119話 意思の在りか②
その願いの始まりは、単なる寂しさからだった。
孤独を癒したくて、温もりを求めて、強くあろうとした。何者も救えるほどに強くなればいいと思った。
でも────、それが間違っていた。
どれだけ強かろうと、どれだけ足掻こうと、叶わないものは叶わない。それが世界の不条理というものだろう。
………大切なみんなを奪わせない。
この願いは間違っていないと信じた。奪わせないことは、みんなを守ることにもなり、幸福を守ることにもなると思い、願った唯一の願望だった。
しかし、自分勝手な願いだということに気付いた。
寂しさを埋めたいという自分勝手な我が儘にすぎなかった。結局、自分本位なのだ。
奪わせないために、戦い続けた結果がこれだ。
孤児を守って命を散らした。
甥に世界を託して身を滅した。
俺の為に命を賭けて死んだ。
何もかも手の中から溢れていくじゃないか。
しょせん永遠などあり得ないのだ。
だが……そこに私がいなければ?
あまりにも馬鹿げたことだが、私という存在を中心に死んでいった者たちは死ななかったのではないか。
いや、間違いない。私がいなければ良かったのだ。
私がいたから、みんなは───……
【ア、アァ……】
漆黒の魔力が体を纏い、歪に変化する。
その姿は、かつて一度だけ見せた。
────悪魔の姿に。
【アァ、ア、ァァアアアアァアアアア!!!】
叫び声が震撼する。異空間の存在証明さえも僅かに揺らぐほどに。
だが、綻びは即座に修復され、その鋭い眼光は一抹も揺らがなかった。
【……貴様は、ヒトでは勝ち得ぬと思ったはずだ。それこそが貴様の弱さだ。奴は、俺を前にしても自暴になどならなかったぞ】
悪魔は絶叫をあげながら【魔神】に襲いかかった。
【ァァアアァァアアアアァァアア!!】
【魔の波動】
悪魔の巨軀が弾かれ、大きく後ろへ下がった。
【見せてやろう。貴様が見てきたヒトの真の強さを】
手前の空間が掠れ、人の幻影が形作られていく。
そして、現れたのは、大盾と剣を携える青年。
アガタル聖騎士団長───蒼天のランス。
かつての屍鬼の姿ではなく、彼が全盛の強さを誇った当時の姿だった。
「ほう! こりゃあ、また途轍もない化け物だな!」
剣を肩に担ぎ、意気衝天と口角を上げて宣言する。
「だが! この私、蒼天のランスが来たからには、これ以上の暴虐は許さん!」
大盾を前に構え、脚に魔力を集中させる。
「さぁ、ゆくぞ!!」
それは突貫。決死にも見えぬ、ただの突撃だった。
悪魔の大きく開かれた顎から魔力が放たれる。それを、盾で真正面に受けながらも脚を前に踏み出した。
「ずりゃぁあああ!!」
吐き出された闇の中、ひたすらに前進し続ける。
ずん、ずん、と確実に一歩ずつ踏み締めていった。
愚直。そうとも呼べる行為だが、時としてそれが通ることもある。
「ちぃっとばっか遠かったが、辿り着いたぜ!」
ランスは闇を抜け、剣を振り下ろす。
悪魔はそれを腕で受けた。
「お、おぁああっ!」
膂力は圧倒的に劣るのにも関わらず、悪魔は僅かに押されていたのだ。
【ァ、アァァッ!!!】
「うおっ!?」
力任せの腕力に弾かれ、そのまま振り下ろされた拳によって地に叩きつけられる。
血反吐を吐きながらランスは、咄嗟に体勢を持ち直して、構えた盾で上からの殴打に耐える。
盾を僅かにずらしながら威力を何度も流し続ける。
それでも凄絶な殴打は受け止めきれず、衝撃が全身に響いていた。
しかし、その瞳に輝く光は潰えていなかった。
「シィッ!」
振り下ろされた拳に合わせて、大きく盾を傾かせて流し、カウンター気味に鋭い刺突を繰り出した。
完璧に決まる、と鋒が悪魔の首に迫った。
「なっ!?」
しかし、巨躯と見合わぬ速度で躱される。
そのまま振り払う腕が腹に減り込む。腹の中の空気が押し上げられ、悶絶しながら吹き飛んでいった。
空中で切り返し、剣を地に突き刺して堪える。しかし、そのダメージは甚大。どうにか立ち上がろうとするも、がくりと膝をついてしまう。
