田舎娘の歩き方
小鳥が囀り、飛び回る。
窓からぼんやりその様子を眺めていた少女は、ハッとしたようにあるものに釘付けになった。
少女の視線の先には一組の男女。
なにやら剣呑な雰囲気だ。
見知った二人の只ならぬ様子が気になり、少女はゆっくり窓を開けた。
「だから何度も言ってるでしょ、もう決めたことなの!」
「落ち着けケイティ。何もそんな結論を急ぐことはないだろ」
「私は落ち着いてるわ、凄くね。冷静な頭で決めたのよ。私はこの村を出てくわ」
「ケイティ、頼むから俺の話を聞いてくれ」
「うるさいわね、ウィル。聞くことなんてないわよ」
「そんな言い方、よくないよ」
「……いつから聞いてたのよココ」
窓から顔を出した少女、ココにケイティは眉を顰める。
「ごめんね、二人が喧嘩してるみたいだったから」
「喧嘩じゃないんだ。ちょっと、話し合いをしてて」
「ウィルがうるさいのよ。私はもう決めたことなのに一々口出しするから」
「ケイティが急に村を出てくと言うからだろ」
「急にじゃないわ。ちゃんと決めたもの」
「だからよく考えて……なぁココからもケイティに言ってやってくれよ」
ウィルは助けを求めるようにココを見る。
村長の孫娘であるケイティは、先日ある見合いの話を受けた。
相手は王都に住む貴族の男だ。
ケイティが父親に連れられ、王都に行ったときに見染められたらしい。
こんな田舎の娘に貴族からお声がかかるなど滅多に、というかまずないことだ。
村中はお祭騒ぎ、当のケイティも乗り気だ。
だが、ウィルだけは反対していた。
その理由をココはよく知っていた。
「ケイティは、そのお相手の貴族の人が好きなの?」
「それは……」
ココの核心を突く発言に、一瞬ケイティは口ごもる。
「ま、まだほとんど話してないもの、分からないわ。でも結婚してから少しずつ相手を知ればいいのだし、素敵な人よ」
「ねぇ、ケイティ。本当に好きな人と一緒にならなきゃ、後悔するよ?」
「それは、分かってるけど……」
「ケイティ。ケイティが望んでるのは、その人と結婚することなの? 王都で貴族として暮らすことなの?」
ケイティは昔から村を出たいと言っていた。
華やかな王都で暮らしたいのだと。
村を出たことのないココには王都がどんなところか分からないが、ケイティはいつも楽しそうに王都の話をしていた。
「……王都で暮らしたいの。こんな田舎で一生を終えるんじゃなくて、華やかな王都で自分の力を試したい」
「結婚だけが王都で暮らす手段じゃないと思うよ。ケイティ、妥協して簡単な道を選んで、あなたは本当に幸せになれる?」
「それは……」
ココの言葉に応えられず、ケイティは俯く。
「ねぇ、ウィル。どうしてケイティを止めたいのか、ちゃんと言わなきゃケイティも分からないよ」
「あ、あぁ……そうだな」
ウィルはずっとケイティが好きだった。
二人の友人であるココは、ウィルからよく相談されていた。
気の強いケイティと、あと一歩が踏み出せないウィル。
ココからするとお似合いの二人だったが、二人の関係は中々進展しなかった。
今回の見合い話はいい機会だろう。
ウィルは意を決したように、声を出す。
「ケイティ。聞いてくれ、俺は……」
ここから先は自分は邪魔だろう、とココは窓を閉めた。
覗き見するつもりもないのでカーテンを引く。
それでも声は僅かに漏れてくるので、枕元のオルゴールを流した。
ココには部屋を出て行くという選択肢はない。
ココは部屋から出れないのだ。
一日中ベッドに横たわり窓を眺めるのが日課だった。
これほど退屈なことはないが、他にすることもないのだ。
両親が度々用意してくれる本はすぐ読み終わってしまう。
街に行くのも一苦労のこの田舎で、さして裕福なわけでもないココの両親は、一月に数冊本を用意するのが精一杯だった。
幼い頃からそうだった。
病弱で、寝たきりの生活を余儀なくされていた。
