「でも、しょうがないんだよね。だって、好きになる相手なんてさ、選べないじゃん」
かずやにっき 941年 13がつ7にち
きょう、ようこちゃんと、あそびました。
たのしかった。きょうから、いっしょに、くらします。
おかあさんと、おれと、ふたりで、ようこちゃんの、みかたです。
という日記をカズヤ=アサクラが書いたのは、もうずいぶんと前のことだ。
「さぁ! 今日からおにいちゃんだよ!」
ある日、母親が嬉しそうに連れてきたのは親戚の女の子だった。
色が白くて人形みたいに可愛い女の子だった。
「どうして? おばさんは?」
「ちょっと病気なんだ」
「えぇっ?」
少年カズヤが驚いている横で、ヨウコはしゅん、となって指をくわえてしまっていた。
「でも大丈夫! あたしたちが一緒だ! だからカズヤ、誓うんだよ!」
「ちかう?」
「約束だ! あたしとアンタは何があってもこいつの味方だ! 簡単だろ?」
「おー? みかた? せいぎのみかた? てんしせんたいシロインジャー みたいな?」
「あー……似たようなもんかな……よしそれでいい! こいつの平和を守るんジャーっ!」
「おー、わかったー。シロと言ったらシロインジャーっ」
「……あんた、父さんに似てきたね」
あとで聞いた話だが「おー、わかったー」は仕事で家を空けまくっている父親の口癖らしい。
「おれがまもるぞー」
「……ほんと?」
「おー。お兄ちゃんはおまえのみかただぞーっ!」
「お母さんもだぞーっ!」
カズヤの母は、強引にヨウコとカズヤを抱き寄せた。
「嫌なこと全部全部、どうでもよくなるくらい一生懸命にいくよーっ!」
「おー」
――今思えば安請け合いしたものである、とカズヤは回想する。
ヨウコの風邪の看病している間にパワーアップしたウィルスを貧乏神よろしく押し付けられたり、お前はアニキなんだからと事あるごとに言われて我慢を強要されたり。
ついでに言うとヨウコの母親=カズヤの叔母の病気が、身体ではなく心の病であったり。
「色々あったなぁ……」
「何見てるの、カズちゃん」
「……机の中を整理していたらとんでもないものが出てきたわけで」
「なに? どんなの?」
「だめ! 絶対!」
カズヤは机の引き出しに日記を再び突っ込んで鍵をガチャリ、と回す。
「昔の日記とかひとに見せるものじゃありません!」
「えー……見たかったのに」
言いつつヨウコは掃除に戻る。
今日は休日で、部屋へ遊びに来たヨウコがカズヤを手伝っていた。
はたきと雑巾を持つ姿がとてもよく似合う家政婦(?)であった。
隣の部屋からゼップのバラードが聞こえてくるのも相まって、のどかな休日だった。
「お前出かけるのって何時だっけ?」
「あと一時間くらいかな」
友達と買い物へ出かけるそうだ。
ヨウコがカズヤから離れるのは一週間ぶりのことだった。
「じゃ、掃除いいよ。お茶飲んどけ」
「うん」
ヨウコがエレル相手に爆発してから一週間が経っている。
ヨウコがああなったあとは、カズヤの出番が回ってくる。
やたらと寂しがるようになる彼女を落ち着かせるために、一緒にいる時間が増える。
話をする時間と構ってやる時間が増えるだけで特別何かをするわけではないが、
とりあえずカズヤはヨウコと一緒にいる。
最初の一日は口数が少なく、表情も遠慮するような笑いが多い。
次の日も同じで、その次の日にやっとゼップとリッピとカズヤがバカをやっている姿を笑うようになって、四日目で穏やかに笑うことが多くなって、五日目に嬉しそうに笑って、六日目にはたいてい、カズヤに何か礼をするためにやってくる。
今回はたまたま、それが掃除になっただけだ。
「お茶、できたよ」
掃除して出てきた昔のマンガを読んでいたカズヤが「おー」と、机の上に置かれた
