128話 虚構一閃
目を開けると、俺は黒い渦の中で大の字になって天を仰いでいた。いまだ純白の裁剣に腹を貫かれたままで、痛覚はないがぴりぴりと刺激だけが響く。
恐らくこれは『神胤』と同種のもの。悪しきものに対して絶対的な攻撃力を持つ神剣だ。禍にのまれていた時は、その剣に対してひどく拒絶感を感じていたが、今はそれが一切ない。
試しに触ってみると、少しヒリヒリするだけだ。
あ、そういえば、片手は消し飛ばされていた。
「……こう、か」
超再生というよりも魔素を操り、気操流の要領で元の手を形成して修復してみせた。今も魔素と肉体の境界が曖昧だからこそできる芸当だ。
そして、そのまま両手で神剣を腹からひっこ抜く。
神剣は放り投げると光の胞子となって消えていった。
「腹もさっきと同じように……」
貫かれて腹に空いた孔も魔素を埋めれば治った。
つくづく人外だな、と自分に引いた。
「さて、次はこの魔素の嵐はどうするかな」
禍だけではなく、俺の中に闇と対をなす力がある。
今まであまり意識を向けようとせず、禍の力を弱めると無意識に遠ざけようとしていたが、今なら禍の力を弱めずに使える気がする。
俺は胸に拳を作り、初めて気操流でナイフを作った時と同じように己の中の心奥に意識を向ける。
すると、暗闇の中央に一点の光が輝く。
(これが俺自身の本来の……)
暖かい光が闇を押し退け広がっていく。
まだだ、まだ相反している。互いが消しあって、どちらも本来の力を殺しあっているのだ。両方の力の全てを引き出すには、別々に存在しなければならない。
「虚構……そうだ」
清も、濁も、俺にとって真実であれば両方存在してもいい。そもそも一緒にすることが間違っている。
どちらも、俺の一端なのだから。
「闇の方を一度小さく……圧縮する」
俺を包む闇を剥がし、左方にまとめていく。同時に取り除かれて、むき出しになった『光』が解放する。
その『光』によって、俺の周りを渦巻いていた闇が退いていくように祓われていく。
「……ブラッドリー」
そして、拓けた闇の奥には【魔神】が座していた。
【────……来たか】
閉じていた瞳を開けて、俺を睥睨する。
【それで、何故戻ってきた? 一体、何がお前を駆り立てている?】
「……あんた、ずいぶんと優しいんだな」
【…………何?】
「それに、俺は戻ってきたわけじゃない」
俺のやり方はいつでも変わらない。
ただ少し、考えが変わっただけだ。
「俺は変わらず愚かで、今でも世界をやり直したいと願っている、不甲斐なくて優柔不断な男さ」
ジン師匠に教わった。
強くあろうとするためにどうすればいいか。
「だけど……それが、この世界の俺だ」
───お前には俺の ”技” すべてを伝授したつもりだ。後はお前次第、何を以って強みとするか、何を弱さとするか考え続けろ。
そして、一つの考えに満足するな。常に考えて、戦って、幾たびの敗北を経ても───屈するな。
大切なものを守る為に強くあろうとし続けろ。
俺なぞ踏み超えて行け。
今あるもの全てを駆使し、闘い続けろ。
その果てにきっと答えが───
「気操流 纏式」
大切な人を守るために、何処までも求めよう。
驕ることなく、誓いを果たすために強くあろう。
「────『勇魔装束』」
どちらも俺の一面である以上、全ては否定できない。両方に正義があるが故に根本からは切り捨てることはできない。だからこそ明確に区別して、それぞれの在り方を体現する。
「俺は、諦めきれないから此処に立っている。何がなんでも取り戻したいと願ったから、ここに来た」
【…………】
「ただ、今は違う。俺がもう道に迷わないために……決意を体に刻みつけるために此処を立っている。その結果が敗北だろうと、勝利だろうと……」
不甲斐ない俺が、前に進むために必要なこと。
いつまでも絶望していられない。
「俺は、俺に託していった者たちの想いは捨てない」
これはけじめだ。光でも闇でも何であろうと俺である以上、死ぬまでつきまとうものなのだ。
自己満足かもしれない。それでも、どちらの一面を抱えたまま終生まで歩み続けなければならない。
【……そうか。いいだろう】
魔神は僅かに笑みを浮かべながら手をかざした。
すると、何重にも堅牢な結界が築かれていき、俺に照準を合わせた魔弾が天を埋め尽くされていく。
【邪神の力でも、剣聖の技でも、何でも使ってこい】
今思えば、最初から魔神の姿勢はずっと同じだ。