村の人も両親も、そんな可哀想な少女にとても親切にしていた。
ココはみんなに愛された、幸せな少女だろう。
けれど、どれだけ優しくされても、親切にされても、愛されても。
ココの心は埋まらない。
あと、どのくらいの命だろう。
あと、何回同じ日を繰り返すのだろう。
穏やかなこの村で、ひっそり死んでいくのだろう。
未来に希望も期待もなかった。
生まれてからずっとそうなのだから、変わらないと諦めてしまった。
きっとこのまま、この部屋で、このベッドで横たわったまま、自分は死んでいくのだ。
それでもせめて、と思う。
せめてもう一度だけ、あの人に会いたい。
あの日ココの世界を変えた、あの人に。
「……エルヴィ」
願いを込めるように呟く。
幼いあの日、変わらない毎日を過ごすココの元に訪れた一人の少年。
彼は父親に連れられ遠い国から旅をしてきた。
休息のためにふらりと寄ったこの村で、少年はココと出会う。
ココの知らない外の世界の話を、少年はたくさん聞かせた。
少年の言葉全てが新鮮で、ココは世界が初めて輝いて見えた。
『いつかまた、会いに来るよ。約束だ』
楽しかった日々は一瞬で終わりを告げ、また変わらない日常がやってきた。
少年は父親に連れられどこかへと旅立った。
いつか少年はまたこの村に来るだろう。
けれど、それまでココが生きていられるかは分からない。
もしもココの足が自由に動くのなら、ココは少年を追いかけただろう。
この村での生活を、両親を、友人を置いてでも着いていっただろう。
それほどまでにココは少年に惹かれていた。
けれど、現実は村どころか部屋すら出れない。
ケイティが羨ましかった。
ウィルが羨ましかった。
どこにでも行けるあの少年が、羨ましかった。
いつか、行きたい。
どこか遠い世界に。
「……ココ、起きて」
眠りに落ちていたココを、目覚めさせようと声をかける。
「誰……?」
それはココの知らない男の人だった。
夢と現の判断のつかないココは、彼に手を伸ばす。
その手を彼は優しく握る。
手から伝わる温もりを感じて、ココの頬に涙が伝う。
「……エルヴィ?」
愛しいその名を呼ぶと、青年になった少年は嬉しそうに頷く。
「そうだよ、ココ。約束を果たしに来たんだよ」
その笑顔に少年の面影を見て、ココは自分の心が満たされていくのを感じた。
もう会えないと思っていた。
だけど、会えた。
また会おうという約束を、守ってくれた。
「大好き……エルヴィ」
ずっと言いたかった言葉を伝えて。
ありがとう、と呟いて。
幸せそうに微笑んで。
ココは、眠りについた。
永い永い、二度と覚めることのない眠りに。
「……大好きだったよ、ココ」
もう届かない言葉を紡ぎ、花を手向ける。
父親に連れられ旅をしながら、エルヴィの心にはずっと一人の少女がいた。
いつかあの村に帰ろう。
優しさと愛をくれたあの少女の元に。
また会おうと交わした約束を果たすために。
そう決意して、数年の時が過ぎて。
やっとあの村に帰れたときには、もう手遅れだった。
死の床に臥せっているココは、もう少女とは言えない年齢であるはずなのに、出会った頃とほとんど変わっていなかった。
安らかに眠るココに必死で呼びかける。
せめてもう一度、言葉を交わしたい。
せめてもう一度、あの愛しい笑顔が見たい。
その切実な想いが届いたのか、ココはゆっくり目を開けた。
手を握り、嬉しそうに微笑んで。
ココは、永遠の眠りについた。
冷たくなっていくココに何もできず、大声で泣き叫んだ。
ココの両親は静かにすすり泣く。
みんな、覚悟していたことだった。
けれど、受け入れられる者はいない。
ただ、泣くしかなかった。
皆に愛された少女は、一人旅立つ。
遠い遠い世界へと。
そして、遠い世界の小さな村で。
新たな生を受け、産声を上げる。
今度は自由な身体を手に入れて。
未来に向かって、歩いていく。