「パパとママも……どうして、どうしてみんなと私の『好き』は同じじゃないの……ッ」
寮までの帰り道、と言ってもカズヤが向かったのは寮ではなく、礼拝堂だった。
鍵はいつもかかっていない。
どんな時間でも開いているし、ここの管理者はどんな時間にきても誰をも拒むことは
ない。
だからとても便利なのだ。
人知れず泣きたいときとか、誰にも話せないことを告白したり懺悔したりするのに最適なのだ。
話を聞くアリアが『自分』を捨てているから為せる業である。
「早かったな」
カズヤが礼拝堂に入るとゼップが扉のすぐ前、最後列の席に座ってギターの手入れを
していた。
机の上に電気カンテラが置いてあって、暗闇を薄く溶かしていた。
「ヨウコは?」
「アリアさんの部屋にいる。リッピもそばについてる」
「わかった。あんがと」
カズヤはゼップの隣を抜けて礼拝堂の奥へ向かう。
「あいつに何を話したんだ?」
すれちがう瞬間、ゼップがカズヤに訊いた。
「ん? いつも通りだよ。説明してきた」
「何か言われたか?」
「んー。ヨウコは嫌いじゃないけど、俺のことは見損なったとか。ま、いつもどおり。
なんでなんだろね。参っちゃうぜ」
カズヤはおどけた様子で笑っている。
ビビビビビィィン、とギターの弦が震えて、音が天井と壁にぶつかって反響する。
「おわっ、なんだよ?」
「悪い。ヴァリ子だ」
ゼップがギターの弦を押さえる。
ヴァリ子はギターの名前だ。ヨウコにもリッピにもカズヤにも見えない。
契約者のゼップにだけ見える、ギターに憑いている存在。
呪われし妖物ギター『ストラト・ヴァリ子』。
それがゼップの得物だ。
「あ、ああー、そうなんだ。何、機嫌悪いの? 女の子の日?」
「はっ、最悪の冗談だ。笑ってやろう」
ゼップが口元だけで笑う。
目が笑っていなかった。
仄暗い薄闇の中、瞳に電気カンテラの明かりを反射させた双眸が射抜いてくる。
ゼップは、怒っていた。
「なんだよ。言いたいことあるなら言えよ」
「納得がいかないだけだ。俺はアクマだから。お前のやっていることがよくわからない」
「なんだよ。それ」
「なんでエレルに嫌われるのかわからないと言っているが、本気でそう思っているのか? とぼけているだけだろう? 逃げているのか? そんなに自分の考えていることを言うのが怖いか?」
「いやいやいや、ちょい待て。意味がわからない。俺が何から逃げてるって言うのよ。俺、頭わりーし超能力者じゃないからわかんないよ!」
カズヤは胸元で腕を交差させて×マークを作る。
「俺はアクマだからはっきり言う。俺も、あとリッピも、お前のそういうところは正直
大嫌いだ。ヨウコだって、そうかもしれない」
「……さいで。よくわかんないけど、そりゃ、ごめん」
誰かに嫌われることが何よりも嫌いなカズヤが、落ち込む素振りを見せた。不安に
なった彼は確認する。
「……でも、友達はやめたりしないよな?」
「当たり前だ」
即答だった。
「おう、さんきゅ」
カズヤは俊敏な動きで礼拝堂を抜けて、アリアの部屋を目指す。
途中、思い出したように立ち止まった。
「俺は人間だけどはっきり言うぞ。ゼップもリッピもヨウコもアリアさんも大好きだ」
振り返るとゼップの目と視線がぶつかった。
(――よし、怒ってない)
満足した様子でカズヤは奥へ飛んでいく。
礼拝堂の祭壇の脇に通路の入り口があって、突き当たりまで進む。
ドアが開いていた。カズヤはノックをしてからそぅ、っと顔を覗かせてみる。
本棚と机とベッドしかない部屋だった。娯楽を一切排除したような部屋だ。
アリアが立っていた。リッピがベッドに座っていた。リッピの肩に額を押し付けて顔を隠す、中途半端な髪の長さの――ヨウコの金色の後頭部が見えた。
「ヨッコ、来たよ」
慈しむようにヨウコの髪を梳かすリッピが囁いた。
「カズちんが来てくれたよ」
