問に答えるように、ドリーは手のひらを開いた。そこには、ひとつの光の実があった。
実の光が少しずつ、優しく広がり、映し出された記録が視界を通して脳裏に刻まれる。
「───」
これは記憶というより、ただの映像記録だ。
北の大陸が黒い球状の星に呑み込まれ、中央大陸を少し削りながら消滅していく記録だ。信じたくない気持ちを無視して、否応なく真実を思い知らされる。
俺が追い求め、戻ろうとしていた北陸ヘーリオス。
もう一度、故郷に帰って真実を探そうとしていた。
そのために強くなり、異空間収納を得るために金を稼ぎ、近いうちに出立しようとしていたのだ。
「アベル……?」
「……いや、何でもない」
俺が長年旅をしていた理由は、コリオリの街を襲った魔物災害の真実と、邪神アズールについてだ。
あの場に幾つも勢力があった。俺に分かっているだけでも恐らく獣人の一国、狂った神官の抱え持つ集団、魔物を売り捌く違法ギルド《黒龍の爪》、そしてダンさんが元々所属していたという騎士団の四つだ。
これらの勢力のいずれも謎だらけ、これまで調べてきた書物や見聞では分からずじまいだった。全てを読み解く切っ掛けを得るにはやはり一度、故郷に戻は必要があると睨んでいたのだが、それが断たれた。
「そう上手くは行かないもんだな」
小さく呟く。完全に断たれたわけではないが、真実から一気に遠のいた気がする。そう思うと腹立たしいようでもどかしい感情が渦巻く。
「だ、大丈夫だよ!」
エンジェが少し上目遣いなりつつ、両手で握り拳を作ってそう言ってきた。
「諦めなければ、何とかなることも多いよ!」
ああ、これは励まされているのか。
どうも顔に出てたみたいだな。
「心配かけたみたいだな。少し元気出たよ」
「そ、そう。それならよかったですわ」
少しだけ微笑んでそう言うと、顔を逸らされた。
おかしなことでも言ったのだろうか。
「では、そちらの方々に識りたいことはありますか」
「じゃあ、俺の質問権は……」
「ダメです。自分が識りたいと思ったこと、それのみを回答します。例外は認めません」
アートは空を仰いでから俺の方をまっすぐ見た。
俺を差し置いて、自分のための質問をしてもいいか、と承諾を求めているのだ。
もちろん、アートを忠誠という名の束縛をする気はない。俺は少しの迷いもなく、諾の頷きを返した。
「じゃあ聞くが……知らないなら別に構わない。俺が知りたいのは『前世』だ。時折、俺ではない記憶が流れ込んで来る。それが何者の記憶なのか識りたい」
アートがこれまで隠してきた疑問だ。子犬にしては妙に聡明だったり、ある時は悪夢にうなされていた。
俺も少し勘づいてはいたが、自ら明かさない以上、問い詰めないようにしてきたのだが、アート自身も理解できてなかったのだろう。
「貴方は迅滅狼アースガルド───魔王時代の末期を生きた獣人の《転生者》。あらゆる人族の迫害者を救った解放者だったけど、ある事件によって【魔王】の一体に歯向かい、これを討ち倒した最強の狼人よ」
「アースガルド……」
アートも転生者だということが確定した。幼い頃から一緒にいるのもあって驚いてはいるが、それ以上に驚愕を隠せていないのは、小鴉丸のほうだった。
「え、嘘……ありえない、アースガルドは……」
「それが、識りたいことでいいのね?」
躊躇う小鴉丸だった。目の前にその記憶を持つ獣人がいるのに聞いてもいいのか、と迷っているのだ。
「小鴉丸、俺は大丈夫だ。だから、お前自身が識りたいことを聞くといい」
「……エンジェ様、よろしいですか?」
「許可します。それが理由なんでしょう?」
エンジェは小さく微笑んで許した。
今になって気づいたが、彼女にだって並々ならぬものを抱え、それを問いたはずだ。答えを知った時は流石に驚いていたようだったが、直後に飲み込むように感情を抑え、その先は何もなかった。
それだけではなく、落胆する俺に励ましの言葉までかけた。切り替えというよりも己の感情の区別がはっきりしている。辺境貴族の娘とかだろうと思っていたが、思った以上に彼女は大物かもしれない。
「はい……ありがとうございます。では……まず、その名は獣人族の間では禁忌とされています。獣人族を追い詰めた反逆者として知られ、名残として黒色の体毛は忌子と蔑まれています」
エンジェからの許しを得た小鴉丸は、当事者の記憶を持つアートにも分かるように問いを続けた。
「先ほどの貴女の話を聞く限り『解放者』としての視点でした。正直未だ信じられないが、それが真実ならば大英雄として称えられてもおかしくない獣人です。
……しかし、今は禁忌としての側面が強く、更には獣人族だけではなく、知性の高い魔獣全てに共通されている。アースガルドはそれほどに深く刻まれた悪の象徴───【魔王】と呼ばれているはずです」
魔王。先ほどのアケディもそうだったか。人の手にはもて余す巨大な力を秘め、人族に災厄をもたらす存在を指しているだろうが、そうは見えなかった。
「魔王を倒し、自分自身も魔王と呼ばれた彼は……
一体、何に呪われたのでしょうか?」
歴史がねじ曲がって伝わったということは、史実を変質させた何かがあるとみるのが当然の帰結だ。
「至獣王レビヤタン、聞いたことはないかしら」
「え……?」
聞いたことのない名だが、小鴉丸の反応を見るに知っている様子だ。
「部族連合国ジズの大王……獣人族の系譜をまとめ上げた賢王の……?」
