➤9話 意気地なし
街を紅く染める、業火。
建物が崩壊し、瓦礫の中から豚頭が我がもの顔で徘徊していた。それに追従するように武器を持つ小鬼がいる。
そして、『黒竜の爪』で見た魔物も蠢いている。
「一体、何が……」
あまりの突然の出来事に困惑していたのだ。
立ち尽くす俺は、エリーの怯えた声で我に帰った。
「か、隠れよう!」
開いた口を飲み込んで声を出した。
エリーの手を引き、瓦礫の影に隠れた。豚頭は向こうへと進んでいく。小鬼もキャキャと嗤いながらついて行った。
何があったのか考えるのは後回しだ。
とにかく今はこの状況から脱するべきだ。
しかし、ここはスラム街。助けなど期待できない。
誰も信用できない街の中で信頼できる大人は三人だけだ。まずは、母さんたちを探すべきだろう。
そして、ここは街の一角。
ここからだと俺の家が近い。
と、俺はエリーの手を引きながら家に向かう。
道中に同じように隠れてやり過ごす。あんな巨躯に無装備で勝てるわけがない。フル装備のダンさんならば勝てるかもしれないが……
「………あれ?」
ここでやっと気づく。
街に人が……それ所か、死体一つも無いことに。
パチパチと火の粉が飛び、ただ建物を破壊する音だけが響き渡る。
思えば、最近街の様子がおかしかった。
この街を跋扈する荒くれ者や一角で項垂れる宿無しの数が減っていた。他町に出たのかと思ったが……
母さんまでもいなくなってしまったかと思うと、いても立ってもいられなかった。
「母さん!」
覗き込むエリーを無視し、そこへと駆け込む。
俺の家の扉を乱暴に開け放つ。
「…………」
そこには、物を漁る巨大なトカゲ。
トカゲがヤクザ座りをして、地に散らばった宝石類を物色していた。そして、手にしているそれは『力封じ』のネックレスだ。
母さんが、俺のために作ってくれた首飾り。
「それに……触るな!」
俺は飛びかかり様に拳を振るった。
怪力を遺憾なく発揮させ、振り向いたトカゲの顔面を潰した。きりもみしながら薄い壁を貫通して行く。
「…………」
母さんが転がっていないことに安堵するが、居ないことに募っていく不安。俺の嘘に気づいて、エリーの家に行ったのだろうか。
「ガルルゥ……」
すると、巨体なトカゲが現れた。
数匹の這うトカゲを率いる巨大なリザードマンだ。
俺は苛立ちを隠せず、低く、冷めた声で。
「………あぁ?」
瞬間、リザードマンが咆哮した。
その声に呼応し、大トカゲの群れが向かってくる。
こうも一斉に襲われると、さすがに厳しい。
だから、一匹ずつ、確実に。
「殺す」
先頭のトカゲが俺を襲ってくる。
拳を握りしめ、全力で叩き潰す。
「ゲキャア!?」
地面をワンバウンドして、のたうち回る。
嫌な感触だったが、思ったよりも弱いなコイツら。
先ほどの大トカゲは『力封じ』のネックレスで弱体化していたからだと思ったが、あまり関係なさそうだ。
俺は無言で、のたうち回るトカゲを蹴り飛ばす。
巨大なリザードマンの前に滑り込んだ。
「ゲ、ゲゲッ………」
そのままトカゲは即死する。
そして、高まるリザードマンの警戒。
周りのトカゲも足を止め、躊躇った。
「ゲゲゲェッ!」
うち、一匹が逃げた。
その逃げたトカゲを、踏み潰すリザードマン。
そして、小さな唸り声で命令を下し、躊躇っていた大トカゲが決死で俺に襲いかかってきた。
決死だろうがなんだろうが、俺には関係ない。
殺されても仕方ない理由を作ったのはお前らだ。
と、俺は向かってくるトカゲを叩き潰す。
拳がトカゲの顔面、腹部に命中する。
「ギャッ!」「ゲギャッ!」「ゲッ!」「ゲプッ!」