湯飲みに手を伸ばす。
お茶飲んどけ=俺とお前のお茶をいれてのんびりしとけ、がカズヤ語の正しい変換で
ある。
「おいしい?」
「極楽である」
バカ殿だった。
――コツン。
「うん?」
――コツン、コツン。
と、音がした。窓の方からだった。
「なんだ?」
カズヤが立ち上がって窓を開けた。
瞬間、飛んできた小石がカズヤの額にめり込んだ。
「うぎゃああああっ!」
目の前で火花が散った。――気がした。
***
「いやー……すいませんでした」
カズヤの部屋の前でへこへこと頭を下げているのはヨウコの友人だった。
クラスメイト(=アクマ)らしく、一階のヨウコの窓に小石をぶつけて反応がなかったので、カズヤの部屋に同じことを試してみた、とのことだった。
「……ちゃんと玄関から呼んでくれよ」
「やー、面目ないッス――階段のぼるのが面倒で、ついつい!」
てへー、と笑って誤魔化そうとする様子はリッピとよく似ている。
それでカズヤはなんだか許せそうになるのだから、アクマの笑顔というのは不思議な
ものである。
ショートカットの金髪がボーイッシュでよく似合っていた。
「せっかくの天才頭脳がショックでバカになったらどうしてくれるというのだね」
「あれ、某リッピからの情報だとカズヤさんの成績はアレでアレがアレじゃなかったですかね」
「個人情報保護法ってなんでしたっけ、ヨウコさん」
「みんなが知ってることは個人情報にならないんじゃないかなぁ?」
「……あれ? お前、……………………………………………………………………え?」
カズヤの脳みそは処理が追いつかなくて思考停止に陥った。
気が付けば「準備してくるから入り口で待ってて」と、ヨウコがカズヤの部屋を出て
いっていた。
「カズヤさん、せっかくだからヨウコが来るまで入り口で一緒に待ってましょうよー」
「ああ、はいはい」
カズヤがフリーズから回復して、二人で階段を降りる。
「ヨウコ、元気になりましたね」
「うん? いつも元気だよ?」
「あらら、嘘はいけませんね? ヨウコがカズヤさんにべったりなときは落ち込んでる
ときのサインでは?」
「うーん、そうか?」
「あの子、またアクマになったんですか?」
はぐらかしていたカズヤの顔が強張った。
「あーほら、あたしもリッピとヨウコと何回か同じクラスになってるから、知ってるです」
「へぇ……。なんか、ちょい意外だな。リッピは口が堅い方だと思ってたけど」
「なに言ってんですかー。ヨウコから無理やり聞き出したに決まってるじゃないですかー」
「え、そうなの?」
「えぇ、そりゃもちろん。アクマ女子は恋の気配に敏感です。同学年で仲のいい子はヨウコのアレ、けっこう知ってますよ。天使の子とかも数人知ってるはずッス」
「……そっか。あいつ、けっこう友達いるんだな」
「人気者ですよー。いい子ですもん。だから知ってる子はみんなヨウコの味方っすよ! きっといつか、燃えるような恋ができる相手を捕まえてもらうんです」
「燃える恋ねぇ……穏やかな恋の方があいつには似合っているんじゃないか?」
「えー? 穏やかだけでいいなら、今までびびって逃げちゃった男たちで事足りるんじゃないですかねー? アクマ娘の恋はやっぱ燃焼系ですよー」
明け透けな意見に、アクマはやっぱりアクマなんだなぁ、とカズヤは苦笑する。
「……ま、あいつにもいい友達がいるみたいで安心した」
人間とアクマの狭間で泣き喚いているヨウコだが、彼女の周りはカズヤが思っている
より、ずいぶんと優しいものかもしれない。
そう思えたのが嬉しくて、カズヤは喜んでいた。
話している間に二人は寮の入り口に着いた。
ヨウコはまだ来ていない。寮の前で二人、一緒に彼女を待つ。
「そういえば、名前は?」
