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➤8話 嘘と業火

 昔から息子は嘘に敏感で、優しい嘘をつく。

 心配させまいと、泣かせまいと嘘をつく。


 そう、毎日どこかに出かけていた時と同じ。

 今日の息子は、嘘をついている。


「………大丈夫よね」


 息子は強く、誰かのために頑張れる子だ。

 だから、信じたい。信じてあげたい。

 だけど……


「やっぱり心配なものは心配よ……」

「ウォン!」

「……そうよね、一緒に行ってみる?」

「オオン!」


 アートと一緒に街へと出歩く。

 やはり今日も人が少ない。数日前から減っている。

 エリーの母、アリアも違和感を持っていた。


 この街に何かが起こっている。


 大人子供関係なく、音沙汰なく消えていくという。

 いつも通り家から出たと思ったら、二度と帰ってこなかったという話をよく聞く。


 もしかしたら息子も、と考えてしまう。

 きゅうっと胸が締まり、苦しくなる。


「お願いだから、アリアの家にいて……」


 何も言わずに息子を見送ったことを悔いた。

 嘘だと薄々感じていたなら引き止めるべきだった。

 何を隠しているのか、聞き出して一緒に解決するべきだった。


 でも、遅い。もう祈るしかない。

 いつも通りエリーちゃんと遊んでいることを。


「ふぅ……」


 と、肺の中の空気を吐き出して落ち着かせる。


 憂鬱気味に少し空の向こうを眺めた。

 その彼方から、閃光が視界を白く染め上げた。


「ッ!?」


 落雷が落ちた。


 ヂヂヂヂ、と草が焦げ、現れたのは血まみれになった剣士。イザベルはローブで顔を隠された剣士を見た瞬間、腰にぶら下げていた魔導本を手に持つ。

 アートも威嚇して警戒をしている。


「誰?」

「イザベルさん、逃げろ!」


 一瞬で接近された剣士に肩を強く掴まれる。

 ローブが外れて露わになった顔は姉の恋人。

 かつての戦友だった。


「ユ、ユージンくん!?」

「話は後だ!結界が破れた。この街はもう無理だ」


 剣士に手を引かれるが、引く手に抵抗した。


「ま、待って! 息子がいないの!」

「何!? すでに道化ピエロに連れ去れてしまったのか!」

「ピエロ………?」

「アベルは街のどこかにいるはずだ。俺は街に残っている住人を避難させながら探みよう。見つけ次第、念話を飛ばす」

「……分かった。貴方も気をつけて」


 まずは息子を探すべく知己に当たる。そのほとんどが昼に遊んでいるのを見かけたくらいだった。


 このまま進んでいけばアリアの家だ。

 途中に、ダンの店に通りかかった。そこには、ダンが慌ただしく装備を整えていた。

 彼は元冒険者で大盾とショートソードの使い手だ。

 恐らく、この騒動に気づいて動いているのだろう。


「ダンさん、息子を見かけませんでしたか?」

「イザベル!?」


 ダンは驚愕で目を大きく見開いた。

 そして、聞かされたのは最悪の事態だった。




「───……エリーちゃんが?」

「ああ、娘が言ってきたんだ」

「分かりました。『黒龍の爪』に行ってみます」

「駄目だ。儂が………」


 ダンは彼女の持つ本に目を止め、声を引っ込めた。


「カリスの魔導書………名前が同じだとは思ってはいたのだが、本人だったとはな」


「……黙っててごめんなさい」


「いや、何も謝ることないさ。あんたがその人だってことが分かっただけだろう? とにかく儂も妻と娘を避難させてから探してみよう」


「お願いします。アート、あなたも行きなさい」


 クゥウ、とアートは顔を横に振った。

