109話 闇と光
ごぼっ、と口から大量の血が溢れ出る。
「痛え……痛えなぁ」
苦痛は全て、怒りの糧となる。
「痛えじゃねぇかァァアアァァア!!!」
赤い体が膨れ上がり、巨大化する。
それは、怒りに我を忘れた姿。
「【赫々暴魔】」
巨人の血、虫人の血。
両特性がより強く現れた姿はより歪なものとなる。
赫々とした棘に覆われた巨躯は、災獣そのもの。
「啞婀婀婀婀婀婀婀婀婀婀婀婀婀婀婀婀!!」
怒りに身を堕とし、力任せに振るわれる。
凄絶な連撃が嵐を巻き起こし、棘が大地をえぐり、拳圧が天を狂わせる。災害そのものに歯向かうことと同義で、ヒトがいくら逆立ちをしようと抗えない。
「はぁ、はぁっ……!」
頭に上がった血を覚まし、雪煙の奥を凝らした。
「なっ!!?」
ただ一撃も必中せず、そこに立つ漆黒の剣士。
悠々とした佇まいに戦慄が走った。
「……追ってくるのも時間の問題ですか」
どこかに気を取られている様子だった。
興味なさげな態度に、イーラは拳を握りしめた。
「まぁ良いでしょう」
ズズ、と。
漆黒の背後に何か、蠢く。
「─────!」
ズズ、ズズズ、と。
膨れ上がる深淵の闇が形を成す。
「禁式【擬竜】」
全てを喰らい尽くさんとする黒竜が顕現する。
竜は暗闇を吐き、雪原が侵食されゆく。
「ふ、ふふ、ふはははははーーーーーーー!!」
底知れぬ闇を前に【憤怒】は笑った。
「僥倖!まさに僥倖だ!」
イーラは求めた。
何者にも束縛されぬ自由を渇望した。
「これほどの力!これほどの闇!これを超えた先に、己はさらなる『力』が得られる!」
闘いの先に己がどうなるか分からない。
しかし、そこには求めた自由がある。
「さあ、死合おうか!【亡霊】ォ!」
イーラは拳を握りしめ、闘いへと身を投じる。
対し、漆黒は赤い瞳を細め、呟くように。
「……ここから先は闘いではない」
憐むように手をかざす。
「─────回帰の時だ」
底なき闇が雪原ごと呑み尽くす。
暗闇が、イーラの視界を染め上げた。
「……あ」
力の先に求めたものは、こんな世界ではない。
「己は……」
天は青く、地は緑色で覆われ、とても大きい世界。
そんな美しい世界を、彼女と一緒に───……
◆◇
絶大な魔術の発動は、己が存在を知らしめる。
そう、魔力の余波はボクにも届いていた。
「……勝ってしまった。いえ、違う」
ボクはアベルの魔力を明確に捉えていた。
そして、その結末が信じられなかった。
「呑み込んでしまった。【魔王】を……」
そこで、エリーは大きく溜息を吐いた。
驚くでもなく、ショックでもなく、呆れていた。
「こんなのでいちいち驚いていたら身が持たないわよ。だって、これで二体目なのよ」
え、と声を漏らした。
「【魔王】を……?」
「そうよ。アルは【色欲】を倒したのよ」
《勇者》ではない何者かによって討たれたという噂は聞いていた。しかし、相手は腐っても【魔王】だ。
六英雄級といえど、ここまで容易くないはずだ。
「……その様子だと知らないようね」
少し間を置き、口を開く。
「アルは……【邪神】の力を持っているのよ。全てを食らって支配する権能があるから、きっとそれを使ったのよ」
魔剣聖としての偉業や、その裏で大きな喪失あったことも知っている。
だけど、その力だけが不可解だった。
どれだけ英雄が強かろうと、二年という短い期間で六英雄を超えるなど異常だったのだ。
「……そういうことだったんだ」
神なる力を持っていたならば、納得できる。
だけど、それほどの力をひとつの器に収めておいて正気を保っていられるものだろうか。