「あ、こりゃ失礼。メフィーって言います」
メフィーはしゅびっ、と敬礼しながら答える。
「そっか。覚えとくよ。ヨウコのこと、よろしくな」
「はい、喜んで。ところで、お兄さんに聞きたいんですけど」
「うん?」
「ヨウコのほんとのお兄さんじゃないんですよね?」
「うん、そうだよ」
「じゃあ――恋愛対象としては問題ないわけですよね、なのに、」
ざざざ、と風が吹いた。春の匂いをふんだんに含んだ風だ。
「なんでヨウコは大好きなカズヤさんに対してアクマにならないんですかね?」
…………。
…………。
…………。
――これだから、アクマって奴は。
「さぁ?」
カズヤが肩をすくめて「さっぱり」のポーズを取ったところで、
「おまたせー」
と、ヨウコが出てきた。
「おー、おせぇぞー。あんまり友達を待たせるなよー。 ……なぁ、そうだろ?」
カズヤがメフィーに目配せをする。
受け止めるアクマと、道化を気取る人間と。
「…………。あはー。そうっすねー」
「ごめんなさいー」
アクマを内に秘める人間=ヨウコと。
「じゃあ、いこっかー」
「うん、行ってくるね」
「おー、いってこーい」
メフィーがヨウコと手を繋いで、二人の背中をカズヤが見送る。
途中、ヨウコが振り返って手を振ったので、カズヤも手を振り返した。
途中、メフィーもカズヤに振り返る。
突き刺さってきた視線にカズヤは既視感を覚えた。
なんということはない。
カズヤを責め立てようとするときのリッピの視線。それとそっくりだった。
(……なんで俺に対してアクマにならないか、ねぇ)
二人の背中が見えなくなってからカズヤは踵を返す。
(そんなもん、決まってるじゃねぇか)
――とっくの昔に愛想を尽かされてるだけだ。
カズヤは寮の階段をのぼって部屋に戻る。
ゼップのバラードは閉演していて、静けさだけがやたらと耳についた。
(いねぇのかな……)
ゼップの部屋をノックしてみる。
無反応だった。
「なんだよくそぉ! 久しぶりに遊んでやろうと思ってたのになんて友達甲斐のない
やつだ!」
しょうがなくカズヤはひとりで外に出た。
カズヤは寮の入り口に立っていたから、出かけたゼップとすれ違うはずなのだが――。
「あの野郎……どうやって外に出たんだ」
部屋でゴロゴロする気分ではなかった。外にいたい気分だった。
そこでカズヤが向かったのは裏庭である。
裏庭自体は柵で囲われている。
校舎の裏手に回ると二メートルほどの柵が見える。柵には植物が絡んでいて垣根のようになっていた。葉の隙間から向こう側がかすかに見える。
その柵の一部はアーチ状になっていた。
植物園の入り口をイメージしてデザインされたそこが、裏庭の入り口だ。
入り口の脇には溜め池があってほとりにはベンチが設置され、芝生が敷き詰められて
いる。
校舎に程近いその場所は、カズヤお気に入りの昼寝スポットだった。
大の字になって芝生の上に転がる。固い土の上に瑞々しさを宿す草の柔らかさがあった。
「あー……」
と、カズヤは間延びした声を煙草のケムリのように空へくゆらせる。
蒼い空に食べるとうまそうな雲が何も言わずに浮いていた。
(――今回も面倒だったなぁ)
久しぶりのひとりの時間を得て、一週間のお守りが終わったのだとカズヤは再認識していた。
リッピとゼップとリッピの周辺は何か言いたげにしているようだが――。
(あー、やめやめやめ! めんどい!)
目を瞑って忘れる。
――ブラックアウト!
――ぼくはしりません!
「なんでよ!」
「うぇえっ?」
突然の大声にカズヤは思わずガバッ! と身体を起こす。
「って、あれ……」
誰もいなかった。辺りを見回す。
ひとの声はすれど、姿は見えない。
(んー? 校舎の方からか……?)