 アベルとの約束を守ろうとしているのだろう。


「アベルは任せなさい。あんたはアベルの帰る場所になりなさい」


「ウゥー……」


「こう見えても私は強いのよ。ダンさんよりもね」


「聞き捨てにならんな」


「フフ……だからね、任せてちょうだい」


「……ワン!」


 はっきりと伝わる吠え声で応えた。

 最後に撫でて、魔導本を構えた。


「じゃあ、ダンさん、行くわね」


「おう、気をつけてな」


 イザベルは踵を返し、飛び出す。

 パララ、と魔導本を開き、魔力を纏って低空を飛びながら街道を一直線に駆けた。


「……あれは」


 空に黒い靄が渦を巻いていた。

 そして、魔物が次々と降り、住人を襲い始める。

 この瞬間からコリオリ中に悲鳴が響き渡った。


「仇を燃やせ『炎球ファイアーボール』!」


 前方で女性を襲っているリザードマンに炎の球をぶつけ、爆発した。悲鳴を上げて黒炭となって倒れた。


「汝を癒せ『回復光ヒーリング』」


 倒れている女性に手を差し出す。


「大丈夫だった?」


「は、はい」


「ツァーリ港に向かって。助けが来てる筈だよ」


 女性は腰を抜かしながら走り去った。

 また奥の方からリザードマンが襲いかかってくる。


「息子が待っているのよ………そこを退きなさい!汝を断て『流斬スライス』!」


 ドパン!と鋭い水が蜥蜴を切り裂く。

 彼女は──元・SS級冒険者 ”白衣の魔女”。

 詠唱を省略したあらゆる魔術を操り、中で最も得意とした魔術は二つ。


 治癒と付与。


 他者に絶大な力を与える魔術の使い手で、攻撃魔術に秀でた魔導士ではないものの、並大抵の魔術師以上の実力を持っているのだ。


道化ピエロ………」


 そんな彼女の前に二人の道化が嘲笑していた。

 明らかに殺意を向けられている。


「ギャハ♪ 兄弟、魔力を貸してよ〜」


「アイ、アイサ〜☆」


「来たれ、来たれ、我らがしもべの醜悪なる小鬼ゴブリンどもよ」


 二人の道化の上、黒い靄から二十の小鬼が飛び出した。間違いなく敵だね、とイザベルは魔導本のページを開きながら詠唱する。


「汝を斬り刻め『流連斬スライサー』」


 ドパパパ、と全ての小鬼を切り刻む。

 息子を授かった境に引退したが、その魔術に衰えはなかった。


「ギャハーーー♪」


 背後から一人の道化が曲剣を持ち襲いかかるが、『流斬スライス』で頭が飛ぶ。


「兄弟が召されました……今、仇を討ちます☆」


 ひとコンマ遅れて、上空の黒い靄から両手にナイフを持って飛び出すものの、一瞬で胴体を斬られる。


「やられまし……た☆」


 最後まで、嘲笑に満ちた顔を崩さずに絶命した。

 詠唱省略は魔術師にとっても強力な技術である。剣士の高速踏み出しに対応できるほどの速さを誇り、距離以上の距離では無敵を誇る。


「素晴らしいです」


 そして、その詠唱速度に感嘆するように拍手しながら、絢爛な格好をした聖職者らしき男が現れる。

 気持ち悪い目でイザベルを舐めまわした。


「ふふ、私は "赤道化団レッドピエロ"のダイヤの紋標を預かる者です。名はセト・J・ワート。どうぞ良しなに、邪神の母君よ」


「何よ……私の息子は邪神なんかじゃないわ!」


「母君よ、貴女は邪神の最後の贄です。どうかお鎮まりください。できれば暴力は避けたい」


「ふざけるな! 仇を燃やせ『炎……」


「『抵魔アブジェクション』」


「ッ!?」


 パチン、と指を鳴らすと同時に魔力が搔き消える、

 イザベルは詠唱省略による高速魔術を超える、《無詠唱》を行使したことに驚愕を隠せなかった。


能力スキルか、それとも……)