神としてではなく、人として全力で迎え撃つ気だ。
【すべてを───受けてやろう】
魔神は受けた。ならば、この後に言葉は不要。
俺は思わず、凶悪な笑みを浮かべた。
戦闘狂結構。まっとうな英雄であろうとはしてこなかったのだ。ここまで差の開いた格上と戦いに高揚を感じずにはいられない。
【穿て 魔弾】
その次の瞬間、俺は駆け出すと同時に、黒に塗りつぶされた左手の装束を突き出して、深淵を放った。
「装式【振黒比礼】」
黒い大海が魔弾を吸収し、結界をも呑み込んで魔神への道を拓く。直後、場を充満する黒い魔力に紛れて、足に魔力を集中させ距離を一瞬で詰めてみせる。
「断式『切白比礼』」
白に染まった右。俺を貫いた神剣を参考に気操流で造った神聖なる浄化力をまとめた白剣だ。聖剣には遠く及ばないが、迫るほどの浄化力を込めている。
【魔波動】
「乱式『明星』」
振り切る前に剣を切り替え、至近距離で放たれる魔力の衝撃を純白の球状ドームが裂くような闇を弾く。
「圧式【魔核槍】」
振黒比礼によって放った巨大な魔を全て圧縮し、黑槍よりも遥かに強力な魔力を込めた槍を投げ放つ。
ゴゥン、ゴゥン、と。
空に打ち上げられた【魔神】は解放される超威力の衝撃に飲まれ、黒き魔力の奔流が空間中を渦巻く。
「……チッ、ちょっとくらい効けよ」
【───魔塵滅星爆】
俺の最質最放出量が全然効いていない。それどころか空間中の魔力をまとめ、魔神の上空を渦巻く星が如き魔力塊は生物すべて殲滅させる威力を秘めている。
そして、魔神が手を振り下ろすと同時に、黒い星が俺に向かって落ちてきた。あれが炸裂してしまえば、俺ですら塵ひとつ残らず消し飛ばされるだろう。
「浄式『双進浄剣』」
長くなく、かといって短すぎない俺が最も扱いやすい形状の単なる二本の気剣を生成する。
「我が願いを付与せよ」
魔と相反する聖気を気剣に込め、体には禍の力をまとい、持久と耐久を大幅に強化する。
黒き星が俺に届こうとした瞬間、右手の白剣を振るって魔力を削り裂く。左手の白剣でまた斬り裂き、そしてまた右手の白剣で削ぎ落とす。
【………ハ】
魔力を切り裂く度に一歩踏み出す。
進め、進め。愚直に突き進め。
どんなに巨大な魔力の塊であろうと、無数の剣戟を叩き込んで削り取れ。質と放出量では勝てないのならば『数』を打て、打って、打って、打ち通せ。
【ハハハハハハ! 剣聖ですらここまで強引な攻めはしなかったぞ。いや、貴様だからこそか! 剣聖よりも遥かに強い体を持っているからこそ無茶が通る!】
そうだ。俺は、剣聖よりも強い。
師匠は英雄の在り方を体現したが、理想とした強さまでは辿り着けなかったのだ。ならば、この俺が師匠の夢見た強さを体現してみせる。
それが弟子の俺が果たすべき義務だと思うから。
「はあ、ぁあ、ああああ!」
両剣を大きく振りかぶり、巨大な魔力の塊を削り落とす。そしてまた切り落とす。何度も黒き魔星を突破するまで愚直に剣を振い続ける。
そこで気づく。
(……削っても削っても勢いが止まらない)
見た目では派手に削り取られているように見えるが、即座に削ぎ落とされた魔力を吸収している。黒い魔星にはなんら影響を与えていないということだ。
それに、もう一つ気にかかる事がある。
(【魔神】に魔力を感じない。ということは……)
全ての魔力を黒き星に込めている。それが指し示すは、魔神最大の一撃であるということだ。これを破れば一気に勝ちへ近づくのは間違いない。
同時に、俺は少し悔しくもあった。
(まだ試しているつもりか)
遮られている魔星の奥で、打ち破ってみせろ、とばかりの不敵な笑みで見下している気がする。
(それでもいいさ。少しでもお前に勝てば、御の字だとも思っている……が、想定くらいは超えてやる)
少し溜めた二連撃で大きく魔星を削り、少し空間が空いた瞬間に体を反らして両手に『気』を溜める。
「原式『双衝打』!」
全霊の気を以て魔星を押し退けてみせる。
一瞬だが、次なる一撃の溜め時間は作れた。
【………!】
双剣を一本の刀にまとめあげ、居合型に構える。
魔力で身体強化し、聖気は全て刀に込める。
「斬領域・拡張!」
気を極限にまで研ぎ澄ませろ。
聖も、魔も、気も、全て使い切れ。
「我が願いを付与せよ」
俺は、まだ未熟だ。
まだ技の冴えもジン師匠ほどではない。
まだ術の奥深さもダエーワほどではない。
まだ───、決意の強さもアートほどではない。