カズヤは芝生の上を這うように柵へ近づく。
柵の隙間――葉の隙間から人影が見えた。
(……やっぱりリッピじゃん)
聞き覚えのある声だったのでもしや、と思っていたが、正しかった。
「明日は一緒にって言ったじゃんーっ!」
「……しょうがないだろう」
「しょうがなくない! 外出許可も取ったのに!」
リッピが叫んでいる。
「……最近冷たい気がするのって、あたしの気のせい? あたしがワガママなだけ?」
彼女が怒っているのは珍しくないが――。
(相手、男か?)
声を聞くかぎり間違いない。角度が悪くて顔が見えないが、リッピの前に男が立って
いる。
「そんなつもりはない。それに、恋人になったつもりもない」
「うそだぁ! そんなんだったら最初から突っぱねたらよかったじゃん!」
「…………」
「なのに今更――ずるいよ……」
話を聞くかぎり間違いなさそうだった。
(おいおい……まじかよ)
リッピに好きな相手がいたのも意外だった。
――隠し事のできない子だと思っていたのに。
知らない一面があったことを突きつけられて、カズヤはショックを受けた。
「……とりあえず明日の準備もある。今日は失礼する」
「ウー……っ!」
怒っているが、泣きそうな声だった。
(つーか恋人になったつもりはないって――なんじゃそら)
腹を立てはじめたカズヤは首をごそごそと動かして男の顔を確認しようとする。
(もうちょい)
……もう少し。
(あ、見えそう)
その直前、男の顔にリッピの頭が重なった。
わかりやすく言うと、キスしていた。
(……は、はぁあああッ?)
カズヤの開いた口が塞がらない。
「っ、!」
男がリッピから身体を離した。そのせいでまた顔が見えなくなった。
「…………」
「なに!」
噛み付くような勢いのリッピを軽く突き飛ばして男が去っていく。
リッピは追わなかった。
(おいいい、ふざけんなぁぁぁ! あいつどこのどいつだぁぁぁ!)
カズヤはなんとか男の背格好だけでも見てやろうと身体を垣根にねじ込ませる。
それがまずかった。
「むっ?」
リッピが感づいた。
(あ、やべ――)
リッピが垣根に近づいてくる。
(うおお! にげねーと!)
垣根から身体を抜いてカズヤが走り出す。
そこであろうことか、足をうまく踏み出せず、バランスを失った。
「おっ、わっ、あ、あっ、ちょ」
前のめりになって、なんとか転ぶまいとしたのが間違いだった。
二歩、三歩、四歩、ともつれる足を立て直せず、気が付けば目の前に溜め池があって、こらえきれずに頭から突っ込む。
どぼーん、と池に水柱が立った。
カズヤはしばらく息を止めて水中に潜んでいた。……が、やがて水面にブクブク、と
水泡が浮いてくる。
そして彼が水面に顔を出すと――。
「なにしてんの、あんた」
全然やり過ごせていなかった。
「……ちょっと、かくれんぼを」
「ほぅ、だれと?」
「……ひとりで」
「アハハー。……バカじゃないの。ばかじゃないの」
リッピは何故か、悪口を二回言った。
「とりあえず、上がりなさいな」
「おー……」
リッピはカズヤを引き上げるのを手伝った。
「うおお、寒い! 寒いぞ!」
「そりゃねぇ……まだ春だもん」
「うぅ、服が濡れて気持ちわりぃ。つか、どうしよ……」
「うーん、寮のお風呂は使えないもんね」
時間が決まっているので昼間は使えないのだ。
「あー、じゃあシャワー室おいでよ。陸上部の。あたし今、カギ持ってるし」
「おお、そんな手が!」
「任せなさい! こっちこっち」
二人は部室棟に向かう。
部室棟は校舎とは別に作られていて、運動部の部室や施設が固まっている。
室内練習場もあれば柔道場、ウェイトトレーニング専用の部屋も用意されている。