 スッ、と目を細め警戒を高める。

 そして、本のページをめくり、攻撃に備えた。


「『惨……」


 相手が次なる魔術を発動しかけた瞬間、イザベルの後頭部に衝撃が走った。


「───っあ?」


 首から下の制御ができず、力なく地に伏した。

 ここでやられるわけにはいかない、と体を動かそうとし抵抗する。そして、後方へと視線を向けた。


思念体スピリットとはいえ、わざわざ貴方が出向いてくれるとは……その寛大なる御心、感激極まります」


レッドダイヤ、今何をしようとしました?」


「えぇ 何のことでしょう?」


「……次はありませんよ。そろそろ獅子王が来ます。『黒龍の爪』に戦力を集中させてください」


「承知しました」


 聞き覚えのある声、そして、忘れようもない顔。

 彼が裏切るはずがない。味方だったはずだ。


 ───友だったはずだ。


「あ、あぁあ………」


 失意に目が眩み、イザベルは嗚咽上げる。


「まだ意識がありましたか」


 再び衝撃が走り、完全に意識を手放した。

 深い、深い闇に沈み、二度と───……。


◇◆


 俺は早速『黒龍の爪』に忍び込んでいる。

 金網などで囲まれ、監獄とも思える堅牢さだった。コンクリートの壁で、一階には窓一つない。二階から上は檻の窓が並べられている。


 門には当然、見張りが構えている。そこで俺は裏に回り、自前の膂力で飛びかかって檻の窓を捻じ曲げて侵入した。


「さて……と」


 俺は影に潜みながら、エリーを探す。

 まず、牢獄の定番としては地下だ。下に行けば行くほど、閉じ込める存在の重要度が上がって来る。二階には誰も徘徊していなく、牢はいくつかあったが誰もいないのだ。


「……声がするな」


 と、わずかに騒がしい声がする方へと進む。

 一階に誰かがいるのだろう。


「おっと」


 そこには、誰かがお酒を呑みながら笑っていた。

 俺は即座に影に隠れ、息を潜める。そして、少しでもエリーの情報を得るために聞き耳を立てた。


 これほど緊張したのは久しぶりだ。

 大学入試前ぶりかな。


「あの狼男は……」

 

 集団に、懐かしい顔が加わった。

 そいつは、俺を刺した狼男だ。一瞬、怒りが湧き上がったが、グッと飲み込んで聞く耳に集中した。

 騒ぎを起こすとエリーを助けられないのだ。


『おぉ、フーゴ』


 俺を刺した狼男はフーゴというらしい。

 覚えとこう。


『クックッ、珍しい娘が入ったんだ』

『奴隷か?』


 エリーのことだろうか。

 やはり俺のせいで───……


『いや、なんでも獅子王の娘らしいんだ。同じ獣人として心が痛むが、巨額が手に入るんだ』

『獅子王の娘だと? 誰からの依頼だ?』

『言えねえなぁ』


 違うようだ。獅子王とは誰だろうか。


『もったいぶるなよ。俺とお前の仲だろ』

『すまねぇな。こればかりは言えねぇんだわ』


 フーゴはへらへらと笑いながら手を上げた。

 獅子王の娘とやらに執着しているようだし、恐らくエリーのことは知らないのだろう。

 これ以上、ここにいても得られるものはない。


「やっぱ地下かな」


 と、俺はその場から退散し、捜索を続ける。

 順調に階段を見つけ、地下へと降りた。

 予想通り、地下には無数の牢獄が並べられていて、獣か何かが閉じ込められている。


 と、俺は影に潜もうと壁に触れた。

 すると、ギェエエ!と何かが牢に張り付いてきた。


 声が出そうになったが、息を胃の中に押し込む。


「ッ……これが《魔物》というやつか」


 巨大なトカゲだ。このサイズは初めて見た。

 牢に閉じ込められているのは、いずれも異形や、前世の世界にはない生き物ばかりだ。


「グルル……」「シャーー!」「ォオォ……」


 爪が異常発達した巨大な熊や、頭が三つある蛇、そして、金の一角を持つ純白の馬もいる。多様多種の魔物たちが閉じ込められていた。

 さらには、屍人ゾンビまでいる。


 しかし、エリーの姿はなかった。


「エリー……」


 俺は焦っていた。

 俺の失敗でエリーが巻き込まれるなどとあってはならない。報いは自分に向けられるべきだ。


 前世だってそう。

 孤独になったのも、己が行いの報いだ。

 それに関しては何の文句もない。


 ただ、他者を当人の報いとするのは許せない。

 それこそ理不尽だ。


 俺にとっても、エリーにとってもだ。


 なら、命を賭けてでも救うべきだ。その結果が死だったとしても受け入れることはできるだろう。


「ゥウッ……」


 すると、呻き声が聞こえた。

 かなり掠れた声だったが、屍人ゾンビではない。

 明らかに生きた者の声だ。


「まさか、エリーか?」


 そいつは酷く掠れた声で呻いた。

 声がした方へと顔を向ける。


「ァ……誰?」


 オーブを描いたような金色の髪で、獣耳の少女だった。手足は鎖で繋がられ、手足は枷によって酷く傷つき、赤く腫れている。


 そして、身体中がアザだらけだ。


 翡翠の瞳をゆっくり開き、こちらを見た。

 そして、瞳の奥に光が灯った気がした。


「……ッ」


 しかし、それはすぐに暗いものへと変わった。

 恐らく期待をしていたのだろう。


「………エリーではないな」


 こいつを助ける義理はない。

 俺は即座にそいつから目を離し、闇へと消える。


 エリーを助けることが先決だ。

 それは揺らがない。

 しかし……


「似ているな。あの時と……」


 あの瞳。希望の瞳が忘れられなかった。

 ダイアナに助けの目を向けられて見捨てようとした。その時はエリーが激昂した。


 彼女は、助けられる『誰か』になろうとした。


「…………」


 俺は立ち止まり、手を見た。

 俺には『誰か』になれるだけの力はある。

 ここで見捨てても何の問題もないが……


「おい」


 こういう時にエリーならどうしたか?

