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117話 アダム


 私は『異空間』へ転移した。


 天空は漆黒に染まり、大地が宙に浮かび、重力に縛られない人の世から隔絶された世界。


 人族では侵入できぬ不可侵の領域だが、私は冒険時代に【魔神】との縁ができた。それを介して、転移の聖人ラムの力で《異空間》に転移したのだ。


「……予想はしていましたが、やはりですか」


 そこは、無人の古都。

 暗闇に包まれる街だった。


「滅亡したはずの帝国……コロナ帝国、ですか」


「そぉ〜、一夜にして滅亡した帝国だよぉ」


 たった一人の王が治め続けた大国である。


「……ゴフッ、ゴホゴホッ!」


 突然、ラムがむせ始めた。

 その手には血が滴っている。


「聖人のあたしにとって、ここは強烈な毒だからねぇ〜……」


 聖と魔。相反する性質であり、相入れることのないエネルギー体物質である。


 聖気のみをまとう人族は極めて希少な存在とされている。聖は魔を打ち消し、人に光をもたらす存在であることから《聖人》と呼ばれている。


 そして、逆説的に魔は聖を侵食し、堕落させる。

 《聖人》に近しい者ほど、魔はより強い劇物と化するのだ。


「ここまで感謝します。後は……」


「ううん、もうちょっと待って〜」


 血を吐きながらも、ラムは意固地に戻らなかった。


「もう少しで来るはずだよぉ……まだ、責務は終わってないから〜」


 すると、影が落ちた。

 同時に響くような声が聞こえた。


「何故、此処に人がいる?」


 痩躰にも関わらず、圧倒的な存在を示す体躯。

 ラムは、その男を見上げて、その名を口にした。


「────アダム」


 レイアよりも一回り大きい巨躯に、全てを見抜くが如き双眼が見下ろされる。


「何だ? 汝ら迷い込んだのか」


 観察するように眼球を動かし、隣のラムに目が止まった。


「汝は……ラムか」


「そぉ〜、久しぶりねぇ。でも、長くはここにいられないから手短に言うね〜」


 耳添えするように、ラムは告げた。


「───連れてきたよ。世界の命運を選択する者を」


 それを聞いて、大きな双眼がより一層見開かれる。


「じゃねぇ、後は頼んだよ〜」


 いつものような軽いノリで場から消えていった。

 ラムの言う『責務』とは彼のことだろうか、と見上げる。


「……そうか、汝が……」


 感慨極まるように目を細め、見つめられる。

 しばらくして、真剣な表情に切り替わった。


「よくぞ、ここまで来た。我は、汝がどんな選択をしようと受け入れよう」


「……貴方は?」


「我のことは話せないが、何があろうと汝の味方ということは理解してほしい」


 そう言われても、納得できるはずもない。


「………………」


「さぁ、こっちだ。道は見つけている」

 