シャワー室も施設の一部だ。洗濯機や乾燥機なども置いてある。
部員が多く、実績のある部だと個別に用意されている。
「……ここのシャワー室、女子陸上部って書いてるぞ?」
「うん、そだよ。だってあたし女子じゃん?」
「いやいやいやいや、俺が入ったらまずいだろ?」
「今日はあたししか練習してないからだいじょぶだよ。中から鍵もかけるし」
カズヤ=アサクラ、男子憧れの部屋へ潜入である。
「服は乾燥機かけるからーほら脱いだ脱いだ」
「ちょい待て! 脱ぐからあっち向け!」
服を脱いだあとは個室に入ってカーテンを引く。
個室の角に女性向けの洗髪剤が置いてあったり、排水溝に男のものとは違う、長い髪の毛が絡まっていたりした。
ついでに言えば、カーテンの向こうにはリッピがいる。
(お、おちつかねぇ……)
湯を浴びながらカズヤはそればかり考えていた。
「バスタオル、個室の前に置いといたからー」
「あ、さんきゅ」
「あいよー」
カズヤの隣の個室からカーテンを引く音と、水音が。
「って待て待て待て待て! なんでお前もシャワー浴びてるんだよ!」
「ん? 練習終わったからだよ? だいじょぶ、女のシャワーは長いのでカズちんの方が早く上がるよ。どうせもう出るっしょ? 先に上がってタオル巻けばいいじゃん」
リッピは気後れすることなく言う。カズヤは抗議する気力をなくした。
(……俺、ナメられてんのかな)
男として複雑な心境だった。
一週間前、医務室でノアに服を捲くられて照れていた彼女とは別人のようだった。
シャワーの音。身体を洗う音。
隣から聞こえてくる音が否応なく、カズヤに彼女を意識させる。
(……あれ、キスだったよなぁ)
不意に、先ほど垣根から覗き見た光景がカズヤの頭に浮かんだ。
(――さっさと出よ)
カズヤは用意されていたバスタオルでささっ、と身体を拭いて、
(服がねぇじゃねぇか)
仕方なくバスタオルを腰に巻いて、ぐおんぐおん回っている乾燥機の前のベンチへ。
「あ、しまった。カズちんバスタオル取ってー自分の分、用意するの忘れた」
「おー……ってどこだよ」
「そっちそっち」
カーテンの隙間からリッピの指が生えてくる。
「おう。……置いといたらいいですかね」
「うん」
カズヤは何故か敬語だった。
再び乾燥機の前へ居座る。
リッピがいる方には背中を向けていた。
「ふぃー、いい湯だった」
Tシャツとズボンを着たアクマ娘がカズヤの隣に座る。
いつのまに用意していたのか、紙パックにストローを突き刺してチュー、と牛乳を吸い上げていた。きめ細やかな肌が目に鮮やか過ぎたので、カズヤは視線を逃がす。
「カズちん、落ち着きがないのはあたしに欲情したからでしょうか」
「興奮しない方が変だと思います。てゆか、今の現場押さえられたら俺、退学じゃね?」
「見つからなきゃ大丈夫っしょ。みんなけっこう色々やってるし。うちの友達とかもなー……」
と、リッピの意味深な言葉。
「クラスメイトとか?」
「うん。アクマと人間の子は、わりと」
「メフィーとかも?」
「あー、あの子も彼氏がいたころ、ここのカギをこっそり貸したなぁ」
「ここに? 彼氏と?」
「ふたりっきり。もう別れちゃってるけどね」
「思いっきり私物化じゃないですか! ……て、みんなそんななの?」
「えーそうだねー。たとえばぁ」
(※とてもじゃないですが説明できません)
「うそだぁぁ、絶対うそだああ、お前ぜったい俺をだまして遊んでるだろ!」
「心外な! うそじゃないよ!」
「うううおおお……おれ、もうお前の友達の顔を平常心で見れない……」
「くひひ、前屈みの呪いだねー」
乾燥機がぐおんぐおん回っている横でカズヤが頭を抱えて、リッピが勝ち誇っていた。