 当然、すぐに駆け出すだろう。


 きっと、助けようとする。


「……?」


 俺は獣人の少女の目をもう一度見た。

 恐怖に染まっていたが、奥にどこか希望がある。

 救いを求める瞳をしていた。


「お前の名前は?」

「…………」

「教えてくれなかったら助けないぞ?」

「……ッ、オリヴィエ」


 少し怯えながら答えた。


「よし、オリヴィエ。待ってろよ」

「あ……」


 首の力抑え(パワーダウン)ネックレスを外し、地面に置く。

 そして、怪力で、鉄檻を捻じ曲げる。


「………!」


 オリヴィエは大きく見開いた目で俺を見た。

 そのまま俺はオリヴィエの繋がられていた右腕の鎖を外す。残り3つも同じように抜く。


「大丈夫だったか?」


 声が掠れて出しにくそうにしている。

 ちょうど持ってきた水筒を飲ませてやる。


「水だ。飲め」


 黙って飲み干した。痩せ細った体を見る限り、まともに水分も与えられていなかったようだ。


「俺はアベル。俺は友達を探しているんだ。白髪で、灰と青の眼をしている女の子だが、いなかったか?」

「ゴホッ……今日入って来た子?」

「ああ」

「……なら、あっち。多分、においも覚えている」


 さらに奥なのか。暗くて見えない。


「俺が背負ってやるから、これを持っていてくれ」

「………これは?」

力抑え(パワーダウン)のネックレスだ。とにかく、その子の所まで案内してくれるか?」

「ん……」


 小さく頷くオリヴィエ。

 背負ってみると軽かった。エリーの半分くらいか。

 数日遅ければ衰弱死していただろう。


「少し急ぐ。できるだけ声は出すなよ」


 俺は出来るだけ気配を消して、最速で奥へと進む。

 多様多種の魔物を通り過ぎていった。やはり閉じ込められているのは魔物ばかり。人型の怪物はいるが、ヒトはいなかった。

 恐らく『黒龍の爪』は魔物が主流だ。


 そう、ヒトを捕らえること自体が異常なのだ。


 奴隷売買を始めたのなら話は別だが、こんな街だ。

 まともな買取人はいない。他に可能性を考えるとすれば、金になる人間……特殊な人間だろう。


 と、俺はちらりとオリヴィエを見た。

 先ほどのフーゴの野郎を思い出した。


「まさか……な」


 そうであれば、エリーも該当するということだ。

 フーゴを見る限り、俺絡みではないだろう。

 恐らくエリー自身の何かが関係している。


 能力か、容姿か、地位か……


「あそこにいる」


 裾を引っ張られ、前に視線を戻す。

 すると、そこには見覚えのある髪の色が見えた。透き通るような白銀の髪に、ダイヤのような右眼の少女の姿がそこにあった。


 俺は誰もいないことを確認し、檻を叩いた。


「エリー!」

「アル……? なんでここに……?」

「はぁ……よかった」


 声が返ってきたことで、俺は大きく安堵の息を漏らした。すぐに檻から助け出してやる。


「ありがと……」


 エリーの体を見てみると、所々に青い痣があった。


 俺は少し無情に腹が立った。一発くらいフーゴを殴っておこうかなと密かに燃えた。


「この娘は捕まっていた所を助けたんだ。名前は…」

「……オリヴィエ」


 おずおずと背中に隠れるオリヴィエ。


「……わたしはエリーゼっていうのよ。よろしくね」


 やや低い声だ。なぜか悪寒がした。

 しかし、礼を言わないのはいただけない。


「お前の場所を教えてくれたんだ。礼くらい言ったらどうだ」

「う、ありがとう……」


 礼はいらないとオリヴィエは頭を振った。

 オリヴィエの方がやや気圧されているようだ。


 ……さて、こうしている暇はない。監視が回って来たら流石に気づかれるだろう。珍しい人間となれば間違いなく騒ぎになる。


「エリー、動けるか」

「大丈……ッ!」


 立ち上がるも、少しよろめく。

 俺は咄嗟にエリーに肩を貸してやる。


「足を怪我しているのか」

「ごめんなさい……」

「一人で帰らせた俺も悪いさ。さ、家に帰ろう」

「うん……」


◆◇


 日も暮れ、彼方が黒く濁っている。 

 今夜は嵐が来るだろう。今のうちに帰らないと。

 しかし、ふたりを抱えての脱出は重労働だった。俺とは違い、超人ではない彼女たちを二階から降ろすのが一苦労だった。