これでも元々空手をやっていたのだ。
大会の成果は三回戦敗退だがな。
骨も砕け、死ぬまでそう時間はかからないだろう。
あとは───
「ガァア!」
瞬間、横から衝撃が走った。
俺は家を貫通し、吹き飛んでしまう。
ガードはしたものの、脇腹に痛みが走る。
「ごほっ、ゲホッ!」
血は出ていないものの、腹の中の液を吐き出した。
大トカゲを処理できたことで油断してしまった。
そして、リザードマンは背の巨大な剣を取り出す。
「………っ」
真剣を向けられ、俺は一瞬、躊躇う。
そして、待つ間もなく飛びかかってきた。
だが、迷っている暇はない。剣を振り下ろすよりも早く股下を滑り込み、縋りつくように尻尾を掴む。
「う、お、おお!」
「グァア!?」
リザードマンは宙を一転し、川に落ちて流れて行った。ワニ面のくせに泳げないようだ。
というか、この怪力すげえな。
投げ飛ばせるとは思わなかった。
「…………」
しかし、村の惨状は酷い有様だ。
町の所々が炎上し、半壊もしている。この地は間も無くまものの生息地と化するだろう。村の復興は難しいだろう。
「アル……どこ?」
と、そこで瓦礫の影からエリーが覗き込んだ。
俺は思い出したように彼女の元へ駆け寄る。
「あ、アル!」
「エリー、ごめん。放ってしまって」
「怖かったけど……魔物はいなかったから大丈夫だよ。それよりもイザベルさんは?」
「……いなかった」
エリーもショックで目を見開いた。
「多分、エリーの家の方に行ったんだと思う。アリアおばさんのことも心配だし、今から行こう」
と、俺は背を向ける。きょとんとするエリー。
「この方が早いから乗って」
「えっ、う、うん……」
ほんのりと赤く染めながらも背に乗った。
そこから一直線にエリーの家へと向かう。
道中に人がいないか探しながら駆けたが、やはり人どころか死体一つない。避難したにしても死体がないのは奇妙だ。この惨状だ、少なくとも一人二人くらいは殺されてしまっていると思っていた。
跡形もなく魔物に喰われた可能性もあるが………
と、思案していると森の方が、緋色に染まった。
「なんだ、あれは?」
森に巨大な炎が渦巻いている。
ここまで熱風が届き、まるで火山活動だ。
そして、よく見ると炎の渦中に何かがいる。
全身真っ黒な鱗に覆われ、巨大な翼に鋭利な爪を持つ四肢。その巨大な顎に炎が燻っていた。
「………ドラゴン?」
炎の渦中に佇む黒いドラゴンは、天を見上げて顎門を大きく開けた。
「まさか……」
次々と放たれる、巨大な炎球。
そして、確信する。
街を燃やした元凶は間違いなく、あの黒竜だと。
「くっ!」
呆然とする間もなく隕石が降り注ぐ。
激しい爆発が響き渡り、衝撃からエリーを庇う。しかし、踏ん張りもきくはずがなく容易く吹き飛ばされた。
俺はエリーを抱きしめながら地面を一、二転する。
幸い直撃免れたようだが、瓦礫からエリーを庇って足を負傷してしまった。引きずりながら歩けるが、これでは走れない。
「いたた……エリー、大丈夫か?」
しかし、庇ったエリーの反応がない。
頭から血を流し、俺の手の中で倒れている。
「そ、んな……」
「ぅん…」
……よかった、反応はある。
少し瓦礫と擦ってしまったのだろう。
安堵した俺はエリーを抱え上げて逃げる。
しかし。
「くそ、次が来てしまう」
森の方が赤く染まる。次は生き残れるだろうか。
村の外に逃げたら生き延びられるかもしれないが、今から走っても間に合わない。
「死ぬしか、ないのか?」
這いずりながらも、生き永らえようとする。