かつて、里でも最も強かった竜が絶大な力に呑まれ凶堕ちしたという事例もある。
すでに、彼の中の何かが欠けているのではないか。
「というわけでね、アルを殴りたいのよ」
「えっ?」
なぜ、今の流れでそういうことになるのか。
「一人でも解決できるからって、一人勝手に決めて、一人勝手に背負いこんで、行くんだもの。これは殴らないと分からないでしょ」
ボクは呆気に取られてしまった。
言動もだけど、その変わりぶりに驚きを隠せなかった。
「はぁ……大切だっていうんなら、ちゃんと信用するべきだとは思わない? ねぇ、ダイアナ?」
ぷっ、と吹き出した。
「殴るって……あはははっ」
「なっ、何よ」
変わったのだ。
今、さっき彼女は変わったのだ。
「エリーが根性論を言うとは思わなくて……ふふっ」
「むぅ〜……」
ヘルムを外し、しっかり前へと進もうとする意思が瞳に宿っている。かつて……彼の後ろで怯えていた頃の少女とは違う。
「な、何よ! 問題でもある?」
「ううん、そうだね。今のアルはきっと殴らないと分からないね」
きっと、これが素なのだろう。
彼の後ろで隠していたエリー本来の性格がようやく表に出せるようになったのだ。
「そ、それよりも、どのくらいかかりそうなの?」
「うーん、ここから北方面に半日くらいかな」
一晩明けたから、それくらいはするだろう。
かなり遠いが、エリーの移動魔術を使えば追いつけるが、問題は追いついた先で戦闘になる可能性だ。
なるべく魔力を温存して辿り着きたいところだ。
「い、行く気じゃな」
「じいさん……?」
またフードの老人が知らぬ間に現れた。
魔力だけじゃなく、気配が限りなく希薄なのだ。
「わ、わしの名はゲオルクじゃ」
どこか聞き覚えのあったボクは傾げる。
「……魔力を使わず、北方に行きたいのじゃろう。それならば、方法と準備がある」
すると、ゲオルクはエリーをじっと見た。
「その代わり、頼みがあるんじゃが……」
「……何よ?」
エリーのことを知っているのかな。
そう考えると、少し警戒しなければならない。
「……どれだけ時間がかかっても良い。わしらの村の呪いを解いてくれぬか」
エリーの答えは決まっている。
「分かったわ。約束する」
ボクを助けてくれたエリーならそう答える。
だけど、なぜエリーに?
「えっと、どうすれば呪いは解けるのですか?」
「……わ、分からぬ。しかし、呪いは光を持つ者であれば浄化できるはずじゃ」
確かにエリーは強い聖気と光の魔力を持っている。
可能性が無いわけではないが、かなりの魔力が必要だ。それも《勇者》でもない限り不可能だ。
「何とかしてみるわ。アルの力も借りてね」
「アル……とは?」
ゲオルクは頭を上げて問いた。
「ここに来たときに会った男よ。これから向かう先にもいるわね」
「そ、その男は信用できぬ。わしらと同じく、闇と光がいっしょくたに混ざった異なる者。アレは破滅を招くぞ」
眉間が険しくなった。怒りを露わにするだろうと思ったが、彼女の答えは意外なことに……
「そうね、そうなのかもしれないわ」
エリーは手を握りしめて続けた。
「……アルはいつもみんなのことを考えているの。今までも自己中だろうと、自分勝手だろうと、大切なものの為ならばと、なしくずしに解決していったのよ」
ああ、そっか。
彼が欠け抜けているものは……
「馬鹿よね。何もかも自分で何とかしようとするんだもの」
───自分だ。
何もかも背負い、自ら堕ちようとしている。
「……でも、皆を想ってのことよ。方法がねじ曲がっていようとそれは変わらないわ」
その言葉に頷き、ボクも向かい合った。