ヨウコが振り向いて顔の角度が変わる。目が見えた。
赤い。
涙目だから、というわけでなく、瞳が赤い。
アリアは何も言わずに部屋を出て行った。
カズヤの隣を通るとき、小さく会釈した。
カズヤがベッドに近づくとリッピがヨウコから身体を離して、
「はい」
と、彼女を差し出した。
「確かに受け取りました、印鑑はどこに押せばいいですか」
「後日、リッピちゃんの口座に一生涯、今後の労働で得る全財産を振り込むことを誓う
書面が不幸の手紙っぽく届くので、そこへお願いします」
「押さねぇよ! 絶対絶対押さねぇよ! 押さねぇからな!」
「……ばかいってんじゃないですよ、バカズちん」
リッピはヨウコをもう一度抱き寄せてから、とんとん、と自分の唇を指差した。
「彼女の、ここに、押しなさい」
みたいなことをヨウコに見えないように、口パクで伝えていた。
「……。あほか」
「むかっ。……まぁとりあえず、これ以上泣かせたら承知しないかんね」
金髪アクマが退場していく。
バタン! と強く扉が閉まった。
これで二人きりになった。
「あー」
こういうときは第一声が肝心かと思われる。
――が、
「大丈夫か?」
悲しいかな、カズヤの口から出たのは平凡な一言だった。
「…………」
ヨウコの顔が上を向く。ぼんやりとした顔だった。
「ありゃまぁ……大丈夫じゃないな」
「…………」
ヨウコの唇が震えて目尻に涙が溜まっていく。
何か言おうとして、やっぱり止めて、それでもこらえきれなくなった何かを空気と一緒に飲み込んでいる。
カズヤが今まで散々見てきた顔だった。
泣いてはだめだとがんばっているときの顔だ。
「我慢はよくないって医者が言ってなかったっけ」
「……もういっぱい泣いた」
「でも本当に言いたいことは、何も言ってないんだろ?」
これ以上迷惑かけたくない、という心はきっと、天使のように優しい人間の方のヨウコだ。
「ここは治外法権だ。俺は、お前の味方だよ?」
「…………」
「今までも。これからも」
「……っ、うああああ……」
今、カズヤに抱きついて泣き出したのは、もう一人の方だ。
「どうして――どうして!」
カズヤの両肩に指が食い込む。加減されていないから、相当痛いはずである。
「なんでいつも! どうして!」
「そうだよなぁ――なんで、なんだろうなぁ」
カズヤがエレルに説明したように、理論上は誰にでも起こりうる症状なのだ。
人間は天使とアクマの子孫だから、親戚に人間しかいなくても両種族の血は引いている。
だから突然、遺伝子が悪戯して彼女のような人間が産まれる。
誰にでも起こりうる。
だがみんながそうなるわけではない。
「なんで私だけ!」
みんながそうなるわけではないのに、彼女だけがなった。
そしてヨウコは、一番大切にされるべき人物に背を向けられた。
「パパとママも……どうして、どうしてみんなと私の『好き』は同じじゃないの……ッ」
「…………」
昔はこれほど極端にアクマが出てくることはなかった。
思春期を迎えて誰かを好きになったり、誰かに好きになられたりしてから余計に
こうなった。
いろんな原因が考えられる。
親に捨てられた寂しさ、アクマ独自の恋愛に対する志向性が成長と共に強くなった等々。
(あとは――アレとか、アレとか、色々と。……いや、無意味だな)
仮にどれが原因かわかっても、きっと治せない。
「私、間違ってるのかなぁ――っ、間違っちゃったのかなぁ……っ!」
「間違ってないよ」
病気ではないのだから、治せないのだ。
矛盾しているようだが――異常ではあるが、ヨウコは普通のことを言っているのだ。
ヨウコが誰かを好きになったとき言っていることは、いつも一緒だ。
……ずっと、好きでいてくれますか?
……放さないでいてくれますか?
……嫌いになったりしませんか?
……結婚してくれますか?