「ふぅ……エリー、もう歩けるか?」

「うん、ありがとう」


 脱出の時に気づかれなかったし、ここまで来れば追いつかれる心配もないだろう。エリーを帰らせて怪我の療養をしてやらないとな。


 あとの問題といえば、この子(オリヴィエ)だ。咄嗟に助けたものの、これからのことは考えていなかった。


「そういえば、オリヴィエはどこから来たの?」

「……ベヒモス」


 聞いたことがない。どこか遠くの国かな。


「どこかの国?」

「はい。 ここからはすごく、遠いと思う」


 奴隷としてここまで連れ去られたということか。

 この子がフーゴの野郎が言っていた『獅子王の娘』だったら間違いなく取り返しに来る。うちに匿うのも難しいだろう。


 どうしたものか、と頭を掻いているとオリヴィエは『黒龍の爪』のほうを向いた。


「……ん、迎えが来た」

「迎え?」


 と、俺は顔をかしげる。


「ウォオオオオオオオオオオオ!!!!!」


 咆哮が響いた。


「……お父様」


 迎えが来たなら、彼女はもう大丈夫そうだ。

 ここでお別れになるだろう。


「アベル、私と、来ない?」

「……なんだって?」

「私の国、大きい。君を、幸せにする……恩返し。その子も一緒に」


 確かに俺の故郷は貧乏だ。

 裕福とは程遠いが、前世よりも充実している。

 もう、簡単に捨てられるものでもないのだ。


「………ごめん、今は行けない」

「……そっか」


 オリヴィエは目を下に向ける。

 ピンと立っていた耳が、しゅんと落ち込む。


「……なら、約束しよう」

「約束?」

「それは君が持ってて。いつか返しに行くから」


 母からもらったネックレス。

 壊れた時のために、といくつか母さんが作ってくれたのだ。彼女が持っているのはそのスペアの一つ。


「………ん、約束する」


 キュッとネックレスを握る。

 名残惜しいが、きっとこの子とはこれきりではない。いつか再会できるだろう、と直感が告げていた。


「途中まで見送ろうか?」

「ううん、大丈夫。助けてくれて、ありがとう」


 最後に笑って、去って行った。


 直後、また遠吠えが響き渡る。さっきとは違って物騒な咆哮だ。

 もしかして『黒龍の爪』と争っているんだろうか。


 すると、その声に怯えたのか、服の裾を引っ張られる。

 振り向くと、やや暗い表情のエリーが呟くようなに話した。


「家から、出て行くの?」

「そうだな。今すぐではないが、いつか冒険してみたいとは思っていたからな」

「………なんで?」

「なんでだろうな……知らない知識を学んだり、神秘を体感したり、未知に踏み出したいから、かな」


 曖昧な答えかもしれない。

 でも、これが冒険心というものだろう。未踏の領域に身を投じたいという欲望が最近芽生えているのだ。

 

 ちゃんと成人したら旅に出てみたいと考えているのだ。


「………ん」


 エリーは黙って、裾をつまむ手を強めた。

 彼女は昔から引っ込み思案であまり意見を言わない。

 まだ心を許していない、ということなのだろうか。


 ……いや、逆かもしれない。

 気を許しているからこそ、言えないこともあるだろう。

 いつか、本音を言い合える日は来ると良いな。


「帰ろうか」

「うん……」


 俺はエリーの手を引き、帰路につく。

 このまま真っ直ぐ歩けば家に着くだろう。


 帰って母さんに謝らないとな。とっさに嘘をついてしまったし、怒られることは間違いない。

 でも、甘んじて受け入れよう。


 ああ、今日は本当に疲れた。それに先程から耳鳴りがうるさい。いや、これは耳鳴りにしては鮮明だ。

 そう、まるで悲鳴のような……


「何か街が騒がし───」


 瞬間、俺たちの眼前に閃光が奔った。

 その直後、轟音が響き渡った。


「ッ!?」

「きゃあ!?」


 衝撃にエリーは尻もちをつく。

 轟々と煙が巻き上がって何も見えない。


 そして、白煙の中から紅黒がうねった。


「───火」


 町が、故郷が、真っ赤に燃え上がっていた。


読んで下さりありがとうございます。

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