129話 父
ここまで極限に感覚が研ぎ澄まされたのは未だかつてなかった。俺は人外さえも超越し、着実に未踏域へと足を踏み出していっていた。
しかし……それもここまで。
《存外に楽しかったぞ》
「───っ!」
《最後に告げさせてもらおう》
精神磨耗が体に影響し、僅かに足を崩したところに黒天から凄絶な衝撃に叩きつけられ、下方へと吹き飛ばされていく。
《その体は、もはや貴様のもの。貴様は貴様の人生を生きるがいい》
俺はついに魔神の支配空間から離れ、その街へと叩き落とされた。
(ああ───、クソッ。
もうちょい行けると思ったんだがな)
同じ無限の魔力を持っているのにも関わらず、純粋な技量、全てを知覚する正確無比な感知力で俺を圧倒してみせたのだ。
ジン師匠もあの極みを目指していたんだろうか。それなら納得がいくものだ。決して理不尽ではない、あれはヒトが届き得る可能性のある極地だ。
しかし、あの高みは永遠にも近い永年の積み重ねによって得られたものだ。たかが百年にも満たぬ時を過ごした俺に届くかといえば、なんておこがましい。
「はぁーーーー、また負けた」
だけど諦め切れないからこそ、足掻き続けるのだ。
……とはいえ、ずっと一方的にボコボコにされた。
アイツは少しは手加減というものを学んだ方がいいと思う。あれじゃあ、誤解されても仕方ない。
いや、誤解を解く気もないだろうな。
「ひどくやられたものだな」
「……えーと」
「アダムで構わない。我も汝も、じきにここから消えるがゆえに少し話そうと思ってな」
さん付けにするか、それともアダム様と呼ぶべきか迷っていたが先に言われた。しかし、敬称さすがにつけるべきだろう。よし。
「じゃ、えーと、アダムさん」
「アダムだ」
「……アダム」
初対面と比べて、強引に気軽さを求められている。
謎の圧に負けてしまったが、余り気を使って欲しくないのかもしれない。
「……うむ、今の汝の瞳は良い。濁っていた赫色ではなく、輝きを取り戻した希望のある紅色の瞳だ」
この目のことで正直良い思い出はない。
むしろよく危険視されていた
「今の時代では悪の象徴にも近しくなっているが、我らの時代では生命や愛……そして、勝利を意味する瞳だった。けして、闇を象徴するものでなかった」
「……勝利、ね。このザマじゃあな」
「いいや、勝利だったとも。自身に何か変革をもたらし、新たなる希望を得たならば万々歳。そうやって、ヒトは前へと進むのだ」
そういうものだろうか。実感はないけど、ひとまず過去の自分には打ち勝てたと思っておこう。
すると、アダムは俺の隣にやってきて空を見上げながら座った。何が嬉しいのか分からないが、嬉しそうな顔だ。
「……何か顔についているのか?」
「あ、いや。何がそんなに嬉しいのかなと思って」
「そんなに顔に出てたか?」
「分かりやすく」
そうか?と頭を傾げる。自覚がないようだ。
「ともかく、時も余りない。最後に真実を伝えておこうかと思ったが……聡明な君のことだ。知っておったのだろう?」
「……確信になったのは最近だけどね。でも、色々と知りたいことはある」
「おお、なんでも聞いても良い。全て答えよう」
これも予測はしていたが、やはり本人から答えを聞きたい。俺の今後の在り方にも関わってくる問題だ。
「………アダム、俺は人為的に呼ばれたのか?」
「然り。言い訳するつもりはない。我は勇者召喚を利用して『この世界』の維持のために汝を呼んだ」
やはり、か。魔神は世界を維持する存在であり、勇者召喚によって発生した時空の歪みによって生まれた存在でもあるのだ。
「実のところ、我が子は魄と魂が適合せずに死んでしまう運命にあった。それだけであれば別の方法を取ったかもしれないが……」
「それだけではなく、俺たちのいる時間軸……というよりも我らの存在する『未来』が失われるから、か」
始まりは全てに派生する。一からあらゆる選択、運命、奇跡を重ね、幾つにも時間軸が分岐していく。
「……その通り。勇者召喚は他の世界より転移者を呼ぶ禁術。苦渋の決断ではあったが、時空を超えて呼び出す際の歪みを利用して 、我らのいる時間軸から過去へ弾き飛ばす必要があった」
魔神は俺……そう、魔神ブラッドリーは本来この体に結びつくはずだった────『魂』そのものだ。
「ほとんど賭けではあったが、飛ばされた先で消えゆくだけだった魂を哀れに思った《原初神》に魔力を分け与えられた」
原初神。五人の神子の生みの親とされる存在だ。
あらゆる伝承で様々な名が挙げられるが、シバ国においては《イルト》と呼ばれている。物語では冒頭にしか登場せず、あまり知られていないが世界中にその存在は語られている。
「そして、与えられた力によって我が子は《真祖》となった。我が子がいてこそ未来は存在し、我が子がいなければ今は存在できない」
確かに因果が捻れ、過去と今が逆転している。
「しかし、現に我らの時間軸は存在し得ている」
「……魔神が『未来』を創っている?」
過去がなければ今も存在できるはずもない。今が存在しなければ過去も存在できないと言う不可逆が発生してしまっている。
ただそれは一筋の時間軸であれば、だ。
強引な推論だが魔神が『楔』となって未来を維持しているのであれば、おそらく魔神がいた時間軸はもう既に消滅しているはずだが、自ら創った未来のある時間軸へと収束させたのであれば成立はする。確かに時間の流れを無視しているが、強引に継ぎ合わせて成り立たせているのであればあり得る。
………待て。