桁違いの膂力のうえに、暴走しているとは思えない研ぎ澄まされた反射だ。離れていても凄絶な魔力砲がある。ランスが、どう足掻いても勝てない相手だ。
それでも体に鞭を打って立ち上がろうとする。
それでも、それでも、体が言うことを聞かず、再び膝をついてしまう。
悪魔が迫ってくる。まるで手負いの獣を警戒する様にゆっくりと迫ってきていたのだ。
「ぐっ……流石にこれは不味いなぁ………」
そこで。
黒混じりの爆炎が爆ぜた。
ごうごう、と怯む悪魔に黒煙が渦巻く。その黒煙が目眩しとなり、ランスの横から凄絶な刺突が伸びた。
【オ、ォオオオオオオッッ!?】
勘か、偶然か、悪魔はその刺突を避けようと体を逸らすも肩を貫かれたのだ。
ランスは、雄叫びをあげながら怯む悪魔の様子に一瞬惚けた。そして、安堵の顔を浮かべて「そっか、来てくれたんだな」と背後に目を向ける。
そこにはランスの後ろに現れたのは二人の女性がいた。ランスに次ぐアガタル聖騎士副団長のふたりだ。
聖魔導師長───紅蓮のキアラ。
聖槍術士長───翡翠のアウロラ。
「……全く、ランスはいつも先走る。もう少し落ち着いたほうがいい」
「そうよ! 敵のど真ん中に突進するあんたに付いていくあたしたちの身にもなってよね」
叱咤を受け、ランスは頭を掻きながら笑った。
「悪い、悪い、一刻も早くあの怪物を助けてやりたかったからな」
「まったく、お人好しにもほどがあるでしょう。まあ、それがあなたらしいんだけどね」
差し出されたアウロラの手を掴み、ランスは立ち上がる。そこに、キアラが回復魔術をかけてくれる。
「とにかく来てくれてありがとう。お前たちが来てくれたなら私たちは無敵の騎士団だ」
「うん、私も頑張る。でも、絶対死なないで?」
「ああ当然だ。死ぬ気など少しもないぞ」
ふたたび盾と剣を握りしめ、悪魔と対峙する。
剣を構え、もう一度打倒を誓う。
「さあ、覚悟しろよ。私たちがお前を救ってみせよう!」
どんな怪物でも仲間と一緒なら勝てる。
だって、俺たちは無敵の騎士団なのだから。
─────幕。彼らは所詮、過去の投影体……
突如と、過去の英雄である彼らの姿はひび割れ消えていく。まるで、ここまでの戦いが彼らの物語の一幕であったかのように。
【この戦いで英雄としての栄冠を手にしたランスは、シバ国でも最も強い権力を持つことに等しく、それを疎ましく思った貴族の謀略によって……処刑された。
そして、国外出撃から帰還したアウロラは、ランスの死を知り憤慨する。そのまま元凶の貴族の屋敷を襲撃し、仇を討ち果たして死亡した。
取り残されたキアラは国を見限り、国外へと逃れるも追手に追われ、追撃隊の千人を撃退するも、魔力が尽きたところを突かれて死亡した】
淡々と読み上げるように【魔神】は語った。
【……ヒトは醜く、執拗だ。しかし、彼らが形作った不屈の精神は、現在にまで受け継がれている。それがシバ国を囲う壁であり、象徴となった】
【ア、アァ、ァァアアァァアァァアァァァァアアァァアァァアァァァアアァァアァァア!!!!!】
うるさい、とばかりの叫び声に魔神は瞳を細めた。
【さて、第二幕だ。今度は、貴様に討たれた者たちの全盛を見せてやろう】
手前に二人の幻影を映し出しす。
すると、悪魔は叫びを止め、その姿に眼を見開く。
その二人は─────
「オイオイ、何だ、このヤベェ怪物は?」
「これは……まるで悪魔ですね」
ベヒモス王国軍大将──ネロ。
朧火の大魔導士──ディーヴ。
並び立つはずのない二人は、かつて【邪神】の力に呑まれ、身を滅ぼしていった者たちだ。
今の彼らには一切の淀みがない。
彼らが、ヒトとして全盛期だった頃の姿だった。
【ガ、ア、ァアァアァアァアァア!!!】
静止は束の間、叫び声をあげながら襲いかかった。
「撃滅せよ『緋槍』」
「『覇哮砲』!!」
豪!と凄絶な衝撃が響き、悪魔は大きく後退した。
「ハッハッ! 俺様を襲おうなどと痴れたことを!」
「せめての情けです。苦痛なく殺してあげましょう」
悪魔は跳ね返るように近接して拳を振り降ろした。