 先導する大きな背中。

 アダムが何者か知らないのにも関わらず。

 なぜか……信じてもいい気がした。


 しかし、見知らぬ他人だ。一瞬とはいえ緩んでしまった自らを引き締め、無言でついて行った。


 門をくぐり、無人の道を通る。

 店並びも街並みもまるで当時のままだ。


 窓越しに見えた部屋も特に荒れた様子でも、埃かぶっている様子でもなかった。まるで、その『瞬間』を切り取ったかのような光景だった。


「本当に誰もいないのですね」


「ああ、肉体を持つ者には辿り着けぬ領域がゆえだな。辿りついたとしても肉体は滅び、弱い魂はすぐに消え去るのだ」


 人の気配が一切ない。こっそりと『気圏』を展開したが、目の前の巨人を除いて気配が断絶していた。


 強い魂。それは永遠の魂、もしくは何者にも干渉されぬ強力な魂のことを指し示しているだろう。


 しかし、それでも誰もいない世界に存在し続ける覚悟は並大抵のことではない。


 何か理由があるかもしれない。


「貴方はなぜ、ここにいるのですか?」


「うむ、そうだな……世界のため、ではないな」


 どう形容したものか、と口籠る。人と話すこと自体が久しぶりな様子で、慣れない口ぶりだ。


「我が家族、我が……うむ、我が子のため、だな」


 やや上を見上げながらそう言った。

 彼方に向けられた言葉はなぜか、自分にも向けられているような、奇妙な感覚だった。


「ああ、そうだ。ユージンという男は息災か?」


「……師匠を知っているのですか」


「おぉ、あ奴も弟子を取ったのか。教えることはあっても、弟子にはしないと言っていたあ奴がな……して、今はどこに居る?」


「………死にましたよ。随分と前に、ね」


 少しの驚きの後に、納得するように小さく頷いた。


「そうか、ようやく全うできたのだな」


「…………」


 その様子に、私は苛立ちを覚えた。

 それはアダムに対してではなく、自分に対してだ。


 自分ではなく、大切に思っていた者たちに囲まれて、最後を看取られて逝くべきだった。


 傲慢な考えかもしれないが、師を想う者は数多くいる。天涯孤独となった、汚らしい子供に看取られ、消えていくべきではなかった。


「教えてくれて感謝する。少し立ち話が過ぎた」


 そう言って踵を返した。


「さあ、後少しだ。先を進もう」


「……ええ」


 アダムが何を考えているのか分からないが、師匠ユージンのことを知っている。それも近しい存在のようだ。


 かつてコロナ帝国にも在留したことあるという話も聞いた。当時のことは話してくれなかったが、時折自分語りをしていた時に言っていたことがある。


 自分を召抱え、機会チャンスを与えてくれた奴がいる、と。


 良い結末ではなかったけど、それでもこんな自分に剣を握る理由を与えてくれた者がいる、と言っていた。つまり、誰かの下で戦ったことがあるのだろう。


 恐らくこの男が───


「ここだ」


 そこは、王の間だ。


 誰も座っていない玉座に薄暗い光が刺し、広々とした空間と対照的に、とても寂しそう雰囲気だった。


「誰もいませんけど……」

「ここにいる。ただ、もっと深い場所にいるのだ」


 異空間と呼べる異なる次元でも深いところに私たちは存在している。それよりもさらに深い場所……全ての次元が重なりあい、常に歪み続ける『混沌の中心』を指しているのだろう。


 そして、『混沌の中心』には管轄者が存在し、必然、偶然、奇跡……そういった偶発的な『運命』を制定する者が居座っているのだ。


「少し待て。向こうは気付いているはずだ」


 先ほどからその制定者にあたる存在からの視線を感じる。薄っすらとだが辛うじて四人いると分かった。


 うち、三体は溢れんばかりの魔力が漏れていた。

 ただならぬ気配に私は僅かに警戒を高めた。


 魔力は、感情によって引き出される量も大きく変わる。怒れば、悲しめば、嫉妬すれば、溜め込まれる魔力が増大する。【魔王】が最も良い事例だ。


 そして、この三体はそういう生命体であるが故に、それが顕著となる。感知した三体の魔力は、突き刺すようで、煮えたぎるような魔力だった。


 それが指し示す感情は……『怒り』だ。


「『大轟棘岩』」

「ッッ!?」


 突如、凄絶な衝撃に吹き飛ばされた。


 棘鉄球のような巨岩が、感知できないほどの凄絶な速度で彼方より飛んできたのだ。辛うじて受けの体勢に転じられたものの、驚きを隠せなかった。


 その勢いは止まらず、壁を貫いて外へと叩き出された。横に流れた体勢を立て直し、気剣を生成する。


 すると、こぽり、と。

 上から(・・・)水の音が聞こえた。


(─────水?)


 天そのものが海のようにうごめく。

 そして、大きく渦巻き、下町ごと飲み込んだ。


「『瀑布牢』」


 ぎゅるぎゅると巨大な水球に包まれ、呼吸ができない。泡を大量に吐き、酸素が一気に奪われる。


 苦しいながらも開いた口を閉じ、気剣を握る。


「気操流・改式」


 小鴉丸の魔小刀と同じ。

 気剣を黒く染め、闇の斬撃を放つ。


「『黒閃』」


 水球は四散し、轟々とコロナ帝国の下町に流れ込んでいく。そして、宙を舞いながら敵の姿を探す。


 すると、彼方より風音が聞こえた。


「『神風・一閃』」


 直後、空間を劈くような風が通り過ぎた。


「───ッ!」


 私の右腕が宙を舞った。


 そして、続く斬撃を雷功でかわし、飛ばされた腕を掴み取る。超再生で即座にくっつけて治す。


(………原初の精霊、ですか)