「やはり汝は聡明な子だ。その疑問こそが現世では隠蔽された真実だ。彼奴は決して暴走して我が帝国を滅ぼしたわけではない」
そうだ。魔神が未来を存続させるためというのは理解できるが、それとこれは話が別なのだ。楔を打つためであれば納得できるだろうが、俺は知っている。
魔神が姿現して、帝国を滅ぼしたということを。
つまり……
「道化ではないのか?」
「そいつらは『それ』を崇める信者ではあるが、我が子にそうせざる得ないと決断させた存在とは異なる」
「……何か知っているのか?」
まるで確信があるような言いぶり。
正体を知っているのか……いや、考えろ。
俺とて、ここに来るまで多くの知識に触れた。
「…………」
「………フッ」
帝国に魔神が敵視した『それ』が潜んでいたということは帝国自体が狙いではない。そして『それ』が潜んでいたのは帝国に利用価値があったということ。
利用価値とは恐らく『勇者召喚』だ。
俺という勇者召喚は結果的に魔神を生み出したのだ。それを狙っていたとしたら、魔神と因縁のある者しかいない。ただ、魔神に因縁のある者はほとんどいなく、敵対しても直接的な理由を持つ奴は数少ない。
堕ちた神、最悪の精霊、厄災そのものであるなど魔力観測や天災の資料では自然災害や凶堕ちした存在としてしか記載されておらず、魔神との直接的な関与を記したものは全くと言っていいほどに記録がない。
このことから残された道筋は『伝承』だ。原初神イルトは五人の神子を創ったとされ、これは世界で共通されている。この五人の神子は最後に対立し、とある激戦の果てに一柱しか残らなかったと云われている。
ここだ。五人の神子の一柱に魔神が該当するのであれば関係性を汲み取れる。しかし、神子たちがどう対立したかは伝承によって異なってきている。
まず、五人の神子を簡略にまとめると次の通りだ。
運命を紡ぐ女神
善を司る白神
生命を創った源神
魔を支配する神
そして……邪悪を司る神だ。
次にいずれの伝承でも敵として語られるのは邪神と魔神だ。世界を滅ぼす存在とみなされ、最後には封印されたということになっている。
白神、女神、源神については、様々な立ち位置が存在し、三つ巴の戦いだったり、一柱を囲う形で討ったとされていたり、その逆だったりだ。このことから真実は歪められていると見做してもいいが、どこかに交わる共通点は存在する。
「煩雑なように感じて、どこか一貫性がある。対立の形、魔神との因縁、必ず敵対する神子……そうか」
対立の形がいくら形変えようと、魔神に因縁を持って敵対する神子が一柱だけ存在する。
それは世界を滅ぼそうとした【魔神】を阻止するべく、自らの手で創造した五人族を率いて最後まで戦ったという英雄神子────『源神』しかいない。
「知識を読み解けたようだな」
「でも、滅ぼそうとする理由までは分からなかった」
「そればかりは我らに知る術はない。我も幾度か我が子に問いかけたが、何も応える気はないようだった」
あいつはかなりの偏屈で、超の付く頑固者ときている。今後一切誰にも明けないと決めれば、最後まで貫く面倒な性分だ。
しかし、それは自身が決着をつけるべき戦いだということを理解しているからだろう。
「アベルよ。これは完全な我の予測だが、今後、君自身の人生を歩むうえで必ず『源神』と関わる。決して油断はせず、此処で決意したことを胸に歩み続けよ」
そこで、アダムの体が光の胞子に変化していく。
とうの昔に精神体となったアダムの体は、今をもって完全に消滅していくのだ。
「おっと……もう刻限か。では、最後になるが」
アダムは立ち上がって、座る俺と向かい合った。
「…………」
「……む、アベルよ。立つが良い」
「お、おう」
なんだろ、と立ち上がって向かい合う。
すると、その大きな腕に抱きしめられた。
「汝らを守るためとはいえ、過酷な運命を強いてしまったのも認める。我はろくに父親らしいことはできないことも心苦しく思った」
力強く、名残惜しく、確かめるように締めつけた。
「だが、我は汝らを片時とも忘れたことはない。だから許せとは言えないが、これだけは伝えたかった」
まるで贖罪のようにそう言った。
そして、もう一度顔を合わせて。
「────何があろうと我は汝たちを愛している。今も昔も、転生者であることも関係ない。汝たちは祝福されて生まれてきた、愛するべき我が子だ」
そう言えば、母さんに当てられた手紙にもそう書いていたな。当時は耳当たり良い言葉でごまかし、捨てたのではないかとさえ思っていた。
だけど、そうではなかったのだ。
アダムは彼なりに自分たちを愛していた。
「…………」
それでも、俺には愛してるなんて言えない。
抱き返すなんてことも尚更できない。
だけど。
「………さよなら、父さん」
最後に、これくらいは赦しても良いだろう。
冷たいかもしれないけど、これが俺の精一杯だ。
「……ああ」
それでもアダムにとっては十分だった。
誰もいなくなった帝国で永久の時を生きたアダムに残された唯一にそう呼んでくれただけで満足だった。
「さらばだ。愛しい我が子よ」
最後に別れを告げて、父の姿は消失した。
読んでくださりありがとうございます。
次話で六章のメインストーリーは完結です。
その後に幕間をいくつか載せる予定にしています。
さらに、この幕間を書きながら今まで放置してきた一章の改稿に手をつけようと思います。
重要イベントを除いて、全く違うストーリーとして描く予定にしていますので、一章の改稿を追っていただけると幸いです!