「そいやカズちんさー」
「……なんだよぅ」
「さっき裏庭に居たけど――――――――――――――見た?」
「エッ?」
途端にカズヤの口調が不自然になった。
「何ヲ見タって?」
「うーん、あたしの青春?」
「見てない見てない見てないよ!」
「そっ、見たんだ。びっくりした?」
「……かなり」
「まぁ、そうだよねぇ。相手が相手だもんねぇ」
「あ、いや……」
カズヤが男の顔も見たと、リッピは思っているようだ。
「でも、しょうがないんだよね。だって、好きになる相手なんてさ、選べないじゃん」
リッピはベンチの上に片足を乗せて、膝小僧の上に顎を乗せた。
その目が寂しそうで、カズヤは思わず余計なことを言った。
「――あいつもさ、リッピのこと、ちゃんと好きでいてくれてるのか?」
「んー、よくわかんない。ちゃんと答えもらったことないし」
「なんだよそれ。いいのかよ、そんなんで」
「立場も立場だから、しょうがないんじゃないかな」
だって先生だもん、とリッピは言った。
「……?」
カズヤは少しの間、理解に苦しんだ。
「やっぱさー、教え子との恋ってのは天使にとって禁忌だろうしさー、頭がちがちのノアせんせから本心聞くっていうのは、実現しちゃったらそれすなわちもう、あたしの勝利じゃない?」
ノア=レベスト。陸上部顧問。天使で教師。
それが、彼女の想い人だ。
「……おま、お前。ほんとに、それでいいのか? 好きとも言ってもらえてないのに?」
「うん。大好きなんだもん。相手が振り向くまで攻めまくればいいじゃん」
「でも、先生だろ――?」
「だって、好きなんだもん。いいじゃん。気にしなくたって」
「でも、見つかったらさ、いくらお前の親父さんが理事長っつっても、学校とかさ――」
「いいよー。やめてもいいもん」
それは異常かもしれないが、間違いではない。
「だって好きになるって、そういうことでしょ?」
奇しくも、カズヤがヨウコに対して言った言葉がリッピの口からそのまま出てきた。
「好きだったら他の何を犠牲にしてもいいって、思うのは変?」
「……いや、それが、アクマの愛し方なんじゃないか」
「カズちんなら、そう答えると思った。じゃないとヨッコのそばにいられないもんね」
首肯する裏でカズヤは理解に苦しむ。
一時の恋で全てを捨てるなどカズヤには理解し難い。
激情型にして劇場型の恋慕など、けっして現実的ではないはずだ。
――なのに。
カズヤの胸に渦巻く敗北感はいったい、なんだというのか。
彼の頭によぎったのは散々見てきたヨウコの泣き顔と、リッピがノアの顔を引き寄せて、強引にキスした瞬間の光景だった。
「……ま、お前が納得してんなら、いいんじゃないか」
カズヤは乾燥機の方へ向き直る。機械はまだ止まっていなかった。
「あれあれ、カズちん、嫉妬?」
「んなわけねえだろ」
――なんだかおもしろくなかった。
――ちっともおもしろくなかった。
「あはは、かわいーね」
顔は見ていないが、リッピが明るく楽しそうに笑う顔がカズヤの目に浮かぶ。
「ね……」
リッピの両手がカズヤの両頬に伸びて、くいっ、と顔を振り向かせた。
「キスしてあげよっか?」
「な――っ」
「誰かとしたことある? ……あたしのこと、嫌いじゃないっしょ?」
「てめっ! からかうのも大概にしやがれ!」
「……好きでしょ? あたしの勘違い?」
「ッ!」
カズヤは両手を振りほどいて、本気の怒りを乗せてリッピを睨みつけた。
「あははーごめんごめん、あたしアクマですから! 失礼で無礼で下品で悪趣味なのさ!」
「それでもやっていいことと悪いことがある!」