せめてエリーだけは死なせたくないのに。
俺は大切なものを守れずに死ぬのか。
また、何も───
どこからか爆破音が聞こえる。
直後、目の前が眩く染まった。
「───……」
そう、俺は何も成せずに死ぬのだろう。
世界に、己に諦め、そして『黒神 瞬』だった頃によく漏らしていた言葉を呟く。
「あぁ、怠惰だな」
爆発音が、ただ、響く。
しばらくの静寂が続き、俺を呼ぶ聞き覚えのある声が聞こえた。その声に目を開ける。
そこには、大盾の戦士がいた。
「……ル、アル!大丈夫か?」
俺は震える声で返信した。
「ダンさん……?」
「ギリギリ間に合ってよかった。イザベルさんと一緒だと思ったが、二人だけのようだな」
大きな盾を構え、腰に剣をぶら下げている。
所々火傷をしている。隕石の雨を抜けて来たのだ。
「……そうか、エリーを救ってきたのだな」
俺の腕で気を失っているエリーを一瞥した。
すると、脳天に衝撃が走った。
「〜〜〜〜ッ!?」
「儂らに何も言わずに一人で行ったことへ罰だ」
じんじんと痛い。チョップされた。
「色々と聞きたいことや説教もあるが、今は後回しだ。とにかくここから脱出するぞ」
と、ダンさんは森の方へ目を向けた。
ドラゴンは、火球を放つべく大顎を開けていた。
「待って、母さんは? アリアおばさんは?」
「彼女たちも行方不明だ。ツァーリ港にも来なかったから儂が捜索に出たのだ。お前たちも含めて探すためにな」
「行方、不明?」
俺は放心した。
やっぱり俺の嘘に気づいて、家を出たのだ。
そして、どこかへと消えたのだ。
俺の、せいで……
「そんな顔をするな。彼女たちはきっと生きている」
「………でも」
「ここからだとアリアさんのところが近いな。お前たちは一旦、そこまで逃げろ。そこなら安全だ」
口をつぐんで、俺はただ頷いた。
ダンさんの言う通り、相談するべきだったのだ。この世界のことはダンさんや母さんの方が詳しいのだ。
俺は、自分の短慮さに腹を立てていた。
「ッ、伏せろ!」
ダンさんは俺の頭を押さえて、大きな盾を俺たちを覆った。爆撃がしばらく響き、静まった頃にダンさんは俺の背を押し出した。
「ほら、今の内に行くぞ!」
今の内にできるだけ遠くへ逃げなければならない。
そして、次の攻撃を目視するべく、ダンさんは盾を構えながら振り向いた。
「────ッ!?」
ダンさんの足が止まり、俺も振り向こうとした瞬間、突風が吹き荒れた。見上げると巨大な影が空を覆っていた。
【ガァアアアァアアアアアアアアアァアアアア!!】
咆哮の衝撃が突き抜けた。黒き災厄が俺たちの前に降り立った。うねる煙の中、大炎が鋭利な牙が並ぶ大顎に燻る。
「───くッ!」
ダンさんは危険を感じたのか、俺の方を向いた。
その顔は焦燥に駆られているようだった。
【煌炎】
放たれようとする煌めく炎。
アレは止められない。そう直感した。
ダンさんも大盾を捨てて俺たちを抱えた。
しかし、間に合わない。
すでに絶望の炎は───
【グギャァアア!?】
瞬間、飛び散る鮮血。
何者かに右目を斬られ、悲鳴を上げていたのだ。
「──防御態勢。前衛組は牽制。最優先は子どもだ」
気がつけば、俺たちの前に全身甲冑の戦士が盾を構えていた。ドラゴンを攻撃し始めた双剣士たちは軽快な動きで翻弄する。
「……ダンさん、久しぶりです」
何者かが、俺たちの前へ向かってくる。
大剣を背負う全身甲冑の騎士は、ヘルムを外して素顔を露わにした。
「お前は………ジェラルド」
ダンさんの知り合いのようだ。
「大蜥蜴の群れに手間取ったが、どうにか間に合ってよかった」