好きなら好きのままだろう。
好きなら放さないだろう。
好きなら嫌な部分があっても簡単に嫌いになったりしないだろう。
好きなら結婚だってするだろう。
好きなら子供を捨てたりしないはずだ。
好きだからこうやって両肩に尋常でない痛みがあってもカズヤは黙って話を聞いていられる。
好きな相手に好きと言われたあとに、好きな相手から否定されるなどあってはならないはずだ。
「間違ってないよ。お前のことが本気で好きなら、答えは全部ハイ、のはずだ」
異常だが間違っていないのだ。
正しいが、正しすぎて純度が高すぎて、それが他のひとの『好き』と違うから異常に
なってしまっているだけだ。
恋をすると普段と違う彼女が出てきてしまうだけだ。
彼女が間違っていないから、彼女を好きになった男は彼女を許すし、ムラサメ兄妹も力を貸す。
「好きになるって、そういうことだろう?」
「ううう……うああああっ」
雨が降ったような悲鳴だった。
身体を押し付けられたカズヤは危うく倒れそうになって「おっと」と足を踏ん張らせる。
(うーん……しかし)
背が伸びた。とカズヤはのんきな感想を抱いた。
身体も柔らかくなったし、女らしくなった。
(……こいつがモテまくって、このまま件数が増えていったらどうしよう)
その未来予想図と胸の感触にカズヤの頭はクラクラする。
(うーん……)
ヨウコにそのつもりはない。
しかし泣きすがられて胸に頭を押し当てられて、密着されるのは狂おしいまでに――。
(っておい待て、相手はヨウコだぞ)
小さいころ布団に寝小便垂れて泣き喚いて、カズヤが全寮制のムラサメ学園に入学を
決めて家を出るときはびーびー泣いて、追いかけて入学してきた初日に義母(=カズヤ母)がいなくて不安だからと言い張って、カズヤの部屋に転がり込んできた。
『俺が守るぞー』
『ほんと?』
『おー。お兄ちゃんはお前の味方だぞーっ!』
カズヤが幼い頃に発したその宣言は、生涯有効だと約束した。
(そのヨウコだぞ?)
――そんな相手に何を考えていやがる。
――殺すぞ、俺。
「ほれ」
カズヤはぽん、とヨウコの頭に手を乗せてグリグリ撫で付けた。
(――目覚めろ俺の父性)
カズヤの脳内議会ではシスコン派の野党と紳士派の与党がダイナマイトと百円ライター片手に激突中だった。
「もうそろそろ消灯だかんな。リッピと一緒に帰って寝ろ?」
「――カズちゃんは?」
「俺も自分の部屋だ。……こら、そんな顔すんな。俺はゼップとのケンカのせいでこれ以上素行点数引かれたら島流しくらうんだよ。しばらく会えなくなっていいか?」
「……やだ」
「じゃ、ちょっと我慢しろ。明日の朝になったら一緒に学校行って、授業終わったら一緒に遊んでやるから。な?」
渋るヨウコをなんとか言いくるめて、カズヤは礼拝堂まで手を引いていく。
「早いじゃん」
礼拝堂で二人を一番に出迎えたリッピが驚いたように言ってから、カズヤとヨウコの顔を見比べる。
「……ふぅん」
すぐに不満げになった。思っていることが表情に出やすい女の子だった。
「なんですか、リッピさん」
「べっつにぃ。……別にいーんですけどね」
と、全然良くない様子で言った。
「ヨッコ、いこー。今日は一緒に寝るよーっ」
カズヤからヨウコの手をひったくるようにして、リッピが寮に戻っていく。
「アリアさん、ありがとね」
「――お気になさらず」
カズヤの感謝にアリアが口元だけを微笑ませて答えた。
カズヤはギターケースを担いだゼップと一緒に外へ出た。
時が進んだせいだろう。夜の冷気と神秘の香りが強まっていた。
「なぁ、ゼップ」
「ん」
「お前、妹に欲情したことあるか?」
「そういう属性はない。ギターにならあるが」
新しい何かが産まれて大事な何かを失いそうな性癖だった。
――聞かなかったことにしよう、とカズヤは決めた。
「まぁ、妹なんてそんなもんだよなぁ」
うんうん、とカズヤはポケットに両手を突っ込んで歩く。
「お前は違うだろう」と反論が飛んできた。
「ヨウコとお前は、兄妹ではない」
「……んー、そうだったかなぁ」
カズヤは早足でゼップの前を歩く。上空に目を向けて言葉をこぼす。
「おー、星が綺麗だなぁ」
自分の発言のくせに、他人事のような響きだった。
春先の――彼らにとってはよくあることになってしまった、夜の出来事だった。