「もしも、人を想う気持ちを闇だというのなら、私たちはあんたを否定するわ」
しばらくの静寂が続く。
すると、フードに隠れた口が綻んだ気がした。
「……信用しているんじゃな」
呟くようにそう言った。
そして、ゲオルクは踵を返した。
「良い、おまさんらが信じる男も信じてみよう。時が無いのじゃろう。さあ、早くついて来るがいい」
エリーとボクは顔を合わせて、頷く。
少し急ぎ足でゲオルクについていった。
◇◆
そこは、山のように積まれた本と術陣が敷かれた部屋だった。宿の離れにあった倉庫とは思えないインテリアな雰囲気に、ダイアナは驚きを隠せなかった。
「す、少し待ってな」
ゲオルクは積まれた本を崩し、何かを探し始めた。
もうもうとほこりが立ち、ダイアナは咳き込む。
「……あれ?」
散った塵が空中に停止し、少しずつ動いている。
気がつけば、崩れていた本も積み立てられていく。
「……《巻き戻し》」
「そ、そうじゃ。この村にかけられた呪いは進まぬ時じゃ。村を包む常闇は副次的な呪いじゃよ」
ごそごそ、と今度は引き出しを探した。
「ほれ《魔石》じゃ」
袋ごと持たされたのは希少な原石。魔力の肩代わりすることのできる魔素が凝縮された天然石だ。
「こんなに……」
「一度使えば砕かれるが、呪いで元に戻る。ば、場所も戻るがの」
魔石は魔物が生息する鉱山の奥でしか取れない希少なものだ。名のある村とはいえ、辺境の村に仕入れられる品でもない。それも魔術師でもない限り、魔石の知識も得られないはず。
そう、老人が魔術師でもなければ、だ。
「い、今から一時間じゃ。早う行きなされ」
「分かったわ。いずれ必ず約束も果たしてみせるわ」
はっきりと答えたエリーゼはダイアナに手を差し伸べた。
「ダイアナ、掴んでなさい。それで私にもダメージカット効果が付与されるはずよ」
「……」
手を掴むダイアナは、少し申し訳なさそうな表情を浮かべると、微笑んで返答を遮った。
「良い、おぬしらのことを信じておるからの」
そこで、ダイアナはある伝承を思い出した。
「…………ゲオルクさん、あなたはもしかして……」
「何に気づいたかは知らぬが、言わずとも良い。それは間違った道じゃったからのう」
光に包まれ、術が発動する。
「行くわよ。白き女神よ、光如き足を我に『光動』」
常闇を突き抜け、日のない村を後にした。
そして、ダイアナは小さく呟く。
「………実在していたんだね」
彼はゲオルク・ファウスト。
人間で初めて魔術を使役したという術士。魔の世界を発展させ、術を次々と開発した伝説の魔導士だ。
《魔術の始祖》とも呼ばれた存在である。
その名は史実で証明されているが、謎の多い人物でもあったため、実在したかさえ疑われたほどだ。
とある伝記によると金勘定よりも、人を信じる心を大切にした信心深い術士だったと云われている。
しかし、伝承上の存在……三百年前の人間だ。
なぜ生きているのか、疑問は残るが……
「……わしらが願ったことは間違ってはないと信じている。しかし、その罪は認めている。それほどに重い罪だということも理解している」
フードを外し、青筋の通った白肌を露わにした。
その瞳にはありし頃の光景が写っていた。
「じゃが、もういいであろう。同じ時を何千回も繰り返し、変化のない永久は今にも狂いそうじゃよ」
老人は膝をつき、項垂れる。
「奪っておいて虫が良いということは理解しておる」
胸を掻き締めて祈るように願った。
「……頼む、わしらを救ってくれ」
永久の果てに、ようやく見つけた救い。
己が命に終止符を打つ存在。
「───《真なる勇者》」




