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126話 その世界②



 。

  。

 。

  。


 その世界は、私にとって見慣れない異世界だった。


 高度な文明の世界で、非常に高い建築物が数多く建てられ、人々が常にせわしなく行き交う。私が見聞してきたどの光景にも該当しない、完全なる別世界。


『すごい……』


 ここまで文明を発達させることができるのか、と驚きを隠せなかった。それも、魔術ではなく技術による発展だ。夢物語だと思われてきた世界がここにある。


 でも驚いている暇はない。ダイアナが繋ぎ留めてくれている間に連れ帰らなければならない。


 行き交う人々のひとりを捕まえようと声を掛ける。


『あの、そこのあなた、ちょっといい?』


 通行人に声をかけるも、素通りしていく。

 声が小さかったのだろうか、と他の方に声をかけるも無人の野を行くがごとく通り過ぎて行った。


 幽霊ゴーストのように皆が自分を認識していない。


 すると、どこからか子供の泣き声が聞こえた。


「うえぇーーん、ママぁどこぉ……」


 響く泣き声に通行人は僅かに反応を見せるも、興味ないとばかり立ち去っていく。


 私たちの世界では、社会的弱者は無慈悲に切り捨てられるように何の力のないこの子は見捨てられる。


『大丈夫? 迷子になったの?』


 私はいても立っていられず、えんえんと子供に声をかけるも泣き止まない。涙で何も見えなくなっているのだろうかと子供に触れようとした。


『……え?』


 私の手が子供を素通りした。正確には手が透けて子供の顔を通り過ぎたのだ。これでは幽霊ゴーストそのものだ。いや……


『そっか、私が魂だけの状態だからなのね』


 魂は視認できないもので、魔力感知でどうにか内包する微量の魔力を知覚できるのだろう。


 現に自分の中にある魔力量が異常に少ないのが分かる。ダイアナからの魔力供給がなければ消えてしまうほどに微々たる量だ。


 ここに留まれる時間はそう長くないことは分かっているけど、目の前の子供を見捨てることはできない。


「お嬢さん、迷子になったのかい」


「えっ……おにいちゃん、だれ?」


「僕は⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎だよ。一緒にお母さんを探そうか」


 すると、爽やかな青年が手を差し伸べ、子供の手を引いて何処かへ去って行った。どこの世界でも思いやりのある人間はいるものだ。青年と会話して笑顔になる子供の顔を見て、私はひとまず安堵した。


『……アル、一体どこにいるのよ』


 この世界自体にアルの気配を感じ、ここはアルの中で、彼の心奥を映し出している。今の子供の情景が映し出されたということは、近くにアルが見て記憶に残したものである。


 となると、まだ近くにアルがいるかもしれない。


『……あれ?』


 周りを見てみると誰も自分を見ず、次々と行き交う人々が異常に増えていく。世界を埋めつくしてしまうほどに人でいっぱいになっていく。


 そして、場面が切り替わるかのように、今度は長く伸びている廊下にぽつんと立たされていた。


『ここは……』


 落ち着くけど、とても暗い雰囲気だ。日が暮れかかっているのもあるかもしれないけど、それ以上に映し出している世界自体が寂しく感じる。


 廊下を歩きながら部屋の中を探していく。どの部屋も空となっていて、廊下にも誰もいない。


 カーテンから落陽の光が零れ、初めて見た世界だけど、とても心安らいで、それでいて哀愁すら感じる。


『……あれ、誰かいる』


 そこに、ひとりの青年が机に突っ伏して寝ていた。


「うわっ!?」


 青年は肩を震わせて勢いよく起き上がった。


『……さっきの同じ人?』


 アルと比べて、どことなく雰囲気は似ている気がする。ただ、アルと違って目つきも優しく、それでいて真面目な印象を受ける爽やかな青年だ。

 

『もしかして……彼が……?』


 確信はない。だけど、そんな気がする。

 

「さて、帰るか」


 面倒くさげに彼は鞄を担いで部屋を出ていった。


『あ……待っ……』


 声をかけようとした途端、横に誰かが駆け抜けた。

 通り過ぎた丸頭の男は彼の肩を組んで笑いかけた。


「よぉ、シュン!」


 サキの言っていた名前と同じ?

