➤10話 惨劇
街の少し離れの小さな屋敷。
「ダンさんはここに逃げろと言ってたが……」
先ほどとは打って変わって静かだ。
荒らされた痕跡もなく、焼けた跡もなかった。
不自然なほどに無傷だった。
「………アル」
異様さにエリーも気づいたのか、握る手を強める。
恐る恐る家のドアを開けると、中は真っ暗だった。
「真っ暗で見えないな」
「えっと、ここにろうそくがあると思う」
棚上に置いている蝋燭台を手に、燭を挿し込む。
「……火よ灯れ、『灯火』」
蝋燭台が赤く灯り、ポゥと火が灯った。
「魔術使えるんだ」
「ううん、ここに魔法陣があるでしょ」
「六芒星みたいだな」
「この陣で火が灯るらしいんだ」
「へぇ……」
いわゆる魔道具かな。
目に見えて機能するものは初めて見た。
「エリー、それは俺が持つよ」
俺が持っても魔道具は機能した。確か、自分の魔素を使う魔術と漂っている魔素を使う魔術が存在する、と母さんが言っていたな。
これは間違いなく後者だろう。
「ここが台所かな」
「うん」
台所には綺麗に片されていて誰もいなかった。エリーの部屋や倉庫などしらみつぶしに探したが、おばさんの姿はない。
思えば、いつも玄関に立ったら、アリアおばさんの方から開けてくる。迎え入れる用意はできている、と言わんばかり満面の笑顔で飛び出してくる。
なのに、今日は出てこなかった。
「……ここで最後か」
最後の一室。アリアおばさんの寝室だ。
この騒動で流石に避難したのかもしれない。
きっとそうだ。
「………ママ!」
不安が先立ったのか、開け放して入っていった。
すぐに俺は追い掛けて止める。魔物が潜んでいる可能性も低いながらもあり得る。
大トカゲに殴りかかったのは短絡的だった。
「何があるか分からないんだ。明かりなしに先走るな」
「う、ごめん……」
……真っ暗だということはいないのだろう。
母さんと同じく俺たちを探しに出た可能性が高い。
「………ん?」
すると、足元がぬるりと濡れていることに気づく。
蝋燭を足元に近づけて、それを視認した。
「───あ」
いつもの、わんぱくな笑顔はすでに無く。
瞳に光を失った───アリアおばさんの姿だった。
「………マ……マ?」
複数刺された跡があり、鮮血が溢れている。
俺は、とっさに目を逸らした。死体を直視したのは初めてではないが、慣れるものでもないし、親しかった者であれば尚更だ。
「な、んで……?」
「エリー?」
エリーは後ずさりし、へたり込んだ。
「あ、あぁ、あぁああああああ!?」
叫びを聞いた瞬間、ふいに呼び起こされた。
今では、遠い記憶だが脳裏に焼き付いている。
けたたましいサイレン音が響き、俺は見ていた。
そう、見ていただけだった。
───とある少女を。
「エリー!」
その場にいた俺は何もできなかった。
こんな、残酷な現実があるのかと思考を放棄した。
当時のことは、今でも悔いている。
手を伸ばして……助けなかったのか、と。
だから、今度は悔いないように。
俺は手を伸ばし、抱きとめた。
「うわあああ、うあぁぁ……!」
どこの世界でも残酷な現実は受け入れられない。
それが、ごく普通のことで、当たり前のこと。
受け入れるとしたら、それはきっと諦めだろう。
「そうだ、それでいい」
それでも現実は変えられない。
だから諦めて、受け入れるしかないのだ。
彼女は、ただ泣き続けた。
◆◇
部屋の蝋燭に火をつけ、全容を確認した。
何者かに殺されたのは間違いないだろう。魔物ではなく、殺人であることが明らかだ。
恐らく扉に向かおうとし、何者かの攻撃を受けている。その証拠に壁に血が散逸し、おばさんの手に持っていたであろう『手日記』が後方に落ちているのだ。
「……エリー」
エリーは少しだけ離れの隅で膝を抱えている。
泣き止んだとはいえ、すんなりとは飲み込めないだろう。時間をかけて受け入れていくしかないのだ。
「……アリアおばさん、すみません」
手掛かりを得るために、意を決して日記を開く。
内容は、成長日記だった。エリーが生まれてからのことが書き留められている。初めて「ママ」と呼んだことや、病気で苦しんでいた時の葛藤など、だ。
「…………」
読み進んでいくごとに観察日記に変わってきた。
───何やら嬉しそうにするアベルが来た。少しだけ意地悪してみた。すると、エリーの部屋からアベルが追い出されていた。その後に、私を睨むアベルとエリーが面白くて可愛かったわ!