【ガァアァアッ!】
ただの膂力任せの殴打だが、ヒトのそれを大きく上回っている。まともに受ければ渾身が砕かれ、押し潰されるほどのものだ。
しかし。
「何だァ、こんなものかァ!?」
浸透するように空間が震撼した。
真正面。真っ向。
ネロが悪魔の拳を片腕で受け止めたのだ。
「少しばかり響いたが、重くもねぇなァ!」
そして、隣にいたはずの魔導士の姿はなく。
悪魔の後ろには、浮かぶ火の玉がひとつ。
「炎神よ、幻に在りて現と燃えよ」
揺らめく火の玉は、火をまとう魔導士だった。
そして、魔導士から『ゆらぎ』が広がりゆく。
「『朧火』」
悪魔が『ゆらぎ』に触れた瞬間、炎上した。
【グァアアアァアアッ!?】
幻の如き炎。目に見えぬ炎が悪魔を焼いたのだ。
「……火に耐性があるのですか」
効いたのは一瞬。炎に耐性のある悪魔にはほんの僅かしか通用しなかった。
背後の敵に気付いた悪魔は払いのけるように薙ぐも魔導士には当たらず、火の揺らぎに消えていった。
すると、上から飛翔音が聞こえた。
「オッラァアッ!」
降下速度を載せた鱗の拳が悪魔の頭を捉え、地に叩きのめされる。
【グガァアァッ!?】
「ハッハァ! 図体だけかァ!?」
最硬の鱗を持つ半竜半獣人たるネロは、奇しくも竜神を超えた竜人と云われるセイウンと比肩する強さを持って生まれた。
セイウンは力に絶望し、力の宿命から逃れるために【魔王】となったが……ネロは違う。
絶大な力を持ちながらも更なる高みへと目指し続けたのだ。彼の鱗、膂力、体軀、その全てが誇りであり、背負うべき宿命としたのだ。
ゆえに、その全盛はセイウンを超えていた。凄まじい悪魔と化した彼を前にして、真正面の殴り合いで、圧倒してみせた。
【ゴガァアアアッ!?】
そして────
「至高に昇りし竜神よ、御身ある限り消えぬ炎、我が名において代行せん。煌々と罪を滅ぼし尽くせ」
其れは魔術の最奥のひとつである。
かの竜神の至高の炎を魔術として構築した。
「─────『煌炎』」
その魔術の構築者は、ディーヴ。
行使できる者も未だに彼ひとりである。
彼が世界で四人しかいない『大魔導士』に選ばれた理由は、魔術に秀でていたことにもあるが、それ以上に、新たな魔術の構築を得意としていたことにある。
生み出した魔術は百にも昇り、長い魔術歴の三割を占める数だ。そして、彼が魔術として構築したものの中で『原典』にも登録された最高位の魔術である。
【ガ、アァ、アァアアァアアア!!!】
太陽がごとき極大の炎が悪魔を焼く。
火に耐性がある皮膚を突破するほどの高熱が悪魔を包む。しかし、それも適応され始めていた。
「オオラァッ!」
そこで、凄絶な衝撃が響き、悪魔は跳ね返るように吹き飛ばされた。大炎が周りを包む中、ネロはお構いなしにもう一度殴り飛ばしたのだ。
【ガ、ァア、アァアッッ!!】
悪魔は、理解できなかった。
己を脅かすほどの力の存在が理解できなかった。
「……どうしてだと?」
「貴方がそれを聞きますか……」
並び立つふたりは当然のように答えた。
「俺様が力を振るう理由など一つだけだ」
「愚問です。そんなもの決まっています」
大杖を、拳を、構えて宣言した。
「国を守るためだ」
「国を守るためです」
─────幕。彼らもまた過去の幻影だ。並び立つ二人は、映像が途切れるかのように消えていった。
【ヒトは、常に連綿と後世に意思を繋げていき生き物なのだろう。だが……貴様の願いはヒトが積み重ねた歴史を否定している】
【ガ、アァ、ァアアアァァァァァァ!!!!】
【裂帛では足りぬ。足掻くだけでは足りぬ。それでも多くの挫折を味わいながら、その極みへと至った者がいるということも知るがいい】
手前に一つの幻影が映し出される。
【─────ア】
その男はかつて最弱でありながら、たゆまぬ研鑽の果てに冒険者の最高峰、SSS級に至った剣士だ。
そう、気操流の始祖でもあり、彼の師でもある。
『剣聖』───ユージン・ライラック。
その全盛期の姿だった。
読んでくださりありがとうございます。