 いえ、そんなまさか……


「ん……ゴウか」


 ゴウ。元の世界にいた拳闘士の面影がある。

 彼が『黒神 瞬』なのかもしれない。


『………もしかして』


 邪神や、死神の伝承と共に語られる。彼らは、死にて記憶をそのままに新たな生を授かるという逸話だ。


 思えば、アルは子供の頃から妙に大人びていた。 

 よくわからない言葉を話したりもしていた。


『転生者……?』


 はっ、と気がつけば、彼らの姿は消えていた。


 階段の窓から声が聞こえて、覗いてみると既に外に出ているようだった。急いで階段を駆け降り、彼らを追いかける。


 門あたりに彼らの姿を見つけると、誰かひとり加わった。眼鏡をつけた大人しそうな女の子だ。


 その顔を見れば、彼に惹かれているということだけは分かる。彼がアルだとすると、何かもやっとする。


『……むぅ』


 身を隠しながら彼らに付いていくと、途中で別々の道へ別れた。私は彼の後ろについて行き、様子を伺った。


 すると、大きくため息を吐いて空を見上げた。


「……はぁ、怠惰スロウスだな」


 やっぱりアルだ。時折呟いていた同じ口癖。


 聞き間違えるはずもない。柔らかで豊かな表情だが、いつも何かを諦めている表情はアルそのものだ。


 姿なりは全然違うけど、彼は『転生者』として、私たちの世界に来訪したのだ。


「参拝でもして行こうかな」


 彼は小さな何か門のようなものをくぐって、階段の向こうへと歩いていき、私は端に寄りながら後を追いかけた。


 到着すると、そこは神殿のような場所だった。彼も手を合わせて何かを祈っている。古びれている雰囲気だったが、神を祀っているということは分かった。


「ふぅ、帰るか」


 彼が踵を返して、古びれた神殿から去ろうとした途端、神殿の奥に何か四つの影が見えた。


『…………っ』


 身構えて警戒するが、全く敵意も殺意もなかった。

 根幹を震わすほどに深い暗い感情だけを感じる。


『そこのあんた、何者よ?』


【……『アズ』とでも名乗っておきましょう。私は其の者であり、其の者ではない曖昧な存在です】


 どこか聞き覚えのある声だった。いや、間違いなく聞いたことのある声だが、その声の主がどうしても思い浮かばない。まるで記憶にモヤがかかった様に鮮明に思い出せない。


【ここが境目。問う者として声を掛けて『繋がり』を作ります。その後にどうするかは、貴女に任せます】


『どうするか……』


【はい。それともう一つ、お願いがあります】


『……何よ?』


【彼と共に元の世界に帰れたら『キノクニ』に向かって欲しいです。そこである少女を救ってください】


 キノクニ。遥か昔に【死神】を討ったといわれる鬼人族の英雄の片割れ、鬼神イズモのいる国だ。


 なぜ私に、という疑問は残るが、切実な願いだということは分かった。それに何やら力を貸してくれる以上、無下にすることはできない。


『……分かったわ』


【ありがとうございます。余り時間も残されていないので、そこで少しお待ちください────】


 そして、始まる短い問答。

 短いながらも、今の彼の在り方が理解できた。



【────君は……】


【ここがどんな場所か….…】


【ここで────】



 諦念のこもった言葉ばかり吐露している。以前以上に世界を諦めている。信念も、執念も、何もかも捨てていた。


 そして、そして。


 彼は、最も言ってはならない事を言った。


【───……それでも、進みますか?】


 ああ、答えは変わらない。


 後悔はあるかもしれないけど、それでいいさ。

 空虚を埋める何かを求めたって、いずれは失う。


 失うくらいなら、何もない方が良いさ。


『───っ、違う、違うわ! 失いはしないっ!!』


 思わず大声をあげる。しかし、彼には届いてない。

 彼は止めていた足を再び歩み始めた。


『アル! 待ちなさい!』


 こっちの世界の方が幾分も楽に生きられるのは確かかもしれない。


 だけど、それでも、私たちの世界にいた時間も偽りじゃなかったはずだ。


 優しくあれたはずだ。安らぐことだって。


『ねぇ、アル! こっちを見てよ!』


 このまま行かせると二度と戻ってこない。

 行かせてはならない、と手を伸ばす。


『……っ!』


 彼に触れない。触れられない。魂の状態の私に、記憶を映し出しているだけの世界へ干渉できないのだ。


「……あ、食材足りないって言われてるんだった。急いで買って帰らないと母さんにどやされる」


 彼の前で両手を広げて立ち塞がるも、彼の瞳には私が映っていない。まだ私の姿が見えていないのだ。


『私よ! エリーゼよ!』


 それでも彼は私の体を素通りしていく。

 

『行かないで! 私はここにいるのよ!』


 今度こそ、その手を掴んでみせる。

 いつも独りぼっちだったアルを救いたい。


 何度も触れようとしても透けてしまう。

 こんなにも近くにいるのに触れられない。


『嫌、いやだ、アル……』


 また遠くに行ってしまう。

 今度は永遠に触れられない所まで消えてしまう。


『もうどこにも───、行かないでぇ……』


 縋りつくように、手を伸ばす。

 すると、手に何か触れている感覚が伝わった。


『……あ』


 子供の時から遠く、私の知らないところにいた。

 どこか達観していていつも過去ばかりを見ていた。


 歳を重ねても修練を重ねても、遠くなるばかりだった。何しようと、過去に取り残されたままだった。


 だけど、ようやく、今。


「君は……」


 彼の瞳に、()を映した。


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