79話 届け、我が願い
「クラウディウス………」
舞い降りる漆黒はすでに白刀を握っていた。
見据えるは、敗れた獅子人。
すでに決着がついてしまったようだが間一髪。
片腕を飛ばされ、出血も酷いが死んでいない。
そして…………夢にまで見た仇。
気を尖らせたアベルは雷を纏って飛びかかる。
「フェイントか」
すんでの所で剣を引っ込め、ネロの背後に回った。
「『邪眼』」
こちらを向くネロの瞳に合わせて発動。
相手の動きを一瞬止め、腰溜めから拳を叩き込む。
ネロは吹き飛ぶも、倒れなかった。
「ふん、この程度……」
今は救出が優先する。
雷功を解除し、クラウディウスを抱えて離脱。
しかし、そう簡単には逃してはくれない。
「どこに行く気だ?」
「くっ」
一瞬で回り込まれた。やはり膂力に差がある。
ちらりとクラウディウスの容態を確認する。
顔が青く染まり、一刻も早く手当てをしなければならない。治癒魔術で……いや、そんな隙は与えてくれないだろう。
と、警戒しながら黒マントを切って、腕を縛る。
その時は、意外なことに何もしてこなかった。
「……ネ……ロ……俺は……」
掠れる声。小さく、周りにはほとんど聞こえないような呟きだったが、俺の耳には聞こえた。
「アベルとやら、俺様の軍門に下れ」
「………何を言っている?」
「てめぇの憎悪もまた、一つの軋轢だ。俺様にどんな憤りを持っているかは知らんが、誰もが虐げられぬ世界へと続く犠牲の一つだ」
自分が神だと言わんばかりの言動に眉間を寄せる。
確かに種族間に多少の軋轢が生じている。そして、同種族であるアートでさえも軋轢を感じている。
結局、世界は平等ではないかもしれない。
「俺様はお前の強さを買っている。俺様の手先となり、世界改革を叶えた暁に……てめぇの願いを叶えてやろう」
それでも俺は今を願う。未来への願いはいらない。
俺の願いは───お前を討つことなのだから。
「……俺はシバ国のために戦う。世が平和であって欲しいと思うが、俺はお前を否定する。世界は誰のものでもなく、ましてやヒトは神になれない」
俺はクラウディウスを背後に低く構える。
神胤を握りしめて、ネロを見据える。
「…………やはり相容れぬか」
小さく呟くと同時にネロの目が鋭くなる。
一瞬だが、哀しそうにも見えた。
「……良いだろう、理解できぬなら見せてやる」
両手の曲剣を地に投げ刺し、目を閉じる。
鈍く響くうめき声。
何か、空間が重くなっていく。
変質する黄金の体躯。ぶちぶちと肉が千切れる。
天空を飛ぶ翼が生え、額には鋭利な角が伸びた。
そして、見開かれる竜の瞳。
「【全は一の為に】」
その瞬間、空気、大地、生命。
全ての魔力がネロに集まっていく。
それは自分からも、全てが奪われていく。
「ぐ、ぬうぅ、うううっ!」
通常なら耐えきれぬほどの魔力。
風船に例えるならば、肉体がゴム、魔力が空気のようなものだ。風船も空気を入れすぎると割れる。
度を超えた魔力を取り込むのは自殺行為。
しかし、彼は違った。
絶大な魔力に耐えうる肉体を持っていたのだ。
解放される魔力。凄まじい暴風が吹き荒れる。
「……やっべぇな」
天より君臨するそれは、全能に迫った何か。
竜人に近いカタチをした何か。
「…………」
絶大な力を前にして、何故か高揚していた。
禍が呼応しているのか、更なる高みへと近づける喜びか、いずれにせよ。
圧倒的な彼我差なのは確かだ。
ここが踏ん張りどころだ。
(早く追いついてこいよ、こっちは大ピンチだ)
◆◇◆◇
とある砂丘。
一面が荒廃し、生きとし生ける者が根絶した砂地にて岩の巨人がそびえ立つ。その岩の肩で星空を仰ぐ、幻想的な少女が足をバタつかせていた。
少女は想いを馳せているかの様に目を瞑っている。
「不完全だけど至っているのね。一なる力に……」
すうと翡翠の瞳を開く。
そして、背後にいる少女に声をかけた。
「ねぇ、貴女も感じたでしょう? サッちゃん」
「むむぅ、その呼び方はやめて欲しいかな!」
輝く聖剣を担ぐ少女がむくれる。
「あ……が……」
足元には白目を剥きながら痙攣する巨漢がいた。
今でこそ見る影もないが、この男こそグララ領を統べるもの。
……暴食の《魔王》である。
「いいじゃない。可愛い呼び名だと思うわよ」
「その呼び方に『強い奴』って感じがしないです! 普通にサキって呼んでください!」
彼女こそが魔王殺しの宿命を背負いし者。
この世界における《勇者》である。
「ふふ、そうね。サッちゃん」
「むんっ!」
ぷんすか、とあさってに向く勇者。
星の少女は、くすくすと笑いながら夜空に流れる星の運河を眺める。そして、小さな手を差し伸べた。
「……あと少し……あと少しよ」
その翡翠の瞳の奥に羨望の想いを馳せる。
「………………届け、我が千年の願い」