───エリーが泣いて帰ってきた。何があったのか、と聞いたら高い所から落ちたエリーを助けられて、怪我させてしまったことで喧嘩したらしい。アベルは少しだけ自分を勘定に入れていない節がある。そこが少しだけ心配だわ。
───アベルが友達を連れてきて、色々と知らない表情を見れた。確かコリーとダレルだった。それと、恋敵であろうダイアナに意地を張る様子が可愛らしかった。あんなに楽しそうなエリーは初めて見た。本当に……みんなには感謝しかないわ。
俺たちの様子を面白おかしく観察したことを書き留められている。読み進めるごとに泣きそうになった。
「……日記はここまでか」
書かれているのはここまでのようだ。
最後に、最後方のページを開いてみる。
「これは………」
そのページの右下に母の名前が記載されていた。
────”アリア・レウィシア”
「レウィシア……?」
聞かない名だ。姓名があるということは、どこかの家系にある可能性が高い。今回の事件に関与しているかまでは分からないが……
「エリー、大丈夫か?」
「……うん、少しだけだけど落ち着いたよ」
俺はエリーの様子を確認する。
少しだけ目も腫れ、声も酷く疲れているようだ。
でも、発狂していた時よりは落ち着いている。
「勝手に読んでしまったけど、これはエリーが持っている方がいい」
「……これって」
「アリアおばさんの手日記だ。主にお前のことが書かれている」
エリーは日記を見つめて、抱きしめた。
母の暖かさを抱くように。
「せめて、埋葬してあげよう」
「……うん」
アリアおばさんの瞼を閉じて、抱え上げる。
ゆっくりと一階へ降り、外に出た。
「ここで、お願い」
ここは家の裏庭だ。何もない小さな広場で、よくエリーたちを遊んでいた。その様子をアリアおばさんはいつも縁側で眺めていたな。
「………わかった」
俺はスコップで深く突き刺して土を出す。
続いてエリーも何度か涙を零しながら掘った。そして、不恰好ながらも四角の棺を作り、手を組ませて埋めた。
「……ごめんなさい。弱い体に生まれて大変だったよね。頑固で怒りっぽくて面倒だったよね」
エリーは土を握りしめて、涙を拭う。
姿なき母の前で最後の言葉を紡ぐ。
「……さようなら」
エリーは一筋の涙を零し、踵を返す。
そして、俺を見つめる瞳に暗いものを感じた。
「すまない、俺のせいで……」
「それ以上は何も言わないで」
いつものエリーらしかぬ言葉に、俺は口をつぐむ。
「憎むとしたら、ママを殺したやつなんだから」
矛先を間違えないで、とばかりの言葉だった。
「そう、だな」
この変わり様には少しだけ不安を覚える。
「……戻ろうよ。ダンさんが来るんでしょ」
俺を通り過ぎて、振り向き様にそう言った。
また間違えたのだろうか。
何もしない方がよかったのか。
……いや、俺が変化を恐れているだけだ。
人が変わらないなんて有り得ない。人は生涯をかけて変化していくものだ。変わらないとしたら、それはまさしく怠惰だろう。
「………アル?」
「ああ、ごめん。ぼーっとしていただけ……」
ごぷ、と。突然、口から液体が溢れ出た。
「あ……?」
赤い液だ。血だ。
鮮血がこぼれている。
「ふふ、あの方の言う通りでしたね」
神官のような男がどこからともなく現れる。
そして、自分を省みると小刀が体を貫いていた。
「ごぶぁ……ッ」
唇を噛んで痛みに耐える。
血反吐を吐きながらエリーを庇うように前へ出る。
瞬間、凄絶な衝撃波が体を貫いた。
「『魔の波動』」
衝撃に意識を刈り取られ、視界が遠のいていく。