 膝をつく私の前に現れたのは、三体の精霊。


 《原初の火(アドラヌス)》と同格にあたる精霊たちだ。


「我が主の領域を侵せし者よ、疾く消えよ」


 真ん中の僧侶がそう告げた。


 かなり気が立っている様子だ。精霊とはいえ、知能のある存在。何の理由もなく攻撃しないはず。


「……」


 いや、そうか。ここはすでに領土・・

 敵対するには十分だ。


 ここは───魔神の領域なのだ。

 精霊からすると、侵略者に写っているのだろう。


 しかし、私はここから去ることはできない。

 敵対する以上、死戦は避けられない。


 原初より溜め込まれた魔力は人智を遥かに超え、人が対抗するには、無限の魔である【地獄シェオル】を開帳する他ならない。

 

「禁式【獄──】」


【そこまでにしろ】


 気がつけば、そこにアダムがいた。

 気配も、威圧感も全く違っていた。


【汝ら、我の前で何をしている】


 響く低音の声が、背筋を凍らせた。


【創造されし原初の精霊といえど、感情で攻撃を仕掛けるとはな……低能極まりない。所詮は魔物か】


 その言葉に眉間を寄せ、怒りを露わにしたのは風をまとう精霊だった。


「低能、と言ったな。貴様こそ帝国を守れなかったデクのくせに偉そうなことが言えたものだな」


「ノトス、気持ちは分かるけど落ち着きなさい。でも……アダム様、私たちの同胞はらからの一人が消された心情を察していただけませんか。敵対しないならば、どうか今は引き返してくれませんか」


 丁寧に答える水の精霊に対して、アダムは尚も威圧を強めた。


【それは確かに悼むべきかも知れん。が、汝らの心情など知らぬ】


「何だと……」


【言っておくが我の気は短い。剣聖ユージンのように「自分は馬鹿にされようと構わない」などと言わん。それ以上舐めた口を利いてみろ───叩き潰すぞ】


 凄絶な殺気と、周りを押し潰さんばかりの闘気。

 空間そのものを掌握されたかのような感覚だ。


 そう、まるで魔神に対峙した時のようだった。


「「「─────」」」


 原初の精霊たちが沈黙する。言葉だけではなく、アダムという存在そのものに気圧されていた。


 知生命体としての格が違うのだ。戦いとなれば間違いなく、精霊たちは叩き潰されるだろう。


 私は警戒を高め、アダムからも距離を取ろうとした。その時、頭に直接声が響いた。


【アダムよ】


 私と似た声色……間違いない。

 異空間ここを統べる者───【魔神】ブラッドリーだ。


やつと話をさせてほしい。我が分身が迷惑をかけたな】


「でも! コイツは!」


【アドラヌスを消したのはやつではない。少し考えれば分かることだ。そして、やつに当たるのも見当違いにも程があるということくらいは理解してるだろう】


「………でも、コイツがいなければ……」


【くどい。そのこと(・・・・)で、やつを恨んではいない】


 そう言われて、精霊たちは口をつぐむ。


【アダムよ、裁定は俺に一任してもよいか】


「構わん。どちらでも我は受け入れよう。それに、我の前では威厳を示さなくとも良いぞ」


 先ほどとは打って変わって、穏やかな声色にブラッドリーは困ったように沈黙した。


【……良いだろう。反転せよ(アンチ・ノヴァ)


 ジジジ、と異空間が掠れていく。


 アダムの言う『深い場所』に移り変わっているのだろう。そして、世界が黒へと塗り変わりゆく中、アダムはいつの間にか私を見ていた。


「───、────」


 その言葉に、私は戸惑いを隠せなかった。


 最初は驚きで、後から少しずつ怒りに変化していったが、不思議なことにすぐ冷めた。


 私にとってそうであるからか、自分のためにひとり残り続けた信念に無意識に許したからか。


 自分が自分でないように感情が理解できなかった。


 しかし、やるべきことは変わらない。

 後悔を取り戻すために、皆のために進むのだ。



 ただ……一度くらいは殴ってやりたかった。

 一度くらいは、なぜと聞きたかった。


 そう、彼は唯一の───……




 『息子よ、頑張れ』

 




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