だが、総合力は誰にも負けない。
術も、技も、決意も、今の俺の全てを込める。
これは託してくれた者がいてこそ辿り着けた極地。
この一撃は、託してくれた者たちに捧げよう。
「気操流・奥式」
────瞬間。
キン、と。とても小さな鍔鳴り音が静かに響く。
あまりに静かな収納音に全空間が静止したような錯覚に陥った。
【─────!】
そして、気がつけば。
黒き魔星ごと空間に一筋の白い線が引かれていた。
そして、その線に沿って、空間がズレていく。
「『断界』」
技の名を告げると同時に錯覚は解かれ、再び空間が動き出し、黒き魔星が割れて後方へ飛んでいく。
その数瞬間後に、途轍もない衝撃が轟く。
「………はっ、ふぅ」
【……狙っていたのか?】
それは『斬る』ではなく、まさに『現象』に近い。
刀を抜いて振り切るという動作を極限の先へ研ぎ澄ませた結果、空間が裂かれるという『現象』を生み出した。
一瞬にも満たない空間切断という事象そのものに付け入る隙はなく、その斜線上に存在するものは、どんなものであろうと切断される。
支配域に入った綻びは即座に修復してみせたが、それでも完全に支配していた空間を斬ってみせたのは確かであり、かの者にしか持ち得ない唯一の極致へと至ったのだ。
「いや、とにかく見返してやりたいと精一杯だった」
【……クハッ!これほど驚かされたのは千年ぶりだ】
俺の持ち得る全てを込めた渾身の斬撃は、黒き魔星を超えて───、最奥を待ち構えていた【魔神】にまで届きえた。
魔神は体に入った一筋の亀裂に触れて、面白げに笑みを浮かべた。しかし、内包魔力の減衰を感じられない以上、恐らく致命の一撃にはなっていない。
【確かに、貴様の意思が【魔神】を凌駕した。今や貴様に勝てる存在など数えるほどしかないだろう】
ぱき、と。体の亀裂の中から、何か白い───。
【俺の敗けを認める。その褒美というわけではないが、我が完全を見せてやろう。なに、貴様とて勝ったままではいられないだろう】
ぱきぱき、と体の亀裂が広がっていく。
【『反転』】
「──────!」
放たれる極光。【魔神】が白き化身へと転じ、漆黒の空間をまばゆく照らした。その光は暖かく、それでいて緊張感を与える至高の神光のようだった。
思えば、俺を貫いていた剣も『その姿』の一端だったのだ。闇と相対するモノ、ヒトは闇と光を抱え持つ生物だ。眼前の彼もまた、そうであるならばもう一つの側面を持っていても不思議ではない。
《この姿を見た者は、貴様で六人目だ》
神……いや、これが《真祖》としての姿。勝つ気さえ吹き飛ぶほどに神々しく圧倒的な力の差を感じる。
《今すぐ死ね、などとつまらん事を命じることはしない。だが、手加減が難しいゆえに死んでくれるなよ》
笑えるほどに勝てる気がしない。天地どころか、宇宙がひっくり返っても勝てないだろう。それほどに彼我差が途轍もなく広がっている。
しかし。
「ハッ、とうに力の差など承知している」
剣を握りしめ、足を前に構える。
高揚が抑えられず、凶悪な笑みが止まない。
「だが、それが諦める理由にはなり得ない」
俺の笑みを見て、魔神もまた小さく笑った。
あの魔神が、全力に足る相手だと認めたのだ。
そして。
《我が真名は『アルマ』。今度は敬意を示し、我が全身全霊をもって叩きのめしてやろう》
「ッ、俺の名はアベル・ヴァイオレット!」
────ここから先の戦いは一方的だった。蹂躙だったとも言えるほどに戦いですらなっていなかった。
「う、おぁ、ああああーーーーーッッ!」
何度、全身を消されたのか忘れた。
何度、歯向かったのかも覚えていない。
「ゴァッ! まだだぁ!!」
清々しいほどに力の差を見せつけられ、勝てる存在などいないんじゃないかと何度も思わされた。
何度も剣をなまくらにしても僅かな勝機に賭けて戦い続けたが、遠ざかっていくばかりだ。俺の一切が通用しない遥かな高みに、奴がいるのだ。
「まだ、まだまだぁ!!」
人生をかけても、そこまで届かないかもしれない。
未熟のままに最後を迎えるかもしれない。
だけど、この踏み出す一歩は確かなもの。小さな一歩かもしれないが、それでも前へ進んでいるのだ。
「ハハァッ!」
もう後ろばかり見てなどいられない。
縋っていた虚構を越えて、俺は先を征く。
読んでくださりありがとうございます。
残り2話ほどで魔神戦は完結です。その後、幕間をいくつか公開した後に七章開始を予定しています。