そして、俺を担いで何処かへ連れて行かれる。
俺は、朦朧とする視界のなか、
「アルを……返してよ」
怯えながらも引き止めるエリーの姿が見えた。
すると、ゴミを見るような目に豹変した神官は吠えた。
「忌々しい小娘がァ!!」
嫌悪が行動となって蹴りつけたのだ。
悶絶するエリーだが、それだけでは留まらない。
「忌々しい力の、残り滓の分際で、私に触れるなァ!!」
執拗に踏みつけられて、エリーの白い肌がみるみる血まみれになっていき、呼吸すらも苦しそうになる。
「返……して…………」
それでも、エリーはその手を離さなかった。
去る足を掴んで離さなかった。
「だから、触るなと言っているだろうがァ!」
「ぎゃっ!あっ!」
エリーが苦しんでいる。痛がっている。
俺が、助けなければ……
「エ……リー…………」
◆◇
────少し時間を遡る。
船に乗る一匹の黒狼は燃え上がる街を目の当たりにし、その異臭に表情を歪めた。
(………あるじ)
黒狼は殺意や怒りなどを嗅ぎ取ることができ、その敏感な鼻がそれを証明していた。
(憎しみが……集まっている?)
異常な殺意が街を渦巻き、鼻が曲がるほどの臭いが一箇所へと集約されいる。そして、その濃度は先ほどから濃くなっている。
「…………」
船はすでに満杯で、ダンもイサベルもいない。
黒狼はわずかに目を細め、それを直感した。
ここが主の帰る場所ではない、と。
「……ウォオン!」
直後、黒狼はひっそりと船から出た。
約束のため、忠義のために、黒狼は走った。
◆◇
────時は進み、俺は目を覚ました。
「あれ、ここは……?」
傷痕もなく、服には穴が一つだけある。
それに、ここは洞窟内のようだ。壁に火のついた蠟燭が並んでいるし、誰かがいるのかもしれない。
「うっ……」
異臭がひどく、鼻が曲がりそうだ。
生ゴミのような臭いだ。
「おや、目を覚ましましたか」
「ッ!?」
不意に掛けられた声に身構える。
「『神の縄』」
白い縄に引っ張られ、十字架に磔になった。
「申し訳ございません。器といえど暴れられては困りますので」
敬虔そうな神官は薄気味悪い笑顔を浮かべてそう言った。そして、胸に手を当てて恭しく礼をした。
「私は セト・J・ワート と申します。御方を迎え入れる儀式が整いました」
セトと名乗る神官は手を広げながら踵を返す。
何処かへと連れて行かれるようだ。
「その前にひとつ」
変な方向に振り向いた、気味の悪い顔で迫られる。
「土産をご用意いたしましたので、ごゆるりとお楽しみください」
「はぁ……?」
と、十字架ごと動き出す。
俺は縛られたまま、洞窟の奥へと連れて行かれる。
壁に取り付けられた蝋燭が不気味に揺らめく。
奥へと進むごとに気持ちが落ち着かない。
この先に進むのは危険だ、と警鐘していたのだ。
「こちらです」
そこには薄暗い洞窟に似合わない、巨大な扉があった。翼の装飾が象られ教会の大扉のようだ。
「さあ、お入りくださいませ」
すると、扉から酷い腐敗臭が飛び出した。
俺は異臭にむせて吐き気を堪える。これほどの臭いはスラム街でも嗅いだことはない。
近しいものでいえば、一つだけだ。
路地裏で幾度か嗅いだもの。
そう、まるで、肉が────
「……………………は?」
蝋燭で照らされて、見えたのは凄惨な情景。
積み上げられた────夥しい【死】。
そこで、ずるり、ずるりと何かが動いた。
何かを引きずらせ、そいつは俺の足を掴んできた。
「助け、て……」
そいつは馴染みのある顔。
丸頭が印象的なヤツだった。
「コリー……?」
コリーの下半身が、ないのだ。