「表向きではそうなってるわね。実際は【魔王】の権能を操って恐怖と圧政で支配し、偉大な王として振る舞った。影でも地位の低い者を拷問し、その中に同じ獣人族も含まれていたの」
「なら……なぜ暴君として語られなかったの?」
「それも【魔王】の権能の一つね。レビヤタンの持っていた能力は【嫉妬】、妬むほどに力を増す効果があり、特に他者を貶める権能が詰まってるのよ。その中で自分の印象を改変させるものがあるの」
「まさか……」
「ご明察の通り、アースガルドに討たれる間際に獣人族全体に印象改変を施したのよ。でも、いくら魔王でも完全に自分の印象を改変することは叶わない」
「アースガルドに自分の悪評を、押し付けた」
「ええ、その影響でアースガルドの最大の特徴である黒い体毛が忌み嫌われ、アースガルド自身も邪悪なるものとして語られたのよ」
───なんとも救われない話だ。
獣人のために命を賭けて戦ったのに、その結果として獣人に忌まれる結末となった。
ある意味では、アースガルドには似たものを感じる。経緯がどうあれアースガルドという英雄の戦いは至獣王レビヤタンに対する憎悪から始まった。
だから、こう思わずにはいられなかった。
俺も、そういう結末に行き着くのだろうか、と。
「主よ」
呼ばれて、少し下を向いていた視線を上げると、アートがこちらを向いていた。いつも通り真面目くさった顔だったが、優しい表情を浮かべている気がした。
「誰かのために戦えた人生はきっと無駄じゃなかったはずだ。そして、守りたいものを守れたなら、己の最後がどうあれ、笑って受け入れられる。ユージンさんだって……」
「……ああ、そうだな。ジン師匠も何度挫折しようと常に考え続けろと言っていたしな」
これは俺の問題なのだ。それに、アースガルドの記憶を持つ者としての言葉なのだろう。
「悪い、また顔に出てたか」
「エンジェにも言われたろ。そういう感情は割と分かりやすい」
そうなのか。自分では分からないが、アートが言うんならきっとそうだ。
「…………」
今、一番ショックを受けているのは小鴉丸だ。
俺なんかよりも差別に苦悩していた彼女には信じられない真実だ。
「これにて問答は終いです。帰還魔術を起動します」
小鴉丸の心情など無視して、俺たちの足元に魔法陣が描かれる。転移魔術とは少々異なるようだが、いずれにしても上級以上の魔術だ。
「こちらの《星の欠片》をお持ちください」
「何だ、これは?」
星樹の方から星の形をした実を渡される。触った感じだと、魔素を浄化する聖気が込められている。
「願わくば、それが使われないことを祈っています」
「……わかった」
悪意は感じなかったため、そのまま受け取る。
術陣の輝きが少し強まったところで、気になったことを聞く。
「なあ、気のせいだったら良いんだが」
会った時から感じていた。懐かしいようで、遠いような感覚が告げていた。彼女は、ドリーは……
「────助けて欲しいのか?」
「………どういうことでしょうか」
「いや、何となくそう感じただけだ。聞かなかったことにしてくれ」
本当に気のせいだろう。ドリーの時間が惜しいような態度、そして、淡々とした言動でそう感じた。
……うん、きっと気のせいだ。
それよりも小鴉丸のほうが心配だ。
「黒天は永久なれど、総てを受け入れる器と同義なり
哀れにも彷徨いし忘失者に一筋の道筋を示さん
あるべき地へと還れ───『転環帰送』」
帰還の術陣が起動する。
視界が眩い白の光に染まり、一瞬の浮遊感に包まれる。そして気がつけば、俺たちは迷宮の入り口、星樹の外に立っていた。
◇◆
俺たちは複雑な想いを胸にしながら帰路についた。
「小鴉丸、大丈……」
「……すまない、今は何も言わないでくれないか」
どうも彼女にとっては大きな衝撃だったみたいだ。
これまでの人生で根強く染みついていた憎悪の根幹が揺るがされたのだ。簡単に整理できるものではないだろうが、要は憎むべき相手がすり替わっただけだ。
嫉妬の魔王がかけた印象操作の影響が残っているのは間違いない。何とかするのも一つの手だが、今はエンジェという主人のもとに仕えている。その辺りの折り合いも必要だろうが、エンジェも話せばちゃんと向き合ってくれる器がある。
小鴉丸は、きっと前を向けるようになる。
ただ、各々に与えられた『回答』を呑み込むのに時間を要しているのか、お通夜のような空気が続いているのだ。お互いの関係が拗れたわけでもない分、この微妙すぎる空気を壊したくて俺は気になっていたことをぶつけることにした。
「そういえば……エンジェの呪転は何だったんだ?」
「っ! それは、そのぅ……」
顔を真っ赤に染め上げて、もじもじと視線を泳がせている。迷宮を突破してずっと続いていた緊迫感が抜けて熱でも出たのだろうか。エンジェも大魔術を行使してかなりの魔力を消耗したんだしな。
「なんだ、熱でもあるのか?」
「うっ、いえ、だ大丈夫ですわだよ!」
口調がおかしなことになってる。
よほど迷宮攻略が堪えたのだろうか。
いや、紅潮した頬に、落ち着きのない下半身……
「なるほどな。気にしないで行ってもいいぞ」
「えっ、どういうこと?」
「我慢していたんだろ。ここで待機するから」
え、とエンジェは思考停止した。しばらく考えた後にそういうことだと理解したエンジェは下を向いた。
「……じゃあ、行ってくるね」
やはりか。緊迫した状況が続いてたしな。
「主よ」
「ん?」
「多分違う、そうじゃない」
「?」
何なんだ一体。
余計に微妙な空気になってしまった。
読んでくださりありがとうございます。