ドゴォ!と破壊音が響く。
彼らは一糸乱れぬ動きでドラゴンを翻弄し続けている。
「……そうか、助かったよ」
「なぁに、アンタからもらった恩義と比べりゃあ、こんなのはちょっとさ」
ジェラルドは踵を返し、ドラゴンと向かい合う。
「さて、コイツは流石に手には余る。すまないが、アンタの力も借りたい。子供を逃がしたいんだろう」
「……ああ」
対峙するようにジェラルドは大剣を払った。
それに呼応するようにドラゴンは咆哮する。
「これより暴走した黒竜の撃退を開始する」
その一言で盾の戦士たちは魔力を纏い、突貫した。
対し、ドラゴンは火球ではなく薙ぎ払うように、首を動かして火炎を吐いた。
「魔法防御、展開!」
盾戦士たちは魔力を纏わせた盾でブレスを防ぐ。
直後、牽制していた二人の双剣士が上空へと飛び出し、その勢いのままに黒竜を斬った。
「かったい!」「手が痺れるわね……」
堅牢な鱗に傷一つ与えられなかった。
二人の双剣士は左右へと距離を取った。左右に挟まれ、一瞬迷いを見せた瞬間、
「うらぁああああああ!」
前方の盾戦士に隠れていたジェラルドが大剣で、黒竜の頭を叩き潰したのだ。鱗は砕けなかったものの、僅かによろめく。
息の合った連携で対等に戦えているように見える。
しかし………
「アル、エリーを連れて逃げろ」
「いやだ、ダンさんも一緒に……」
俺は大切な人を失いたくない。
ダンさんも、大切なのだ。この世界で父を知らない俺には憧れでもあり、信頼できる父のような存在。
【グラァアアアアアアァアアアア!!】
渦巻く炎の中でドラゴンが咆哮する。
ダンさんは俺とエリーの頭に手を置いた。
「これでも元冒険者だ。お前らのことは絶対に守る」
………だめだ。
そういうのをフラグと言うんだ。
「なに、必ず帰ってくるさ」
嫌だ、やめろよ……
「エリーをしっかり守るんだぞ」
ダンさんはそう言い残して行った。
そして、俺は言われるがままに逃げた。エリーを抱えて、ふらふらと足を引きずりながら。
(……何も、言えなかった)
なんで何も言わなかった。
なぜ何もしなかった。
……いや、何もできない。言えないのだ。
決死の覚悟を前に、俺は黙るしかなかった。
「んっ……アル……?」
エリーが目を覚ます。
頭を打ったせいか、少し惚けているようだ。
「大丈夫だったか?」
「ごめん、わたし……」
俺の手からおずおずと降りた。その顔は暗く、何か思いつめているようだ。しかし、今はこの場から脱出することが最優先。
俺は彼女の手を引くが、動かない。
「……エリー、逃げよう」
再び手を差し伸べても、それを握らなかった。
「…………」
「エリー、早く」
すると、エリーは泣きそうな顔を浮かべた。
「わたしのことなんて、もう放ってもいいわよ。わたしのせいでアルが死んでしまうなんて……嫌よ」
そんなの俺だって同じだ。
誰のせいだとか、俺のせいだとか関係ない。
俺がエリーを大切だから───
「…………そっか」
守りたい気持ちは同じだ。
なら、答えは決まっているだろう。
「……エリー、君が初めての友達なんだ。それは僕にとって、かけがえのない存在だ。そんな大切な人を見捨てるなんて出来ないよ」
俺は膝をつき、エリーを見据えて。
さっきは何も言えなかった意気地なしだけど。
「だから、僕に守らせてくれないか」
「───……」
しばらくの静寂が続く。
そして、彼女は俯きながら俺の手をそっと握った。
その後、逃げている途中に溜息が聞こえた。
………気のせいだろうか。
読んでくださりありがとうございます。
次話「邪神の欠片1」