下半身から一本。触手のようなものが出ている。
コトリと。頭を落として絶命する。
「ぁあ……」
十字架は進み、コリーは闇に消えていった。
俺はそれを見たくなくて、顔を逸らす。
そして、閉じた瞼を開けると何かが飛び出した。
ぶらぶら、と。
鎖で首吊りに繋がられた、ダンさんだった。
「うぁぁああああああぁあああ!?」
ちくしょう。生きて帰るって言ったじゃねぇかよ。
なんで……死んでんだよ。
「ぅぷ、おぇえええええっ!」
胃の中を全て吐き出し、吐瀉物が口にこもる。
呼吸が苦しい。胃がひっくり返りそうだ。
しかし、それでも十字架は進んだ。
世の地獄というのは是だ。
これほどの残虐、この所業は人の業ではない。
怪物だ。
「ご到着となります」
俺は、憔悴しきった顔を上げる。
神官が手を掲げると蝋燭が灯り、教会のような部屋が広がり、魔導士を象った像が祀られていてた。
その中央の台座には────
「……母さん?」
台座で横わたる母さんの姿だった。
いつのまにか解放されていた俺は、よろよろと母さんのもとへ向かう。触れると酷く冷えていたが、僅かに呼吸がある。
「起きてよ、母さん」
俺は呼びかけるように揺さぶっても反応がなく、まるで死んでいるように眠っていた。
先程までの惨劇、微笑ましく笑う神官。
「……全部、お前がやったのか?」
「────はい」
この上なく、嬉しそうな顔でそう言った。
「てめぇっ!」
「『神の縄』」
俺は飛びかかるが、またしても磔にされる。
今度は怪力で強引に抜け出そうとしたが、少しも動けなかった。
「神の縄はいかなる力でも逃れることは不可能です」
神官は台座に近づき、つつーっと頬をなぞった。
「母さんに触るな!」
神官は俺を無視し、懐から小刀を取り出す。
そして、恍惚とした顔を浮かべた。
「ああ、我らが千年の願い。その始まりを、私如きが目の当たりに出来るとは、なんと喜ばしいことか!」
充血した瞳。神官からは狂気しか感じない。
すると、手を胸に添え、俺に向かって微笑んだ。
「な、何を………」
「数多の血と貴方の感情が尊き御方を蘇らせる………さあ、最後の贄をお受取りください」
神官は抜かれた小刀を、躊躇なく。
「─────え」
こぽりと。母さんの口から血が溢れる。
台座から鮮血が止めどなく流れる。
「お、かあさ、ん……?」
喉が弛緩して、言葉を形容できない。
現実を否定して、思考が定まらない。
「ふふ、その調子です」
母が、俺の、死んだ。
なんで。殺した、理由は、ママ、死んだ。
俺のせい、あいつのせい、殺された。
みんな……死ん、だ。
「嗚呼、感じますよ。いと尊き御方の気配を……!」
神官は仰々しく魔導士の像に祈りを捧げた。
台座から黒い瘴気を撒き散らし、不気味な黒雷が弾けるなかで、四つの黒い塊が漂っている。
黒い感情が器に納まり、溢れ出ようと暴れている。項垂れる俺は、歯をかち合わせて頭を上げ、射殺さんばかりの眼から血涙を流した。
「今、ここに儀式は成立した!さあ、再び我らを支配したまえ!いと尊き我らが神よ!!」
その瞬間───、黒い魂の一つが入り込んだ。
枷が外れ、感情が形となって溢れ出る。
溢れ出た闇が俺を包み、鼓動するようにうねる。
「う、ぁあ……」
自我が、消えていく。理性が剥がれていく。
かつて自分を押し殺し、最奥へと封じ込めたもの。
前世は己を諦め、幼い頃には決意を以って。
それは、醜悪で、闘争心にも似た、
人が持つべきではない、悍ましい感情……
────憎悪だ。
「ぁあ……っ!」
そして、俺はぷつりと途切れた。