「うん。でもカズちんは優しい人間のなかでもトップクラスの優しいやつで、しかも
リッピが大好きだから、きっと許しちゃうんだよね」
リッピは口元を微笑ませて、目は真剣な色を乗せている。
不思議な表情だった。カズヤの中から沸いて出た怒りが急激に萎えていって、代わりに乾燥機からピーっ、と音が吹き出た。
「……くそっ、これだから、アクマって奴は」
ベンチから立ち上がり、カズヤは乾燥機に手を突っ込んで服をひったくる。
「そっか。カズちんはアクマがあんま好きじゃないか」
カズヤはリッピに返答しない。無視を決め込んでいるようだった。
「でもさ、あたしにはいつもカズちんが我慢してるように見えるんだよね」
バスタオルを巻いたまま下着を履いてズボンとシャツを着る。リッピには背を向けて
いる。
「あんたもヨッコもアクマに産まれてくれば楽だったのに、って思う。アクマになっちゃえばいいんだよ。難しく考えないでいいじゃん。一度きりの人生だもん」
カズヤが服を着て外に出たら、二人きりの時間は終わりだ。
「どうして自分のしたいようにしたらだめなの?」
服を着終えたカズヤは動きを止めた。何かを考えているような感じだった。
言葉を探しているような感じだった。
「――リッピの言ってることは、たぶん全部正しいよ」
長い時間をかけて、ようやくカズヤの口が開いた。
「でもさ、俺たちはアクマみたいに強くないからさ、……特に俺は、リッピみたいに運動がすごいできるわけでもないし、自分に自信があるわけじゃないから好き勝手に生きることなんてできない。……そんな奴が多いからさ、たぶん人間は優しいんだよ」
「ふぅん」
リッピは吐息を挟んでから、言う。
「カズちんは確かに優しいけどさ、カズちんの優しさは一番、自分自身に向いちゃってる気がするんだよね」
時間が止まったような気がした。
カズヤは――心を抉られた気分だった。
故に無言だった。二人の間に妙な沈黙が差し込んでいた。
「それがちょっと、友達やってる身としては悔しいかな」
「……わりぃな、国語の成績悪いから何が言いたいかよくわかんないや」
「そうだね! 実はあたしもちょっとわかんなくなってきてた!」
感覚と情熱と激情で生きる娘は太陽のように、屈託なく笑った。
「いこっか」
「おう」
出る前に、やられっぱなしだったカズヤはちょっとした復讐を思いついた。
「ノアとさ、ここで二人っきりになったりとかした?」
リッピ、絶句。
そして赤面。
「……ばーか、えっち」
――ああ、可愛いな、と。
笑ってる顔もノアに向けていた泣きそうになっている顔も可愛かったが、今のは
とびっきりだった。
カズヤは心の底からそう思った。
「ん、いーよ。誰もいない」
先にシャワー室から出たリッピが周囲を確認してカズヤへ合図を送る。
部室棟を出て、二人は並んで寮に帰った。
「あ、カズヤ! ちょうどよかった」
と、寮の入り口で教師に呼び止められた。
人間のベテラン教師で、寮母を兼任している人物だ。
「ゼップから電話なんだよ」
「俺に?」
「うん、部屋にいないって言いかけたところだったから、出てやって。繋がったまま
だから」
電話は寮の入り口を抜けてすぐ、ロビーに三つ古いのが並んでいるが、これは発信専用だ。
着信ができる電話は寮母が寝泊りしている宿直室にしかない。
「もしもーし」
『カズヤか?』
「俺だー、どした? 電話してくるなんて珍しいじゃねぇか」
何の用なのか、カズヤには見当がつかない。
『今、ヨウコといるんだが、このまま取られたくないなら、さっさと取り戻しに来い』
……。
……。
「はぁッ?」
――あたま沸いてるのか、コイツ。
カズヤは心の底から、本気の本気でそう思った。




